2023年12月05日

わたしたちは〝進化〟していると 思いますか? ~LIFEや政治に メタ・データ~



〝統合心理学への道〟(スピリットの眼=THE EYE OF SPIRIT) で、ケン・ウィルバーは、〝進化は起こっている... 人間を除いて!〟という解釈 (主張‐定立) が、支持されていた 問題 (プロブレム) を、挙げておりました。 

この視点を、ワン・テイストの〝善良への成長と 善良の回復〟とは違う切り口で、身近な、ある例から、簡潔に、見ましょう。

統合心理学への道は、進化の構造 ( 1995年 著、1998年 訳 ) の〝質疑応答〟の用途に近い形で、展開された、補足の論文らしく、〝インテグラル心理学〟(教科書) より 〝考える人〟っぽい、構成ですよね。





・道路交通のふるまいのデータは 人間なら誰でも 基本的に〝収集〟できて 使える!


またか(笑) と思われますけど、やはり、一番、現実的 (タイプ8 的) に、手っ取り早く 把握できる領域です。

進化は〝人間を除いて〟と言う、保守派は、自分たちが、このデータを、簡潔に得られるにも〝かかわらず〟一切の〝批判哲学〟を構成しません。

これは、〝力なき正義〟とも言え、〝ルールを守ることを 論理的に説明する〟という 大切さにも、開けておりませんね。

社会的・文化的な進化を認めない、という保守派は、にもかかわらず〝その支持者の全員が クルマを使わないわけでは ありません〟!

これは、論理的に、矛盾だらけです。

よって、保守派は、進化の観念を〝怠惰〟によって、ぶち壊していると言えます。





・ルールを守りたい者は クルマに乗れなくなり ルールを破りたい者は 自転車に乗るようになる!


一種の風刺と仮説ですけれども、経験則とも関連します。

これが押し進むと クルマ社会が〝なくなる〟(まともで無くなる)ので〝完全自動運転〟が必要になります。

つまり、せっかく整備した〝広い道路〟が、無駄になるので、完全自動運転は、必然です。


車道では、まともに、ルールを守れないと、保守派は 感じるかもしれません。

しかし 結局は クルマに乗ることで、〝わが身が可愛い〟自分たちは 最終的に、クルマに乗ることを あきらめ、それでも、効率よく移動するために、技術に頼れば、自転車 寄りの 移動方法を、確立するでしょう。

そして、今に至ります。


都市部で、自転車を目の敵にしているクルマは、周りのクルマの動きに 脅威を感じにくい環境・文化圏に いるために、必然的に、ルールを無視している自転車・歩行者に、目が行きます。


逆に、クルマ扱いで自転車に乗りながら 歩行者生活にシフトした私は、クルマの危険運転が、脅威に感じます。

それでも、ルールを守って、クルマ扱いで自転車に乗ると、無秩序な自転車と歩行者... (ルールを知らないのか 守っていない自転車と歩行者) が、うっとおしいです。

でも、クルマの脅威が、ダントツです。





・追い越されることが問題なのではなく クルマが多いことが問題!


自転車だけでなく、原付もでしょうけど、クルマに追い越されるとき、片側多車線や右折ラインがある道で、ひどいことになります。 片側1車線でも、それより狭い道でも、路上駐車があるときも。

しかし、これは そもそも、交通量が少ない場合、〝車間距離〟が取れますから、クルマからの追い越しが頻繁に発生して〝死角をつくる〟ということもなくなり、クルマが〝自分が悪くない!=看板が出る〟という事態も、防げます。


保守派に言いたいのですが、クルマ同士の縦の 車間距離の保持が崩壊していることは、〝とてつもない緊急事態〟なのです。

それを、優秀な モラウさん (タイプ3) の真似をして〝自転車と歩行者の歩道の問題に転嫁・合理化〟するのは、やめましょう!





・私たちは 自分の中の切り裂きジャック (人格) を出して クルマを運転している!


私は、車両=自転車、ですが、基本は、皆、同じです。

多少、あり得ない たとえ ですけど、経験則において、特定の交差点で、自転車・原付を ぶっ飛ばしてもいい、とあきらめている、クルマのドライバーは、多いのではないかと、思います。

自転車は まだ、この破壊性が、車道走行では、抑えられますよね。


現時点での道路交通から、データを得れば、誰でも、都市部では特に、クルマが、必要悪に、冷酷に、平均的に、助長しあって、運転をしていることが、分かります。

クルマ同士だけ、うまくいけば、他はどうなっても構わない、と、もし全く思っていなければ、こんなことに、なっていません。

どんなことになっているのかは、都市部で歩けば、分かります。

自転車に乗ってルールを守って、道を走ると、さらに、うまく、分かります。





・都市部でクルマを持って 使っている者は 彼らにバカにされる意味での いなか者!


基本的に、都市部でクルマは、要りません!

それでも 持たなければならないと〝思い込んでいる者〟は、〝郊外にアイデンティティを持っている〟と言えそうですね。


どちらにしても、郊外へ行くのではないのなら、クルマで移動するのは、危ないだけ!

これも、道路交通を見れば、データを取れば、すぐに分かりそうなものです。


都市部で、政治的問題を考えるとき、進化的な問題に悩むときは〝現状での道路交通〟を見た方が、早いです!





というわけで、クルマたちが、積極的に、自分たちにいいように、ルールを曲解して、道を牛耳っていることは、都市部で 見れば、分かります。

ただし、ルールは、学びましょう。

自転車で、交通量の少ない、簡単な、車道と裏道を 走るときに、役に立ちます。


例えば、クルマが、信号のない 横断歩道の停止線で 止まらないのは〝歩行者が渡るか分からないから〟ですが、結局〝停まれないように走る〟言い訳になり、それは、即、いやなデータ (交通戦争・社会文化の交通データ) を見る通りの 結果になります。

社会と文化を考えるうえで、そこを避けるとき、〝人間に進化は起こらない〟と、愚痴ることに なるわけです。


同様に、それゆえ 歩行者専用の信号を 付けるとき、横断歩道のラインと 同方向の わき道から、クルマが曲がるとき、〝車両用の信号に従ってください〟と書かれていても、〝停止線が手前にあるから〟の理由で、信号を無視して、突っ込んでくる・・・と。

そういう場合、安全運転義務を解釈する、一番有効な方法は、〝曲がらずに交差点前で停止する〟でしょう。

それすらできないという、頭の悪いクルマばかりが、そういった道を抜け、住宅街を走り、決定的な証拠を、残し続けているのです。


よって、色々な交差点などで、歩行者は、クルマが、どういったルールを無視して、その環境を 演出・捏造しているのか、注意して、データを、取り続けていくべき です。

これは、住民のことを考えないで、強引に建設していく業者にも、言えます。


道路交通のパワープレイから、悪い権力 (ドミネーター・ヒエラルキー) を〝解体〟する〝構造的手法〟を 習得 しておく ことは、クルマに乗るより、はるかに〝建設的〟なことだと、私は、思うのです!


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posted by インテグラルとど at 13:16| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする