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姫路に行く機会が あったので、気付いたことを、書きます。
JR神戸線 (英賀保~はりま勝原~網干) の、北エリアのルートを、自転車で走ることが多かった、私ですが、最近の、郊外諸事情での、クルマの多さに、ライドの、難を、体験しました。
そして、ありえない形状の、工事のカーブ区間を、通らされました。
(迂回できる さらなる裏道は ありそうですが…。 ルートと時期が、該当する場合に、通る人は、最大限、警戒してください。 自転車で走る、地元の人が、多かった ルートの はずで、神戸の感覚で、なぜ、こうなったのか、叫ぶくらい 危ないので、書きます。 すぐに、過去の記事になるので、あくまで、私の体験です。)
裏道を、さらに、調べれば、いいのですが、必ずしも、あるとは、限りません。
神戸は、土地が、海側で、狭いので、一軒家が、少ないわけです。
そして、中央区が、できたわけですけど、明らかに、姫路の中心部は、この設計の、影響を 受けています。
神戸の暮らしが長い、私の視点で、このことを、言える範囲で、考察します。
一部の人が、〝右の禍〟と、呟きそうな、カテゴリーです。
該当の工事区間の形状 (マップとは別の形・私の体験時) は、交差点の停止線の位置を考えれば、安全ラインが、分かります。
十字の交差点、上、下、右、左、として、右と下 のみを残した、90度カーブの角になった交差点が あるとします。
このとき、下の位置に、わたしが、自転車で、停止線に止まるとき、停止線の位置は、後方にあります。
クルマが、右から、曲がってきます。
当然、私の正面前方に はみ出てから、対向へと 曲がってきます。
もし、停止線を越えて待機すれば、危険な位置です。 (2段階右折待機ゾーンは この場合は、考えません。)
該当の、90度カーブは、今まで出会った 工事区間の中で、予想外。 最悪でした。
(あくまで、兵庫県の道路事情なので、公道、公共のインフラの扱いで、述べます。)
(この間、BASS ON TOP のライブを、メリケンパークで見て、バイク側で、クルマに突っ込まれたという、リアルな体験を語っているアーティストが居て、やはり、この記事は、書いた方がいいと判断し、書いてます。)
このように、ロックな視点からも、社会は理不尽で、全く、弱者という名の、普通の人々のことが、考えられていない社会なので、どうにかする必要があることは、明らかです。
(バイクは、微妙な立ち位置ですが、今は、自転車に近い立場として、解釈します。)
私は、内向直観タイプ。
つまり、住宅事情や、交通戦争事情など、私が嫌がらせを受けていると感じるような、中心にある 現実は、外向する直観として、私に流れてくると、感じています。
財閥のような権力者は、富を築く人間が 勝つ社会、未来を読むことで、社会的立場が 有利になる ルールを作ってきたと、推論できるわけで、それは、外向的な直観に基づいている らしい、と。
もしそうなら、高層ビルを建てるような、東京ないし 神戸の中央区の性質は、内向感覚が、信じられないくらい脆弱だと、見れます。
それが、今回の、姫路エリアの、工事の区間にも、影響すると、思います。
姫路~英賀保の、間に、駅を作っているみたいでしたけど、そもそも、これらの駅に、住民が、自転車や、徒歩で、安全に、駅に向かうだけのルートが、場所によっては、皆無です。
とくに、網干~はりま勝原の、神戸線北側の道が、ラッシュ時に、クルマだらけに なってます。
(御着~東姫路 への JR高架越え 姫路明石サイクリングロードのルートのエリアも、ラッシュ時に、クルマだらけで、泣きます。)
郊外は、通学する子が、郊外の車両規格 (基本的に私の運転) で 自転車を使うので、左側通行で、車道を走ります。
しかし、こういったクルマだらけの道では、左側通行の安全性が壊れるので、まともな運転が、身に付きません。
(少し角度は違いますが、都市部での、神戸~明石 の 2号線、垂水のあたりは、バイクのすり抜けが、常用化し、自転車が、絶対に真似てはならない 無秩序と化している現状が、あります。)
姫路駅から北へ、姫路城への道も、左折するレーンが、2車線重なったりと、自転車で車道を走ることが、困難に設計されている道が、ありました。
単純に、道を広くしても、自転車の視点では、困ることが、ある例です。
(迂回しない場合。 交通量次第、ですけど。)
さきほどの、カーブの区間での対策ですが、おそらく、ありません。
停止線と解釈できる位置で、左端に何とか寄って、対向車が、うまくハンドルを切ってくれることを祈りながら、後ろからくるクルマにも注意を払い、抜けることができる状況になるか、クルマ側が、止まってくれたら、ゆっくり、押すことも選択しながら、抜けることで、パスできる可能性は、高いです。
もし、十字の位置で、左上、に当たる 角の場所まで、走行してしまったら、自転車は、縦長なので、待機のしようが、ありません。
ここで、クルマが来ても、ろくに、向きを変えられないので、安全マージンは、マイナスです。
郊外のクルマは、飛び出しが少ない地域で、左側通行の車両しか、想定しないで 走れるので、何も考えずに、道を行きます。 (体感)
そこに、都市部の、狂った事情が、横行すると、今回、私が体験したようなことが、起きます。
道の安全性は、工事によって、道を狭められていると、国や、兵庫県のテストも、受けることが、できないようです。
これは、建設にも、言えるでしょう。
自転車は、時速7キロ、ないし、時速3キロ、まで、徐行すると、バランスが 不安定になります。
最近 気付きましたが、郊外、つまり、田舎のクルマは、相対速度で、パスするマージンを、決めるらしいです。
つまり 徐行する自転車に対して、異常に 対向で接近してくることが 危険でしかなく、なぜ、自転車側が 叫びうるのか、全く、理解できません。
クルマは、飛ばしていると、危険運転で、走りされますからね。
ヒルクライムで、膝を傷めないように、車体を揺らしているだけで、クラクションを鳴らす、無知なクルマにも、気を付けてください。
こういうクルマは、ようするに、権力者かぶれの、狂った方の、内向感覚が脆弱なタイプです。
メインが、何のタイプかとか、詳しくは、議論に影響しないですけど、権力者は、見えないパーセプション、内向する、直観や、感覚を、無視しています。
(内向感覚を鋭くできるタイプが、権力社会に、ほぼ、懐疑的なのは、たぶん、この視点を、体感しているからです。 クルマを飛ばすのは、外向型のパーセプションの方の、歪んだバージョンの、タイプでしょう。)
おそらく、タイプ論自体が、意外に、世の中で、深くは知られておらず、権力者界に、内向する感覚が、弱いという視点は、初耳な人も、いそうです。
技術的なことで、街を発展させているから、内向する感覚は、十分だと思っていますが、それは、目に見える、物質科学的な側面、つまり、外向する感覚の 範疇でしょう。
騒音問題は、この 外向する感覚が、内向する感覚を ジャックする、生活世界の植民地化であると、説明できます。
そして、その中核に居るのは、いつも、街づくりの モチベーションの、影のようなものと、感じます。
もう一度、言いますが、現実に、クルマに突っ込まれたと、ステージでアピールする人がいるという事実から、これは、言っても仕方のない、どうせ解決不可能な問題、とか、言える ものでは、ないのです。
パラダイム戦争のコツは、新しい流れ、例えば、完全自動運転の一般化が、古い、クルマたちの意見を、抑圧することなく、メインの潮流から 離れるように、誰も相手にしなくなる流れで、新たな常識ができる、ということです。
完全自動運転は、自転車で、ルールを守り、解釈して実践すると、実現が、可能であると 分かります。
つまり、権力者は、内向感覚が弱すぎ、つまり、ミスチルの主題風に、センス! これが ないので、完全自動運転に、マージンが必要な切迫性、完全自動運転にする必要性 すら、理解できません。
一方、自分が 歩行者の立場で、クルマが危なかったから、国に、クルマは、歩行者優先にできるはずだと、法律に、その条項を、目立たせることをも、するかもしれません。
この場合、そもそも、それが不可能な事情を、定立しておいて、表面的に、クルマは、歩行者優先でいられるはずだと言っても、完全自動運転に しない限り、今では、無理でしょう。
自転車なら、できることを、クルマは、できません。
内向感覚が弱い 支配的な流れが、交通戦争を作り、理不尽を生み出し、都会の冷酷さが、郊外に流れ、修正不可能な ところまで、とっくに きているが、それを ごまかし続けている、センスがないと、言わざるを得ない、ちょうど、聴きたくもない音楽を 流し続けているようなものだと、思います。
以上、こんな視点で、議論しました。
私の経験と、現実の問題を、リンクさせることで、説得性を持たせること、現実の問題として、存在していることを、書きました。
これによって、問題がどうなるか、影響がどうなるかは、サポートの範疇を 超えますけど、全く違う、意外な分野に、影響を 与えるかもしれないので、しっかりと、乗せておきますね。
(例えば、スポーツのスポンサーと、優勝の力学は、このコーナーに、関係するでしょう。)
2025年03月23日
都市と郊外の道路事情 ~感覚と直観の命題~
posted by インテグラルとど at 14:15| 実用的生活実践
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