2024年05月04日

今 おかれた現状に ゆっくり 洞察を灯して 目をそらさず 伝えてみますよ ♪



2024年になって、こどもの日が、来ます。

イベントが、たくさん開かれて、より、楽しくなってきました。


メジャー6 では、小さくまとまってしまうことへの もったいなさ。

ナルトでは、正直になって、一人で抱え込まないこと。


漫画・アニメで、いろいろ、メッセージが ありますよね。

実は、よく知っている、サンドランド (コミック) は、そんな、未来の現状を、見た、ストーリーとも 思います。




ウイルス禍の 近況は、いろいろと、混乱を迎えながら、安定に向かっていると 言えます。

相変わらず、その大部分は、生物圏と 心圏の、断絶が原因で、見えにくく、しかし、外向しており、キメラアント編で 言及された通りの(ような)、ハザードになりました。


この、混乱、複雑な方程式 を、なんとか、自分なりに 解いていきましたので、ここは、勇気を示して、思い切って、言っておきます。


まず、2019年の末には、ウイルスが 流行っていることが、言及されていました。

2020年の比較的早いうちに、コミュニケーションが、断絶、疎外されていく、何らかの障害になる、と言われていました。


このことは、2020年の時点で、私の 心と頭のノートに、メモっていましたよ。


そして、マスクを 皆が 外し始めた、外因的・社会象限的な、集団倫理が変化する、この、2024年に、私なりにとらえた 違和感が、外向する咳払い現象です。


これが、わたしを、過度の、人間不信に陥らせていきます。

あまりに、私に効くので、これを 書かずに放置しておくのは危険と判断し、原因を見て、このコーナーにつなぎます。


転換点は、都市近郊も 含めて、ロングライドに 慣れた シーズンです。

後日、のどがカラカラになるように、咳をしている、自分が、いました。


つまり、咳払いの原因は、排気ガス だったのです!!


まぁ、70年代あたりに発生した、公害、これが、私の時代の、教科書に出ていますから、主観も兼ねた、経験的一般論として、今は、言います。




咳払いは、5人から、20人に一人は、私に向かって、行ってくるように感じます。


理由は、視覚的には、私の、身なり・しぐさ・歩き方、など。

聴覚的には、私の、対車両への防衛も兼ねた、ひとりごと へ。

嗅覚的には、臭い、全般です。


共通する特徴は、それに、ひとりごとレベルで言及しても、全員にスルーされる性質です。

歩行者自転車に、ルール無視を注意して、かわされるのと、体感は、同じです。


今の私は、こうして、身体、心身を使って、データを取ります。


この 咳払いは、トラブルを避けたいという心理で 注意ができず、人が逃げ込める 安全地帯としての、強迫性を帯びた 癖となり、この注意のない断片化が、そのまま、クルマの危険運転、バレなきゃいいと感じる 不道徳な行為の全般、に、即座に変化するのではないか… と、現状を見て、思います。




しかし、よくよく、考えてみると、かすかな臭いしかしない状態、ほかに いくらでも、嫌な臭いがする状態、ひとりごとを言っておらず、たいして身振りがおかしいわけでもない、こういった場合でも、咳ばらいをされることがあります。

臭いのひどさに、相関しないというところが、ポイントです。


あるいは、私が、慎重に、左右確認をしているだけでも、咳払いが、飛んできます。


最初は、視覚、聴覚、嗅覚、それぞれ、どの原因で、咳払いが くるのかを、特定していきました。

次第に、五感情報 そのもの と、生物圏の抑圧の 問題、無意識に 咳払いが外向していく らしいことが、わかりました。


わざとやっている というより、意識されない、したくない、という要因が、圧倒的だということです。

例えば、ニュースキャスター、司会者、または、かなりえらい上司に対して 部下は、あからさまに人を驚かせる咳払いに、注意を払うものです!!




要点は、非言語コミュニケーションが、壊れていく、ということです。

自転車乗りの場合は、手信号も、車列に入ってのブロックも、皆、非言語的な コミュニケーションです。


これが崩壊することは、死に直結することを、意味します。

つまり、言語的意味を 取れないものは、シグナルではなく、非言語的コミュニケーションとして 扱ってはいけない! 公共の福祉に反する、ということです。


暴走族に、わざわざ、飛び出して、止めようとする者が、基本的にいないのと同様、現状における混乱の多くに、力技で、立ちとめよう、とは、無謀です。

私が、今、置かれた現状も、かなり、これです。




ウイルス禍は、この、非言語コミュニケーションを、壊しました。

これによって、多くの人は、咳払いの空気を、無意識に追いやって、締め出しています。


しかし、かすかな、多くのしぐさの中に、非言語コミュニケーションが、潜んでいますから、何が、締め出す対象か、区別は 難しいでしょう。

アニメでは、咳払いに、意味があります。


なので、結局は、危険運転をしてほしくない、という、歩行者・自転車の、非言語的 意図を、無視した、自動車ドライバーの大群が、見境なく、道路を走り回る、現状が 横行します。

そこで、ウイルス禍における、クルマの増大です。


自転車も増えましたが、咳払いの原因が、排気ガスにある、アレルギー反応だとしたら、ピタリと、説明できるのです。


人前で、咳をしたくなる衝動を 我慢します。

これが、開始地点です。


例えば、犬を連れている数人が、固まっており、私は 距離をとって通過します。

しかし、大きな咳払いが、飛んできます。


このとき、一番 驚くのは、周りの 数人です。


なので、これは、我慢している状態から、突然、アレルギー反応のごとく、私を対象に、視覚・聴覚・嗅覚的な、なんらかの〝きっかけ=トリガー〟が てこになって、咳払いとして、外向された、と考えられます。

危険運転も、同様かもしれません。




ここで、やや、恐ろしいことに、気づきます。


私の生活している近況では、ここ数年、壁のたたく レベルの音が、頻繫にします。

生活音としては、不自然であり、不快な音が、日中、場合によっては、深夜にも。


人は、定期的に、移り変わっているようですが、ブルーワーカーだと思われ、ウイルス禍のときから、特にひどくなりました。

この原因が 全く特定できず、ウイルス禍の 数年を過ごしたのは、この私です。


で。

もし、咳払いと同様のことが起きている、私は、まったく原因に関与しておらず、きっかけ・トリガーにすぎないとすれば、これは、宇宙兄弟の 閉鎖ボックスで 言及された (普通の人でもかかる) あの、閉所恐怖症なのではないか? ということです。


わかります???


ロックダウン、長期の自粛。

ひきこもることに慣れていない、外向型のブルーワーカーと その家族は、壁を叩くような動きによって、無意識に、これを、外向し続けます。

もともと、階段をガンガン上がったり、ドアを頻繫に開けて出入りしたり、モノを粗雑に、ガン!と 大きな音を立ててみせたり、私の身の回りで、これらの音のいくつかは、悪くも、身近です。

すでに、ウイルス禍の混乱として、スルーしてます。


そうです。


クルマに 乗るしかない 人々、あるいは、タクシー運転手、職業ドライバー、われらが アマゾン 宅配含む 配送業者さん…。

閉鎖環境にて、咳払いと同じ仕組みで、強迫的行動が、外向するとなれば・・・。


これは、やばいでしょう。


危険運転が、加速しているというデータ自体は、自分の中で、証明できる形で、とっています。

2021年ごろから、信号無視をするクルマ、制限速度を かなり超過するクルマ、横断歩道を渡ろうとしている歩行者を 無視するクルマ。

都市部中心に、冷酷な運転が目立ち、自転車で ブロックが成立せずに 死にかけたことは、何度もあります。


これらの問題は、皆、つながっていたのです!!!




最初、私は、監視されているのではないか? と思っていました。

もしそうなら、証拠がない限り、スルーするのが、現代社会のルール (掟) ですが、仲間を心配させるのも 忍びないので、次に進みます。


例えば、咳払いの横行によって、詐欺師やストーカーが、住民を装って、咳払いによって、逆に違和感を消し、近所に 溶け込むことが、あり得ます。

私は、耳で、外の情報を聴きながら、違和感を探っていますから、これでは、打撃なのです。


治安が悪くなるのは、必至で、去年の時点で、わけのわからない音を立てるバイクが、夜中を含め、数十秒、唸りまくっていたりと、さすがに、くわっ\(◎o◎)/! って、なりました。

住民が音を出しているのかすら、わからず、何らかの部外者、特殊工作員の、侵略行為なのではないか、と感じるわけです。




こうして書くのは、エコカーを 神戸まつりで ピックアップしていた、神戸市にも、現状として、知ってほしいからです。

2年ほど前から、私の周りで、大きな音も出る 住宅関連の工事の それ が、定期的に発生するようになり、ティール色ではない、どこの組織か 知らないけれど、長く 生じることになります。

閉所恐怖症の件で言及したような、ガン!という、大きな音は、これを書いている時にも、定期的に発生し、咳払い、咳、しゃべり声、など、住民か判別不可能な形で、とりまくわけです。

言ったとおり、この状況で、どの部外者が来ても、違和感 残る形で、あいまいに 消えます。

それも、長期間 生じることで、このコーナーで テーマにする 問題が、絡まったまま、やばくなるわけです。




基本的に、ウイルス禍は、未来少年コナンでも言うように、作者的に〝時間をいじった〟権力者が原因で、拮抗が崩れて 逆流している、と見れます。

咳払い、閉所恐怖症、危険運転・・・。 同じで、ウイルス研究とその意義に、注意を払わなかった集団倫理が、世界規模に、ハザードとして 展開させた、崩壊です。


現状として、生活音に 反応されますし、芸術家として、創作活動全般が、ろくにできず、動かないことを選択する場合の、私にとって かつてない実害が 発生しているので、本当に 困っています。

ネットも、おちおち、できません。


芸術で、お金を稼ぐことを、まず、否定されます!




たぶん、一部の、多くのブルーワーカーは、ああして、咳払いを しているし、労働基準法というものも ないらしいです。

閉所恐怖症に至っては、心がない (感情がない) 、 と 言った者の方が、かかりやすいと 思います。

内面を無視することで、生物圏と 心圏の バランス、つまり、健康が 崩れるからです。

これが、住宅地、まわりの安全を、壊します。




私は、住宅地で〝マンション建設反対〟と書いた、古い看板を、見たことがあるのですが、それを 貼った 人たち は、まず、子どもの勉強を ジャマされることの 懸念から、思いやりを持って、この札を 設置したのだと、思います。


安全運転! ゆっくり走行! など、車両関連ならば、どこでも身近に、見ますよね!!




栄光の裏で、誰かが苦しんでいるわけですが、ウイルス禍は、それらすべての〝非言語シグナル〟を、かなぐり捨てるのに 性根から悪用されていった と、分かります。


私たちにとっての、この数年とは、実は、何だったのでしょう?

一面を見て、真実に たどりつけていると、言えないのかもしれません。


例えば、社会の象限である リーマン・ショックの原因 (人々の欲によるもの) ですら、簡単には、わかりませんでした。

ウイルス禍における 現状は、さらに、広がった象限において、展開しています。




もし、あなたが、暴力によって強制され、グーグルが気を利かせてくれている 病んだコンテンツに物申すことにも関連する、〝赤ん坊のころに虐待して育てるような 病んだ組織がある〟のなら、その中にいる彼らは〝世界は救われない痛みだ〟と 思うらしいですが、物価が高いなら、無駄な 副流煙的なものが生じるやつとか、クルマとかを、やめればいいんですよ。

そして、無料のイベントに頼って、必要な機会を、要約していけばいい。

(子どもに問題を、擦り付けるな!)




周りの作業音は、休日 (勝手な都合で日曜すら) も 平気で、発生しますし、クルマを先に行かせる、類の〝ダイヤを組んで創作活動〟も、不可能です。

自転車に乗ることも 吟味ですが、〝自分の限界を認める! それが挑戦の意味になる〟と思って、次に行きます。




政治的にも、テーマになるのは…。


〝トラブル 災難は あっては ならないのか?〟


ひとつの答えは、〝人生は 成長するためにある!〟

終わるとダメ!


でも、モチベーションは、バランス。

うまくいきすぎると、堕落してしまう…。


つまり、左側の象限 (ハートの右派) は、非言語コミュニケーション全般が、あまり向いておらず、正直に話してほしい! と思っています。

彼らに、その手の いやがらせは、通じません。


政治でも、直喩と 暗喩、 直接 伝えることと、間接的に示唆することで、戦略は 展開するでしょう?


クリシュナムルティでも、100% 直喩で コミュニケーションするわけでは ありませんよね?

これは、思ったよりも、大問題なのです!!!




今回のまとめは、咳払いとは、〝排気ガスが 原因だった〟洞察 です。

主観を基準に取った、経験的なデータです。


マスクを取ったことで、五感の過敏化が 発動され、今まで 経験されたことのない形で、文明を バグらせます。

それを、現状で、わたしなりに、まとめたのが、ここ です。


悩んでいる 芸術家は、ほかにも いるだろう と、感じます。

特に、非言語コミュニケーションの重要性に 気付いている方へ、その感受性に、すばらしい! と、ここに、いいます。


人の話を 聞かないことです。

非言語コミュニケーションを、軽視する者たち (の正体) は。


だから、これを書いたり、言ったりしていること〝そのもの〟も、取り返しのつかない形で〝まのあたりにさせること〟で〝やることに意味がないことを 思い知るだろう〟と、彼らは、思っています。




スピッツの言う〝色褪せない魔法のことば〟が ゆずの言う〝英雄の ルールが変わって〟行くことで、やわらかく、世界を包んでいくのなら、ここで、わたしが、乗り遅れるわけには、いきません!!


木津川の自転車道が、あたらしくなっていて、流れ橋のように流されている私ですが、東を ひさしぶりに 走ってみて、自転車乗りが、頑張っていること、楽しんでいることが、伝わりました。


これを 言っておく 意味 は、あるでしょう !



posted by インテグラルとど at 11:43| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする