〝言われても仕方がない〟と信じ込んでしまいますが(=脚本病理)
働いてみたいと少しでも思って、何らかの行動をしてみると、ふしぎなことに
〝差別される筋合いはない!〟と思います。
理由は〝悲しみ→思いやり・つながり〟の感情の変容にも言えますが
〝働きたい場所ができた=仲間が大切・責任が心地いい〟という方向への傾きが
〝君の職場=居場所は君の責任、私のつながりとは直接の関係がないよね?〟という、シンプルなことが分かり、差別が、変な神話に過ぎなかったと分かります。
発達ラインで言えば、〝アンバー(L/4)からオレンジ(L/5)になった職業システム的なコミュニケーション機構のライン(仮)〟というわけです。
(身体[神経系]→認知→間主観→モラルという順序で必要十分関係がありますが、職業コミュニケーション的なラインは、モラルよりさらに遅いです。少なくとも熟達は。)
手段を選ばず働く→(理由)生きるため→(理由)しんぴを感じるため
このように、認識の目的は満たされると成長しますので
しんぴを感じる=ただ生きるだけのために働いてもおもしろくない
に達したら
〝あんたずっと家におるやん!〟という言葉に意味がないことを理解できますね。
ラベル:AQAL