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〝統合心理学への道〟(スピリットの眼=THE EYE OF SPIRIT) で、ケン・ウィルバーは、〝進化は起こっている... 人間を除いて!〟という解釈 (主張‐定立) が、支持されていた 問題 (プロブレム) を、挙げておりました。
この視点を、ワン・テイストの〝善良への成長と 善良の回復〟とは違う切り口で、身近な、ある例から、簡潔に、見ましょう。
統合心理学への道は、進化の構造 ( 1995年 著、1998年 訳 ) の〝質疑応答〟の用途に近い形で、展開された、補足の論文らしく、〝インテグラル心理学〟(教科書) より 〝考える人〟っぽい、構成ですよね。
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・道路交通のふるまいのデータは 人間なら誰でも 基本的に〝収集〟できて 使える!
またか(笑) と思われますけど、やはり、一番、現実的 (タイプ8 的) に、手っ取り早く 把握できる領域です。
進化は〝人間を除いて〟と言う、保守派は、自分たちが、このデータを、簡潔に得られるにも〝かかわらず〟一切の〝批判哲学〟を構成しません。
これは、〝力なき正義〟とも言え、〝ルールを守ることを 論理的に説明する〟という 大切さにも、開けておりませんね。
社会的・文化的な進化を認めない、という保守派は、にもかかわらず〝その支持者の全員が クルマを使わないわけでは ありません〟!
これは、論理的に、矛盾だらけです。
よって、保守派は、進化の観念を〝怠惰〟によって、ぶち壊していると言えます。
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・ルールを守りたい者は クルマに乗れなくなり ルールを破りたい者は 自転車に乗るようになる!
一種の風刺と仮説ですけれども、経験則とも関連します。
これが押し進むと クルマ社会が〝なくなる〟(まともで無くなる)ので〝完全自動運転〟が必要になります。
つまり、せっかく整備した〝広い道路〟が、無駄になるので、完全自動運転は、必然です。
車道では、まともに、ルールを守れないと、保守派は 感じるかもしれません。
しかし 結局は クルマに乗ることで、〝わが身が可愛い〟自分たちは 最終的に、クルマに乗ることを あきらめ、それでも、効率よく移動するために、技術に頼れば、自転車 寄りの 移動方法を、確立するでしょう。
そして、今に至ります。
都市部で、自転車を目の敵にしているクルマは、周りのクルマの動きに 脅威を感じにくい環境・文化圏に いるために、必然的に、ルールを無視している自転車・歩行者に、目が行きます。
逆に、クルマ扱いで自転車に乗りながら 歩行者生活にシフトした私は、クルマの危険運転が、脅威に感じます。
それでも、ルールを守って、クルマ扱いで自転車に乗ると、無秩序な自転車と歩行者... (ルールを知らないのか 守っていない自転車と歩行者) が、うっとおしいです。
でも、クルマの脅威が、ダントツです。
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・追い越されることが問題なのではなく クルマが多いことが問題!
自転車だけでなく、原付もでしょうけど、クルマに追い越されるとき、片側多車線や右折ラインがある道で、ひどいことになります。 片側1車線でも、それより狭い道でも、路上駐車があるときも。
しかし、これは そもそも、交通量が少ない場合、〝車間距離〟が取れますから、クルマからの追い越しが頻繁に発生して〝死角をつくる〟ということもなくなり、クルマが〝自分が悪くない!=看板が出る〟という事態も、防げます。
保守派に言いたいのですが、クルマ同士の縦の 車間距離の保持が崩壊していることは、〝とてつもない緊急事態〟なのです。
それを、優秀な モラウさん (タイプ3) の真似をして〝自転車と歩行者の歩道の問題に転嫁・合理化〟するのは、やめましょう!
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・私たちは 自分の中の切り裂きジャック (人格) を出して クルマを運転している!
私は、車両=自転車、ですが、基本は、皆、同じです。
多少、あり得ない たとえ ですけど、経験則において、特定の交差点で、自転車・原付を ぶっ飛ばしてもいい、とあきらめている、クルマのドライバーは、多いのではないかと、思います。
自転車は まだ、この破壊性が、車道走行では、抑えられますよね。
現時点での道路交通から、データを得れば、誰でも、都市部では特に、クルマが、必要悪に、冷酷に、平均的に、助長しあって、運転をしていることが、分かります。
クルマ同士だけ、うまくいけば、他はどうなっても構わない、と、もし全く思っていなければ、こんなことに、なっていません。
どんなことになっているのかは、都市部で歩けば、分かります。
自転車に乗ってルールを守って、道を走ると、さらに、うまく、分かります。
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・都市部でクルマを持って 使っている者は 彼らにバカにされる意味での いなか者!
基本的に、都市部でクルマは、要りません!
それでも 持たなければならないと〝思い込んでいる者〟は、〝郊外にアイデンティティを持っている〟と言えそうですね。
どちらにしても、郊外へ行くのではないのなら、クルマで移動するのは、危ないだけ!
これも、道路交通を見れば、データを取れば、すぐに分かりそうなものです。
都市部で、政治的問題を考えるとき、進化的な問題に悩むときは〝現状での道路交通〟を見た方が、早いです!
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というわけで、クルマたちが、積極的に、自分たちにいいように、ルールを曲解して、道を牛耳っていることは、都市部で 見れば、分かります。
ただし、ルールは、学びましょう。
自転車で、交通量の少ない、簡単な、車道と裏道を 走るときに、役に立ちます。
例えば、クルマが、信号のない 横断歩道の停止線で 止まらないのは〝歩行者が渡るか分からないから〟ですが、結局〝停まれないように走る〟言い訳になり、それは、即、いやなデータ (交通戦争・社会文化の交通データ) を見る通りの 結果になります。
社会と文化を考えるうえで、そこを避けるとき、〝人間に進化は起こらない〟と、愚痴ることに なるわけです。
同様に、それゆえ 歩行者専用の信号を 付けるとき、横断歩道のラインと 同方向の わき道から、クルマが曲がるとき、〝車両用の信号に従ってください〟と書かれていても、〝停止線が手前にあるから〟の理由で、信号を無視して、突っ込んでくる・・・と。
そういう場合、安全運転義務を解釈する、一番有効な方法は、〝曲がらずに交差点前で停止する〟でしょう。
それすらできないという、頭の悪いクルマばかりが、そういった道を抜け、住宅街を走り、決定的な証拠を、残し続けているのです。
よって、色々な交差点などで、歩行者は、クルマが、どういったルールを無視して、その環境を 演出・捏造しているのか、注意して、データを、取り続けていくべき です。
これは、住民のことを考えないで、強引に建設していく業者にも、言えます。
道路交通のパワープレイから、悪い権力 (ドミネーター・ヒエラルキー) を〝解体〟する〝構造的手法〟を 習得 しておく ことは、クルマに乗るより、はるかに〝建設的〟なことだと、私は、思うのです!
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2023年12月05日
わたしたちは〝進化〟していると 思いますか? ~LIFEや政治に メタ・データ~
posted by インテグラルとど at 13:16| 実用的生活実践
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