2026年02月27日

著作と 誕生日の 権利=アップ 〜性善説 リベラル 法律 ティールへのアート🍰〜



自分で 権利を持つ、著作物、音楽や、ストーリーなどに関して、守る必要がある、ややこしい、時代に、なったような、空気に なってます。


ネット上で、AIなどを使い、誰かが、複製的に、私の公開しているものから、新たな作品を作ったような、主張をされると、最悪、私のブログが、消えるかもしれませんよね?



仰天ニュースで、〝昔から 普通に 使えたものは 使える〟と、私の予想通りの、見解になった 事例がありましたけど、このように、著作権を、システムに自動で管理させると、いろいろ、めんどうなことが、起きます。

上記は、商標で、この記事のテーマは、題名に著作権は発生しない、内容や思想の話、となります。


(例えば、私が「ハートのねこ♡の大冒険」と書く時、わたしの、主人公 ハーティー💛の、ハートのねこ♡の大冒険だ、と、言うことになります。 文章のまとまりには、より強く 著作権が、持てる ので、あからさまに、題名をパクられた場合は、私の作品の、同一性の侵害に当たると、主張できるわけですよね。)




日本のアニメでは、ルーシーでおなじみ、現実の、現代の、オーストラリアでは、未成年、つまり、子どもの、SNSの登録・書き込みなど、もしかすると、閲覧全てまで、よくないと、あるいは、違法になるらしいですね。

だとすると、このようなブログも、見れなくなるかな。


お金を盗む、ハッカーのように、現代、AIなど、システムの知識を悪用して、ずるをすることで、子どもが、犯罪に巻き込まれる事例が、後を絶たず、上記の、企む者は、まったく、その 子どもへの責任に無頓着なので、子どもの、SNSを禁止する国では、そういう、ハッカーのような、子どもの社会を狭めた原因になる者に、責任を取らせるように、カウンセリング付きで、更生させるように、持っていくべきです。

それを見込んでの、子どもの、SNSダメ、にしてほしい。


(だとすると、国際問題に絡んでくる点で、世界全体の問題 です。 中国のハッカーが、オーストラリアで SNS経由で、子どもに、犯罪行為をした場合は、中国政府が、オーストラリアに協力的になれば、世界は、仲良くなれます。 中東も アメリカも アフリカも、同じようにすればいいです。―― ※これは 実際にあった話ではなく、例です。)




私のストーリー、「ハートのねこ♡の大冒険」は、 時々、書き加えたり、訂正するので、数十年で、全く同じものを保証することは、ありません。

これも、著作権上の配慮 を 含みます。


(マイナーなところで、アイテム名を変える、など、ストーリー内容に 影響しない範囲で、変えることがあります。)


つまり、単純に、決まった著作物がある、というわけではない です。

よって、性善説、というのが、有効ですね。





ポイント1・・・著作物は、作ったときに、権利が付与される (日本)


あくまで、日本でなので、世界的に、AIで、いろいろできるようになった現在、まず、日本全体から、性善説において、この、作ったときに、同一性が生まれることを、主張する必要 が あります

子どもを産むとき、基本、中絶できるときまでは、子どもは存在していない、中絶できない、バースデー前までは、風来のシレン(SFC)のデバッグルーム のように 公式には ないことになっている存在、として扱う感じ、生まれたら、作品なら、リリースされたら、正式な誕生という例で、説明可能ですよね。

著作物という 子ども も、アイデア として、裏設定や、前設定で、残っているもの は、デバッグルームの 扱い ですよ。

それらも含めて、性善説で、作ったときに、権利が付与されます。 日本では。


そして、日本の憲法と法律は、その、モラルにおいての、性善説 (リベラル) が、基本 です。





ポイント2・・・自分で 著作物の誕生日を 公開する 自由がある (真実性)


ウソはつくな、ということです。


つまり、私の場合、YouTube のチャンネル などで、いろいろと、作った時期を、記述してます。


このように、 基本、性善説において、 自分で、誰にでも分かるように、ネット上で、著作物の、誕生日を、主張しておいてね、ということです。


だとすると、これから必要になってくるのは、不当に、システムに、弾かれない、使用可否の 話 ですよね。


基本、著作権があって、許可していない限り、使用不可なので、配信サイトで配信している音楽は、その配信サイト経由で、配信可能。

著作権者が、きちんと、その及ぼす範囲を 決められるので、何も 問題は ありません。





今回の、最大のポイントは、〝自分で、自分の著作物の 他者の使用の可否を 登録できるシステム〟が、不可避に、できたらしい、ということです。

しかし、これは、自分で、著作物の誕生日を、ネット上に公開し、防衛したとしても、うまくいかない場合に、頼れ、という、制度なので、そもそも、悪用のされようは、無いと、思います。


それが、タイプ5の、第2層で見る、性善説、ということです。





性善説 性悪説 とは?


偶然か、わたしは、家で、本を読みがたい時に、外に出かけて、読むことがあり、いまのところ、ケン・ウィルバーの、ワン・テイスト が、唯一の、持ち出す本です。


ワン・テイスト には、性善説などについて、詳しく書かれており、どちらの一派にも、過激な主張者が おります。


ルソーが、純真でない者は、処刑、と、解釈されることが あったように、ニーチェの、超人思想は、ナチスに悪用され、頂点以外はゴミ、と なりました。

前者は、性善説、自民党、リベラル、後者は、人種至上主義を含む、共和党、保守、ということです。 または、その 健全なタイプと、歪んだタイプがある ということです。


インテグラル理論では、前者を、大人の、オレンジ(5)、後者を、子どもの、アンバー(4)、の意識に、置くことが、あります。


性善説とは、赤ちゃんは、生まれながら に、純真で、社会制度などの 規範によって、その、創意は 滅ぼされ、回復される必要がある、という、思想です。

より広義には、人は、究極的に、ウソをつかない、ということです。


性悪説とは、子どもは、いたるところで、鎖につながれて生まれ、自由になるために、もがいて、成長する、という、思想です。

インテグラル理論では、インフラレッド、マジェンタ、レッド、アンバー、オレンジ、グリーン、ティール、と、 成長し、 様々な、発達ラインも、定義できる、とします。

モラル、対人関係、感情、論理的思考、スピリチュアリティ、欲求、価値 、などの、 いろいろな、ラインが あります。

不健全に、成長が止まると、野蛮な人類の誕生であり、子どもが、人種差別主義者として、あるいは、テロリストとして、無法地帯をつくり、世界を壊していくだろう、ということです。


2つの思想の統合としては、わたしが、ポテンシャル、健全性、を挙げています。

未来予知があるとして、子どもの最大の可能性が分かるのなら、そこに、最大の潜在性が付与できて、性善説において平等なので、多様な能力の中で、その、健全なピュアリティを、見ることが、できる、ということです。

この見方には、第2層の意識を、必要とします。


(第1層や 子どもへの 翻訳 可能。--- 例えば アニメ。)




つまり 今回の、著作権の 申告する必要があるかどうか、オーストラリアの子ども SNS 禁止の法律、などは、性善説、リベラルにおいて、条件を満たさない場合に、適用される、ということです。

性悪説、つまり、まだ、成長が必要と判断される子どもは、著作物を 一人前に公開する権利と責任が 免除されます。

つまり、まだ、著作物を、ひとりで公開できないだろう、ということです。


よって、上記の権限を悪用する者も、成長が必要で、性善説の範囲から 除外されます。

つまり、思想としては、そういった輩は、悪用不可、という、きまりごとです。


なので、善悪の観念が弱い者たちに、道徳的に、それを教えられるシステムが、期待されます。

レッドの人間に対しては、罰を受けることも、明確に 説明すべきです。





もはや、著作権に関しては、インテグラル理論を、直接 使った方が、早いです。

そして、このコーナー、シナリオではない ノンフィクションなので、ふつうの方法で、著作権登録できません。


(必要なら、サイトごとの登録に なるかな?)


また、事実に関しては、広範囲の、引用、場合によっては、転載も、認められることがあるので、ゆるいです。

このコーナーは 独創的なので、ある程度、感情や思想が、出ていて、著作物ですけど、うまいこと、事実だけ抜き出す場合は、個人の非営利重心なら、自由に 引用してくださいよ。





法律は、強制ではない (リベラル)


性悪説において、レッドの人々が 居るので、善悪を、罰を通じて 示さないと、成長も 理解も しないので、強制となります。

ただし、リベラル教育は、それを強要できないので、奨励します。


性善説を発揮できる人物になったら、もはや、法律は、強制ではありません。


なぜなら 日本の法律は、リベラル憲法、日本国憲法に基づいていて、憲法の方が、強いから です。

そして、モラルを忘れると、リベラルは崩壊するので、性善説を保つためには、性悪説において 成長が必要と判断できる人々は、該当範囲で、除外されます

その人々は、勝手に法律をつくれないし、乱用不可で、著作権関連も、同様です。

よって、性善説 と、法律が言うとき、日本では、実は、かなり複雑なことが、含有されてます

(今、書きながら、理解しました。)


ちなみに、余談ですが、この、書きながらと 言う 視点は、私が、内向直観のタイプ4に、日常のひとりごと経由で、タイプ7を重ねた結果、生じてます。

直観的に、思ったことを、なるべく正確に、出力するという スキル (極めた クセ) です。





補足も書きましょう。


アメリカの トランプ大統領は、自ら、保守、共和党の派閥だと 言っていたはずなので、基本は、性悪説、 歪んでいる場合は、人種至上主義、を、主張する タイプだ ということです。

つまり、性善説において、トランプ大統領は、除外できるかもしれない、ということです。

これは、TPP脱退とか、著作権も含む、より広範囲な、国際法にて、効いてきます。

ティールのモラルの波に、語るに任せるといいです。

トランプ大統領が、正確な 性善説を、含めるなら、世の中の問題は、解消方向に向かう でしょうが、そうでないならば、反面教師として、いい例です。


また、私が、コロナ病、と言っている、咳払いウイルスの脅威 とは、否認、怒り、で 止まった、-- 悲しみ、受容、に、決して行かない、アリと人ではアリの側、決して交わらない、性悪説の生物圏側、性善説の心圏側、が、乖離して、バラバラになっている、不健全極まりない状態の、こと です。

そこから、危険運転 (公道を突然100キロで飛ばす、自転車をスレスレで速度を落とさず追い越す、裏道の見通しの悪いカーブで徐行しない) 、咳払いと鼻すすり (逆咳ハラと言う派閥も むしろ コロナ病として含むかも) 、その他、注意力を捨てるという、疾患 で、観測できますよね。





著作 思想は 全体的に どこへ向かうのか?


著作権は、インフラレッド、マジェンタ、レッド、アンバー、オレンジ、ではなく、ある種の、新聞社的、テレビ局的、音楽会社的、出版社的、グリーンのエリート主義からできた、著作権法 重心の、視点だと思います。

上記の会社は、アンバーか、オレンジから始まり、グリーンに行きつく ということです。

そこには、コンテキスト理論などを、含みます。


ここで、性悪説は、より詳細な、性善説に、道を譲り、各自の 道徳的な 解釈と責任において、アートのリンキング、思想のスクラムフォースが、成り立つことになります。

フレデリック・ラルー著 の、ティール組織の 視点 では、複雑な世の中が、それでも、自転車の 感知―応答 のように、うまくバランスされている、と、書かれる、理由に当たる視点ですね。


そして、著作や、感情は、高度な視点を 含みながら、----- 競合する部分性を放棄し、より全体へと統合される、ホロンになります

著作は、思想は、世界中心的に、性善説的に、まとまっていく、ということです。

あるいは、そのジャマな思想を、予知の悪用を含めて、やっつける、ワクチンとしていく、ということです。

ここに、オーストラリアと子どものSNS、現代の悪いハッカー問題、などが、より深い理解 として、帰ってきます。


くわっ! と言っても、いいかも🐤です。

才能と 差別、性善説と性悪説、という、多様な視点も、含まれてきます。


広義のアートは、決して、争う方向には 行かず、人同士が、よりうまく、助け合うことになると、説得力を持った著作として、支持されます

(有名にならず、フォロワーも 居らず、形態形成場 に、リンキングされる バージョンも あるので、自由です 。)


よって リベラル憲法で、近未来の 著作権によるシステムが 創発するなら、深い性善説の制度、と なります。


そして、日本の保守派も、成長という重要なファクターで、この潮流に、いくらでも、貢献できます ね。












著作権と性善説の追記 ~音楽と深さの視点~ (2026 05 19)




内向直観型 の、スポーツ選手、の視点は、弱虫ペダル や、アオアシ で、サポートされていると思いますけど、芸術、そして、インテグラルな視点、そして、音楽、ポップス の場合 は、多少、ややこしくもなり、例として、補足します。

相変わらず、私の視点ですけど、進化の構造 (ケン・ウィルバー) を 読んでいて、身体的な境界が、単一の境界ではない、と、書かれていました。

レトロ・ロマン派の、かなり、ラディカルなのの、注の、批判のところですね。

つまり、感覚や、身体の、かなり、ファンダメンタルで、還元的にもなる、領域にて、目に見える、身も蓋もないところが、強調されて、とらえられる、ということです。

直観は、そうではなく、かなり、メタ的、そう、MBTIでも、書かれているように、メタ要素で、とらえます。

アオアシで、個人戦術ができない、と、主人公が、判断されるとき、それは、どちらかというと、社会感覚のズレ、ということでしょう。

私もですけど、特に、内向する直観タイプの場合、子ども時代なら、とくに、わけのわからないリアル・シグナルを 内向にて吸い、判断機能で、出力することになります。

(ハートのねこ♡の *章 の、最初の、へんねこの回 が、わたしの 小学生の時に 作った 漫画をベースに、2021年時、連載しています。)

わたしの、音楽、2005年~2014年頃 までの曲を、載せているサイトを参考に、直観的な音、マントラとも言えますけど、そういった表現を、記号論的に、とらえてみます。

つまり、すべては、文脈(コンテキスト)に、拘束されている、ということですね。

当時流行った、ニヒリズムも、脱構築によって、私の芸術に、異議を唱えることが、できるわけです。

例えば、「愛の歌」には、「パッ」という 単語が出てきますけど、これを、閃き、つまり、直観として、表現することができ、私の場合、そうでしょう。

ならば、非インテグラルにて、感覚と、ニヒリズムによって、この言葉を、作風にすることも、可能で、その場合、閃きの否定を、フラットランドの、感覚にて、私の直観の死角をついて、乱用することも、できるわけです。

これが、そのまま、パクリとか、盗作にならないわけで、ばれないようにやれ、と、上から言われる場合も、ハートのねこ♡の12章の 天使と直観の話 を、しっかり読んでみると、あり得そうに、思えてきました。

ケン・ウィルバーは、進化の構造で、退行主義、フラットランドの陣営が、かなりの悪意を持って、暴力を行使するように活動している現実を、注などで、しっかりと、書いていました。

このように、リアルでは、ネット含みますけど、やっかいなことが、いろいろ、あります。

自転車ではないですけど、ヨーロッパのワインを 試飲できる機会があって、おいしかったので、例えば、そういうのが、嫌いなわけでは ありません。 ( 愛するのは、基本、ジュースですけど。)

また、リベラリズムと憲法9条の話、を書き、神戸や花火と私の近況 も、アップデートしながら、この春を、過ごしています。

深さを知る、ボーカリスト、シンガーソングライター、作詞作曲に 通じる人なら、時々、これは、一度、悩んでおかなければならない、とか、引っかかる時も、ありますよね。

性善説とはいえ、すべては、解釈と、リアルアップデートと、主張と定立です。

例えば、パクれる、ばれない、とかいう意図がある場合、それも、主張、パラダイムですよね。

そして、解釈しなければならない、という、めんどうな側面もあります。

わたしは、自分の曲を、歪められたくなかったので、むしろ、自転車に、乗りました。

(ボディ・モジュール。)

直観型が、楽器が多彩な、感覚型に、音楽で固められたら、フラットランドでは、太刀打ちできないので、そこでは、戦いません。

よって、自転車で、頭を使って、道路交通法を守り、すり抜けをせず、車道メインで、車列にも並び、1.2車線走行や、1.0車線走行、と名付けた方法で、クロスバイクで、3万キロ、走り納めました。

いまでも、ママチャリで、六甲山牧場は、行きます🐏

曲の話に戻りますけど、「パッ」という記号、聴覚の範囲では、物理的な音、これを、直観をディスる形で、フラットランドで行使されたなら、わたしは、気になる、ということです。 (傾向性の話。)

既に、わたしと、アニメのワンピースの相性がいいように、統合的リンキング、という文脈で、私たちは、先にすすんでいる と 思います。

そこは、ゆきちゃん も、同意してくれるでしょう。

わたしならば、誰と、どういう深さで、関係を持って、芸術をしているのか、そして、どう発表しているのか、ですよね。

そして、周りに分かるように、あらいざらい、話すこともない ので、フラットランドの影のすべてを、網羅することなど、無理です。

それもふまえて、芸術をやっていくことは、綱渡りのような気もしますけど、その綱が、吸いつくように、極めて 丈夫なような、気もします。

インテグラルな、音楽は、境界が、フラットランドと違い、身体にはなく、メタ的な、ソウルフルなところに、あります。

その境界に、敏感だと、いうことです。

フラットランドは、境界が、快楽的に、身体付近にありますから、楽器を持って、個体から、相手の耳に聞こえる境界で、やれていれば、成り立つ流れです。

それが 助長されるのは、あまり、良くは、ありません。

カバーばかりの、ポップ系のアーティストも、オリジナルだと、深さに支障があるからですよね。

私の場合は、境界は、近接的というより、地球的に、感情・思想的なところに、あります。

その境界をとらえるには、ヴィジョン・ロジックを、扱うわけです。

ワンピースなら、深さのホロンのまま、子どもに理解される ように、書きます。

だからといって、浅く、還元的で、子供じみている、わけではありません。

音楽もそうで、アニメの ななついろ☆ドロップス (サントラのカテゴリーの 本編の曲) も、少女漫画の属性がある 子ども向けにもなるホロン ですけど、深いです。

インテグラルな芸術は、より、多くのホロンを含む ので、フラットランドの病理にも、影響を受け、子どもたちのことをも考えるなら、無防備では、居られないというわけですよ。

なので、時々、こうして、現実的に、あるかもしれない例も、やや、あやういところもありますが、主張したりしています。

すべては、芸術家自身 が、道徳的に自由な主体 を サポートされながら、よりよい 意味で、戦っていかねば ならないことです。

リベラルなら、道徳は、オレンジに あってしかるべきなので、それが前提で、道徳的に自由な主体、です。

子どもの視点、そして、発達ラインの視点、を考えると、音楽のことが 分かっていない者に、演奏させるのは、上記の破綻でしょう。

その場合、あらかじめ、そういう 企画であることを伝えて、合意してもらえば、いいわけです。

それも、フラットランドのルールではなく、メンタルな境界線を持った、信頼の原則で、理性にて、行う、ということです。

そうでなければ、空気の、魔術段階的の、押しつけです。

フラットランドに行きがちな、技術者関連は、感覚的な目にばかり、意識を取られて、芸術家が、こころの目、スピリットの目(=眼) で、時間を選択している ことを、忘れがちか、知らないことがあるので、興業の主催者には、向かないことも 多いわけです。

そこは、スポーツとも、違います。

感覚の目で、芸術をやっているなら、より深くは、芸術ではない、と言えます。

音楽なら、感覚のみに焦点を当てている場合、アーティストの思想を、無視している、ということです。

こういった切り口で、健全な、ホロン階層、ホラーキーを考え、芸術とは、音楽とは、と、内省してみると、いいのです。

わたしが、もはや、ふつうのアーティストを やれていないのは、インテグラル理論にて、感覚的な、フラットランドからの侵略を、食い止めているからです。

奴ら (フラットランドの陣営) は、視点・主張ということですけど、パクれれば勝ち、という、パラダイムですよね。

私は、それに対抗して、思想において、病理的なホロン (いわゆる ゾナハ病化) を、論破することで、バランスを取り、メンツや、尊厳を、保持 します。

すると、次第に、その、思想の面が、ジャマになり、奴らは、わたしの、芸術面を軽視し、理論的に、つぶしにかかろう、と、するかもしれません。

その流れになったとき、深く 芸術を シェアしておけば、いいわけが、立つわけです。

私の音楽は、こうして、真剣に、作っていますよ、誰もから理解される、ことは、理屈に合わないので、深い解釈において、今の形でいいんですよー、と、言えますよね。

欲を出すなら、深さと、そのつながりに、です。

だから、わたしは、いろいろな、視点から、そうできない、フラットランドに対して、説明はできる、と、言ってきたわけです。

そして、ポスト形而上学において、説明可能=解体可能 なので、実践的 なのです。

ここは、ポストモダニストの、よく知るところですよね。




posted by インテグラルとど at 09:41| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする