私主張〝メタ・タイプ〟の〝統合数学 (=視点)〟
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〔4タイプ×2(補助)×2(向)×3(パーソナリティ)〕
×2(マクロ・ミクロ)×2(個・心/身)
〔 〕内の 基本で〝48タイプ〟 さらに トレンド・普遍 と 4象限 を加えて〝192タイプ〟(笑)
4タイプは〔感覚・感情・マインド・直観〕です。 補助機能 が 2つのうちどちらかの利き手なので〔×2〕。
さらに、外向/内向 の視点で〔×2〕。 メインの個に サブパーソナリティ 2つを加えて〔×3〕。
そして、ミクロ〔即時・トレンド的〕/マクロ〔判断・普遍的〕を加えて〔×2〕!
ラストに、重視する境界、個〔Q/1 Q/3〕 あるいは 心/身〔Q/1 Q/2〕 で〔×2〕!!
個の境界は〔Q/2 Q/4〕、心/身の境界は〔Q/3 Q/4〕 側が 強調されることも あります。
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・外向/内向 を〝1パーソナリティ〟〝1つ〟にする! (―本人基点―)
・判断型 (普遍・マクロ志向)・即時型 (トレンド・ミクロ志向) を 新たに 加える!
・内面・直観 を 重視する! (機能適合で考えない!)
(ポストモダンでは、言葉がとても重要な意味を持つと言いました。 あまり言いたくはないですが、タイプ論は、社会人にとって有益な機能を提供するツール、人を社会にあてはめる〝利益を生み出す営みとしての タイプ論〟・・・ 分類のための道具だ、と、どうしても、とらえていく傾向が、社会がフラットランドゆえに、あるでしょう。 例えば、ハートの心理学系、内面のプロフェッショナルを 論じているにも関わらず、文章の中に、建設的、あるいは、健常者、という言葉を、多用するのは、どうかと、今の私は、気になります。 どちらも、外面で客観的に観測できる指示対象の言葉で、フラットランドをタイプ論に使いたい主張を定立するために、インテグラルに組み込まれることを拒否している、気がするからです。 ポストモダンで言う、独白的とは・・・。 ポストモダンから生まれた 構造主義は、健康な人間そのものが まずもって、文化的な偏見を含みうる〝文脈上の視点〟だと、発見し、健常者というイメージは、そうでない者をも 暗に含めており、そこが、無意識的で、モノロジカルです。)
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私は、AQALで紹介されていたにもかかわらず、あまり、タイプというものに、興味がありませんでした。
タイプ論を、あまり見たくなくて、AQALに、含まなかった理由は、自分が決めつけられてしまうように感じる だろうからです。
そして、スパイラルダイナミクスや ティール組織でも おなじみの、〝深度=レベル〟という〝AQALのメタ要素〟と、相性が悪そう だからでした。
でも、ユングのタイプ論の思想を見て、臨床経験から本人が、直観的で内向的な 深みのある領域をも 理解しようとしていたこと が分かり、そして、考えが変わったので、今、このコーナーを書いております。
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MBTIでは、内向直観型の私が共感できる 内向直観型の人で、補助機能が感情型であれば、必ず、判断型の特徴を持つ と主張します。 (補助機能が マインド=思考 型の人もです。)
なので、以前、私が主張した〝トレンドを志向する=即時型〟というのは、〝ミクロ志向〟と呼ぶべき、また別の項、内向直観型の感情補助のタイプであっても、ミクロ志向と、普遍=マクロ志向、どちらもOK! となります。
というより、こうして、タイプ論は、できていった のだと 思います。
私の場合は、内面、直観、深さを 重要視する〝第3層の視点〟で、これを行うがゆえに、ユングのタイプ論とも、他のタイプ論とも、相違のある〝主張のタイプ〟になるのです!!
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エニアグラムは、理論が難解です!!
昔、私は、エニアグラムという視点を聞いたときに、ケン・ウィルバーが 書籍で行っていた 簡単な議論も参考に、〝感情型〟〝感覚型〟などを〝それぞれ、エニアグラムの1つのタイプ〟とみなして、(このように) 議論をしたことがありました。
つまり、ユングのタイプ論 風 の、エニアグラム で、論じました。
より、本物の、エニアグラムは、192・・・とかではなく、タイプが9つ!で、展開します。
メタ要素を、9つに絞っている、古代の叡智の伝統がルーツ らしいので、さすがです。
ただ、ふつうのエニアグラムの本は、(例えば) 具体的な人名を書いて、それぞれのタイプにあてはめようとしますから、内向直観タイプの私 には〝可能性が決めつけられているように感じて〟読む気が、あまり起きません。
エニアグラムには、〝もっと可能性のある 展開・普及の方法〟があるはずだと、私は思いたいのです。
(そういえば、直観を別に命名するなら ノーザン型 ですよね。)
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MBTIは、ケン・ウィルバーが〝インテグラル心理学〟で〝タイプ論は 経験によってつくっているから 必ずしも みんなに あてはまるわけではないよ!〟視点を主張していることも 受けて、特に スピリチュアルな〝サブパーソナリティ〟を 包容するときに、弱くなると思います。
この点、エニアグラムは、色々な 別のモードに、ウィングさんを含めて、移動しますから、発達ストリームを見る点では、AQALの他のメタ要素〝象限・ライン・レベル・ステート〟を 見やすい特徴がある と思います。
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MBTIは〝誰もが 内向/外向、感情/マインド、直観/感覚 を 使えているんだ〟という主張をしています。
これは、エニアグラムより、たぶん進んでいて、より普遍的な〝自己=アクセス〟から、一時的に同一化している〝構え〟なのだと、〝イズム〟にしてはいけないんだよ! と言ってます。
よって、私が記述している、インテグラルな(わたしの)タイプ論は、MBTIの思想に近い のです。
誰もが、内向直観型なら外向型やサブパーソナリティに感覚型を持ちうるように、自由にタイプを包含できる、というものです。
ただ、MBTIほど厳格な 臨床経験的な理詰めを行わず、簡単なメタ項の掛け合わせで〝高度+象限〟を特定すればいいんじゃないか? と、私は主張します。
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内向型の、私にとっては、第3の、利き手ではないほうの〝判断機能―感情〟が〝内向とは逆の外向に〟向かうようです。
私と同じ3弾変形なら、〝第3の機能が あなたの 内向/外向 の リバースに向かていく〟と言えます。
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定義は、内向は、視点が、自分に向かい、外向は、視点が、周りに向かう、ということです。
私は、感情で、ライブを見ているときに人々の気持ちを読み取り、これは内向ですが、それを、ライブ空間そのものに、より強く返して、例えば手拍子をしますから、外向の目的がより強くて、外向の感情機能が 定立されてます。
つまり、第3の機能は、水平方向に働く〝最も苦手なわけではない 昔から使えてはいる機能〟なので、〝自分が内向なら、内向のためだけに特化するべき主機能である 必要はなく・・・〟!!
なので、外向方向に向かう方が、コスト削減的で、たぶん、スピリチュアル です!!
自分の可能性を、見出せますからね🎵
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というわけで、私と同じ3弾変形 (このコーナーの例での サブパーソナリティを含む 3つの流動的なキャラクター視点) ならば、4番目の、最も苦手な機能、私の場合は、外向の感覚ですが、これが、得意な内向の側で〝おそらく2番目のパーソナリティとして〟発達します。
わたしは 自転車で、この、内向感覚型を鍛えて、いつしか、3番目のパーソナリティ、外向感情型も、発現させていました。
3番目のパーソナリティの方が、子ども時代から早く出ていましたが、安定するには、2番目のパーソナリティが、不可欠なようです。
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こうして、内向直観型は、ある程度、タイプ論含む、メタ要素を、自分なりのものにしますから、世間でいう〝よくあるタイプ論〟とは、異なる ことが、あるわけです。
ユングが 言いたかったことの ひとつ は、こういうことだったのだろうと、私は思っているので、このコーナーを主張します。
〔ちなみに、私は、個を重視する、マクロ・普遍の志向です! ― 冒頭の〝式〟にて。〕
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最近流行りの〝心理テスト〟・・・に、ならないように、私は〝タイプ論〟を使いたい のです。
どうしてもテストをするなら、音楽知性などでも おなじみの、各、〝発達ライン=ストリーム〟そして、オレンジやティールなどの〝ウェーブ=深さ〟を、対象 とすべき だと感じます。
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エニアグラムの、王道の解釈は、〝すべてのタイプが 自分だと思えるように!〟だと、私は思いましたが、広義の出世を求める、ある種独裁者タイプのパーソナリティには、自分の入る場所が、ないです(笑)
大体、9つのタイプのうち、半分くらいが、自分側 なのでしょう。
説明不要なのは、内向型なので、わたしは、個性を捨てるよりは 個性的であろうとします。
とはいえ、エニアグラムは、理論を見ると、これより複雑ですよね。
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というわけで、描きたいことは書いたので、今回は、MBTIと エニアグラム を、競わせることはもとより、具体的に包含・応用をする、ということは、ありません。
メタ要素の中でも、〝自分はあらゆるところにいる〟〝即興か距離を置くか〟という観点は、調べて 視点化しておきたかったので、書籍を参考にして、ご報告しました ♪
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ラベル:AQAL