2025年08月17日

僕らが手を繋ぐ未来! ~神戸 そして 小野の花火と HP & 坂道トーク~



ずっと、オンライン上に存在している、私の、2015年より過去の 音源作品の、ホームページ。

いつしか、アップロードできる 1ファイル当たりの容量が 増えていたので、前提とした、ノーマルな、良音質で、聴くことができるように、ファイルを、一新しておきました

レコードを、私の、昔から存在している HPの環境だと解釈すれば、既存の曲を、リリースという形で、再移植しておく 流れになるのも、最もです。








1年前の夏、その早春の出来事、丹波ライドから、加東市の夕日を見て、南向きに帰っている情景を、音楽とともに、載せました。

このシーン。

西脇市、滝野、王子ヶ池 経由で、印象深い、東条川沿いのエリアに出るルートで、ちょうど、西向きの夕日を望みながら、東に向かって走り、南へ抜けようとしています。

夕日の東側は、神戸電鉄と 加古川線のある、粟生、つまり、小野市の中心部。

夕日を背にした、東側は、東条湖エリア方面を望む、加東市ローカルの広域エリア。

印象深いので、わたしは、この夕日シーンを、加東市ルートの イチ情景、としています。

東条川は、この情景の北側、その先に広がるのは 、加東市の山々です。

私が、三木市に抜けるために、常用している、この後に通る坂が、わたしが、小野坂と、呼んでいる、超いい感じの、丘へ登る道で、このエリアに完全平坦ルートはないため、主力の経由として、篠山口・大川瀬方面と、西脇方面、両方からの、重要な道になっています。


この坂は、小野市に、なります。

大川瀬方面から、東条川沿いに抜けていると、三田市から、加東市に入るので、小野坂へのルートで 夕陽を見るとき、純粋に、加東市の情景になるため、私は、今回の風景も、その範疇としています。

厳密には、この情景のエリアは、限りなく加東市に近い、粟生から見て、東側、東条川の下流と中流域の入り口、加東・小野エリアになります。

私の印象では、王子ヶ池のあたりを 含めて、加東市ルートなので、議論を ややこしくしないために、加東市で 通していますが、厳密には、小野市です。

よって、〝小野田坂道〟は、神話では、なかったのです(笑)

この夕日を望むエリアは、情緒ある、民家と、田園風景が広がっており、完全フラットではなく、東条川を起点とした、軽い丘のように、立体感が望める、静かで、落ち着いたエリアです。




というわけで、金曜の花火を、中央区で、楽しみ、翌日、天候を見て、小野市に向かうことに。

きすみの、も、未訪問で捨てがたいのですが、やはり、ということで、安定の、ゆぴか立ち寄りの、ダイヤで。




ちなみに、SUMAを、ブラブラすることを、スマブラ、といいます。

中央区民でも、たぶん、通じます。

で、中央区を、ブラブラすることは・・・

ちゅう✧ブラ (・∀・)??


ちゅう♡ ちゅう♡




天候は、どぅやら、神河町のあたりに、激しい夕立が あるかもしれないという、予報。

小野市は、当たったら、まぁ、小雨。




久しぶりに、垂水ルートで、明石エリアに。

すでに、いろいろ、準備に手まどい、6時ごろ出る予定が、9時ごろになり ――――、はぐれメタルの、誕生です。

いや、すでに、灼熱の元の、バブルキング、だろうか・・・?


🌞

ポカリを 買おうとすると、自販機で 売り切れだったり。

いやいや、舞子公園と、玉津で、水飲めるし、まだ、買うの、早いだろう、と。


気温がピークに ならないうちに、377経由で、葡萄園池、稲美方面へ抜け、稲美中央エリアの 途中の自販機で、キンキンに冷えた、180円アベレージの 自販機ポカリ を、信号待ちがてら、160円でゲット。

道中、稲美の 美しい稲田風景、クリームパンと いただきながら、軽い小雨で、気温が 1時間、戻ります。




この快適なうちに、ゆぴかまで、直行します。

途中、加古川市・三木市・小野市の境界エリア、歩道推奨の、16号線沿い (帰りに混むことを立て札で説明している 2桁県道) に、ぶどうを売っているところが、ちらほらあり、小野まつりの日に、冷えたブドウや、ぶどうジュースを販売していれば、毎年、買うのにな、と 思っています。




ゆぴかには、12時すぎに 着きました!!

16時半ごろまで、滞在する予定。


まず、発券してから、メロンソーダを買って、涼みます。 (――新札対応 ♪)

これが、正解。

炭酸泉気分を、味わえ、温泉から出るまで、その印象が 残ります。

メロンソーダを飲みながら、音楽も、聴きます。


温泉に入っていると、なんとなく、源泉風呂が 空いていたので 入って、ちょっとだけ、あたまに、お湯を塗る仕草をしたのが、油断!!

左隣の男が、いきなり、デリカシーなく、声を かけてきたではありませんか!!

男の湯治というのは ほおっておいてくれ!ってことで 江戸っ子も そう言うのでは??




その男は、たぶん、長めの髪の毛 に、かけるな、と 言いたいのでしょう。 夏場に 散髪するの、めんどうだったからね。

いちいち、何が言いたいか 聞き返さないので、わかった、と ぼそり、黙ろうとしましたが、感覚タイプ優位になっている、旅中の私に、もはや、それは無理で、どうせ、クルマで来たのだろうと決め込み、信号のない該当エリアで、歩行者が居たら、必ず 横断歩道の停止線で停まること、自転車は1.5メートル開けて追い越すこと、バイクを車列に入れて、すり抜けする者に注意すること、車間距離をきっちり保持すること、つまり、制限速度も守るということ、これらをブログにも きっちり書いていくこと、などを、私からのお願い、もし、これらを きっちりしているなら、私は、喜んで、あなたの言っていることを聞き入れよう、と、呟きました。

私に 向かって、言いたいことは 聞こえるのに、私の 言っていることは、あんたらに、届かないよね? という風に、言いました。 (―― タイプ3)




私の社会感覚のズレは、例えるなら、ストレスを受けて眠れないような状態になると、ALSにでもなるかのような、感覚の過敏さと弱さ、として、表れるかもしれない、ということです。 ―― 例えです。

つまり、社会とは、めんどうなもので、長所であるはずのタイプを、もはや、社会的な障壁、取説を認識するために、自分のことを 理解する手段としての、障害として、主張していかなければならない、ということをも、意味していくのでしょう。

(これは、有名になりたいと思う人にとっては、致命傷かもしれません!)




身近なポップ史で!

尾崎豊は、売れるために、大手のレコード会社の、オーディションを受け、勝ちづづけなければならないのが、この世の中であることを、証明し、いや、狂ったテリトリアリズムに、巻き込まれて、若くして、証明させられ、自分で会社を立ち上げるも、分相応の社会が、襲い、納得のいく結果を得ることは、できなかった・・・

人と違う、やらなければならないことができる、才能を発揮する、偏見を受ける、上記のような結果に吞まれる、やがて 生きることを 意思とは関係なく あきらめてしまう。

この、ルーティーン上で、社会に理解されない、現代の病んだ状況が、巨大な、現実として、襲い掛かってくるというのが、真実です。

虚偽を虚偽として見ない、現状が、薄っぺらい社会の原理であるにすぎない、程度の。 (―― あの日の事件、どこまでが 本当か?)




小野市は、浄土と仏教を結び付けがちですが、仏教には、禅寺というものがあり、もっと、禅問答の叡智を、子どもの教育・学校も含めて、取り入れていってほしいと、感じます。

宗派の名前が、即、思想ではないですが、基本的に、わたしは、原理主義の方向に行くものが、嫌いなので! 何も考えずに、自分たちのルールを 守っていると主張し、交通戦争などの現状を無視、人と違う者への偏見、1人で入った店で 対応遅く 座った後に カウンター席を 強要するような 接客、ひとりで 考え抜くことの 放棄と、その 無頓着さ、こういったところ が、内省されないままに なるような、社会が、恐ろしいのです。

そもそも、リベラル国家が、政教分離になった理由を、子どもたちに、繰り返し、教えるべきです。


これを怠ると、土地の奪い合いという、近所での工事の騒音が絶えない、とても住みにくいエリアが、できます。

数十年後には、経済事情で、放置される民家も、増えるでしょう。




ポイントは、自分で考え抜かないで まわりの言うことを聞いただけで、つくる社会は、都市計画に、強大な、コスト、市の財政に、大きな負担が、掛かるということです。

まつりは、ただ、楽しくするだけではなく、未来を読む必要がある、ということですが、私の言うことは、いつも、あまり、理解されません。




ゆぴかで、風呂上りに、アサヒ飲料の ロイヤル ラテを、飲みました。

甘くて 苦みもあって、かなり、おいしいですね。


持参のウインナーとキャベツのサンドイッチも、消費して、次の目的地に、向かいます。

ルート上の いいところに、播州ラーメン店があり、ラーメンとチャーハンをいただき、中心部へ向かいます。




中心部では、食料の調達や、はらごしらえに、アイガー、らんめん、は、人が多すぎて、無謀なので、スーパーを 使います。

自転車を、わりと手前に停めて、徒歩で、食料調達し、花火を見れる場所を、探します。




1年前、スピーカーが、横から、大音量で 発されて、集中できなかったので、スピーカーが直接、私に向かず、ローカル風情があり、会場から近い場所で、見ることを、希望してます。

図書館前が いいらしいですが、木が多く、なるべく歩道の壁側へ移動し、ぎりぎり、人の往来の中で、座って見れる場所を、選定しました。

ときどき、立つ人に 邪魔 されましたが、座って 見上げながら、大迫力で、30分間、花火を見ることが、できました。

まわりに、座っている人は、前方エリア以外、ほぼいなくて、わりと、考えて頑張ったな、と思いました。


当初は、ひまわりの丘公園で見たいと思っていましたが、やや遠く、混まないルートは分かるものの、会場近くで、スーパーに寄りながらを選択。




ゆぴかに、入っているとき、いつも思うのは、ユニークな形の雲が、よく、空に浮いているということ。

今回、池の水が少なく、いつかの、権現ダムのようになっていたので、水不足らしい。

ここで、いきなり、スイマーズ が、再登場するわけですが…。




三木の、総合防災公園で、花火を上げるのは、ここで、重要な意味を、持ってくるのです。




ライトをつけるのに、やや手間取るので、9時前になって、出発。

気温がいいので、なるべく、スムーズに、平坦を走って 帰る作戦。


人生に、完全、フラットは、ないんだぁぁぁーーーーっ\(◎o◎)/!

(・∀・)テヘッ✧




つまり、今日は、行きと同ルートで、稲美町を抜けて、明石方面へ貫通する、玉津急行線、ともいえる、石野・三木山 と、別経由で、海側まで、2時間で、抜ける作戦。

見事に、ハマり、葡萄園池への 左折箇所で 迷いかけましたけど、裏道繋いで、途中で、100円の 500ml カルピスをゲット、スーパーで買ったポカリも 大切に飲みながら、377の クルマ多いルートに合流し、交通量の減った、片側1車線を、慎重に、ダウンヒル。

下り基調で、善戦できるので、左に大きくカーブする手前まで、脇道へ行かず、メインの車道を貫通して、玉津エリアには、夜10時台に、到着!!

このエリアに、住んでいれば、小野まつりへ、日帰り、行き放題ですね!!


涼しい中で、平坦を快走できる経験は、夏場で希少なので、眠たくなるより、楽しかったです。

いつも、難関の、アップダウンで、日付変わりながら、走っていたので、とても楽でした。




夜だけど、朝霧… 付近で、いつものローカルの、大阪行きを発見!

姫路方面から帰るときに、よく、立ち寄っていた、夜の公園で、静かに、虹の橋を眺め、ポカリを 飲み切りながら、小休憩しました。

塩屋の手前では、新快速の姫路行き! ほどなく、長い A快の、おなじく、姫路行き。


日帰り、できてるやん!!

凄いな。。




そして、国道2号線で、歩道の面倒な部分を カット、車道走行で、走りやすい 時間帯になり、信号の接続を取って、久々に、ツインライトで、飛ばしましたけど、交通量は、12時台のくせに、普通に多く、こいつら、夜のドライブ、絶対、時間を計算して、出かけてるやろ! って。

このエリア、歩道に人がいると、見えにくいので、明石ルートを 帰りに主体的に選択する流れは、今まで、来ませんでした。

今回は、稲美中心部を、宵のタイミングで、貫通するのが億劫という 流れの壁に、挑戦してみて、やはり、快適さは、段違いでした。

もっと、自分が、自転車であることと、平坦の車道走行が、得意であることを、意識すべきでした。




こうべの花火が 特急周遊地帯になって、うれしい限りですが、それをしのぐ、タクシーの多さが、困難を生みます。

計算しても、最初に 帰りに抜ける交差点で、意味不明に、ゼロ近くに、車間距離を詰めてくる、あたまのおかしい、タクシーが 居ました。

これ、どこに、クレーム入れれば、いいんだろう?

役所?




運転免許を持っているということは、車間距離の保持は 理解できるということで、それで、車間距離を無くすまで 詰めてくるということは、衝突の意思がある、つまり、暴行罪か、殺人未遂と 判断でき、警察・検察側が、タクシー・ドライバーを、刑事責任で、起訴できるのです。

この点で、なぜ、こんな運転ができるのだろう? と、思います。

ほとんどは、左折しますが、指示器 を 最後まで 出さないので、張り付かれると、発車できません。

ブロック状態で 停止線に停まる理由は、右から追い越し状態で左折されると、100% 生きられないからです。


タクシーを使っている、ホテル、業務を許している神戸市、タクシーの該当会社、すべてが、このことを 徹底的に 認識しなければ、業界は、明日にも、無くなるでしょう。




完全自動運転は、必ず、発生します。

地球人類が、生き残れば。


そのとき、源泉風呂の人に 言ったことも ですけど、そのすべては、実現します。

それらを、クリアしなければ、完全自動運転は、できません。


車間距離の保持が、正常になされれば、衝突は、100%、起きず、鉄道会社が、間違いなく、計算し、努力し、発展させている カテゴリーで、私も、それらから、自転車の、今の運転を、鍛えました。

車間距離の保持、基点から、歩行者の横断、追い越し、制限速度の順守、などが、無理なくできます。

これが、路上駐車の害を認識する 重要な一手になり、クルマを むやみに 都市部に はびこらせないように、法改正も されるでしょう。

所詮、これが世の中ですが、私と同じように、ブログに書いた人、います?

世の中は 広いですけど、自覚なく、重要な 第一人者って、多いですからね。


わたしは、一応、きせきのひと だって、周りに 評価され始めているらしく…。

これを、信じないような、物わかりの悪い人間になるのは、地球に、失礼らしい。




ということで、自分を信じて、ホームページのアップデートを しておきました。

ほとんど、当時のままですが、記念に、軽い、スライドムービーも 作っておきましたので、ご報告して、このコーナーを、ひと段落しますね。

































(P.S.) インテグラルな ゲーマーの視点 ――(2025 08 20 追記)




私は、原理主義が、嫌いだと言いましたが、偏見を永久に撤回しない、という意味が、大きいです。

アニメは、NHKの、マンガで夢をかなえる王道ストーリーの、バクマン。で、〝マンガを読むとバカになる〟って、原理的な、親が子どもにマンガを読ませなかったって主張が、バクマン。を、知ってる人の中では、有名でしょ。




今回、放映中 の、サンドランド ( 正式な 綴りあると思いますけど、カタカナで。) の、OPの 冒頭が、ある意味で、本当に、気のせい かも しれない意味で、ある切り口で、ゲーマーに対して、ひどいな・・・ と 思えた気が したので、取り越し苦労も 含めて、直観というものの 研究の題材として、挙げておきます。


[近況0]

・様々な企業が、音楽、アニメ、ゲームを、統合しなければならない、と謳ってきたが、実質、成功した例を 見ていない。

私は、インテグラル理論で、芸術のポピュラーなホロンとして、ポピュラー音楽を、1人称、 アニメを メディアと文化の 管轄の元 2人称、 機能の ハードの大部分を 除いた 思想としての ゲームソフトを 3人称、 この3つに差異化できることを、示し、ダービースタリオン99における共時性も、別ブログで、2023年初頭に、説明しておきました。

つまり、ケン・ウィルバー、進化の構造 を はじめとした、真善美、ビッグ・スリーの、正しい差異化と、統合 (カントの課題でもあった) は、未だに、未完で、全く成功の余地を見ていない、ということです。

この切り口は、音楽、アニメ、ゲームソフトを、正しく統合する、偏見のない視点の発生、と、実践、だけで、世界が変わることをも 意味しており、正しいゲーマーの地位を、プログラマーとともに、向上させ続けておくべきだと、私は、主張します。

そして、同意してくれる文脈で 解釈できるなら、鳥山さんとともにも、主張します。


[現状1]

・ゲームには コントローラーを使って、ボタンを連打するようにして、ひたすら、ステージをクリアしていくものがある。

(カードキャプターさくらで ケロちゃんが やっているゲームの大半は、これでしたよね。)

・ 一方 ゲームには、タッチペンなどで 画面を見続けなくても、長い時間を積み重ねて 適切なペースで 行ってよいものもある。

・この2種類のゲームは、それぞれ、あまり差異化されての理解がなされず、前者は、音楽やアニメを無視しての刺激に走る場合があり、後者は、マニアックな やりこみゲーになる 場合が多い。

(私・ゆきちゃんの、内向直観タイプ の 場合は、明らかに、後者に 大きく傾きます。 前者ばかりするような気力は、おてていたいし、得られないです。)


[論点2]

・サンドランドを NHKの意図を持った アニメとして見る場合、OPの冒頭は、明らかに 前者のゲームを強調しており、ストーリーで、ゲーム機が壊れたり、ハードや現状に依存する、芸術として見ることが 難しいようなニュアンスを、払しょくできない…。

(と、後者のゲーマーの私は、なんとなく、感じました。)

・NHKは アニメを代表とする アートの文化のホロン、2人称には強いが、ゲームソフトの3人称に対しては、カテゴリー・エラー、になり、つまりは、サポート対象外。

(無理解になりえる、と。 主に、ゲーマーのように、時間を取って 丹念にゲームをしたことがないという事実において、言えるでしょうね。)

・NHKは、受信料を回収するタイプの コミュニティーである。

(資金を提供する人々が、ゲームそのものの視点や、地位の向上について、議論したり、要望したり、できるはずがなさそうな仕組みであると、容易に想像できます。)

・ゲームソフトは、本当に、正確に活用されると、内向直観タイプの、貴重な、コスト削減状態においての、成長の替えの利かない リソースになる、しかし、それは、周りに、ほぼ、認知されることはない。

(ハンターハンターで、グリードアイランドは、ゴン君を強くするために、父が作ったゲームでした。 広義には、直観を持てるすべてのタイプの覇気を強くする、と言い換えてよいでしょう。この視点は、ゆずタウンのジャケットでも 感じるように、ゆず、そして ハンターハンター原作者の 富樫さんが、同意してくれると、思います。)


[飛躍3]

・NHKは 試合の中継 に関しては 1日1時間 という 枠を越え、将棋などの 文化的な 番組 も、その代表例 と 解釈できる。

・ゲームソフトには、将棋などのゲームがあり、熱中するためには、1日1時間にしておく、メリットが、ない。


(私は、内向直観のタイプ4に 熱中できる感覚のタイプ7を 重ねているので、短い時間しかゲームをしないと、効率がガタ落ちするどころか、向き合う意味も倒壊するので、真善美の統合という課題において、たかがゲームという方向に、行きたくないのです。 常識人のふりをさせられると、ゲームソフトを芸術と認めるだけで、世間から、世の中のルールを 破壊している、などと、言われかねない、おかしい 原理が 働くのが、今の 日本ですよね。)

・ボールドウィンは 1世紀ほど前、外側から 人の意識を研究する手法を 発展させ、人には、構造―段階、や、集団で共有される おおむね歪んだ無意識〝所与の神話〟があること。 これを発見する、貴重な 第一人者となった。

(つまり、今の時代、この所与の神話は、インテグラル理論、別名、AQAL、を、認識するかしないかで、その ありかに、天と地ほどの影響を 受けるかどうかの差を、生むわけです。 ゲームソフトで 共時性が起きるかの確率や精度にも、影響するでしょう。 ゲームを たかがゲームとして接するか それを超えるかどうかで、受ける恩恵も全く違う、という視点。 ソードアートオンラインで、それは 現実に反映され、現実はゲームにも反映される、って 風に、言ってましたよね。)

・ケン・ウィルバーは、近年の力作 (インテグラルなマインドフルネス論) において、サイボーグ技術の進化、を予測。

(これは、改造人間の ロボ・フランキーというより、未来島・エッグヘッドに近い、コンピューターを総合して、人類の有機体と統合されるような、全く新しい進化のことです。 そこには、ゲームソフトの、アートの、真善美の統合も、含まれて来るでしょう。)


[結論4]

・というわけで、現在のゲーマーは、ある種の、近代前の 隠れキリシタン状態。

(これは、理解が得られない限り、とんでもなく致命的で、心理的治療の大部分を、薬理療法より、長くプレイできるタイプの 準新作の レトロゲームで コミュニケーションとして補った方が、国の医療費負担は、かなり減り、それが、あらゆるメリットに、なります。 政治家は、決して、理解しないでしょう。 ―― なぜなら、ゲームのホロンは、内面の、アートのホロンなので、そこには、心理的な意図があります。 生きることに関する、禅問答も含まれます。 なにより、自分で考える、直観力が身に着き、スクウェア ・ エニックス の リリースする ゲームソフトには、この手の、良作が多いです。)


[提案5]

・完全自動運転を考えるときに、ゲームソフトを 芸術全般に 統合する方法も考えて、プログラマーと ゲーマーの地位・発言力を、向上させておくこと。

(エニアグラムで言うと、タイプ4から始まって、タイプ5に、その多くを、託していく、ということでしょうね。 ゲームソフトは、そして、プログラム全般は、私も含めて、一般的に 制作を難解と感じる人が、アイデアや、提案、アートとして、プレーヤーとして、関わる方で、自然、と感じます。 さらに、タイプ5の能力は、この手の技術を 習得するのに、かなり、優れているようです。)




以上、微妙な視点ですが、ゲームソフトと、砂漠化解消の、リンク点が分からない、という、マスコミ関係者に対して、ちょっとした、おちゃめな (ふざけた?) 提案を、私が、かましておきます♪ うふふふふっ(・∀・)✧


















[おまけ6]

おやつどきに、この追記を書いて、夕暮れに、ポケダン、空の探検隊を していると…。

うちの、ピカチュウの レベルが、100になって、HPが 176 ポイントでした!!

なんか、すごいですよね!!



(どうせなので、解説もしますね。 HPは、ホームページの意味で、記事の題名として 更新エピソードとともに、数日前に入れました。 176番は、兵庫県・近畿の 国道のナンバーですが、小野田坂道の 1年生時代のインターハイの、ゼッケンナンバーです。 ピカチュウには、命の種などを使っているはずなので、デフォルトで 176にならないと思います。 ポケダンをやって、レベル100に到達したポケモンは、うちの、ピカチュウが、初めてです。 ピカチュウの、別名を、ぴか✧くん、とか、きらり✧ちゃん♪ って、名乗っても、いいのです。 このように、弱ぺダでも言われるように 共時性、ふしぎな偶然は、ふつうに、起きます! そして、現代の、優れたゲームソフトの変数が引き継ぐ、数学的な諸要素が、他の芸術より、シンクロニシティを証明する ある種、より強いバージョンを、サポートしている、傾向として 疑いようがない、そんな域に連れていける、社会芸術のホロンになる、と感じます。)




ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 17:01| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする