2022年06月16日

明石海峡大橋に サイクリングロードと鉄道を通す ~その2(!)~


・鉄道を通常規格で通して 神戸線等に乗り入れる。

・全車両用に残りの幅を使う。(緊急車両は両側通行できる。)



クルマが完全自動運転、バイクが 自転車を感知できる、セミ・オートパイロットであること。

この達成によって、色々なバージョンで、実現可能でしょう。


完全自動運転は、たっぷりと車間距離を取り、自転車と一緒に走ることも可能です。

(そうでなければ、完全自動運転とは言えません。)

また、完全自動運転は、ダイヤを購入する方式を基本とするのがよく、クルマすべての台数は少なく 渋滞が緩和され、乗せる人は多くなり、電気自動車や水素燃料電池車に置き換わるのが理想です。


基本は、クルマ・バイクの走行を、40キロ制限にすれば、うまくいきます。

他には、退避路や、休憩地をたくさん設けることで、サイクリングロードに最適になります。


(このコーナーは、その1 をやや異なった角度から見たもので、重複点もあります。)



・道路の下側に鉄道を通す場合


新幹線と在来線が両方通れるように設計することが可能なのでしょうね。

この場合、自転車道を、上部の道路側に構造分離して 設計できるでしょう。



・鉄道を道路の一部に通す場合


明石大橋の幅は、36mらしいので、4m×9です。

鉄道の車両限界が3m、計4mあれば、単線が通せるので、そこに、新幹線と在来線両方が通れる規格の線路(青函トンネルの北海道新幹線のような方式)を引けば、在来線も新幹線も通れます。

残り、4m×8は、4m×4を、片側2車線で、構造分離して、クルマとバイクに。

もう半分の、4m×4を、自転車と原付用に分けて、構造分離して、片側1車線に。


自転車レーンと原付レーンの間の、構造分離区間に、休憩所や自動販売機を付ければ、退避路にもなります。


実際は、36mすべてをスペースにできないと思うので、無理なく構造分離できるかがカギとなりますね。





他にも、完全自動運転なら、思い切ったことができます。


(完全自動運転なら、中央の分離は 無いほうがスペースを活用できる気がしますが、) 中央の構造分離は必要ならば行って、左右対称に車線を引き、左側通行の、両側通行として、4m×8のうち、4m×2を、制限速度100キロ規格の追い越し車線に、4m×2を、制限速度40キロの基本車線に。 さらに、4m×2のサイクリングロード、4m×2の歩道・休憩所・退避所に。 自転車や原付が (スローブ・エレベーター・手押しで) Uターンできる地下道を ところどころにつくれば、完全自動運転のメリットとして、あらゆる車両に自由なスペースが生み出せます。


上記は、歩道や待避所付きの片側3車線で、自転車は、左車線の第1車線と、右隣の追い越し車線である第2車線を使います。

原付は、中央の第2車線を使います。 (原付は、時速20キロまでなら第1車線も走れ、第2車線は時速40キロまで加速できるようにすべきでしょう。)

追い越すときは、隣の車線を使います。

クルマ・バイクは、中央の第2車線と、さらに右の追い越し車線である第3車線を使い、右車線(第3車線)をメインに走ります。

(緊急車両が来たときは、第2車線に寄ります。)


(精密な設計について詳しくは知りませんが、鉄道を片側に通すことで、重量のバランスが偏る点も、無視できないかもしれません。)


実際は、明石大橋は、鉄道の無い状態で、片側3車線なので、鉄道を下側のスペースに通すことで、上記が実現するのかもしれません。





・片側1.5車線で、自転車・バイク・クルマが走る場合


完全自動運転は、ダイヤ走行なので、侵入できない時間があっても、問題ないという考えもあります。

(鉄道は4mあれば行けると思うので、これを、鳴門大橋に応用する方法もあるでしょう。)


片側1車線の車道外側線に当たる場所に、自転車通行帯を設けます。

明石大橋は3911m、鳴門大橋は1629mです。

風が大敵ですが、自転車は、時速10キロ(1キロ6分)の場合、明石大橋を24分、鳴門大橋を10分程度で、渡れます。

通勤時間帯は、自転車は電車に乗れるようにした方がいいですが、例えば、10時起点で、ママチャリは、明石大橋を10時から10時20分まで(鳴門大橋は10時から10時10分まで)、クロスバイクやロードバイクなどは、明石大橋を10時から10時40分まで(鳴門大橋は10時から10時20分まで)、原付は、明石大橋を、10時30分から11時まで(鳴門大橋は10時15分から10時30分まで)、クルマ・バイクは、40キロ制限(完全自動運転・バイクはセミ・オートパイロットで、車間距離たっぷり)で10時40分から12時まで(鳴門大橋は10時20分から11時まで)、クルマ・バイクは、11時から12時(鳴門大橋は10時30分から11時)までは、前方に自転車等がいないことを感知したうえで、100キロ規格で。(対向自転車等がいるときも40キロ制限で。)

クルマ・バイクは、原付(時速40キロが妥当)を追い越さず、自転車を追い越すときは、必ず、1.5メートル以上開けるようにプログラムされます。(つまり、対向車線に膨れ上がるので、40キロ制限が妥当です。)

緊急車両がくるときは、すべての車両は左端に寄って停車します。 緊急車両が両側からくるときは、アナウンス等にしたがって、自転車・原付は、自動運転のクルマ・バイク同様、場所によって、右か左に統一して寄り、すべてのクルマ・バイクが緩やかに発車した後に、原付、自転車の順で発車します。

クルマ・バイクが100キロ規格で走れるように、40キロ規格の尾 (11時、鳴門大橋は10時30分) に、お助けの回収車両を走らせて、自転車等を救出できるようにします。 (この車両の車幅は、やや長く、ハーフがいいでしょう。)

端に、歩道のような、何らかの退避エリアがあった方が良いです。

(2時間周期 ―鳴門大橋は1時間周期― で、夜時間帯も対応可能として、朝のラッシュ時間帯だけ 自転車&原付の時間をずらしたり、クルマ・バイクの制限速度の工夫をすれば、うまくいくでしょう。 クルマ・バイクは7時台をメインに、自転車・原付・低速のクルマとバイクは6時台と8時台をメインに。 電車推奨で。)


そう。

すべては、やり方次第だということです。

posted by インテグラルとど at 09:00| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2022年06月01日

世界仰天ニュースの〝切り裂きジャックの闇〟を インテグラルに考察してみた♡


世界仰天ニュースで、また いくつかの、〝依存症〟〝中毒〟によって 身を滅ぼした例 が 報告されました。

私は、日本テレビが愛する番組〝ルパン三世〟も 例として触れて〝躓くことに意味はない〟という考え方、解決方法 を提示しました。

今回は、この、〝躓くことに意味はない〟という視点を、下記の例に照らして 主張したいと思います。 仰天ニュースのスペシャルの時の話ですね。


〝親が ギャンブル依存で 借金し、催促電話がかかってくる、挙句に蒸発。そんな 中学 高校 中退時代を 過ごすことで 社会がくだらないと思い込み 切り裂きジャックになるのは、仕方ないのか?〟


働きたくなければ、働かなければいい。 そう、主張すればいい。

主張することで、働かなくてはならないというあきらめを〝破砕〟すればいい。


ポイントは〝諦め依存症〟です。


親が〝依存症〟であることが原因で、自分の人生が狂ったのなら、〝依存症〟を〝ファラシー=大魔王〟だとみて、それを否定 しなければなりません!

自分が、それを投げて あきらめること、ほおりだすことに慣れると、それは、もっと状況を悪化させます。

それでも、あきらめることを継続するのは、〝諦め依存症〟〝諦め中毒〟です。


〝依存症・中毒=ファラシー・大魔王〟です。


これを 否定しなければ、自分の主張は 意味をなさず〝くだらない〟ものになります


社会がおかしいと思うのならば、社会を〝くだらない〟とみなしているということですが、その主張自体が、上記の意味で、〝くだらない〟のです。

だから、その間違い自体を否定して、虚偽を虚偽とみて、それ以外の方法をとるしかありません。


職場の人間と問題を起こしたくない、つまり、交通事故で人を引きたくない、ということです。

あるいは、冤罪にされたくない、自分が何も悪いことをしていないのに 責められたくない、ということです。



交通戦争は、否定されねばなりません。

同様に、クルマ社会のような、機械化の進む 便利な世の中は、おいしいものを食べること と引き換えに〝皆が過失を共有している〟のです。

トラックの運送は、交通戦争の部分ですが、おいしいものを運んでいます。

誰もが、この、ハイパー社会で、過失の押し付け合いをしている ので、意味のない仕事は、無くさねばなりません

クルマは、基本的に、通勤に使ってはならないでしょう。

緊急時には、必要です。


何がやりたいのでしょうか?


やりたいことがあるなら、社会に適応せずに、生きればいい。

やりたいことが、自己実現ではなく、おいしいものを食べることなら、問題を起こさなければいい。


この、交通戦争と、過失の押し付け合い社会の中で、それを否定したいなら、くだらない仕事を否定して、必要な仕事を探し、問題を起こさなければいい。

そして、交通事故を引き起こす交通戦争に加担しないように、徒歩と電車だけで生きればいい

そして、おいしいものを食べればいい

すると、重過失は つかないのだから、いい


いい すばらしい すてきだということは、重過失より悪い 切り裂きジャックは 絶対にやりたくないということです。

よって、切り裂きジャックになったのなら、自分が一番やりたくないことを、自分で行ったというわけです。



なぜでしょうか?


ロシアのプーチンは、独裁者として、例えば 自分のせいで、農作物の確保に失敗して、大量の国民が飢えたら、自分の過失なのか? と考えるのでしょう。

それなら、世界が戦争を望んでいることを証明すれば、自分の責任は 小さなものだと思えて、ファラシーの否定から 逃げられるのです。

自分なんて、大した思想はなく、世界の操り人形でいいんだ、と、あきらめられるのです。

で、ウクライナを 勝手に攻撃できるわけです。

世界中の独裁者が 同じようにそうですが、〝過失〟を無くすこと、〝交通戦争〟を無くすこと、を 試みることから逃げて、世界などつぶれてしまえばいい、と、信じるようになるのです。


よって、〝躓くことに意味はない〟とは、〝依存や中毒〟〝交通戦争〟〝あきらめ〟〝投げ出すこと〟を否定する知恵であり、拒絶する判断です


まだ生まれてきていないのに、生まれることを恐れている。

まだ夢を見つけていないのに、夢を否定されることを恐れている。

まだ広義の切り裂きジャックに命を絶たれたことがないのに、それを恐れて、切り裂きジャックになって人の命を絶つ。



遂行矛盾も甚だしく、生まれる〝可能性〟をあきらめ、投げていると、子どもでも分かります

幽遊白書の左京が、このような、矛盾した思想を持っていましたよね。


決定的に、気づいていないのは、〝所与の神話〟です。

社会がくだらないものであるかどうかは、自分の体験的判断を 絶対の基準にできるわけではありません

その、〝自分の、社会がくだらないという判断〟こそが、〝一番くだらない社会的判断〟だろうからです。

自分を考慮して、主張をして、遂行矛盾の大魔王を解体して、あきらめて投げ出すことを〝否定〟して、はじめて、ポスト形而上学に開かれましょう

それをしていないのに、周りは のうのうと生きている と価値判断するのは、愚かな社会的判断だと、私は断言します。

世界の崩壊に投げやりになって あきらめた、こそこそやってた、くだらないアニメ形式の〝嘆き〟のように。


便利な世の中の、過失の共有とは、著作権と統合的リンキングの責任、の関係でもあります。 (ストーリーを芸術的なアニメにすれば、ポケモンショックのようなリスクも、すべてのアーティストが 文化的な手段のコストとして 引き受けることになります。)


そして、〝社会に共有されて押し付けあう過失≒交通戦争〟を〝無くすために奮闘する知恵〟は、〝より正しい社会≒完全自動運転システム法制度化〟をもたらすので、あきらめてクルマを爆破したり 危険運転することとは、かかわりをもたない まったく違った行為です

過失を無くす革命とは、〝クルマに反対して 自転車で交通ルールを守って走りつくした後、徒歩にシフトする〟努力です

単純に、ルールを守る機会を捨てることも、クルマで交通戦争を引き起こすことも、あきらめることです。 依存・中毒です。 ファラシーで大魔王です。


投げてあきらめることで 優秀なアニメの主張をパクってアダルト化して ギャンブル機に輸入されるのも 大魔王で、中毒のウイルスを感染させる直接の原因なので、否定しなければなりません。

どちらにせよ、この主張の戦いができないなら、あなたの主張は、くだらないのです。

自分でそう価値判断したように。


何物でも居たくないとはいっても、本当は、騙されているだけです。


自分の 素晴らしい可能性を 実現できずに失ってしまったという恐怖 絶望が、混乱しきったあなたの〝主張〟です

しかし、絶対に 可能性を実現できないという判断は、〝絶対に可能性が実現できないファラシーに操られている、絶対に可能性が実現できない価値判断〟です。

そんな絶対は、最初からあり得ないのです


つまり、可能性を投げて、捨てたのは、あなた です。

しかし、みじめなので、何者でも居たくないと〝投げて あきらめ〟なければ、自分が間違ったことになり、それを認めようとしないだけです。

あなたが間違っているので、しかたありません。

正そうとするなら、自分には主張がある、自分は主張である、自分は主張から切り離せない、主張とは避けられないものである、と気づかねばなりません。

そして、間違った主張を否定します。

遂行矛盾のファラシーは、間違った主張です。


躓くことに意味はない。 この主張をする 心理学者が、いない気がします。

第3層からの主張だからでしょうか?

この視点で、世界中の混乱が、簡単に整理できるのですが。


世界仰天ニュースに取り上げられる、身を滅ぼした人々は、何らかの〝依存〟〝中毒〟によって、そうなります。

専門用語でいえば、〝固着と分離=中毒とアレルギー〟のシャドー が原因です。

これを、虚偽を虚偽として見ずに、ホロンの癌を否定せずに、自分の主張を語るのは、愚かなことです。

この、〝依存〟を、理解して解体しましょう

それでも、躓くことに意味はない〝躓き〟は、中絶で可能性が空に帰ったプレ赤ん坊とか、大病とか、自然死です。

交通の過失の場合は、〝それよりひどいこと=故意に切り裂きジャックになること〟を起こさないという意味で、〝起こしてはならない、ストッパー〟になります。

起こってはいけないことですが、ストッパーです。


否定しなければならない交通戦争ですが、過失は過失。

切り裂きジャックを故意にすることより無限に良い、最低の出来事です。

故意と過失は、比較の対象になりません。

過失は、便利と引き換えの社会に分散したリスク。

故意は、崩壊です。


しかし、交通戦争により、信号のない横断歩道の停止線で止まらない、車間距離を取らないドライバーたちは、全員、故意です。

ただし、緊急車両は、かまわないでしょう。


崩壊していると思われる交通戦争、クルマは、知恵で否定します。

そして、何が、崩壊ではなく、愛なのかを、逃げずに、見続けること

信号のない横断歩道の停止線でドライバーが、故意にわざと止まらないからといって、それを否定しない手はありません

やっていることは おかしいので、堂々と 否定して、犯罪者扱いするべきです。

そのうえで、戦争をやっている独裁者とみなしたうえで、それに関わりを持たない、愛を見つけるのです


これらすべてにケンカを売れない、知恵を持てない者は、社会がくだらないなどと、価値判断する資格を持ちません。

(切り裂きジャックは、向ける手段を完全に間違えているのです。)


だから、社会がくだらないとか言っているあなたは、非常に意味のない、説得力がないどころか 自分で嘘をついているのが 誰でも分かるように真っ裸だということです

おそろしく、おかしいですね。


自分が服を着ているのだと主張しても、事実を見れば 誰でも簡単に、最悪の裸の王様だとわかります。

事実をただ見れば!


わたしは、クルマにも、切り裂きジャックにも、襲われたくありません。

あなたもでしょ?


よって、仰天ニュースの主張は、〝より正しく〟て、〝切り裂きジャックになった、あなたの主張は、完全に間違っている、赦されない犯罪だ〟と 判断できます

posted by インテグラルとど at 16:39| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2022年05月05日

スーパー歩行者になる方法 ☆彡 ~信号無視する歩行者は 運転免許の保持者?~


自動車の運転免許とは、何なのでしょうか?

なぜ、交通戦争が起こっているのでしょうか?



これらの疑問を簡単に〝見る〟ことができる、会心の事実を〝発見〟しました。


自転車に乗って 車道を運転しているとき、歩行者が、信号無視をして、横断してくるのです。

今まで、彼らを、歩行者として、扱ってきましたが、歩行者と言っても、ひとくくりにはできないのです。


信号無視をしている歩行者は、クルマの運転免許を持っているのでしょうか?


私の判断・モラルでは、信号無視をする歩行者が 運転免許を持っている場合、必ず、返上しなければならない と、根源的に、主張します。

信号無視をする歩行者、つまり〝人間〟である その人 は、〝道徳段階=モラル〟が著しく低い からです。

別の言い方では、道路交通についての〝理解がない=重大な過失を見せびらかしている〟ということです。

これは、〝AQALは ピアノの弾き方と違い、意識外に追いやることは、その影響を積極的に許容すること〟と同じ視点です。

(人間の道徳段階[AQAL]は 簡単に変えられません。 つまり、ドライバー[≒人間]の道徳段階は、簡単に変えられない からなのです。)


自動車は、最も、〝信号順守への強制力≒クルマの倫理〟が働きます。

理由は、クルマ同士の衝突が、交通事故の中で、一瞬にして起こり、一番、悲惨だからです。


道徳段階が、レッド(3)の、自己中心的な、人間(≒ドライバー) であっても、この〝倫理(3)〟は働きます。

自分が死にたくないからです。

そして、この〝クルマの倫理(3)〟こそ、最もモラルなものだ、クルマは移動能力の頂点だから 歩行者、自転車、バイク含めて、一番偉い、そして、道徳的だ、と感じたいのでしょう。

しかし、それは、簡単に、反証されます。


自転車の運転免許とは、〝リスク〟です。

自転車は、クルマのように、運転免許が必要ではないのではなく、 (すでにあるという意味で) 必要なのです

必要な運転免許とは、〝リスク〟です。

リスクが、運転免許なのです。


リスクは、〝躓くことに意味はない〟〝死ぬことを計画に組み込むバカはいない〟を、全面的に意味します


勇気と知恵がなければ、つまり、高いモラルが無ければ、自転車は、簡単に免停になります。

自転車の免許とは、リスクですから、リスクが崩壊する=リスクを負えない状態になる わけです。

これは、健全性=潜在性 として考えると、ピュアな小学生は、潜在的に高いモラルを持っているので、自転車の運転免許を持つことができる、と説明できます


自転車は、リスクを引き受けることができないと、乗ることができません

クルマは、このリスクを極限まで割いて、リスク≒手動 を回避した 結果、〝自動車〟と呼ばれることになったのです。

よって、リスクでは クルマの免許にはならず、別の運転免許が、発行という形式で、成り立つことになりました。

ここから、交通戦争が、指摘され、そして、始まります。


クルマは、リスクを引き受けなくても、乗ることができるように設計されている ので、田舎では歩行者感覚で乗れるのが当たり前となっていますね。 (完全自動運転は、その極地・最終形態です。)

〝速度落とせ〟の表記が 道路上に見られるのも、この直接の表れです。

スピードを出すことにリスクはなく、にもかかわらず、非常に危ないので、運転免許を発行させる以外に、制限をかける方法が、見当たりませんでした。


しかし、これは、正しい方法だったのでしょうか?


クルマのドライバーは、慎重に運転することが、ありません。

適切に運転しようとします。

ここでの適切とは、クルマの倫理(4)を守るということです。

制限速度以上で流れている場合、制限速度を決して守らない、それが〝クルマの適切(4)〟です

そこに、慎重さは、無いのです。


適切(4)とは、〝免停にならないように〟運転すること です。

それさえできてしまえば、安泰なのです。


そこに、慎重さ、リスクはありません。


一方、自転車は、これらのことをすべて理解しない限り、安全に道路を走れません

クルマが〝適切(4)〟に運転するという〝ルール〟を知っていなければ、クルマに追い越されるときに、右左折されるときに、問題が生じます

しかし、クルマ側は、自転車のルール、つまり、リスクについては、知ったこっちゃありません。

クルマは、〝適切(4)〟に運転していればよいのですから。


この事実から、ひとつの視点が導かれます。

自転車は、クルマよりも、適切に、交通ルールを守ることができる、繊細さを持つ、ということです。


自転車は、クルマの上位互換〟なのです。


もう少し言うと、原付はクルマの上位互換、自転車は原付の上位互換、です。

さらに、歩行者との関係は、後に見ます。


自転車の運転免許は〝リスク〟ですが、これは、クルマよりも 適切に交通ルールを学ばなければ、クルマやバイク・原付が どのように道を走っているのか、さらに、自転車との関係は、どのようになるのか、を、あらゆる視点から学び続けていかないと、非常に、危険な目に遭い続けるのは 明白です。

自転車乗りが、自転車の運転免許の存在について、〝リスク〟の存在について、気づいていないとき、それは、非常に強烈な、見えないストレスとなって、自転車乗りに跳ね返ってきます

リスク=AQAL ですから、意識外に追いやることは、その影響を積極的に許容することになるのです。


クルマは〝適切(4)〟に走るだけでよいので、自転車の〝リスク〟というものが、いかに、難易度の高い〝見えない大仕事〟であるかが、お判りいただけたと思います。

(特に、クルマのドライバーに向けて発言しています。)


もし、この、自転車の大仕事=リスク を、完遂できたとしたら・・・。

クルマでは、決して身につかなかった、包括的な、道路交通の配慮、考察力が、身につくでしょう。


これを以って、自転車は、クルマの上位互換であることが、明確に立証されます。


クルマにしか乗っていない人は、この事実に、永久に気づくことはありません


では、歩行者として生きている人は、この視点を、どう扱うべきでしょうか?

どのような関係が、成り立つのでしょうか?


歩行者は、一番緩い存在であり、車両でもありません。

道路交通において、一番、ラフに ルールを扱えてしまいます。


しかし、それが、歩行者のメリットでしょうか?


自転車は〝車両で最強〟です。

道路交通を、包括的に見なければ成り立たないので、すべての車両の立ち位置と難点を あらゆる角度から見ることができます。

クルマの〝リスクを無くした、運転面(4)〟以外では。


しかし、車両は皆、完全な歩行者にはなれないという欠点 があります。

歩行者が唯一、車両の立場を脱ぐことができる存在 です。


歩行者状態は、ずっと昔の時代から、存在していたのですから。

そして、近未来的に〝歩行者〟をとらえたとき、そのメリットは、計り知れないことに、気づきませんか?


自転車は〝道路交通を包括的に見る〟ことができる〝可能性〟を持っていますが、あくまで、車両です。

クルマ、バイク、原付、自転車、すべての車両の視点の代表として、〝自転車の包括的視点〟が 定立されますが、これは、車両としてのデメリット、そのものでもあります。

歩行者には、車両としてのデメリットは、ありません。

歩行者は、車両より、あらゆる意味で、ソフトに自由なのです。



歩行者は、電車やバスに乗れます。飛行機に乗れます。パスポートも提示できます。

自転車は、にわか歩行者になれるため、車両の壁を越えることが可能な、たぶん、唯一の車両です。

この意味で、自転車は、部分的に、歩行者とみなせます。

やはり、自転車は、クルマの上位互換です。


歩行者は、ルールをラフに扱えますが、実際は、車両のすべてを包括できる自転車を、さらに包括することができる、可能性を秘めています

歩行者が、自転車を含む、すべての車両の上位互換である、という現実性 です。


もし、あなたが、自転車を包括的に学びつくしたなら、歩行者になったとき、必ず行っていることがありますね?

それは、〝信号を守ること〟です。


自転車は、リスクによって、信号を守ることの重要性を、最も、包括的なモラルで、直観します。

(クルマには、知ったこっちゃないでしょうが。)

自転車での信号順守は、非常に繊細な仕事であり、万が一にも、フラっと 信号を誤ってしまい、クルマに突っ込まれたら、シャレにもなりません。

クルマのように〝適切に(4)〟運転していればよいわけでもありませんから。


自転車で信号を守るために、自転車乗りが行うことは、2点です。


① 歩行者を最優先で配慮するために 歩行者になって歩く経験を積むこと。

② 歩行者の状態で信号を守ること。



①は、にわかではなく、真の歩行者として、歩行します。 ラフなルールになりがちな歩行者であっても、きっちり ②歩行者として 信号を守れるならば、自転車で信号を無視してしまうことは、ほぼ防げます。

この修行によって、歩行者で ずっと過ごしても、信号は、必ず守ることができるようになります。

なぜなら、自転車そして車両すべての視点が、歩行者との関係で、把握されているからです。

自転車で信号を無視することが危ないならば、相対的に、歩行者で信号無視しても 危ないのです

そして、自転車は、車両のトップ、上位互換なので、基本的に、歩行者が自転車に包括的理解を示している状態が、クルマに最も強く対策できる状態です

最強の自転車乗りを八星(☆8)まで鍛えた者は、スーパー歩行者になれます!!


クルマ+歩行者 で、すべてをまかなえてしまえる、と思っている者が、あまりに多い、と、ここで、強く主張できるでしょう。

冒頭で、私は、〝自転車に対して信号無視をしてくる歩行者〟の視点を挙げました。

これは、〝自転車に対して包括的な理解がない歩行者〟です。

つまり、信号無視をしている歩行者は〝八星(☆8)自転車乗り=スーパー歩行者〟ではない ということです。

また、〝信号無視をしている歩行者は 運転免許を持っているのか?〟とも問いました。

クルマは、〝適切(4)〟に運転していればよいので、自転車に対しては その程度の理解です。

車両としての包括性がない〝下位互換〟の乗り物であり、移動能力のために、他の大切なすべてを捨てて、交通戦争に加担する兵器となっているわけです。

これを縛るのが運転免許というわけですが、なるほど・・・。 そういう理由なら、信号無視をしている歩行者の大部分は、運転免許を持っているのではないのですか?


もしそうなら、大変なことになります。

運転免許とは、いわば〝モラルの証明(5)〟であり、クルマとは、いわば〝核ミサイル〟なのです。

原子力発電所を正しく駆動させるためには、適切な技術と、それを悪用しないためのモラルが必要になることは明白です。

原爆なら なおさら、兵器は、絶対に悪用しないモラル...がない者、に渡ると、そやつは、喜んで、世界を滅ぼします。

交通戦争は、基本的に、同じメカニズムです。

兵器は存在してはいけませんが、防衛は必要で、前者は 車両として下位互換の〝クルマの欠陥〟― 後者は 〝公共的・生活的な 移動能力〟にあたり、〝原発事故〟と〝原子力発電〟の関係と、ほぼ同じです。

決定的に重要なのは、防衛任務も、クルマも、原子力発電も、〝強いモラル〟が必要である点です。


運転免許が〝適切(4)〟にしか機能していないのなら、モラル(5)は 顧みられておらず、交通戦争≒核ミサイル≒原発事故 が成り立つ、直接の原因となっているわけです。

実際、交通戦争を許容すれば、核汚染も仕方がない、と取れます。

そんなわけは、無いでしょう?

あれだけ、ニュースになっているのですから。


私が気付いてしまった点のひとつは、信号無視をする歩行者は 運転免許を持っていてもおかしくない、ということです。

自転車の運転免許=リスク は、紙の形のない免許ですから、その影響は、直接、見えない形で 欠損します。

信号無視をしている歩行者が、クルマ系の 運転免許を取得する、自転車に乗り始める、いずれにしても 非常に困ったことになるでしょう。

運転免許は大人の証→信号無視をしているのは基本大人で子どもはそれをまねるだけ→大人の証とは信号無視をして免許を取れること!

という、非常に、混とんとした、最低なことになります


これは、偉いことから、ほど遠いです。

クルマは、乗り物で、モラル最低、道路交通で一番 下位互換的存在としてしか、居場所を主張できない上に、正しく運用も理解もされていない、というのが、クルマから聞こえる主張 ですよ。


☆彡


私は、以前、あまり、信号について、真剣になっていませんでした。

自転車に乗っても、かなり狭い商店街の中まで走ってよいと思うくらい、自転車を歩行者感覚で走らせていたこともありました。


これらはすべて、自転車を道路交通車両上 最強の上位互換として、包括的に学んでいかなかったからです。

クルマの、すぐに難癖付けてお高い欠陥を賠償させようとする冷血非情さと態度を、直観的に感じ取って、私は嫌気がさすほど、現実にショックを受け続け、自転車を包括的に学んでいこうと決意しました

AQALを知っていたので、自転車に適用することは、そこまで難しくなく、邪魔だったのは、現実はこうだという圧力と、間違った方法を取っていたことを改められない自分のプライドです。

クルマは、クラクションを鳴らし放題、歩行者と自転車に悲しみを与えて、喜んでいる社会です。

わたしは、何かをして、それを変えようと思いました。


クルマは、とにかく、歩行者自転車を目の敵にして、走行空間から追い出そうとします。

それを受け入れるのではなく、拒絶し、その証明として、自転車は車両のトップ、上位互換、代表の車両であり、必ず歩行者に配慮できる普遍的ルールで、道路交通を活きよう、学ぼう、とすることで、私は、クルマのエゴを、ねじ伏せることに、人知れず成功したと思います。

クルマの高慢な主張は、1から100まで、間違っているのです。

紙の免許では、これを学ばせるのは、無理だったことに、クルマ社会は、気づかない(過失・間抜けな)のか、それとも、知っていて(わざと・嫌がらせ・故意に) 放置して 交通戦争を 暴力的に押し通しているのか


自転車ですり抜けしたり、信号を守らない者は、リスクという免許で、同じことに負けています。

歩行者をひどい目に合わせても、かまわない、しかたがない、クルマが変わらないなら それが正義だ、と。


クルマが、信号のない横断歩道の停止線に差し掛かるとき、歩行者が衝突を誘発すると見なせるから、停止線で止まらない、と主張したいから、彼らは、停止線で止まらないのでしょう

これは、歩行者が横断歩道の手前の歩道に立っているときに、停止した車同士で衝突したら、歩行者に責任が発生する、と主張しています。

そんな、バカげた話は、ありますか?

事実は、原因は、クルマが、車間距離を取らないから、です。

車間距離を取らない倫理、そんな〝適切(4)〟な運転によって、クルマは道路を回っています

ちょうど、社会が くだらないことで回っているのと 同じように、です。 (宇宙兄弟で主張されているように、です。)


交通戦争の助長として、軍隊と同じような問題を はらんでいる、クルマ系の保険会社は、クルマのドライバーたちが、何も考えないように〝適切(3)〟に運転するように、強制している、と、私は、言わねばならないのでしょうか?

これは、モラルと理解の問題で、交通戦争が無いならば、クルマ系の保険会社は正義、交通戦争があれば、クルマ系の保険会社は独裁者、と言えましょう。

これを遂行矛盾だというなら、国が非営利化するしかありません。

例えば、儲けた資金をすべて国が回収して完全自動運転の定立に充て、非営利の範囲でスタッフに生活費として給料を渡す、というような。

そうなれば、クルマ系の保険会社のスタッフは、公務員ですね(笑)

こういう事業は、独立した会社として成り立たないほうが、いいのでしょう。 ―― 現状を見るならば。


いうなれば、クルマは、維持費含む定立コストが、異常に高くつきます。

内面・モラルを壊していること、これが究極の欠陥ですよ。

戦争のムードを作る触媒としてすら機能して、戦車を正義にすることにもなりますわ。

戦車も、クルマ・・・ですからね。

モラルの崩壊は、道徳段階の低いドライバー(3)の維持と同じこと、です。

彼らを免停にできない社会の欠陥(3)です。

それは、戦争の原因を突き止められないこと(4)と、ほぼ同じでしょう。

過失のように見せていますが、わざとでしょ?


この遂行矛盾を学んで、そして〝変える〟には、2つの方法しかないと思います。


・自転車で包括的に道路交通を活き切って、歩行者としての生活にシフトする。

・歩行者として、公共交通機関も含めて、生きる。



自転車を極めるかどうか、リスクを運転免許にするかしないか? この点です。


こうやってとらえていくと、バスも、市バスなど、公務員化した方が、いいかもしれませんね。


クルマ+歩行者 のみ では、自転車の包括的な道路の学びが、ごっそり添削されて、両者の欠陥が合わさった形になります。

クルマ社会から見れば、歩行者は、移動能力で最弱、つまり、正義に対しての〝悪〟です。 (移動能力が正義と思っているのなら。 そして 判断は、そうでしょう。)

歩行者から見ても、クルマは、運転するにあたり、非情に、ストレスが避けられない乗り物です。

クルマ+歩行者、ではなく、クルマ〝対〟歩行者 の状態で、運用されている のが、関の山です。

子どもを送り迎えしたいのであれば、子ども=歩行者 とみなすのが自然ですから、クルマと歩行者を対立させるのは、バカげています。

クルマ+歩行者 が、真の意味で成り立つには、自転車を極めることが、現実的には、唯一の方法です

それができないならば、クルマに頼り切って、歩行者の自由で可能性にあふれた近未来的なメリット は、受け取れません。

自転車も乗らずに、歩行者の状態をメインにするなら、クルマは買わずに、鉄道やバスと組み合わせればいいのです

完全自動運転バスとしての、タクシー並みの利便性のある近未来の交通 は、自動車メーカーの〝望まれる仕事〟です。

何事も、可能性の洞察と、その実現の情熱(ビジョン)です


そして、歩行者は、自転車の上位互換、自転車は、クルマの上位互換、だと、さらに自信を持って言えますね。


☆彡


ローカルバスの旅Z は、旅のメリットを保存しながら、現代の歩行者の立場のみを維持することで、歩行者の上位互換性を、現代的に、証明してきたと思います。

歩行者が、移動能力の制限にも関わらず、道路交通上の上位互換を発揮できるのは、現代以後に、メリットが〝創発〟しているからです。

それには、説明も必要です。


ウォーキングが流行っているのは 分かります。

テレビ東京で、鉄道沿いをマップを見ないで歩き続けていく番組を、私は、初めて見ましたが、あのように、歩き続けることは、基本的に、健康上のデメリットが大きく、歩行者の 歩きの潜在性を主張するために、いくつか、見ておいた方がよいことを書きます。


とにかく、4日で50キロなど、歩く番組は、〝昔の人間は、かなり歩いて移動していた〟ことの〝体を張った実験・再体験〟であるととらえることで、ある程度の、強気な言い訳に、換装できます。

ここで重要なことは、テレビカメラは、自転車につけて、別の自転車で旅する出演者を、追いかけることが、非常に困難だろうという点です。

これだけでも、テレビは、歩行者が道路交通の上位互換だと主張できます。

また、都市部において、地図を見ないで自転車で旅をするには、リスクが前面に出てくるわけで、これも、徒歩が有利です。

民家に取材許可を あらかじめお願いするなど、車両を使えば、なにかと、問題もありますね。

このとき、騒音対策なら自転車で、取材は、歩行者や、にわか歩行者で、行えば、かなりスムーズでしょう。

徒歩企画は、番組に相性がいいという点で、歩行者は、車両の上位互換であると、言えます。

制作費も抑えられるので、配慮や繊細さに重点を置く番組が、できやすいでしょう。

歩行者は、内面的、感情的にも、よりメリットをつくります。




まとめ ☆彡


近未来社会は、歩行者の移動能力の制約を、いかに、サポートし、より包括的な視点として、創造するか、それが、ポイントです

クルマは、海を渡れないので、海外を渡るにも、基本的に、歩行者が優れています。

自家用の飛行機も、遠くまで行けないので、ジェット機に乗って地球の裏側まで行ける自由度のある 歩行者 が、最強です。

個人+乗り物 という運用から、歩行者を起点にしたカスタマイズへ、さらに、視点、内面=モラル を 最強の基本にしていくことで、少しずつ、こういった道の、方向性が、見えてくるのです。


自転車が、乗り物で一番優れているのは、ときに、歩行者になれるからで、コスト面でも、歩行者のみと大差ないところが、内面を重視できる余裕につながっています

また、高価な自転車、メンテナンスがデリケートな自転車、というように、歩行者のみに比べて、やはり、総合的なコストがかさみ、内面的な余裕をそいでいく場合があります。 (いわゆる〝ブームとしての自転車疲れ〟です。)

歩行者は、スーパー歩行者になって、自転車、そして、あらゆる車両の走行経験を、継いで行くのです

車いすも歩行者です。 近未来の足は、より多面的な可能性にも開かれております。

自転車をやめる勇気、というテーマで、長くページをつなげることが、できるかもしれませんね。

自転車の集合的な現状は、想定をはるかに超えて、把握できないくらいに、複雑です。

自転車に乗ることは、最大の〝学び=機会〟だととらえるのが、私は、最も適切だと思います。


自転車走行や、歩行者状態で、周りの自転車が怖く感じたのなら、自転車に乗ることは、何かが違うのかもしれません。

適切なことは、そう、明らかにならず、断定するのが時期尚早なことは、よくあります。

確かに、時代は、悩める現状を、創造したのかもしれません。


そして、次のそれは、また、私たちが前を向いていることを、期待してくれるのです!



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補足 ☆彡


クルマ+歩行者 で、歩行者が信号無視をするならば、歩行者のラフさの悪い部分が、モラルが浅いままに倒壊しているから、と言えます。

自転車で道路交通の視点を包括して、スーパー歩行者になってから、上記を見れば、モラルと繊細さの重要な理解から、自分がクルマを運転できるだけのモラルを主張―定立できるか? が、納得できます。

自転車に乗る必要はないかもしれないとしても、モラルを深い意味で定立できない者は、免許を持つ資格がないけれど持っている、と、主張していることにしかなりません。

それに気づいていないことは、脱線しかけていることに気づかないのと同じです。

とてつもなく、致命的なこと、です。


ここに、現代は、フラットランドである、かなり簡単にわかる、子どもでも一発で理解できる、という、発見がありました。

歩行者の信号無視という、ごくありふれた状況だけで、内面が消去されている〝生活世界の植民地化〟危機を、誰にでも触れられるように、お話できる!ということです


参考 ―― [リンク1リンク2リンク3]


クルマの免許を保持している者が、歩行者として信号無視すると どうなりますか?

という質問と、その関連の リンクです。


この回答が、残念なくらいに、興味深くて、一言でいえば 〝内面・モラルの深さについては、全く言及されていない=視界から消し去っているか 最初から前提にすらされていない〟という点です。

これは、傷つきます。


質疑応答をしているのは、クルマのドライバー側、クルマ社会のメンバーですよね。

彼らが、歩行者自転車視点で車両に矛盾を感じて改めてほしいと悟った=スーパー歩行者 ならば、歩行者の状態で信号無視をしないので、つまりは、免許の点数だけを心配している ようです。

さらに、歩行者として信号無視をしてもよいと読めますので、前提として、モラルについての禅問答を目的としてはいませんよね?

そのデメリットが、結局は、クルマのジャマをしたから 責任を取れ! ということならば、いかに、クルマが、道路交通において、勘違いな、上位互換ぶる地位に、自らを固定し ハマり続けているかが、よくわかります。


まず、質問者が、信号無視を迷惑に思う自転車視点で、あるいは、スーパー歩行者の視点で、意図を持っていたのなら、こんな質問はしないはずです。

行うべき質問は、〝信号無視をしている歩行者は、運転免許を持っていると思いますか?〟〝もしそうならば、モラルが低いので、免許は返上するべきですが、社会がそれを考慮に入れていないように思えるのは なぜですか? そのような質問が 見当たらないのはなぜですか?〟という着眼点だったはずです。

きっと、探せば、そのような質疑応答もあるでしょうけど、検索で探すのは、困難でした。


理由は、過失割合などの、前慣習的な恐怖(3)を助長させるように計算されて作られた、スーパー歩行者から見れば、有毒でしかないような、無駄な情報が、多くヒットするからです。

〝 - 〟をつければ、ある程度絞れますが、狙い始めると、きりがありません。

クルマ系の保険会社は、そうやって、クルマのドライバーを、偏った視点に誘導しているわけです。

(これは、ぜひ、反証して、交通戦争を無くしてほしいと思います。)


企業に、X理論や、Y理論 などが、当たり前になっていても、クルマに関しては、きわめてフラットランドであり、〝運転免許という目に見える点数がある〟だけで、他のことは、何も受け付けなくなるようです。

クルマ系の保険業界ではどうでしょうか。 クルマの販売業界では? クルマのメーカーは?


歩行者の時に信号を無視、クルマに乗っているときは信号順守、は、〝目に見える計算行動〟です。

クルマは、一瞬の判断ミスが、取り返しのつかないことになるのだから、歩行者の時に信号無視をする癖を、運転免許を取った後でも直せないというなら、自ら、危険なことを行っている〝(程度の)モラルを持っている〟と主張している、としか、解釈できないですが、道徳段階を消し去っているから、こんなおかしなことが起こるのです。

道徳段階の視点、あるいは、そういった、簡単なテストの話 (中絶はいけないことですか? 行うことを受け入れますか? ―― はい、いいえ、はい、はーい、の話) で、モラルの視点の証拠を、わかりやすく示せば、上記の歩行者としてのドライバーの道徳段階は、病んだレッド(3)でしょう。

世界中心的な道徳(5)を持っていなければ、運転免許を持っていてはいけません。

なぜなら、クルマは、オレンジ(5)の技術の産物であって、それを扱うに値する、対応する内面が、オレンジ(5)だからです


この矛盾は、戦争兵器として使われる技術的視点、で、よく知られているわけです。

アンバー(4)のモラルを持っているなら、子どもでも乗れる、自転車(4)に乗ってください。

これは、自転車(n)は、クルマ(5)の上位互換だと、言える強みの一つです。


自転車で、スーパー歩行者を発揮する方法は…。


・自転車でも歩行者でも問題のない状況→自転車で移動

・歩行者のみ問題のない状況→(にわか)歩行者で移動



と、このように、歩行者は、自転車を含みます

自転車専用道の場合でも、降りることを想定していない道は ないため、どこかで、歩行者は自転車移動を含みます。


ラストに。

[運転免許 歩行者 信号無視] で検索 して、もう少し、内面寄りの質疑応答を見つけました。

参考 ―― [リンク4リンク5]


このように、運転免許というシステムは、内面・モラルを消し去るのに、うってつけの役割を持ってしまいました。

クルマのドライバーは、前慣習的な感情(3)、渋滞はイラつく、とか、飛ばすのは爽快だ、とか感じているわけで、渋滞を解消することを話し合ってみたいなぁ、とか、安全運転してもらう方が歩行者としての自分はうれしいなぁ、とか、脱慣習的な感情(5) があることを、指摘できれば、内面というものがないということは、反証されます

実際、内面を消し去るのは不可能なので、簡単に、交通戦争という〝怪物〟が、生まれ続けます。

それは、明らかすぎることです。


運転免許が、リベラルなモラル(5)のためのペースメーカーだとしたら、自転車の運転免許〝=リスク〟こそが、その包括系であり、スーパー歩行者が、運転免許という車両の欠陥自体を 否定して包括することができる、本当の、リベラルなモラル(5)のためのぺースメーカーになるべきなんだな、と、感じている、今日この頃です
posted by インテグラルとど at 14:36| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2022年04月28日

〝希望の話(トーク)〟と〝世界の夢(ドリーム)〟 ~人知れず世界を変えること💝~


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✧ もくじ ✧
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〝希望の話(トーク)〟と〝世界の夢(ドリーム)〟 ~人知れず世界を変えること💝~

(原爆が落ちないようにするにはどうすればよいのか ―― 憲法第9条 ―― 日本人のモラルは、ある種、世界最低レベル ―― 〝世界情勢と緊急特番〟追記の批判 ―― 私たちが社会であること ―― リベラルも保守も、自分が広い意味で〝無力〟だと思っていますね? ―― 無行為的な勇気! ―― なんとかするしかありません! ―― 交通戦争を核兵器に置き換えると・・・。 ―― クリシュナムルティは〝深度〟について語っている ―― 〝子どもの潜在性〟で説明するモデル)


・ミュークルドリーミー みっくす! ~ホワイトな包容~

(子どもが夢中になっている姿を見て、大人側が〝おもしろい!〟と明るくなれる。―― ミュークルドリーミー みっくす! は、第2層の〝作風〟を使いません。―― 独裁者が地球を支配するという矛盾が いかに〝おかしな〟ことか〝子どもが理解する〟ことができる。―― 第3層は、子どもとの距離を〝深度ではなく 共通の潜在性〟という次元で〝保ち〟ます。―― 原爆のような兵器は〝何の意味もない遂行矛盾だ(9)〟―― この世のあらゆる問題は〝心理的時間が作り出している混乱〟―― クリシュナムルティの著作は、ミュークルドリーミー みっくす! と組み合わせて見る。)


・ リベラル[外面] と 保守[内面] の統合と 憲法第9条

(〝善良性への回復[リベラル]〟と〝善良性への成長[保守]〟―― 人は、純粋無垢な者として 生まれるのだろうか?―― ポスト形而上学。 ―― 子どもは、リベラル[外面・社会制度]視点では〝純粋な天国〟――保守[内面・モラル]視点では〝単純な地獄〟―― 本当の〝地獄〟を生きているのは〝独裁者〟など、潜在性が崩壊して純粋ではなくなった大人。 ―― 子どもは単純ですが、純真です。)


・核なき世界! 兵器製造のない世界!

(兵器所持が すでに間違った打ち合わせ。―― 防衛だと言えば 世界は すぐに兵器を作れる。 ―― 真理の種子は 花開いておかねば。―― 本当にやりたいことをやるための、伝統の圧力につぶされない英知と感受性 ―― 戦争を止める〝一瞥〟―― どうすれば、戦争を終わらせることができるだろうか? その話し合いができるだろうか?)


・世界のシナリオ ~ 私のシミュレーション ~

(人知れず世界を救うには、時間を越えた、基底の一瞥が必要。―― 北朝鮮は、ロシアと目的が違う、突如、最悪のかみ合わせで、日本を襲撃してきたら? ―― あらゆる話し合いを 社会は行い 可能性を想定し 混乱が想定されることを理解し 虚偽を虚偽として見ることで、直観的に! ――― 想定が難しいなら 戦争自体をやめればいい。 ――― 第3次世界大戦は 永久回避しなければならない! ―― 世界が最初から 平和だったら、ウイルスも 流行らなかったでしょう。―― ウイルスショックの嫌な点は、皆 気づかず 人が変わってしまうこと。 ―― 大戦も、意外に 信じられないような 生活の中での出来事が 歪みに歪んで 起きた!? ―― 私の役割とは、何なのでしょう? ―― 誰もが、自分の直観を信じられない・・・! ―― 正しく ひきこもる方法。)


・戦争を無くす方法!

(祈りのパワーとは、クリシュナムルティ流には、書くこと! ―― 歌手たちに問われている、芸術と基底の在り方。)


・世界の夢 ☆彡

(地球上に急速に枯渇したのは、化石燃料でも、お金でもなく、夢です。―― 2022年は、夢自体が、在庫切れ ―― 2019年の時点で、中国が アメリカにウイルス研究所を立ち上げて中国本土には持たないくらい、皆 仲良く平和に暮らせていたのなら 今のウイルスの流行は、無かった。―― 夢、それは、世界が仲良くしていることが、わかること。―― たぶん、希望の夢を見る人が多いほど、その70億の深みが みんなに 降りそそぐのです。 1人しか夢を見なければ、70億人全員が、1人分の夢しか 見つけることができず、70億人が夢を見れば、地球上の1人1人すべての人が、70億人の夢を 受け取れるのです。―― みんなが 仲良く居られれば、少なくとも それを実体験で 確信できれば、地球に 強力な夢があふれます。―― 形態形成と、夢のエネルギーの関係も、第3層で説明。 ―― 正しい未来は、皆が仲良くなることで 直観的に 得られるのです。―― 希望は、ウイルス終息 世界の回復 ―― 人間は意外と強いので、困難にぶち当たると その壁を越えます。 ただ、本気で 壁を越えたい と思わねば越えられません。―― たぶん、簡単な一手で、戦争は止まるんですよ。 方向性を見失っている、それだけです。―― 人間らしい〝こころ=夢〟の視点で、話し合う必然性 ! ――― 楽しく、生きてみましょうよ。 ―― 未来へつなぐ、現代人の、意地(≧▽≦)!!)

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〝希望の話(トーク)〟と〝世界の夢(ドリーム)〟

~人知れず世界を変えること💝~


私たちは、歴史を知っています。


私は、神戸から、小学校の時、新幹線に乗って、広島に修学旅行して、もみじ饅頭を買って帰りました。

そう。原爆ドームを見ました。

中学生の時、図書館で、バクマン。でも触れられている 漫画の〝はだしのゲン〟を読みました。

高校の頃は、県立高校で、化学を学んで、原爆が落ちないようにするにはどうすればよいのか、考えました。

その後、芸術家を目指して、今に至ります。


原爆が落ちた原因は、日のいづる国 日本が、軍国主義に走り、大量の兵器を作ったからです。

兵器に興味を持ち、それを世界に向けて放ち、大量の人々を、殺したからです。


その報復で、広島と長崎には、原爆が投下され、発狂しても意味など持てない、おぞましい大量殺戮が起きました。


そして、憲法第9条 が生まれたのです。


私たちの国は、アメリカを恨んでいません。

そういう世代だからです。

しかし、世界には、まだ古くない戦争を経験しているところが多数あり、色々な国の人々が、いろいろな別の国を恨んでいるのです。

または、民族闘争すら。

つまり、仕返しを望んでいる国々は、多いのです。


1945年から、もう、70年以上。

当時大人だった人々は、日本で生きていないので、軍国主義に加担した世代は、いません。

もし世界が、皆こうだったら、平和条約は、難しくないのに、と思いますが、残念ながら、憎しみは、生き残っています。

それどころか、日本人のモラルは、ネットの誹謗中傷で分かる通り、ある種、世界最低レベル です。


今、ウクライナが被害に遭っていることで NATOが兵器を提供しています。

その戦争兵器をも 解説し始めた番組が、日本で放映されました。


〝世界情勢と緊急特番 ~国際的平和とインテグラルマインドフルネス論~〟
 (2022 04追記の批判) も参照。


これは、反戦とは言えません。

このような番組により、日本の子どもたちが、兵器に興味を持ち、憲法第9条を改正して、戦争をし始めたら、すべては、終わります。

たぶん、あるいは、六日で、世界は、焼き尽くされるでしょう。


わたしは、〝人知れず世界を救う〟ことの重要性を、主張します。

クリシュナムルティは、私たちが社会であることを、常に強調してきました。

リベラルも保守も、自分が広い意味で〝無力〟だと思っていますね?

私は、違うと考えています。

現実的に考えて、〝一瞥して〟戦争が終わるような〝無行為的な勇気〟がなければ、世界は、あっという間に滅びると考えるのが、状況を見るならば、合理的と言えます。

今の状況で、合理性を使ったなら、核戦争の可能性を考えない人は、いないのです。

つまり、なんとかするしかありません

今それをやっておかないと、後悔する暇もないと、歴史は答えを出しているのです。


兵器の解説くらいしてもよいと考えているスポンサーは、儲けたいだけで、上記の危険性を、舐め切っています。

交通戦争を核兵器に置き換えると、営利に何の意味もないことは、誰でも分かります。


クリシュナムルティは、ケン・ウィルバーのインテグラル理論で言えば、〝第3層〟の高度で語っており、〝基底〟〝感受性〟〝自己認識〟〝無選択の意識〟などは、上側の個人の象限と 深くかかわっていることを指摘していますから、クリシュナムルティは、〝深度〟について語っている のです。

その高度では、〝社会はあなた〟であると、直接体験されています。

第3層は、第2層のようには、合理的に体験できないのです。

クリシュナムルティは、あらゆる人々に対して、時間を越えた解決策(自我の終焉)を説明するだけの〝ありとあらゆる問答に対応できる知恵=無選択的な体験〟を持っている人でした。

このような、証拠があります。

そして、その、真理の種子は、大人になるにしたがって、伝統でつぶされていく、と言い、学校も作ったくらいです。


この、第3層の高度は〝子どもの潜在性〟で説明するモデルが可能で、AQALに〝潜在価値〟を付与します。

第2層で主張されているように 深度のより高い存在が一番良い(より良い)のですが、それに加えて、第3層ではさらに、未生の子どもが一番偉い、と考えます。

これは、クリシュナムルティが主張していた、伝統の圧力と子どもの視点に、ぴったり重なりますね。

伝統の圧力でダメになった、独裁者の大人は、潜在性がズタズタであり、正しく深度を体現していないので、ホロンのスパイラルを損なっている、いわばガンです。

その独裁者が、インフラレッド(1)やマジェンタ(2)を信奉していたとしても、子どもとは何の関係もないのです。

これは、第2層の、スパイラルダイナミクスなどのモデルを、平等主義の グリーン(6) に説明するときに、役立つモデルです。

グリーンは感情を大切にして、子どもに退行しようとします(例:ブーメリティス) が、それは間違いで、感情を大切にするために退行は不要です。 潜在性を考慮して、理性的に、感情的に、子どもを大切にすればよいのです。

(※ この第3層の〝子どもの潜在性〟視点は、第2層の〝深度〟への理解がなければ、直接体験できません。 未生の子どもの後、中絶されうるプレ胎児、無防備に生まれた赤ん坊、わがまま幼児、やんちゃな児童、思春期の学生、と、深度に応じた 理解と 危機、潜在性のバランス、そして、未来により包括的な自己実現を果たすように導くこと、など、第2層の基本的な視点を含まなければ、子どもの潜在性は 深度の羅針盤を見失うので、定義・体験する意味を持ちえません。)



・ミュークルドリーミー みっくす! ~ホワイトな包容~


第3層の潜在性を納得できる、目に見える主張に、ミュークルドリーミーがあります。

このアニメは、2年ちょっと前には、まだ 公に 存在していませんでした。

この作品の視点が、今までにないものであること を見るには、少し、説明が必要ですね。


特に、2年目の、ミュークルドリーミー みっくす! に、その主張が、色濃く 実現されています。

みっくす! は、大人が見ても、おもしろくないはずの内容です。

つまり、第2層で言う、より良い、という主張に、頼っていないのです。

しかし、子どもがこのアニメを見ると、イラストを描きたくなるほど、真剣になるようです。

何が起こっているのでしょうか?


みっくす! は、子どもの、時間を越えていく〝非時間から見た潜在性〟〝伝統につぶされてはいけない可能性の価値〟を〝直接表現〟します。

それを、子どもが感じ取って体験し、対話し、おもしろい!と感じるのです。

この〝直接表現〟というのがミソで、子どもが夢中になっている姿を見て、あるいは、イラストから想像して、大人側が〝おもしろい!〟と明るくなれる。 ――― ここです。


第2層は、第1層に比べて、子育てがうまい、と言われます。

すべての波を知り、健全なスパイラルに 興味を持つからです。

皮肉にも?子どもの感情を大切にする グリーンよりも、より理性的に子育てができる ので、グリーンより 第2層の方が〝子どもの感情を大切に〟しています。

子どもの立場や視点が、見えるからです。


しかし、第2層は、より深いものが良い、という考え方です。

(その構造―段階は、無意識的です。)

なのに、ミュークルドリーミー みっくす! は、第2層の〝作風〟を使いません

子育ての領域で、第2層の〝すべてのスパイラルを健全にする子育て(8)〟が理解・実践できている のに、なぜか、深度主義を使わないのです。

こんなアニメは、今まで、生まれたことが ないでしょう。


ケン・ウィルバーは、〝新たな視点で 世界のあらゆる 未解決な問題が解決される 現実的な可能性〟を指摘しますが、まさに、第3層のことです。

この視点によって、独裁者が地球を支配するという矛盾が いかに〝おかしな〟ことか〝子どもが理解する〟ことができる のです。

ミュークルドリーミー みっくす! は、子どもが見ると、子どもは、独裁者の行っていることが、非常に酷いことだと言うでしょう。

(夢が無いからですね。)


ミュークルドリーミー みっくす! は、第2層以下のように見えて、第2層以上、の〝内的表現〟です。

クリシュナムルティも、その説明がくどいので、第2層だと思われがちですが、子どもの潜在価値を包括的に見抜く〝非時間的な基底〟を体験するので、第3層です。

何より、クリシュナムルティに、同じ目線で共感できる人物が いなかったことが、証拠です。


第3層は、子どもとの距離を〝深度ではなく 共通の潜在性〟という次元で〝保ち〟ます

〝深い方がより良くて偉い〟ではなく、〝深い方がより良いけれど、同時に、未生の子どもは より偉い〟のです。

未来に、第3層の より深い深度に到達して、誰も解決できなかった問題を、みなと力を合わせて解決する〝潜在力の非時間的基底〟を、見せてくれるから、です。

この〝子どもの潜在的基底〟を、第3層は 直接体験する のです。

第2層でこれは、合理的に説明できるけれど、合理的に体験はできない、のです。

ゆえに、スパイラルダイナミクスのようなモデルでは、深度の次元はあれど、潜在性の次元は おまけです。

第2層において、潜在価値は、〝非時間的には〟意味を持たなかったからです。


クリシュナムルティは、〝心理的な時間に関係しない 非時間的な基底がある〟と言います。

時間を越えたもの、それは、世界中にいる 予知能力を使える者たちが見ている〝最高の未来の世界〟は、クリシュナムルティに言わせれば、〝時間のないこの瞬間に 実現することができる〟現実 です。

いかにして、こんなことが、できるのでしょうか?

私は、原爆のような兵器は〝何の意味もない遂行矛盾だ(9)〟と主張します。

存在することは、ひたすら有害で、必ず自分が望まない形で牙をむくものだからです。

そのとき、自分の意図は、最初から無いことになって、兵器をどうこうするという判断も、無いことになるのです。


ドラえもんの世界で、悪の人物Aが、タイムマシンを悪用したとします。

すると、過去の世界では、Aが自分自身を、混乱させないと、復讐のために兵器を持たせることができません。

しかし、過去でAがすでに混乱していないのなら、時間が経った後の、未来のAは、過去のAに何もしませんよね?

では、Aの混乱と復讐心は、どこから来たのですか?


クリシュナムルティは、〝生と覚醒のコメンタリー〟シリーズで、あらゆる問題を 〝自我の終焉〟という 第3層の切り出し方として、解決して見せます。

これは、子どもでも 大人でも、潜在的には〝伝統からの圧力への 理解の チャンス〟が 平等にあるから で、必要なのは、深度ではなく〝基底としての、時を越えた自己認識〟なのです。

それができない者を、クリシュナムルティは、〝混乱している〟と言います。

ちょうど、上記の人物Aのようにです。

この世のあらゆる問題は〝心理的時間が作り出している混乱〟なのです。

それは、心理的な恐怖や抵抗、とも言えます。

これは、今の戦争に、そっくり当てはまります。

クリシュナムルティの著作は、ミュークルドリーミー みっくす! と組み合わせて見ることで、今までどうやっても理解できなかった〝自我の終焉〟という〝指示・実践・確認―パラダイム〟つまり、実践方法が、驚くように分かるかもしれません。

混乱とは、間違った時間を 自分で作りだした結果 だと、いうことです。


子どもでも理解・実践できるのなら、誰もが、独裁者を、否定できるはずです。

同様に、戦争と兵器についてもです。

復讐心が生じないなら、それら(兵器)は皆、存在する意味は、ありません


この、決定的だが、非常に簡単なこと に、もし気づくのが 間に合わなかったら、世界は 六日くらいで、滅びてしまうと思います。



・ リベラル[外面] と 保守[内面] の統合と 憲法第9条


ケン・ウィルバーは、〝ワン・テイスト〟で、〝善良性への回復[リベラル]〟と〝善良性への成長[保守]〟という視点を 日記に書いています。

人は、純粋無垢な者として 生まれるのだろうか? ということです。


すでに、読者の皆さんは、〝これ、形而上学だよね?〟と、気づいてくれたのではないでしょうか(笑)

ポスト形而上学(視点の視点)で考えれば、上記を問う必要が、まずなくなります。

潜在的には、未生の赤ん坊に、純粋性で敵うものは、ありません。

というか、競うことも、ありません。

そして、大人が子どもの可能性を 決めつけるというのも、リベラルではありません。


つまり、子どもは、リベラル[外面・社会制度]視点では〝純粋な天国〟――保守[内面・モラル]視点では〝単純な地獄〟にいる と言えます。

ケン・ウィルバーの上記の捉え方は、〝リベラル(5)までの外面+保守(4)までの内面〟の赤ん坊と子どもの視点 です。

無意識的な天国とか、意識的な地獄とか、そういった視点は、第3層から見れば、形而上学です。

より正しくは、赤ん坊(9)、子ども(9)など、内面と外面すべて、4象限やAQALと潜在価値から見た〝視点〟があり、本当の〝地獄〟を生きているのは、〝独裁者〟など、潜在性が崩壊して純粋ではなくなった大人です

子どもは単純ですが、純真です

――― そして、AQALです。

私は、幼いころ、絵本を見て、戦争はダメだな、と思いました。



・核なき世界! 兵器製造のない世界!


自転車のルールがカオスなのは、社会(クルマ)が 交通戦争状態だからです。

同様に、世界が戦争だらけだと、子どもは、兵器に興味を示すでしょう。

すべては、〝虚偽の混乱〟が〝基底と切り離されて〟蔓延してしまう状態が、潜在性・スパイラルの健全性を〝壊して〟しまうのです。

金儲け主義も、こういった戦争全般に加担します。


アイスバーグさんもハウルも、忘れたかもしれませんが、同じことを言っていて、聞き飽きていたはずです。

セリフではなく、事実として、理解しましょう。

誰が兵器を持っても、世界中が、広島と長崎に起きたようになります。

これは、断固とした事実です。

私は、原爆ドームに行きましたから。


世界の危機

その始まりは、ほんの些細なことでしょう。

脅しの核を使ってみれば、次の局面では、世界中が、核を打ち合っています。

兵器所持が、すでに、間違った打ち合わせなのです

防衛とか、報復とか、どんな理由であっても、どこかの国が 核を使った瞬間、世界は、反動的に核を使い続け、まるで自動的に、世界は、生きることを、あきらめそうです。

これが起こることを前提にして、これを、止めてください


遊戯王に出てくる海馬剛三郎のように、メディアを煽って?兵器をバラまくような会社は、現代では、簡単に、上記を到来させます。

企業のモラルが、尽きていれば、特に。

多くの企業が、売れれば 多少の兵器の話は仕方ない、などと思っていると、すぐに、地球は、兵器まみれになります。

防衛だと言えば、世界は、すぐに兵器を作れるので、子どもが兵器に平気で興味を持ってしまうほど、戦争状態が世界で悪化する頃には、何もかも、手遅れです。

真理の種子は、その前に、花開いておかねばなりません

もっと、聞く耳を持ってほしい、と言います。


生活のために仕事をしなければならない、というのは、矛盾でもあり、当然でもあります

それを言い訳に、兵器やダークな情報をバラまく企業は、最低です。

クリシュナムルティは、言いますが、〝本当にやりたいことをやるための、伝統の圧力につぶされない英知と感受性〟を発揮できるなら、矛盾はありません

あなたが社会だからです。

もし、矛盾や苦しみ、憎しみがあるなら、何かを間違えたのです。

時間という恐怖に囚われて、そのすべてを意識の外に押し出した、あきらめの自分が、いるのです。

それを当然だと思っても、つらさは変わりません。

そして、戦争を止める〝一瞥〟が、できずに、世界の滅びを 招いてしまいます。


つまり、企業にも言いますが、足りないのは〝根源的な危機感〟です。

不合理で嘘の混乱に、絡み取られて、事実を見るエネルギーが、ないという、危険な現状です。


繰り返しますが、常に問うてください。


〝どうすれば、戦争を終わらせることができるだろうか? その話し合いができるだろうか?〟




・世界のシナリオ ~ 私のシミュレーション ~


人知れず世界を救うには、時間を越えた、基底の一瞥が必要です

逆に、戦争をするには、計画的な悪しき意図 が かなりの原因で 付きまとってきます。


財閥は、兵器を作る資金を提供できるので 危険です。

アニメを悪用できる企業も、子どもや思想を操れるので スパイラルを大きく壊します。


北朝鮮は、ロシアと目的が違う ので、忘れられがちですが、この2国は、それぞれ、相手は知ったこっちゃないでしょう。

この2国が、全く、世界のことを顧みずに、突如、最悪のかみ合わせで、日本を襲撃してきたら、どうするのでしょうか?

あらゆる話し合いを、社会は行い、可能性を想定し、混乱が想定されることを理解し、虚偽を虚偽として見ることで、直観的に、どうすれば〝決定的な一瞥〟をすることができるのか、そこは、前進しておくしかありません。


たぶん、この話し合いだけでも、社会は余計に混乱し、それが、わかると思います。

想定が難しいなら、戦争自体をやめればいいのです。

私たちは絶対に戦争はしないので、考えなくてもいいように、解決しましょう。

それが、憲法第9条です。

前提として、戦争放棄が成り立たないから、戦争が起きるのです。


原爆は、軍国主義への報復です。

戦争放棄は、理論的にも、現実的にも、当然なのです。


それでも、戦争が起きたら、ブーイングするしかないでしょう。

形態形成の渦に、反戦運動します


予知があるとして、私的な近況から想像できたことを、直観的に話します


ウイルスが流行らなかったら、2020年の春には、世界は、核兵器で焼き尽くされ、30億人以上が この世を去っていたと思います。

(もはや、想像でしかありません。)

しかし、 どうにかして、第3次世界大戦は、永久回避しなければならない、 しかし、 ロシアや中国のような古代帝国国家、他にも 宗教的原理主義国など、多数ある現状で、核なき世界にならない現状は、とてつもなく深刻である と、誰でも分かっています。

それを、誰もが、平和になった、と思えるところまでに しなければならないのです。


予知によって、尚早に ウイルスを隔離成功した未来を 選び取ることは、不可能ではないと思います。

何らかのウイルスが発生することを 予防する類のものではありませんが、結局、丸2年を、軽く超えて、ウイルスは、流行し続けています。

これほど深刻な状況なら、回避する方法を、もっと 模索できたでしょう。

しかし、世界は、この歴史を選びました。


選ばざるを得なかった?


よって、ウイルスにでも 足を取られていなかったら、テロか、核実験か、何らかの理由で、世界は、大きな戦争に突入していた、と 思えるのです。


世界が最初から 平和だったら、ウイルスも 流行らなかったでしょう


人知れず、世界を救うにも、限界があるのです。

ウイルスショックが起きたのにも、文脈上の理由があると分析するのが、妥当です

誰かが流行らせたとすると、バカすぎるので。


これ(予知)は、もし本当だとしても、犠牲ではありません。

偶然です。

なぜなら、大きな戦争が起こる可能性は、深刻な状態のまま、だからです。


ここから、個人的な切り出しを、全面的に行います。

お付き合いください。


2年の時間。

2020年春から、2022年春まで。

この時間がどうしても必要だった理由は、アニメ・ミュークルドリーミーと、決定的に関係があります。


ワンピースには、ミュークルという登場人物が、以前に出てくるわけですが、この2年で、世界に、ミュークルドリーミーが届いていれば、皆、子ども含めて、独裁者の存在が〝遂行矛盾的である〟ことに、気づく可能性が、高いのです。

これは、まったく新しい人間用のOSを、インストールするようなもの です。

取説は、アニメの中に含まれています。


ウイルスショックの嫌な点は、子どもが危険にさらされることもですが、皆、気づかず、人が変わってしまうこと です。

おそらく 良い点は、テロが激減すること です。

これは、独裁者と言い換えれば、戦争の回避です。

プーチンも、実際、丸2年、引きこもっておりました。 (以前から独裁者では あったのですが。)

私も基本的に引きこもっていたので、人が変わるということは、理解できます。

脱線するかもしれませんが、豊臣秀吉も、変わってしまいました。 (理由は不明。)


これをさらに嫌な感じにしたのが、誰も気づかずに 混乱してしまったことによって起こる〝戦争〟です。

どんなことにも、原因があるので、世界大戦が起こったのなら、多大な混乱があった としか言えないのです。


リーマンショックは住居欲に類するものでしょうが、世界大戦も、意外に 信じられないような 生活の中での出来事が 歪みに歪んで 起きたんじゃないか、と思っています。


話を続けます。


2年の時間の中で、私の役割とは、何なのでしょう?

皆、自分の役割を問うことが 稀ですが、あなたが世界なのだから、問わねばならない ところです。



どうすれば、戦争を止めることが、できるのか?


やはり、私の場合は、これを書いていることで、と答えます。

何らかの、悪しき意図が、確実に、戦争をコントロールしているのだろう、と思いますから。

そのために、すみませんが、目に見えるものくらい、直観的に判断・批判します。


これを書いている私も、少し自信が無くなってきました。

つまり、誰もが、自分の直観を信じられない のです。

しかし、公にできる内容ならば、最低限の証拠も 提示する必要があるので、ある意味では、かなり信頼できると言えます。

直観は、基本的に、信頼してください。

独裁者は、結局のところ、自暴自棄になっているだけで、直観などないのです。



触れていなかったのですが、正しく ひきこもる方法 は、あります。

引きこもっている間を、回復のインターバルとして、何かのスポーツをするのです。

ロシアでは、残念ながら、自転車は難しそうですが、引きこもりたい=休みたい と思えるように!

決して、あの、セフィロスのようになってはいけません!!

(※本を読みふけって とんでもなく危ないやつになったwww)


独裁者って、話し相手、いるんですかね?


(わたしは、ほぼ、いませんが。)



・戦争を無くす方法!


祈りは重要ですが、祈りのパワーとは、クリシュナムルティ流には、書くこと!です。

基底と接した者は、必ず、書くそうです ♪



ウイルスによって、一番コントロールされているのは、歌手です。

ライブができませんから。


1人称×1人称、の芸術家は、ポピュラー歌手です。

文化的には、この勢いが押さえつけられるのは、世界のバランスが崩壊して、戦争が引き起こされるほどの、深刻な状況です。

ラプソーンが、喜びますわ。


これを、どう乗り越えるのか?

歌手たちに問われている、芸術と基底の在り方
、というわけです。

思いのたけを、光にして放出できない深刻さは、あらゆる人にまで、およびます。

あなたの上司が、ライブに行けなくなったことで、あなたの会社が大丈夫ではない状況になっていたり…しませんか??



・世界の夢 ☆彡


地球上に急速に枯渇したのは、化石燃料でも、お金でもなく、夢です


一つは、現代は、状態―段階 の実践が、おろそかにされていること。

そして、常に、戦争が起こっても おかしくなかった状態を、今、逃げ場なく、突き付けられていること。


わたしも ある意味 限界を越えていて、今年は〝限界をはるかに超える休息で とにかく休め! 極限を越えて コスト削減!何もするな!〟 という状態です。

何かが、確実に、底を尽きているのです。


それが分からない人は、多いです。

原因は、〝夢(ドリーム)〟ですから。


本来、ポップ歌手がライブで行って、皆、花火大会などで 分かち合い、国際交流にて、広い世界は、楽しみを披露しあうのです。


しかし、そのドリームには、〝限り〟があります。


普通の生活では、ほとんど尽きなかった、この夢は、状態―段階の基礎 あるいは特殊な実践で、浪費を抑えることができるのですが、現在は、無酸素運動状態です。

これでは、誰でも持ちません。


今まで行っていた方法で、2年持ちこたえられますが、3年目になると、もう、ないです。


色々連鎖崩壊して、あっという間に 社会に 表れ、なすすべなく 次の接続を奪います。

2021年は、自転車のパーツでしたが、2022年は、夢自体が、在庫切れ です。

夢って、どこで、会えるんだっけ?


誰もが、あらゆる発達ラインを、独立して発達させていますから、枯渇するラインは、あるのです。

私の場合は、人との社会的ふれあいの深いバージョン です。

ライブ活動と 花火大会などのイベントが 2年以上奪われた結果 心が狂ってきました。

そのうち、それを 認識できなくなりそう です。

狂ってきたことは、なるべく早いうちに、皆さん、まとめておきましょう

いずれ、役に立ちます。


この、ラインのアンバランスは、地球規模のスパイラルの不健全化に、そのまま相関します。

自転車のパーツが品薄であるだけでなく、製造しようという気持ちが枯渇している という風なことです。


もともと、2019年の時点で、中国が アメリカにウイルス研究所を立ち上げて中国本土には持たない、くらい、皆、仲良く平和に暮らせていたのなら、今のウイルスの流行は、無かったと思います

少なくとも、原因の究明によって、もっと、良いワクチンができています。

しかし、世界の仲が良くなかったから、ウイルスが流行りに流行った挙句、現時点で戦争まで起き、世界中の心が、傷ついているのです。


この現状を正確に洞察する気力を失っていれば、あっという間に、防衛と称して、世界中が、ミサイルの打ち合いという混沌の渦に 呑まれます。

もう、何も、考えられませんから。

そして、六日で、地球は、誰も想像しなかったくらいに早く、未来少年コナンのように滅茶苦茶になります。

文脈の話ですが、実際、短い期間で、こうなります。

洞察と、決定的に重要なこと を やっておかねばならないこと、その理解、が、大切な ポイントです。


もう一度言いますが、夢が枯渇しているこの状況 で、誰かがミサイルを打ったら、正気を失って諦め状態で 抗戦します。

後のことなど考えられないので、気づく前に、世界は、終わりです。

というか、所持しているはずの核が全部暴発して 地球のすべてが 終わると思います。

暴発も、考えなければ。


だから、核兵器は、ゼロにしろって言ったのに…。

原子力発電所だって、暴発するなら、兵器になるじゃん。

兵器がなければ、発電所は あってもいいのに…。


そう。


夢、それは、世界が仲良くしていることが、わかること。

子どもでも、潜在性の次元で、直観できるもの。



世界の争いを見ることは、2019年の10倍は 心身を病んでしまうものとなります。

体感でも、そのくらい、夢が、飛んでしまったのです。


たぶん、希望の夢を見る人が多いほど、その70億の深みが、みんなに、降りそそぐのです。

1人しか夢を見なければ、70億人全員が、1人分の夢しか、見つけることができず、70億人が夢を見れば、地球上の1人1人すべての人が、70億人の夢を、受け取れるのです。



だから、今は、形態形成場に、夢が無いのです。


みんなが、仲良く居られれば、少なくとも、それを実体験で、確信できれば、地球に、強力な夢があふれます

活字に夢が詰まっているわけではないのです。

解釈するにも、夢のエネルギーを使いますから


この、あまり見向きされない、形態形成と、夢のエネルギーの関係も、第3層で説明できて、予知のエネルギーも、その夢を使います。

正しい未来は、皆が仲良くなることで 直観的に 得られるのです

これも、こうして、説明できるでしょ?


希望は、ウイルス終息、世界の回復、でした。

現在は、ウイルス持続、戦争勃発

2年の約束 は破られて、地球から消えた夢は、目に見える形 で、絶望を見せます。


もっとも、こうした絶望は、クリシュナムルティに言わせれば〝虚偽の混乱〟で あって、幻なのです。

基底に属性はないので、実際は、夢が枯渇したというのも、幻想です。



ただし、そんなことは、悟らなければ、堂々と言えません。

今言いたいのは、多くの人々に〝どうすれば戦争を止められるか? どう話し合えるのか?〟という点のみです。


人間は意外と強いので、困難にぶち当たると、その壁を越えます。

ただ、本気で、壁を越えたい、と思わねば 越えられません。


未来を信じる意味を、その簡単な方向を、見失うだけで、困難に足を取られます。


たぶん、簡単な一手で、戦争は止まるんですよ。

方向性を見失っている、それだけです。



私が言いたいことは、このページに書いているタイプの視点を、議論できる環境にある人の少なさです。

このような、人間らしい〝こころ=夢〟の視点で、話し合う必然性 が、私たちにまだ、かなり残っているのなら、独裁者をも説得するつもりで、うらやましがられるように? 楽しく、生きてみましょうよ


それが、未来へつなぐ、現代人の、意地(≧▽≦)!!!!!
ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 23:59| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする