2023年07月11日

物価が高くなっている現代社会で〝歩き〟の 根源的な〝まほう〟を見る!



1日、90分を、朝夕・毎に、2回歩く。

こんな、昔から、当たり前だったことを、現代の人間は、ほとんど、行っていませんね。


小鳥を見ていると、自分の体重を、浮力で無効化するように、環境の中で、軽くて、自然です。


歩くことは、地球という乗り物に、乗っていることです。

スペース宇宙にいると、私たちという生態系は、がんじがらめに なるわけです。


歩くとは、新快速の空席に乗るようなもので、あなたが そこに座らなくても、コストは、ほとんど変わりません。





歩きの〝究極の視点〟に 気づいている現代人は、とても少ないように思います。


私たちの〝基礎代謝〟は、基本的な機能であり、細胞分裂・再構成が、日々、行われていますね。

からだ、筋肉は、使わなくても、新しく、うまれ、変わっていきます。


ウオーキングには、極所疲労というものが、基本的に、ありません。

ジョギングやランニング、そして、ストップアンドゴーなどで強い動きを使う 自転車は、ある意味、特殊なことをしていて、その回復は、代謝より専門的で、時間がかかるのです。


ウオーキングは、基礎代謝、すなわち〝回復〟によって、前に進み続けることができます。

これは、他の移動では、見られない、驚くべき バランスです。


基礎代謝を、向上させることで、ウオーキングの エネルギーは、強化されていきます。

ジョギングと同じくらいの速度にまで、達すると、その実感が良く分かりますよ。


歩きは、補給して運動するものではなく、体がつくり替わっていくときに生じる〝流れ〟です。

意志によって動きをつくる、という機能とは、一線を駕しております。


あなたのからだは、意識しなくても、回復しています。

そう。 つまり、自転車をはじめとするスポーツは、自ら補給して、エネルギーを計算し、自然に使われることのない筋肉を、積極的に 消費していきますが、歩きは、何も しなくても、新しく供給され続ける〝私-財〟を使うわけです。


ウオーキングは、体の調整そのものということなので、必要不可欠な身体のバランスを 構成していくことで、体脂肪が燃えます。

なぜ、ウオーキングで、有酸素運動の王道が、脂肪の燃焼が生じるかといえば、〝回復―基礎代謝〟によって、あなたのからだが〝強化一新〟されているからです。


からだは、皮下脂肪、内臓脂肪、血中グルコース、筋グリコーゲン、肝グリコーゲン、など、体感によって、区別していません。

直観的に、好きなものを、順序良く、バランスよく食べれば、適切な体形になります。

これは、かなり、納得のいく、理論的な話です。


体脂肪とは、空き家のような くっきりと残り続けている物体 とは違い、つねに、生まれ変わっている、ハイブリッドな〝動き〟です。

基礎代謝と回復の視点からは、生命エネルギーを 物質保存の形で 実現した総体の部分でしょう。

これは、みかけより、はるかに複雑で、生きております。


体脂肪を燃やす、というとらえ方は、単線的で、実は、エネルギーが身体として、自然に地球に乗車している、という状態です。

この、地球号の空席に 自然に座っている状態が、ウオーキングです。

それを、時間で観測してみると、体脂肪も 燃えてます。


脳は、時間に絡み取られているだけなので、心理的な時間のない〝意識〟として、ウオーキングの順序(サイクル)の 外に立つことができます。


腹は、体の時間としての、未来を表します。 次に必要な〝食〟を、直観的に、導きます。

ウオーキングとしての、身体そのものは、現在の実在と、回復の流れを表します。


腹減り状態と、歩きの進みとは、時間に捕われない脳から、意識的に観察してみると、別の機能です。

これらを、観念として、混同してしまうことは、権力者が、お金ですべてを支配できるという、思い違いをしてしまうことに、似ています。





身体は、自然に回復しています。

そこに、苦痛は、ありません。


なので、その回復によって、ウオーキングは、生じます。

それは、コストなく、余った筋肉を まんべんなく使いたおしていくことです。


運動量自体は、自転車ほど楽な効率ではない点で、あなたの体重が、地球を蹴って、全体的に移動しているということ。

身体全体で、衝撃ソフトに! サスペンションとして。


これが、基礎代謝の向上につながる〝流れの修行〟になっていて、〝重力に適応する とてつもなく自然な用意〟というわけです。

自転車ひとつ、ボール1個も いらないです。


楽器の演奏者は、ステージに立つとき、うまく演奏できるかどうか、真剣ですね。

歩いて、全身で体重を移動していることには、無頓着。

それは、歩きのコストが、実質ゼロであることを、示していませんか?


こうして、一歩一歩、進んでいくことで、景色が変わり、色々な出来事が、起きます。


意識に時間はなく、共時性には〝視点の解釈〟があるものの〝凝り固まった意味〟を見るのは〝不自然〟です。

それをも含めて、ざっくりは、〝ふしぎなこと〟は、確かに起きます。

コロナ禍も いなして、前に進んでいきますが、〝みらいのことば〟は、権力者が考えている点では〝無意味〟となる 隙間で生じ、〝基底に雇われながら〟 何かを行い 創ります。


歩きは、確かに、想像を越える次元で、永くて、シンプルです。



ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 08:07| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2023年04月02日

思いやりの感情と〝ハイパー変数〟

🌸

世界の混乱の問題の解決の視点は、簡単な〝ハイパー変数〟で、とらえることができると 感じます。

クリシュナムルティの基底 (ボーム博士との対話の辺りの視点)、ケン・ウィルバーのインテグラル理論 (統合的なマインドフルネス論の IとWeの4つの視点)、わたしが主張している 潜在価値と 未生の子ども の視点。

この辺りが、着目点。


私は、〝ハイパー変数=万物の理論(10)〟によって、生物圏の自転車の身体機能と五感の経験、音楽のポップ芸術、アニメのキャラクターとストーリーのアート、ゲームソフトの世界とバランス、さらに 金融業界の決済システムと 完全自動運転などの〝社会システムの基礎〟に〝貫通する電車〟を、走らせることを、最近、試みました。



自転車、ポップス、アニメ、ゲームソフト、社会システム


この貫通ダイヤを、神戸線を通る電車〝赤穂線+湖西レジャー号〟に例えると・・・。


自転車に代表される、生物圏の身体能力と、五感でとらえることができる経験は、ハイパー変数を定立する、成長と潜在価値の基礎であり、交通戦争を解決するにあたっても、感受性に関わってくる領域です。

スポーツやアウトドア活動に集約でき、ウオーキングなどのダイエットの日課にもあります。

区間は、播州赤穂~姫路 (各駅停車の西エリア) ですね。


次に、ポップスに代表される、歌詞とメロディを伴う、1人称の芸術の視点です。

五感が、プレ・言語のような、基本的な外面であるのに対して、歌詞とメロディは、それを、ごく簡単な言葉で集約した〝内面〟として、定立できます。

ここに、ハイパー変数の基礎が見られて、後は、これを、社会にまで 推し進めていくわけです。

また、ダンスなどの表現は、その付属モジュールであり、先の身体活動の拡張の役割として〝ポップ音楽の外面〟が 強くなりますね。

純粋なポピュラー音楽に比べて、身体表現は、自転車のようなスポーツに近く、これだけで 芸術の変数、アーティストと とらえるには、十分でないと思います。

ここが、シンガーソングライターと ダンサーの、よく論争になる、関係です。

アニメ制作者は、この視点を 見ておく必要があります。 純粋な芸術の変数は、シンガーソングライター辺りからしか 引き継げないからです。 ざっくり言うと。

区間は、姫路~神戸 の ラピッドですね!!


さらに、アニメのキャラクターには、2人称の関係で、この シンガーソングライターの視点が、包括できます。

ただの絵では、ないんですよね。 売るためだけのマスコットキャラクターが、アートの変数に 含められない理由は、これです。

音楽家のテストをパスする キャラクターである必要があります。

アニメのキャラクターと、ストーリーは、様々な、芸術家の1人称の関係と、そのアートに関係する 数多くのリスナーや視聴者との関係を、紡ぎ合わせることができますね。

これにより、芸術のサポート範囲が広がります。

一流のマンガやアニメは、ここで、ハイパー変数を劣化させずに、次に継がせることが、出来るのです。

つまり、キャラクターには、思想があります。

高度や象限も 伴っています。

例えば、ピカチュウは、ゲームソフト領域のキャラですが、音楽の1人称と アニメの2人称の中間くらいが、重心ですよね!

一方、アニメで展開する、ダンスの動作を含む、展開するシーン映像自体は、外面です。 キャラクターとシナリオに、その内面と変数が、要約されている わけですね。

区間は、神戸~京都 の ラピッドです!!


そして、ゲームソフトの視点に 行きます。

私は、レトロゲームのプレーヤーとしてでしたが、引き続き、ハイパー変数を引き継ぐことを 見ましたよね。

ゲームソフトは、アニメでは 2人称として対話した領域を、世界として、包括します。

キャラクターとシナリオは、3人称の社会領域の中に包み込まれ、にもかかわらず、それが、意図を持った〝ゲームバランス〟として展開する、内面のアートです。

ここが、単なる社会の客観的なものとの 違いです。

アニメでは できなかった、プレイヤーが 2人称の世界に 新たに入って、3人称の世界を抱いて冒険する ことが、可能です。

例えば、自転車で安全運転するメリットを、電車でGO!で 走らせながら 学べるかもしれません。

これは、アニメでは不可能です。

一流のゲームバランスは、アニメの変数を、劣化なく含みます。

芸術の中で、1人称の音楽と、2人称のアニメまでが、内面の象限で、引き続き芸術の内面のホロンではありますが、その3人称の個体と社会の外面を伴っているのが、ゲームバランスですよ。

しかも、芸術なので、この数学的な定立が、芸術と言えるわけです。

今までの あらゆる意図を、ゲームバランスという 数学的な変数に要約して、より多くの事象を 言えてしまいます。

これを、適切に行うには、相当の才能と努力、そして、根気のある対話、愛が 必要ですよね。

区間は、京都~近江今津 (ラピッド) ~ 永原 (ローカル) でしょうか。


芸術は、播州赤穂ないし、姫路~京都・永原 で、エイジェンシーとして、自立しながら、社会の電車と、微妙な接続を 保ち続けてきました。

でも、もし、これが、さらに、貫通していったら、どうなるのでしょうか?


永原~近江塩津~敦賀 が、同規格で直流電化したら、貫通が可能です。

播州赤穂・姫路~敦賀 というダイヤが、実現できますよね。

永原から先に 広がっている景色が、この、社会システムです。

ゲームバランスでは、数学的なアートの変数に 要約しているため、それ以外は、ほとんど 外面として、観測できました。

社会の領域は、それをさらに、強くします。

ほとんど、内面が見えないところ まで行き、しっかりした 感性を 持っていなければ、フラットランドにしか 見えません。

現在の金融業界は、おそらく、芸術のハイパー変数を 受け継ぐことに 失敗しており、道路交通も そうでしょう。

ポイントは、ゲームバランスの 要約的内面、シンガーソングライターと アニメーターのテストを パスする ハイパー変数を、社会システムで展開する、ということです。

アニメの変数を外面方向に展開したものが、お笑いのコントや 遊園地などのエンターテイメント、トレーディングカード、そして、ある種のキャラゲーだと思われます。 今度は、ゲームバランスの変数を、決済システムや仮想通貨、完全自動運転に、適用するのです。

そして、空を、越えていきます!



ハイパー変数で見る 交通戦争と社会問題


私が、最近、気づいた、決定的に重要だと思うことは、〝感情〟についてです。

未生の赤ん坊などの〝同じ夢を持っている 潜在価値・健全性〟によって、〝大人と子どもの対話〟〝発達段階が異なる者同士の意思疎通〟が〝可能〟だと、わたしは、強く主張します。

これは、ケン・ウィルバー式の インテグラル理論 では、ほぼ、ふれられていません。

私流の、ユニバーサルな、第3層の日本流だと思います。


プーチンは、ウクライナ人を、ジェノサイドしているわけですが、彼は、おそらく 本気で〝ウクライナ人が照れ隠しをしている〟〝喜んで侵略してほしいと思っている〟と 確信しています。

最近流行りの、NHKなどを装った 迷惑メール全般、そして 詐欺全般も、同様ですよね。

相手は、自分の迷惑メールを、本気で望んでいる、相手は 本当は照れ隠しをしている、と思っております。

少なくとも、無意識で、そう思い込んでいます。

そうでなければ、そんな、不毛で アホなことを、誰も やらないでしょう。

それは、交通戦争にまで 議論を進めると、みなさんを、ぎょっとさせます。


つまり、迷惑メールの送信者などは〝送る 相手を 全く理解していない〟のです。

どうやって それを判断するのかといえば、〝感情で〟判別します。

なんだか、通勤のストーカーの冤罪問題にも、絡んできそうですけど…。


相手を理解しているとき、そこには、自分が傷ついても構わない、相手を愛したいんだ、という、決意、責任が、必然的に伴います。

だから、フラットランドの 内面を消し去る侵略行為は、ナルシシズムの感情を増殖させ、自分だけを守るので、アウトなのです。


決定的に重要なポイントは、様々な形態・隠れたもの含めて、感情的な不平不満を 相手に言ってしまう 点です。

これがあれば、相手をいっぺんも理解してはいない、ということなのです。


そして、相手を理解していないのならば、相手と感情的に かかわってはいけません!

これが、信頼の原則(7)です。

後に見る、交通戦争の、直接の原因、そして 解決策 ですよ。


迷惑メール、詐欺、生活世界の侵略、独裁、紛争、戦争、辛辣な家庭問題、いずれも この〝不平不満を感情的にぶちまける〟という〝いやがらせ〟に該当しますよね?

ハイパー変数で見ると、基本的な方向性は、すべて同じです。

相手を理解していないなら、感情的に関わってはいけない、という信頼の原則を侵しているから、こんな問題が起きているわけです。

そして、彼らは、この点に無意識、無理解でしょう。

ただし、この文章を読んでも、無理解のままの者は、より、悪質な嫌がらせに、巧妙にシフトします。

そのときは、もう一回、同じテストを 繰り返します。

やはり、自分のことが 理解してもらえていない、と感じれば、相手は、そういった方法にて、感情的に嫌がらせをしている、ということです。


決定的な証拠は、あなたが、自分のことを理解してもらえていないと感じる、行為全般、その存在です。

迷惑メールから詐欺、様々な侵略行為に〝関わることは損失だと感じる〟のなら、それは〝あなたへの 嫌がらせになっている〟ということです。

一方、行う方も、〝感情的な不平不満を 行為にせざるを得ない〟点で、決定的な証拠を 見せざるを得ません。

この2つの証拠、事実によって、〝両者は 感情で関わってはいけない〟ということを、判別、証明できます。

愛は 憎しみとは 関係しない (10)

クリシュナムルティが 言っているのは、このことです。

これが、ティール革命後の、社会のルール(7)ですよ。

そこを守らないと、戦争が 起き続けるわけです。

自転車が信号を守ることで より安全に走れるメリットを 自分で理解できない 不運な社会 です。


自動車保険会社は、クルマが、歩行者自転車を 保護する立場にあるので、同様に、守らなければなりません。

つまり、歩行者と自転車を 愛していなければ、信頼の原則(7)により、感情的に関係してはならないので、示談交渉が出来ず、迷惑メール同様、嫌がらせになります。

完全自動運転を 心から賛同 できない 自動車保険会社は、有害です。

なぜなら、この思想は、必ず、クルマに、交通戦争と、制限速度無視などの 危険運転を はびこらせるからです。

そして、これを理解している保険会社は、少ないでしょう。

ただ機能的に機能しているだけでは、ゲームバランスのハイパー変数を、含むことはできません。

シンガーソングライターのテストも、パスできません。


投資活動の場合、ロボアドバイザーは、ハイパー変数を含んで、新興国や途上国に支援できるように、進化していくのが理想であり、過去の財閥が、その流れをジャマするようなことが 起きうるならば、ドラえもんの誕生の視点もありますが、交通戦争同様です。

世界を支援したいという感情を持った個人を 理解できない 証券会社は、その個人と〝感情的に関わってはいけない(7)〟ので、投資を支援するグループでは、あり得なくなります。

社会には、こうした矛盾が 多くあり、ほとんど包括的に説明されていないので、ティール革命(7)が 理解されていないのだろうと、推察できます。

ハイパー変数、感情の関係、信頼の原則(7)、嫌がらせの判別、これらの視点で、簡単に、あらゆる問題の解決能力が、得られます。


もちろん、本当に 問題解決能力を得るには、自覚と理解からの、成長が必要です。

ステートを鍛え、モラルを含む セルフ関連発達ラインが 第2層にあることが、重要な条件です。


あなた(I)のことを理解してもらえない、親(YOU)がいるとします。

その親(YOU)は、あなた(I)のことに興味がないと言います。

子育て放棄でしょうかね?

この時点で、信頼の原則(7)が消えるので〝相手は 感情的に かかわってはいけない〟ことが 判別されます。

私的には、先進国ないし日本の、9割の親子が、潜在的に これ!!

潜在価値での 発達段階を越えての対話が できない理由です。

しかし、親(YOU)は、私のブログを読んで(笑) 〝自分(YOU)の方が 相手(I)に 理解されていないと感じる〟と、感情的な不平を 言い始めますよね?

プーチンを(YOU)、ウクライナの人を(I) にしてみれば、これは、一目瞭然です。

物価が高くなるどころじゃ ないですね!


交通戦争も、同様です。

逆に〝問題が起き続けているのなら、感情的にかかわっているはずだ〟と 洞察できます。

クルマのドライバーたちは、実際、相手のことを 理解していないし、興味もないのです。

にもかかわらず、感情的に、不平不満を、ぶちまけております。

それが、サンキュー事故、制限速度の集団オーバー、自転車を 2車線あっても右から追い越さない因習、交通戦争全般 の 根源なんですよね。

クルマ通勤って、イライラするんでしょ?

当然、交通弱者の、バイク、自転車、もはや、歩行者すらも、不平を持って 通勤しています!


お金に関する論争があったとします。

家庭の視点がいいでしょう。

感情が飛び交い、結局、理解されていないと思う方は、関わることを防衛します。

不平不満を言う方が、家計の流れを 牛耳ろうとしているわけです。

この場合、事実として、最終的に、そのお金は動くのか? ということです。

どちらにしても、感情的にかかわるのは、損失です。

自転車のブレーキを直すのならば、その出費は、適切でしょう。


また、相手を愛し始めるということも、起こり得ます。

そうなれば、確かに、互いに、関わり始めることが できるでしょう。

適切な理解によって、成長して、相手が 自分のことをわかってもらえていないと感じる 領域には、不平不満を言わない、そっとしておく、これができるうえで、理解できるところに、関係していく、ということです。

基本的には、信頼の原則(7)を侵していても、事実としての諸法則 (ルギア・ロギア) には、関われます。

プーチンでも、原子や分子、生命や基礎代謝などの原理に、逆らってはいません。

家庭内のお金の流れも、事実によって、互いに関係することができます。

しかし、そこに、感情的な不平不満が混ざれば、アウトです!

広義の戦争になります。

理屈は簡単ですが、感情的な不平不満を否定する感情的な不平不満も 感情的な不平不満です!!

自分の、感情的な不平不満を 認識できることは、成長と内省を必要とし、高度です。

信号を守ることが安全であるというくらいの理解は、最低持ち合わせているモラルが要ります。

そして、潜在的にでもいいので、幼い子どもの健全性もまた、このモラル、理解を持っていると考えます。

(ということは、幼い子どもを 本気で保護することも 主題になります!)

歪んだ社会は、その創意、性善説を 滅ぼすわけです。


あなたが、自分のことを理解してもらえていないと感じ続けて、お決まりの感情的な論争に巻き込まれて〝またか・・・〟と、防衛的な怒りをぶちまけるフェーズにおいて、これまで述べてきたことを、覚えておくこと、考えてみることは、メリットが大きいでしょう。

本当に、相手と、感情的にかかわりたくない、そういう会話をしたくないのならば、お金や家計の面など、事実に付属したやりとりが 避けて通れないという悪夢から、解放される 問題解決能力が、身に付くかもしれませんよね。


リーマンショックが、衣食住の生活世界、マイホームの視点で 詐欺に引っ掛けやすい という理由で起こったので、言いますね。

生活する場所を 選択することになりそうな シチュエーションだとして。

住む家は、本当に、実家がいいのか?

一見、土地も家も持っていたとしても、家庭内で論争になるのは、事実を見ない、感情の不平不満、その思い込みの主張です。

円安とか、物価の上昇など、色々な要因を 入れていないかもしれません。

そこに住んで、本当に健康的で、幸せなのか? そこに住むことは、社会的に強制されることになるのか?

もし、そうでなかったら、良いと思う方から 動かない、というのも、手です。

仕方がない・・・と思う傾向がある気がしますが、たぶん、そういうときは、自分の希望を主張したい、何とかできる手段が 定立できる傾向がある、のですよ!

働きたくない、と思った場合も 同様です。

このブログは、この経緯で、出来ました。

たぶん、直観的な確信、自分のことが理解されていないから それらと関わりたくない、と気づいていたのでしょう。

独特な気運というのが、どうして 成長するのか?

それを考えてみるのも、いいですね!

本当に節約になっているものなら、自然とやっていくものです。


食べログなどのコメントを見ていて思ったのですが、時々、不自然なクレームがありますよね?

行きつけのお店では、ショップの人との関係に 気を使うようになります。

そのお店が必要で、無くなってほしくないから です。

つまり、そこの営みを、愛しているからです。

そのお店には、同じような五感、味などの評価、感性を持った人が 集まってきて、会話がなくても、サークルのような 信頼の原則(7)が 出来ます。

これを理解できない人は、感情的な不平不満を、コメントで 書き殴ります。

すべてを丸投げして サービスを期待しますが、他のファンとの関係を 意識できません。 感情的な つながりも。

正しくは、会計の最中に、品に疑問が生じで、後ろを ぞろぞろ 待たせていたとしても、そのお店を愛しているなら、OKだという 思い切った度胸が要ります。

うまくいかなくて 憤慨するなら、そのショップを使う意味は、ありません。

お店を選べない? 家庭の問題も論じましたので、店をファミリーだと思えば、関わる必要が〝事実〟なのか、それとも〝感情的な不平〟なのか、それを ハイパー変数で 見ましょうね。


相手のことを 思いやること。

本当に、相手を愛したいという 強い気持ちになること。

直観的に、相手を知らなくても 同じ夢を 持っていると 感じること。

ふしぎな出会いに、身を任せていくこと。

そうやって、私たちは、より適切な関係で、コスモスと同調していくのです!


🌞
posted by インテグラルとど at 12:45| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2023年01月20日

ファンアートの〝インテグラル〟の〝アーティスト〟の〝主体〟

近況と共時性を、なぐりがきしておきます。


ゆきちゃんの、PCの〝ファンが止まった〟らしいですが、これは、電車の接続に例えたレースで言うならば、時の魔術師が、当たりに停車した、ということでしょうか?





ダービースタリオン99の解説 (スポーツ界に似せているけど 100% アートの領域にあるのだと主張しつつ) は、生活世界に役立つ、東芝のテレビで、プレイしてから、やっていたのですが、確かに、世の均衡を壊す運動って、結局、日常生活に、粗悪品を生み出すってことです。

(コーザル → サトル → グロス)


フルーツバスケットで、十二支は、寿命で、行きますが、個人の象限が滅んでも、社会と文化は、生きており、また、インフラレッドから、個人の象限を通じて、やり直していきます。


ということで、アキトのように、無意味な生活をし続けてしまうこと、交通事故で、あえなく逝ってしまうこと、これらの問題とは、つまるところ、ゆきちゃんの直観に言わせれば、〝ファンが止まる〟ということらしいです。


ファンアートが、広義にとらえるものならば、上記の私の解説も、アーティストすべてが、他のアーティストを解釈する意図も全ても、ファンアートであって、内面、ハートが止まる運動とは、カオスであり、何の意味も、生活世界に、無くなることを、意味するのです。


今回は、これくらいにしておきますが、実は、いろいろ、走っています ω

機器にも自然な寿命があり、しかし…。。。。。



⭐彡


2023 02 23 追記


温泉の中に〝マリ〟ちゃんの、ラムちゃん(⋈◍>◡<◍)。✧♡

Tell(知識) の前に!

1日にしてならず (Time) の前に!


茶色大地の割れ目の温泉が、リバーラインエリアにある意味が、自分で、分かった!


私たちに嫌がらせする者〔→あなた〕たちは、最も好きな人に出会うために〔〕を使うことを、できなかったんでしょ?


ラッコの貝って、ツルっとしてるでしょ?

水の入った空ダルに、裏の殻頂を押すと・・・ 水がめの桶は〝だいばくはつ〟(≧▽≦)!!

暴〔〕れたい!


虹のスタンピード? ( 別の解釈もあります。)

イーストの芝では、にいさんが立って、にいさんが立って、いますよね(*'▽')! →優勝!!

明治が代表的ですけど、ガーナのチョコも、おいしいですねー(*´▽`*)💗!!



🌞🍫彡


2023 07 09 追記


そういえば、七夕祭りの日 に、地元で、夕立ちが ありましたね。


番組表を見ていると、1週間後に、カーズ が 放映されるらしいです。

(赤信号🌈🏠🐾☕の〝解釈〟を間違えると?)







posted by インテグラルとど at 10:56| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2022年11月02日

予知(t)の翻訳! ~キュー(Y)と ミュー(ω)の〝未生的〟命題~

幾つかのアニメを見て思ったのですが、〝予感〟〝深い眠り〟などの言葉を、安易に並べて、時間予知(t)を、理解した気になっている作品が、大急ぎで、成り立たせた背景も伴って、ちらほらあると 感じます。


便乗は、分かりますが、もう少し、慎重になりましょう。

(子どもたちに、嘘を教えることになるのです。―― なお、上記の注意喚起は、キューとミューの元ネタに対して行っていません。)


キュー(4象限)は、グローイングアップの実践によって、とても大切なものですが、垂直(Y)な〝構造を対象として見る=マインドフルネス〟が、見落とし厳禁です。


余談ですが、タイムマシン・タイムトラベルは、〝下側(集合)ないし右側(外面)〟の象限(Q)を強調します

子どもを大切に描く、アニメのエピソードのラインは、〝上側(個)ないし左側(内面)〟の象限(Q)を強調します


つまり、タイムトラベル(SF)は、右下の社会の象限(Q/4)、子どもを愛するアニメは、左上のハートの象限(Q/1)を、それぞれ、強調し、この2つは、互いに、非強調点=盲点 としても関係します。

(SFの理屈は、感情[Q/1]に無知であり、ハートのお話は、観測[Q/4]を確認せずに飛ばしている、という風なことです。)


・ アニメにおける〝時間予知(t)の翻訳〟


私は、このコーナーのアーカイブで、時間予知が、空間予知の男性タイプに対して、女性タイプ、空間予知が、対象を見るシーンの予知で、グロス・サトルを重心に コーザルで まとまって 展開する、第1層ないし 第2層がピークの予知であり、時間予知は、コーザル・ウィットネス・ノンデュアルを 時間の流れの中に入らないように見る 第3層が重心でピークの予知 だと、言いましたね。


鋭い人なら、思ったでしょうが、子どもに対して、どうやって、時間予知を翻訳するのか? 不可能なら、ある種の嘘を、言うしかないのか? と、気づかれましたか。


実際は、作者が、主体として、第3層の時間予知を、体験していない限り、そうなるでしょう。


しかし、クリシュナムルティが、言っているように、洞察とは、即座に、思考としての心理的時間を持たずに、一瞬で、重さなく、閃光のように無空間的に展開し、すべてを変えるもので、それは、年齢や性別、つまり、意識構造にとらわれない光 (あかり) なのです。


と、いうことは、そもそも、上記を体験できる主体・作者は、時間予知そのものに共通する言語、潜在性、未生の赤ん坊、時間のない現在、基底、を、身体方向とは異なる 直観として、瞬間的にとらえることにおいて、適切な翻訳が、可能 と言えるはずです。


人類は、ヒドゥンマップによって、あるいは、道を間違えた というのならば、ウェイキングアップと グローイングアップ両方の道を 極めることで、非時間的に、その外に、瞬時に立つ ことが、出来なければならず、赤ん坊へのリンキングも、例外ではありません。

あらゆる、子殺しが行われないような 健全性は、即座に、理解されて、達成されねばなりません。 交通戦争の終焉も、です。


この理解によって、〝予感〟というものを、スポーツマンガなどに代表される〝フィジカルな〟側面に、適用する場合、最初に起きる誤解は、〝予感は、少し先の未来を見る〟〝具体的なシーン・対象を認識する〟というもので、 空間予知の下位互換のような 解釈として、やらかします。

フィジカルは、基本的に、グロス(粗大)なので、感情(Q/1)も、身体自我(2)に還元する方向になります。


うまく言えないけれど、〝場面〟を目撃している者は、シーアー(I-I) つまり、非時間であり、何秒か先の未来のシーン(対象)のことではありません。

ここを伝え損ねると、後、すべてが、食い違ってくる気がします。


確かに、構造―段階 (グローイングアップ)の 発達ラインとして、時間と空間のモード のラインは、第1層から、第3層にまで、成長を続ける、構造です

子どもは、時空間のモード(4)が重心なので、これを鵜呑みにすると、予感(10)を翻訳することは、絶望的でしょう。


しかし、なんとか、予感(10)に便乗したいという意図(5)から、状態―段階 (ウェイキングアップ) の実践を無視して、時間予知を理解しようとするのは、言いすぎるとすれば、いかがなものか、と思います。

まぁ、これ自体が、現象的に、仮説なわけですけど。


で。


時間予知(予感)は、非時間(ウイットネス・非二元)を、直接とらえる 時空間のモードであり、超意識に関連する、第3層で意識にのぼってくる 発達領域(スキル)です

これを、フィジカルに適応する場合、第3層の、ポスト・ケンタウロスから、洞察によって ワンテイストとして、あるいは、自転車に乗っているときのようにして、現在的に、体験している必要が、あります


空間予知は、対象(ハートなる恋人など)に執着するので、時間予知を理解するのは、難しいらしいのですが、少なくとも、身体のみ(粗大領域)を 対象として 拘束されているような状態では、時間予知の解釈は、不可能です

これを、いかにして言うか、ですが、予感、深い眠り状態、という言葉や概念を、ストーリー展開の中で、安易に持ち出してくるようでは、子どもに誤解を与える元でしょう。


時間予知は、まずもって、非身体自我、身体に退行する感情の 対極にあるものであり、クリシュナムルティが 思考の終焉を言う中で、感情や感覚も 思考に他ならないことを、強調している通りです

飽食主義から交通戦争まで、この、感覚や感情が、心理的時間に絡み合って、巨大な不幸と 拝金主義を 生み出しているからですよね。

一般的に、ゾーンに入る、という場合でも、この点を 理解してください。


また、時間予知を、いくつものパターン(対象)に 分類しようとする動きも、無駄で、悪手だと思います。

非時間に 区別はない からです。


該当のスポーツをすることを、ただ愛している、という場合、それは、確かに、ワンテイストです。

そこで、終わりであり、OKです。

問題は、空間予知のごとく、それを、分解して、対象化しようとするときでしょう。

ワンテイストを、浅い理解で、フィジカルに適応させよう とする意図は、売れ線だけとは言いませんが、何かが、見え見えですね。


ここまで言うのは、時間予知が、商業主義の 対極にある場合 があり、現代に、あまりにも理解されず、それが、不幸の直接の継続に なっているかもしれない と思うから です。

理屈では、時間予知は、ほぼ、ワンテイストのことなので、誰にでも 現前しています

つまり、これが、正しく伝わらないというのは、実は、致命的なのです!


空間予知は、第1層が重心なので、グロス、そして、対象として翻訳でき、商業主義に、即座に悪用されるでしょう。

時間予知は、第3層にならないと、共時性として見ることもできないので、まず、お金にならないし、翻訳も、コーザルないし、ワンテイスト的に、なる はずです。


現代世界では、この、2つの予知は、あまりにも、バランスを欠いた評価をされ、商業主義こそが真理だとするフラットランドでは、100%、空間予知の肩を持ちます

すると、時間予知は、あくまで〝空間予知を リンキングする能力である〟ことになり、売れ線の空間的な予知同士に、争い・競合を防止する、無料奉仕のような、利用価値のある 非営利的なツール だ、と、見られます。

少なくとも、時間予知の意図は、そんなおかしなところには、無いでしょう。

なぜなら、ケンタウロスに、ウェイキングアップも、マスターする必要があって、とてつもない労力を伴い続けているから です。


しかも、地味です!


あるとき、突然、第3層の芸術的土壌が揃うなどで、共時性から、その証拠が挙がっていき、空間予知としての巨大な興行収入の 元締めのような存在として、時間予知の能力が 筆頭になっているように 見えるのは、〝誤解〟です


はっきり言って、フラットランドは、歪み切っているので、時間予知を 理解するのは、無理です。

そして、子どもへ伝えるべきアニメとは、歪みの無いこと なので、時間予知の目的と、合致します。


ゆえに、問題が、見えてくるでしょう。

時間予知を 正しく社会に組み込むことに 失敗しているから、子どもを 混乱させるのです。

例えば、誰も、自転車での交通ルールを守らないとするならば、それが正しいと証明できない限り、それはカオスであり、クルマも同様で、今の世代まで、ずっと そうなっていますよね。


分かろうとすれば、簡単に わかります。

時間予知を 理解したければ、交通戦争を見て、自転車に乗って ルールを守ってみれば、いいのです

時間予知において、こんな主張をしているのは、私だけですが、覚悟が足らないというのではなく、発想すら 閃光のように浸透してはいない、というか・・・。


というわけで、詳しくは、突っ込まないので、提唱という意味では、このくらいでよいでしょう。

やはり、状態と構造、両方のマインドフルネスの中で、構造が第2層に達すると、時間予知もサポート範囲になります

時間予知について 知りたければ、まず、第2層に成長することが必要で、そのとき、ウェイキングアップにも熟達していく必要があります

オレンジの波を強調する陣営の多くが、興行収入のような フラット属性を 強調しているのは、単に、ウェイキングアップに無知で、グロス領域しか 知らないからです。

しかし、目に見える、交通戦争の終焉すら、解決できていません。

それも、グロスだけでは、クリアできません。


時間予知は、非時間にて展開する予知であり、その部分集合として、空間予知として展開する場合に、危機回避能力としての 直観がありますが、それ自体は、第1層の時点で、観測できるかもしれません。

しかし、自分を中心に展開する時間予知は、第1層では、自己中心的に 自分を対象として見るがゆえに、ほとんど、無意味です。

第3層になって、自分というものはなく、自分を、非時間的な基底として体験すれば、それは普遍的な自己なので、やはり、自分という中心はなく、その自己感覚から展開すれば、危機回避能力(10)は、みんなが健全にあるような 共時性を伴う リンキングの伝播(10)と、同義で、時間予知の、本当の真骨頂が、分かりませんか?


時間予知は、世界線のリアルアップデートも含めて、正しい不思議な偶然を! 時間を飛ばして、外に出ることで、皆に恩恵を 通すような、メリットがあるのですが、それ自体は、ワンテイストとして、自分という核が無いように、誰にでも普遍的に、そして、構造的に、行われていかなければならないスキル なのです。


単純かつ、複雑です。 時間予知は。


時間予知を 正しく扱う人が 増えれば増えるほど、なぜか、間違った営み、誰かに対する、該当の自転車の盗難などすら、少なくなるような、おもしろいことが、起きると思いますが、それは、すぐには、統計に出ません。

構造なので、科学的な観測が、そのうち、できます。


つまり、時間予知は、世界線のリアルアップデート、イミテーションを解体する、クリシュナムルティ流の、即座の基底への非時間的介入、グロス、サトル、コーザル、ウィットネスを含む、動かざる、何らかの無行為としての行為、という風な形で、理解可能かもしれません。

上手く言えませんが、たしかに、それは、ジュエルです。

posted by インテグラルとど at 11:14| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする