2023年10月27日

【MBTI】☆VS☆【エニアグラム】〜!?〜 私の〝メタ・タイプ論〟💗



私主張メタ・タイプ〟の〝統合数学 (=視点)



〔4タイプ×2(補助)×2(向)×3(パーソナリティ)〕

×2(マクロ・ミクロ)×2(個・心/身)



〔 〕内の 基本で〝48タイプ〟 さらに トレンド・普遍 と 4象限 を加えて〝192タイプ〟(笑)


4タイプは〔感覚・感情・マインド・直観〕です。 補助機能 が 2つのうちどちらかの利き手なので〔×2〕

さらに、外向/内向 の視点で〔×2〕。 メインの個に サブパーソナリティ 2つを加えて〔×3〕。

そして、ミクロ〔即時・トレンド的〕/マクロ〔判断・普遍的〕を加えて〔×2〕!

ラストに、重視する境界、個〔Q/1 Q/3〕 あるいは 心/身〔Q/1 Q/2〕 で〔×2〕!!


個の境界は〔Q/2 Q/4〕、心/身の境界は〔Q/3 Q/4〕 側が 強調されることも あります。




・外向/内向 を〝1パーソナリティ〟〝1つ〟にする! (―本人基点―)

・判断型 (普遍・マクロ志向)・即時型 (トレンド・ミクロ志向) を 新たに 加える!

・内面・直観 を 重視する! (機能適合で考えない!)



(ポストモダンでは、言葉がとても重要な意味を持つと言いました。 あまり言いたくはないですが、タイプ論は、社会人にとって有益な機能を提供するツール、人を社会にあてはめる〝利益を生み出す営みとしての タイプ論〟・・・ 分類のための道具だ、と、どうしても、とらえていく傾向が、社会がフラットランドゆえに、あるでしょう。 例えば、ハートの心理学系、内面のプロフェッショナルを 論じているにも関わらず、文章の中に、建設的、あるいは、健常者、という言葉を、多用するのは、どうかと、今の私は、気になります。 どちらも、外面で客観的に観測できる指示対象の言葉で、フラットランドをタイプ論に使いたい主張を定立するために、インテグラルに組み込まれることを拒否している、気がするからです。 ポストモダンで言う、独白的とは・・・。 ポストモダンから生まれた 構造主義は、健康な人間そのものが まずもって、文化的な偏見を含みうる〝文脈上の視点〟だと、発見し、健常者というイメージは、そうでない者をも 暗に含めており、そこが、無意識的で、モノロジカルです。)




私は、AQALで紹介されていたにもかかわらず、あまり、タイプというものに、興味がありませんでした

タイプ論を、あまり見たくなくて、AQALに、含まなかった理由は、自分が決めつけられてしまうように感じる だろうからです。

そして、スパイラルダイナミクスや ティール組織でも おなじみの、〝深度=レベル〟という〝AQALのメタ要素〟と、相性が悪そう だからでした。


でも、ユングのタイプ論の思想を見て、臨床経験から本人が、直観的で内向的な 深みのある領域をも 理解しようとしていたこと が分かり、そして、考えが変わったので、今、このコーナーを書いております。




MBTIでは、内向直観型の私が共感できる 内向直観型の人で、補助機能が感情型であれば、必ず、判断型の特徴を持つ と主張します。 (補助機能が マインド=思考 型の人もです。)

なので、以前、私が主張した〝トレンドを志向する=即時型〟というのは、〝ミクロ志向〟と呼ぶべき、また別の項、内向直観型の感情補助のタイプであっても、ミクロ志向と、普遍=マクロ志向、どちらもOK! となります。

というより、こうして、タイプ論は、できていった のだと 思います。


私の場合は、内面、直観、深さを 重要視する〝第3層の視点〟で、これを行うがゆえに、ユングのタイプ論とも、他のタイプ論とも、相違のある〝主張のタイプ〟になるのです!!




エニアグラムは、理論が難解です!!


昔、私は、エニアグラムという視点を聞いたときに、ケン・ウィルバーが 書籍で行っていた 簡単な議論も参考に、〝感情型〟〝感覚型〟などを〝それぞれ、エニアグラムの1つのタイプ〟とみなして、(このように) 議論をしたことがありました

つまり、ユングのタイプ論 風 の、エニアグラム で、論じました。


より、本物の、エニアグラムは、192・・・とかではなく、タイプが9つ!で、展開します

メタ要素を、9つに絞っている、古代の叡智の伝統がルーツ らしいので、さすがです。


ただ、ふつうのエニアグラムの本は、(例えば) 具体的な人名を書いて、それぞれのタイプにあてはめようとしますから、内向直観タイプの私 には〝可能性が決めつけられているように感じて〟読む気が、あまり起きません

エニアグラムには、〝もっと可能性のある 展開・普及の方法〟があるはずだと、私は思いたいのです。


(そういえば、直観を別に命名するなら ノーザン型 ですよね。)




MBTIは、ケン・ウィルバーが〝インテグラル心理学〟で〝タイプ論は 経験によってつくっているから 必ずしも みんなに あてはまるわけではないよ!〟視点を主張していることも 受けて、特に スピリチュアルな〝サブパーソナリティ〟を 包容するときに、弱くなると思います。


この点、エニアグラムは、色々な 別のモードに、ウィングさんを含めて、移動しますから、発達ストリームを見る点では、AQALの他のメタ要素〝象限・ライン・レベル・ステート〟を 見やすい特徴がある と思います。




MBTIは〝誰もが 内向/外向、感情/マインド、直観/感覚 を 使えているんだ〟という主張をしています。

これは、エニアグラムより、たぶん進んでいて、より普遍的な〝自己=アクセス〟から、一時的に同一化している〝構え〟なのだと、〝イズム〟にしてはいけないんだよ! と言ってます。


よって、私が記述している、インテグラルな(わたしの)タイプ論は、MBTIの思想に近い のです。


誰もが、内向直観型なら外向型やサブパーソナリティに感覚型を持ちうるように、自由にタイプを包含できる、というものです。

ただ、MBTIほど厳格な 臨床経験的な理詰めを行わず、簡単なメタ項の掛け合わせで〝高度+象限〟を特定すればいいんじゃないか? と、私は主張します。




内向型の、私にとっては、第3の、利き手ではないほうの〝判断機能―感情〟が〝内向とは逆の外向に〟向かうようです。

私と同じ3弾変形なら、〝第3の機能が あなたの 内向/外向 の リバースに向かていく〟と言えます。




定義は、内向は、視点が、自分に向かい、外向は、視点が、周りに向かう、ということです。

私は、感情で、ライブを見ているときに人々の気持ちを読み取り、これは内向ですが、それを、ライブ空間そのものに、より強く返して、例えば手拍子をしますから、外向の目的がより強くて、外向の感情機能が 定立されてます。


つまり、第3の機能は、水平方向に働く〝最も苦手なわけではない 昔から使えてはいる機能〟なので、〝自分が内向なら、内向のためだけに特化するべき主機能である 必要はなく・・・〟!!

なので、外向方向に向かう方が、コスト削減的で、たぶん、スピリチュアル です!!


自分の可能性を、見出せますからね🎵




というわけで、私と同じ3弾変形 (このコーナーの例での サブパーソナリティを含む 3つの流動的なキャラクター視点) ならば、4番目の、最も苦手な機能、私の場合は、外向の感覚ですが、これが、得意な内向の側で〝おそらく2番目のパーソナリティとして〟発達します

わたしは 自転車で、この、内向感覚型を鍛えて、いつしか、3番目のパーソナリティ、外向感情型も、発現させていました


3番目のパーソナリティの方が、子ども時代から早く出ていましたが、安定するには、2番目のパーソナリティが、不可欠なようです。




こうして、内向直観型は、ある程度、タイプ論含む、メタ要素を、自分なりのものにしますから、世間でいう〝よくあるタイプ論〟とは、異なる ことが、あるわけです。

ユングが 言いたかったことの ひとつ は、こういうことだったのだろうと、私は思っているので、このコーナーを主張します。


〔ちなみに、私は、個を重視する、マクロ・普遍の志向です! ― 冒頭の〝式〟にて。〕




最近流行りの〝心理テスト〟・・・に、ならないように、私は〝タイプ論〟を使いたい のです。

どうしてもテストをするなら、音楽知性などでも おなじみの、各、〝発達ライン=ストリーム〟そして、オレンジやティールなどの〝ウェーブ=深さ〟を、対象 とすべき だと感じます。




エニアグラムの、王道の解釈は、〝すべてのタイプが 自分だと思えるように!〟だと、私は思いましたが、広義の出世を求める、ある種独裁者タイプのパーソナリティには、自分の入る場所が、ないです(笑)

大体、9つのタイプのうち、半分くらいが、自分側 なのでしょう


説明不要なのは、内向型なので、わたしは、個性を捨てるよりは 個性的であろうとします

とはいえ、エニアグラムは、理論を見ると、これより複雑ですよね。




というわけで、描きたいことは書いたので、今回は、MBTIと エニアグラム を、競わせることはもとより、具体的に包含・応用をする、ということは、ありません。


メタ要素の中でも、〝自分はあらゆるところにいる〟〝即興か距離を置くか〟という観点は、調べて 視点化しておきたかったので、書籍を参考にして、ご報告しました ♪


ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 10:45| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2023年10月17日

〝わたし〟と〝インテグラル心理学〟〜サブパーソナリティ・直観・ストリーム〜



あたらしい!!!!!



きら✧きら✧きら✧らん🎵



〝☆〟まで―――(↓)

🌷

るん✧るん✧るん♪



〝もうすぐ〟(≧▽≦)🌞



きららららぁーーーーん🌞



ミスチルを聴いてると、星が、挙がりました♪



(ビーナスブリッジの花火。)


――――――――――――――――





サブパーソナリティ というのが、あるようです。

(インテグラル心理学に、書いてました。)


私は、個人を重視して、チームを忘れていた、内向直観型 です。

Q/2 と Q/4 が〝モノロジカル(monological)〟なんですよ💗


ゆきちゃんは、オーソドックスで、世界の、身体を忘れている、内向直観型。

ならば、Q/3 と Q/4 が〝モノロジカル(monological)〟!


この視点は、ケン・ウィルバーが、〝独白的=内面を消し去る(フラットランド)〟という定義のときに、思いました。


[つまり、私は、Q/1 と Q/3 が〝ダイアロジカル(dialogical)〟―― ゆきちゃんは、Q/1 と Q/2 が〝ダイアロジカル(dialogical)〟🎵]





ティール組織を読んでいて、効率について思いました


(インテグラル心理学の議論は、ここを読み飛ばして、下部ですよ ♡ )




花火の会場に入って、駐輪場まで自転車を押していくだけで、警備員に注意され…。

(歩行者なんですけど!)


帰りに、規制区間らしい場所から (解除エリアへ) 信号を守って車道に出ようと、念のために確認すると、おまわり君に〝歩行者と一緒に〟自転車を押して、回り道をしなければならない ・・・のだって!

(乗れたら、即、車両なんですけど…。)




人が多くなるからと言って、やみくもに、制限的な観念のみで、様々な視点を、主催者が考えられていない、証拠です。

これでは、花火を、楽しめない


何のために、挙げるのだろう??




自転車が、押してもジャマなのは、子どもが寝転がっていて、宵だからでもありますが。

そもそも、あらゆる歩行者(にわか歩行者の私含む)にとって、自転車を押すことがジャマなら、帰りに、さっさと車道に出るのが、正解です。

歩行者に混じって、というなら、そもそも、乗らずに、押して入る判断は、褒めるべきところになり…。


情報が大混乱して、対策、対策、と言い、ワクチンを押し付ける、国の体質でしょ?

メディアの、ニュースもしかり。


(言語を扱う陣営は、ポストモダン、そして、フラットランドに拍車をかけちゃった、陣営寄りですよね?)


不安をあおり、そのサイクルから抜けられない。

学校が最も大変だったと言いますが、アンバーの延長線上で、教育が展開されている点が、一番、負担だったんじゃないか、と。

そして、その世界観でアニメをやると、ティーンエイジャーの生活世界は、夢が無くなる、と、思います。

既存の学校をトレースして舞台にしている、ほとんどのアニメは、独白的で、フラットランドに、陥っているのではないでしょうか??





私は、セカンド、サブパーソナリティ (第2の〝わたし〟) が〝内向・感覚型・マインド(=思考)型〟で 自転車に乗ってきた、ここ20年ほどで、鍛えてきた ウェーブ・ストリームです。


さらに、サード・サブパーソナリティ (第3の〝わたし〟) は〝外向・感情型・(補助は)直観型〟で、ルールを守って自転車でロングライドするときに、目覚めたらしいです。

感情は、ユング本人曰くの タイプ論では、合理的な判断機能なので、ここは、納得です。


第3の私のタイプは、まい (そして ゆきちゃん) に、似ています。




第1のメインパーソナリティ (内向直観・[補助]マインド) は〝ヤドキング〟

なんにもしないをする🎵


第2のサブパーソナリティ (内向感覚・[補助]マインド) は〝ラッキー〟

内向型なのに〝多産タイプ〟(笑)


第3のサブパーソナリティ (外向感情・[補助]直観) は〝うさちゃん〟

フリーズすると 白目をむきます Σ(゚Д゚)||||||||ガガーーン。。


うさちゃんは、小動物タイプですから、ピカチュウも〝可〟!

ギラ系と ホイミ系 が使える、いやしウサギ でもいいです💙





第3のタイプは、合っていればですが、今日、気づきました。

このように、自分のことって、無意識です!




第1のメインパーソナリティですが、直観は〝実績A・安定A〟 マインドも〝実績A・安定A〟

これが、第1層時代に、掛け合わさっているので、すでに、強烈な ウェーブ・ストリームです。


なので、それ以外の〝実用的〟な〝サブパーソナリティ〟となると、感覚、か、感情 ・・・ ということに、なるでしょう。

私はまず、弱点の感覚からスタートし、さらに 外向を抑圧していることに気づき、そちらも手探りします。


感覚は〝実績A・安定C〟です。 マインドと組み合わせて、元々鋭かった個人的な感覚を、自転車と旅に応用しました。


感情は〝実績A・安定B〟で、基本的に、聞き手に回るときに〝実績A〟が 発揮されてます。




つまり、 深層構造を鍛える〝セルフ関連ライン〟は〝第3層〟付近にある ので、実績はA に なります。

が、安定が、Aには、なりません(>_<)!!


これが厄介で、感情は、時に爆発するし、感覚は、鈍いままの部分があります。

感情型でも、内向型は、周りが穏やかでないと、気分を壊すらしいので、ここも、納得です。


安定Aは、メインパーソナリティとして、必須条件なのだと思います。

安定BやCだから、サブパーソナリティに、なるのでしょう。


さらに、これを抑圧しないかどうかは、運(命)にもよります。

マインドフルネス論も、参考。





まい と 私 は、2人で 大魔王を、倒せるタイプです。

ゆきちゃんと 私 の場合、さらに仲間を集めて、パーティーを組んで、大魔王を倒すでしょう。






まいは、内向型が強く、それを、感情として 同一化するので、Q/1 と Q/3 の〝感情〟が メインパーソナリティ (才能) となりましょう。

私の場合は、直観=魂 を〝個〟として、同一化するので、Q/1 の他、Q/3の〝感覚〟を含むタイプにも強いです

ゆきちゃんは、〝直観=魂〟を〝こころ (ハート)〟として 扱うので、身体を忘れて、Q/3には苦労しますが、Q/2 の〝チーム〟には、めっぽう ストロングです。


こうして、それぞれのメインパーソナリティでも、なんらかの〝外向〟的な タイプが、発揮されている ように、見えますね。




ゆきちゃんは、即時行為のタイプなので、トレンドのリンキングを鍛えると、凄いです。

わたしは、判断行為のタイプなので、節約や インテグラルに捉える数字、メタ要素としてのハイパー変数なる 生活世界に強いです




そう。 ゆきちゃんや、まいにも、サブパーソナリティが、あるのでしょう。

そして、それが、3つ目(サード)にもなると、もはや、どうなっているのか、予測できそうではないですね!!


いわゆる、感知―応答、は、ここも、包むのでしょう。





RPGで、Q/2 は、冒険する世界 です。

RPGで、Q/3 は、冒険するキャラ です。



Q/4 は、ブログとか自転車にも、関連します。




時間予知(t) では、RPG ですが・・・。

空間予知(s)では、タイムアタックのボーナスゲームでしょう。




時間予知(t)は、グロスな空間 (感覚) が リアルで ワールドマップです。

コーザルな直観が、ひらめきで、アップデートに共時的です。


空間予知(s)は、グロスな時間 (感覚) が リアルで スケジュール的です。

パラレルワールド的シーンが、コーザル的な直観です。



グロスとコーザルは重心で、非二元まで グラデーション で 視点化してみてください。




感覚と直観 は、左と右の〝おてて〟のようなもので、利き手を中心に、どこかで触れられる〝3次元空間グラフ内の、2本のベクトル〟です。

この2つのベクトルは、どこかに 交わる 中心点が あって、個を越えていくと、その、ポイントを 見つけながら、執着を手放せます。

自由に、両方を〝同時〟に、扱えるようになる ということです!


それを〝覇王色〟というのでしょうか?

感情と マインドも 同様です。





歌手 [個人主義=エゴ陣営]

アニメ・コミック [コミュニオン的=エコ陣営]


のようにとらえることも、あります。





サブパーソナリティは、〝ライン〟[発達領域・ストリーム] でしょう!

( もちろん、メインのパーソナリティも!!)





ケン・ウィルバーと私で モデルの違うところは、〝AQALに 潜在性 を入れている〟点です。


赤ん坊に〝未生のライン〟〝深い心霊のライン〟〝グロスのライン〟を 仮定する ( たぶん オーロビンドのモデル!――の) とき、前者ほど〝U字型の発達〟をするとして、現在のプレモダンの大人は、核戦争に疎いわけです。

これは、U字の〝初期〟に、ロマン派が〝潜在性を取り戻す〟と言う点が (ロマン派の) 間違いで、〝潜在性を深度に変える〟〝健全性を保つ〟と言うのが正解です!


ケン・ウィルバーは、ユングのタイプ論を〝ユング派〟と一括りにしてますけど、ユング自体は ケン・ウィルバーが、〝トランスパーソナルに貢献した研究家〟として、ボールドウィンらの名前とともに、インテグラル心理学に、挙げてました。

ユングの意図は、直観というもの、シンクロニシティという〝レフェラン=現実(n)〟が 外向型優位の世界(フラットランド)に対して、これからどう影響するのか、ポストモダンや、後の、ティール組織に、期待をかけていた、と、私は〝タイプ論の10章〟を読んで、思いました。


赤ちゃんが成長する・・・。 未生や心霊のライン (前世を記憶する子どもたち 的なハート) は〝自我を確立=グロスなラインと強固に同一化〟した後〝ダイナミックな時期から外れる〟ことで〝歪んだフラットランドが 成績や聞き分けなどに 還元されて刷り込まれる〟フェーズが来て、成長が入り組んでしまう〝プレモダン陣営〟ができるのです。

ユングが〝直観が重要視されない〟時代を憂いていると、私が感じるのは、この理由です。

深い心霊含む 3つのラインで、子どものスピリチュアリティを論じる点で、私は〝ケン・ウィルバーほどは深度主義ではなくなった〟というのも、アニメ〝特に ジュエルペット てぃんくる☆〟を見て、予知の 理想と現実 に、気づいたからです。


健全性、取り戻すわけではない潜在性、赤ちゃんが形態形成場からコスモスのハビットを より適切にぶんどる能力、を、AQALの 変数 にしてみてはどうか? オレンジと グリーンに 好かれるのでは? ということです。


ティール組織における〝インテグラルな説明責任〟というのが〝赤ちゃんへの成長の手助け〟だとすると、それを含めて〝赤ちゃんは 自然に自力で成長する〟ことです。




ユングが〝内向直観型は 主観的すぎる〟らしいと言っている点でも、私の場合、このコーナーの論点でいいと思います。


ケン・ウィルバーと、また違う、私の書く〝インテグラルな文章〟は〝なるべく 今日描いた トレンドな直観〟を ハートで形作っておりますが、〝彼ほど たくさんの本を読み込む マインド力は ありません〟!!

より良く少ない情報とメタ視点で〝直観する〟ことを〝マインドで表現〟しています。




ひとつ思ったのは、〝グリーン までの 第1層 は みんな 第2層 に 抵抗する〟現象は〝花火大会で私が乗ってくる自転車をも (押していても) あからさまに規制すること〟だと、言えるかも しれないじゃないですか(・∀・)!!


ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 23:53| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2023年10月14日

神戸(KOBE)✧【埋(マイ)蔵 文化財センター】に 行ってきました ♪



壺が、多かったですね!


1999年の ケン・ウィルバー、初訳〝インテグラル心理学〟にて、〝くわ〟が、フリガナです。

みゅーちゃんの、〝くわっ\(◎o◎)/!〟ですよ~✧


くわ、が、展示されてました。




個人的に、ツボだったのは・・・。


弥生、壺、ウマ、マッチ です。




初の!?こうべっこ〟生まれる (笑)




文字内容を保存しているわけではないので、ある程度、うるおぼえです。




ウマは、人形の形で、出土していましたね。

向こうの大陸から、伝わったんでしたっけ?


壺は、まるで、パズルです。

お札も一緒にあって、当時、〝まふうば〟使いが、いらっしゃったことが、うかがい知れます(・∀・)!!


壺は、結構、割れて、バラバラに、なっている感じの、ヒビ模様が、骨董テイストです。

意外に、大きい壺が、多い!


ブオーンとか、封印されていたのでは?




割れない壺・・・ もとい、〝うっぷんばらしの壺〟で始まった、〝ガイバラ先生の作品〟は、後に〝火薬壺〟の命名で、登場しています。


火薬壺は、かやくごはん・・・。 火や窯で、色々と、料理が作れそうです。


火について、紹介されているコーナーがあって・・・。


レッド〝RED〟ですね(≧▽≦)!!




火薬壺 は、フラワーのツボでもありますから、桜✧LOVE✧レッド!!

マッチ(Machi) が、順路のフィナーレに、紹介されてました。


長岡技術・・・とか、すごい面々が、協力に揃っている感じでした。




フィールドボンバー、シングル・タッグ〝マッチ〟

リンキングは、定立できましょう。




サイクリングロードの西端でおなじみの、西区の神出は、九州への焼き物需要、京都へは瓦! という、とんでもない土地でしたね!!


通貨も、保管されてました。




昔から存在した土地、コスモスの丘に、緑の電車 が 走っているので、時間というものは、科学的にも、意味を持っていることを、時間は、主張している のでしょうね。


posted by インテグラルとど at 08:14| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2023年09月23日

ティール組織の「メタ事実」🎵 「自転車」の日常世界でアクション!!



ティール組織 の本を読んでみました。


思ったことは、触れられている〝いま〟は、メタ要素にメタ要素を重ねたもの で、社会で展開するには、うんと複雑になることです。

私は、会社横断的な、特定の会社に属さない という意味で、これを定義してました。

上記の本たちは、その、エイジェンシー版と言えましょう。

(例えば、グーグルは、企業―エイジェンシーとして、グリーンでしょうが、そのグーグルマップは、自転車でコストを削減するうえで、第2層に応用できるので、グーグルの意図はともかくとして、ツールを、会社に依存しないコミュニオンとしての、ティール組織に、加えられます。 これは、ポスト形而上学においての、私の、主張―定立、です。)


ティール組織は、コミュニオン、仲間の存在が重要で、リーダー(会社の場合はCEOらしい) がティールに達していることが、カギになります。

それをふまえて、未解決の問題、まだ主流でないインテグラルなOSを、手探りで開発していく、ということです。




私は、会社、というか、社会に適応できない (※すべての人に当てはまるわけではない)、内向直観型、の、思考―様子を見てから行動するタイプ、らしいので、あえて、そうすることで、責任のハードルを上げました。

アンバーなら、怠け者とか言いますが、これを書くのをジャマする 社会強制的なコストも含めて、余計な〝食料を与えるな、そしたら金だけは稼ぐだろう〟式の 邪魔な ドミネーターヒエラルキーを、全部排除していったわけです。

食べることができれば、世界から魔法のように、戦争が消える、わけがないからです。

むしろ、格差から、それを助長するでしょう。


というわけで、今回は、やや短いコーナーとします。 (いや、長いかな・・・(笑))

要点は、私自身を、歩く、みらいのことば、地球市民社会としての〝ティール組織〟と捉えて、生きている ということ。

これを、自転車に乗る視点から、本書にあてはめますね。




私が、中央区のライブを見るために、ままちゃりで、あまり走りたくない〝危なさAの道〟を、通っていた近況。

周りの自転車は信号無視、歩行者多い、歩道は見通し悪い、車道は路上駐車、クルマは溢れていて、道もあまり選べない。

挙げると、不満しか出てきませんが、慣れていても、意味がないと言える道です。


唯一の対抗策は、クルマが来ていないときに、車道を走る、という方法です。

これは、ティール組織の会社が、苦労をしているときの状況に、ぴったりですよね。




私の自転車は、ロングライド、遠くまで行く実用規格、郊外型のルートを結ぶことが、前提 です。

それを、短距離、中距離の都市部に、応用 します。

この場合、規格のメインではなく、リスク は 上がります。

それを、主体的に選択していけるだけの、経験 を、得ていく。

これを〝ティール型、段階3の走行方法〟だと、私は言いました。

クルマ、バイク、自転車、どれでも可能 です。

ティール組織の会社も、こうして、〝コミュニティ〟から、主体的な責任 を負います。

私も、〝段階3走行の形態形成場〟というコミュニオン から、同様のことをします。


だから、はたから見れば危なそうに見える私の走行は、ただ単に、外側から観察するだけで、核が見えるものではありません

都市部で走っている私を見ても、郊外型のロングライド規格だとは、分からないでしょう

ダイヤは、トランプの規則、構造主義的で、その法則は見えません。


以上から、たかが自転車、と思われる、現代の交通戦争の還元主義的常識に、堂々、異議を唱え、モノ申しましょう。




『』太字は、ティール組織(フレデリック・ラルー / 2018 訳 / P216)から。

(漢数字は 文章統一の意味でも、通常の数字にしています。)




ティール型の企業・組織において、困難な問題を乗り越えるときに、コミュニオン内でトラブルがあったときの、人間関係の展開です。

まず、説明責任を負っている、『2人だけで解決策を探ろう』 フェーズで、ティール型を主張―定立します。

ゲームのRPGで例えるなら、1人の人の中に、あらゆるシナリオ、世界、登場人物が登場する、ソフトそのものだ と とらえるのです。

相手も同様で、私がドラクエなら、相手はFF。 それぞれ、自分の世界内に、相手が登場できる余地がある のです。

グリーンでは、すべての人物を、ヘテラーキー内のRPGに登場する、客体的な感情エネルギー的存在として、等価でとらえます。

グリーンでは、説明責任を、コミュニティに還元して、依存させるので、永遠にあいまいな決定となります。

つまり、段階3の走行方法は、完全自動運転も、創発しません。


このフェーズで、ママチャリに乗っている私は、しかたなく、交通量は少ないが、ちょっと野蛮な、兵庫区―長田区エリアを、夜遅くに、走るとします。

そして、後ろから車が来ないことを確かめて、ブロックできるように、車列に入る規格で、左車線の停止線に、停まります。

右隣の車線に、前の信号で ぎりぎり引っかかってしまったらしい クルマが居て、自転車は端を、そして歩道を走らないと、クルマにとって、そいつにとってジャマで困るから、脅してくるとします。


そやつは、レッド色の、本来免許を持ってはいけない クルマです。

当然、2車線あれば、並列できるのは当たり前で、そのクルマは、ルールをわかっていません。

また、左車線が左折、右車線が左折と直進、歩道は見通しが悪く狭く 自転車がルールを無視して 歩行者もいる、という、ふざけた交差点の場合、横断歩道を ホッチキス型に押して 迂回して移動する方法 を取るより有効ならば、停止線がベストです。


これを判らせる、主張―定立できるかが、ティール組織としての持続性へのカギです。

私は、社会に適応しては働かないこと、を実践することで、ティール組織という社会の象限の現在を、構成する方法を、模索、こうして、自転車で示せるまでになった、ということです。

そして、今、議論をしてます。




もし、ここで、そのクルマに負けたら、今後、車道を走れなくなるでしょう。

だとすれば、歩道だと、安全運転の義務を ティール型において長期的には果たせないので、歩きの方が良いことになる、自転車を実用的に使えなくなります。

車道を走る権利を、守らなければ、なりません。

自転車の車道走行 = ティールの会社 と捉えましょう。


後ろから、バス(=同僚・車両)が来ました。

別の同僚に仲裁者として参加』 してもらいます。

これは、バス=目撃者としての立場、に近い扱いですよね。

レッドのクルマは、私に、もう、無茶は出来ません。

運転席が向こうなので、確率は低いですが、ドアを開けて降りてこられれば、歩行者になって、歩道に逃げるしかありません。

そうすれば、相手は、自転車の走行妨害、クルマVS歩行者、という、2つの〝不利な状況〟を相手にする羽目になります

相手の無意識を突くのです。

そして、〝法律を盾〟にします

これを定立するために、後ろにバスが来るのは、いいですね!!




後は、左車線から直進して、交差点をパス、クルマが、直進なら、交差点後に、追い越してもらって、クリアです。

歩道付近では、3台の自転車が、見通しが悪い地点で、ばらばらに、ルールを無視しており、クルマはそれを見ているはずなのに、ノータッチです。 あり得ません。


そのクルマは、そのうち、なんらかのツケが、来ます。

会社では、汚職、業績悪化、甚大なミス、などと同じところです。

同僚たちの委員会』という〝一般の道路交通〟の 常識―ルールが生きている部分 によって、そのクルマのその後を、判定してもらいます。

彼は、他のクルマとも、きっと、トラブルになるでしょう。


ポイントは、私の走行の場合、ほとんど、端に退避して、クルマをパスさせるということで、クルマが、私にしゃべりかける機会、喧嘩を売る機会は、レアです。 今回をしのいだら、同じ人物に会うことは、なさそうです。

よって、都市部を走るときは、こういったことが起きないように、頻度を減らし、用事をひとまとめにし、極力密度の濃いイベントにしか使わないようにして、歩きでも近場の用事をこなし、ダイヤを調整していくこと で、完成を見ます。


私が車道の端で退避しているときは、クルマの相対速度は、クルマが出しているスピードなので、クルマには、〝スピードを出さない安全運転の主体的責任〟〝自転車がルールを守って車を先に行かせているという対話に応える主体的責任〟の2つが、無視できない形で、発生します。

そう捉えて、発生させています。

弱虫ペダルでは、〝車道ではスピードを出していないほうが危ない〟と言われますが、その意味をティールでとらえると、退避停車で逆手に取ることもできる わけです。

これは、きっちりと、道路交通法に描かれている解釈で、行っている退避 です。




実は、『』内のフェーズは、ティール型の会社においての、職場を離脱した方が良いかもしれない同僚に向けての、対応です。

めったにないことなのですが・・・。

私の例でのレッドの道徳段階のクルマ(段階1の走行・自転車なら歩道走行と路側帯逆走運転のフェーズです)に当たります。

そのクルマから、免許を取り除く方がいいと私が考えた場合 は、こうして、私の段階3の走行―退避によって、日々コミュニケーションをとった、地元のクルマ文化に、そやつの相手をしてもらいます。

これで、少しずつ、交通戦争が、解決に向かい、ティール型の〝運転免許システム〟が創発します




このように、見えない、メタ要素がふんだんに盛り込まれた〝ティール組織〟は、見かけより複雑 です。

レッド+アンバー+オレンジ+グリーン の企業の総和、より、ティールの集まりの方が、多くの問題解決方法を より短時間で、深く洞察します。

自転車でAクラスの車道を走るのが危ないからという理由で、このメタ要素を、葬り去れると思った、レッドのクルマは、長い目で見て、大きな勘違いをしています。

そして、喧嘩しなければ伝わらない、というのも違います。

ケン・ウィルバーが言うように、〝論争は権威的なものを判らせる 尊敬すべき方法だけど、喧嘩しない方法もあるよ〟というわけです。


イラスト付きのティール組織の本の方で、自転車の例が出てきて、オレンジ型では、あるいは 地図を持って このルートを行けば こうなるはずだ、という旅が、予想外になったら、あれのせい これのせい、となる例を紹介していました。

私なら、グーグルマップで、調べているときに、オレンジ的な要素を展開し、失敗したときに直面する痛みも、体験しておきます

そして、何も考えずに、同ルートを走るのです。

道を忘れたら、雨が降ってきたら、それはそれです。

走っているときは、直観を使えるように、簡単な感覚だけで移動できるようにしているので、オレンジ型は、ハートも準備不足だと言えましょう


推測する未来と、リアルに走る今とは、全く別のものです。

ティール組織は、つねに、後者を選択します。

ピラミッド型のドミネーターヒエラルキー、グリーンも含めて グロースな階層でない、すべては、その勝手まがいの未来は、コストです!!




以上が、ティール組織のメタ要素を、私なりに捉えた、近況です。

現在創発しつつあるコミュニティを、追っていく内容としての展開ならば、まだ古い土壌で、新しいことをやる、交通戦争内で自転車の段階3を実践する、なにか、不均衡なところがあって、ティール型の会社の今ある表面をまねても、意味はありません。本質は見えません。


これが メタ要素という意味で〝ジュエルペット てぃんくる☆のメインの制作チーム〟は、ティール組織 です。

(古い体制のテレビ局、権力者に逆らえないグリーンまでのCEOや株主は、こういったチームを、長期的には阻害します。 そこで、誰が、この文化に、主体的な説明責任を持つべきなのか、という課題が、生まれる わけですよ。 グリーンまでに任せておくと、見たとおり、権力者だけが、いいようにそれを悪用するからです。)

( わたし、そして、みんなのために、ぼそっと言いますね。 ―― ↑ この意味で、ティール組織の本に、作者が挙げていない、日本の具体的な企業の名前を、関連付けるのは、やめておいた方が良かったのでは…? こうやって、権力が…)




ティール組織は、現実の問題を、いやというほど体験して、それを解決できなかった経緯から、新たな冒険として、現在も もがきながら進む、偉大な運動、潮流、その、オーケストラ! シンフォニー・プレリュードです♪


posted by インテグラルとど at 09:56| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする