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やっぱり、ひまわりは、きれいですね🎵
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これで、ページを完了しても、コメントになるので、ここでも、少し、旅の記録など、近況を、ご報告しましょう。
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コスモスが、そろそろ、切り花プレゼントの季節なので、今回は、中心部まで、行きました。 (小野市)
めっちゃ、きれいやん(笑)
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コスモスの丘 (地元) で、色々、何回か、予習してきましたけど、大規模に咲いていると、つぼみとか、咲き終わっているやつとか、気にならないですよね。
2年前も、3年前も、見たと思うのですが、一面に咲きすぎて、この情景感を、持って帰れないですから、忘れてますよね。
そういえば、こんな、凄すぎる感じだったなぁ、って、思いました。
今回は、自転車を停めて、コスモスの中を、歩き回りましたよ!
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そうそう。
コスモスが一面に広がり切っている中に、今回、いつも以上に、悠々と、ひまわりたちが、咲いていました。
ひまわりの丘に、ひまわりを見に来たって、感じでしたよ。
あき🎵ひま✧って、いいですね!!
F ☆ I ☆ N
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補足みたいになりますが、わたしが、歩行者生活を決めてから、まだまだ、乗ってきた、自転車について、今の交通事情の体験を、書きます。
要は、最近、クルマの運転が、非常に、地元ないし都市部で ひどくなっています。
例えば、そのせいで、原付が、右折でも、最短ルートで曲がってくる、要は、歩行者から見て、横断歩道上の、対向車線側に、突っ込んでくるわけです。
クルマが原付を追いやり、そして、自転車と歩行者を 追いやります。
ずっと指摘していますが、そのせいか、そうしているにもかかわらずか、さらに、いろいろ、嫌な状況です。
交通の現状を知ってほしいので、私の経験の具体例を 持ち出しますね。
最近、平たんも活用するため、ルート選択上の理由も含めて、神戸市内を、明石側に走るときに、2号線を使って、裏道もつないでいます。
あるとき、本線上で、死にかけました。
相変わらずですが。
普通に走っているだけで、そうなるのが、交通戦争だとは、覚悟しているので。
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地元の外、郊外を走り続けていくときは、片側1車線などの道で、ブロックが、長い目で見て、必要です。
ブロックは、後続のクルマに、まだ見えていない、対向のクルマの存在を知らせるために、徐行の手信号などとともに、左車線の中央寄りに寄って走る、という使い方、あるいは、やや狭い道で、信号を待つときに、特に停止線で止まるときに、使います。
ゾーン30など、30キロ制限でないと、まず、通用しないという、厄介なものです。
40キロ制限の道で、条件次第で、ぎりぎり、大丈夫なことが多いですが、明石までの片側1車線の2号線でも 50キロ制限で、50キロ制限の道では、ブロックは不可能です。
一度、これを体験したら、何らかの対策を、取ってください。
クルマは、どうやら、私たちを、ぶっ飛ばす気、大ありです。
なぜなのか、感覚と、感情で、考えてみました。
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2号線、西行きで見ての、片側1車線区間には、交差点の三叉路で、左にくぼみがあるような交差点があります。
その交差点に、右折ラインが設置されています。
右折ラインなら、他にも、似たような交差点は、あります。
要は、右折車線が設置されている片側1車線・・・、神鉄道場辺りからの県道15号線 (車道) も同様で、自転車で 走るべきでは〝ない〟道です。
つまり、地元、2号線・西行きにおいて、この区間は、歩道が狭いので、信頼の原則をクルマに突き付けて、何とか大丈夫な車間距離を、後続確認で判断して、交差点を直進します。
自転車でです。
しかし、50キロ制限で、この手の道は、高速道路化していますから、制限速度超過のクルマが、空いた道を、ぶっ飛ばして、すぐに、追いついてきます。
一体、何十キロ、出ているんでしょうかね。
よく混む道なので、それで貢献でも しているつもりなのでしょう。
で。
私が、交差点を直進するとき、まんまと、後続車1台目が追いつき、仕方なく、左に寄ると、そのクルマは、後続車を引き連れた状態で、いきなり、急停車する動きに当然なる、右折レーンに入り右折するクルマでした。
速度の関係からも、右から私を追い越していく、直進車両かと思いました。
直後、次の車両が、ぶっ飛ばして、直進してきます。
何度も言いますが 40キロ制限ではなく、歩道がここでは (ある種) 使い物にならない 50キロ制限の本線です。
走っている西行きは、片側1車線です。
2台目のクルマが、直進してきた時点で、1台目も2台目も、後ろから来るので、前を見なければならない私は、バックミラーを駆使しても、ろくに後ろを見れるわけがないのです。
で、クルマの方は、1台ずつとはいえ、私が見えるでしょう。
2台目のクルマは、左が少し広くなってから狭まる形状の道を、無理やり、ぶっ飛ばして、追い越してきました。
このとき、私は、右にふらつくのを防ぐため、ややブロック寄りのマージンを取るために、少し右に寄ります。
この、左車線側の中央に近い位置 (あくまで左側通行の位置) を走る状態を、1.0 (いってんぜろ) 車線走行 と、私は言っています。
片側1車線においての、電車で言う 複々線ではなく、片側1車線においての、複線、状態ということです。
2台目のクルマは、私が、見えているわけです。
なのに、突っ込んできました。
私は、死ぬと思いながら、なんとか、左に 逃げました。
なぜ 死ななかったのか、不思議です。
何度も言いますが、どれだけ対策をしていても、これは、日常的に起きます。
歩道の方が危ないこともあって、車道を走らざるを得ないこともありますから。
しかし、これでは、ブロックが、たちいかないので、車道を正しく走ることができず、安全運転義務を全うできませんよね。
ブロックって、車道を走る自転車において、次第に、やる必要があるようになるんですよ。
気づけば、ですけど。
ただ、やみくもに左端を走るだけでは、歩行者に対しても、危なすぎるので。
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色々な自転車がいるけど、なぜ、皆、車道を通らないのか、と いつも思っています。
しかし、車道を走ると、まず、歩道走行としての段階1から、車道走行の段階2に、切り替えなければなりません。
段階2では、すり抜けもしたいというニーズに駆られます。
その方が早いからで、すり抜けをすれば、死角を通ることになり、大概、停止線や横断歩道も越えるので、広義の信号無視になります。
それでも、車道走行に慣れるために、あの手この手を使って・・・。
最終的に、後方左端で待機して 車を行かせるとか、いろいろと対策ができる、段階3に、運が良ければ、移行するのでしょう。
つまり、車道走行は、私は慣れましたが、ふつうに、危ないということです。
みんなは、車道を自転車で走る勇気が、無いのです。
でも、バイクやクルマは、車道を走って スピードを出しているんじゃぁ・・・?
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ここで、議論しておくべきは、そもそも、バイクやクルマは、臆病だから、それらに乗っているのかどうか です。
心理学的に、内面的に、臆病ということで、表面的ではなく、無意識的な意味をも含みます!
自転車で車道を走るのが怖いから、バイクやクルマに乗っている、というのは、かなりありそうで、しかし、スピードが出る乗り物に乗る方が 怖くないというのは、矛盾しています。
以前、花火大会のときに、おまわりさんに、〝自転車は原動機が付いていない〟と言われました。
その意味は、よくわかります。
先ほどの、2台目が突っ込んできた例では、原付ならば、前方に、フル加速しながら左に寄れば、縦に緊急回避が出来て、車間距離を開きながら、逃げられます。
私は、段階3の自転車走行は、速度以外は、概ね、クルマと同じルールで車道を走る、と言っていますが、その速度が違う点で、原動機がない場合は、多くの人が、問題だと、感じるのでしょう。
つまり、原動機が付いていない、加速力で劣る乗り物で車道を走るのが怖い、だから、自転車で車道を走るのが怖い、ということです。
理論的には、これは、納得できる視点です。
自転車は、歩行者に、より配慮できる点でも、クルマとバイクの、上位互換だと、私は主張します。
それも、この恐怖を、乗り越えてこそです。
この理不尽な、交通戦争の都市部等で、生き残るためには、自転車側が、クルマの動きを判断して、クルマが私側に対応できるように、導く (配慮する) べきです。
歩道では、路地から出てくる車両等を、なんとか、感知するようにして、歩道に曲がったりしてくる、店に入るクルマなどは、歩道上で私が停まって、先に行かせることも含みます。
車道では、クルマがどのような運転をしてくるか、判断して、クルマが 私を認識できるように、走ります。
クルマやバイクの動きを、よく見ながら、前を優先的に見て、走ります。
基本的には、そうやって、走り続けていくことで、危なくならないように、安全にしていく、ということです。
何とか生き残っていけば、おそらく、段階3で走っているなら、善(モラル)の観念[ハート] (モラルより後に伸びる) の発達として、身に着くでしょう。
自転車がクルマの上位互換なら、勇気の面で、車道と車両の〝リーダー = 先導者〟になる義務と責任がある ということです。
確かに、この義務を背負うくらいなら、クルマに逃げますよね。
あるいは、自転車で 歩道系だけを走るか。
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下りを自転車で走るとき、見通しが良ければ、私は、適速で走りますが、自転車って、危ない乗り物だよ?って、言います。
下りで 理論的に クルマと同速度が出るから、そもそも、原動機うんぬんの問題より、歩行者から見て〝危険〟ですし、自転車乗り自身も、弱ぺダに共感するように、カーブとか、やばいでしょ? って。
わたしは、原動機(エンジン)とか加速力より、自転車も車両なんだ、ってところで、きっちり、車両側に見なします。
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そうそう!
私のメインは、内向直観 (補助:マインド) 型です。
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というわけで、2通りの視点を、例の、2台目のクルマに関して、思いました。
・私のセカンドパーソナリティ・内向感覚型で(論理的に)見た場合
2台目のクルマは、後続車もいるからと クルマ中心的に、私をぶっ飛ばしてでも、信号を直進しようとした。 つまり、わざとの、殺人未遂だろうと、推測。
・私のサードパーソナリティ・外向感情型で(直観的に)見た場合
2台目のクルマは、私を見ていないか、想像もできないことが起き、理解が出来ず、何も考えられずに、アクセルだけは踏まないようにしたのでは?
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後者の視点は、〝怖い(゚Д゚)〟ですよね。
自転車に乗る〝勇気〟のないドライバーたちが、免許さえ持っていればいいと思いながら、何も考えられずに、運転しているなんて…。
これでは、自転車は、歩行者のことを考えても、車道になんて、出れませんよ!!
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真意は ともかくとして、わたしたちは 自転車に乗り、何度か こけて、そして、こけなくなると、あるいは、車道に出て、遠くへ行ってみるわけです。
初心を忘れて、クルマに慣れると、信号のない横断歩道のある停止線で、歩行者が居ても、停まらないようになり、それがエスカレートすれば、あるいは無意識に、ここで挙げた例のように、ブロック寄りの私を、ぶっ飛ばすわけです。
(あるいは、その安全マージンを。)
この例の場合、めいいっぱい左端に寄っても、一手で停止できないので、危険を増やすばかりで、混乱させないようにと、ブロックが最善と判断し、それで、最悪の選択をされました。
すべてのクルマが、そういう動きをするわけではなく、ドライバーと道などの、掛け合わせです。
どれだけ読んでみても、読み切れるということは、ないです。
ドライバーが 何を考えているのかが 分からないことが 分かる、というくらいです。
しかし、ルールを破っている、歩行者優先をしない、制限速度を超過する、ということが、明らかに言えます。
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もう一度言いますが、こういった、イカレた、冷酷なクルマの風習は、クルマ中心社会ではない都会で、頂点を極めます。
郊外では、道を選べれば、自転車は、クルマやバイクと同じように、道を走れます。
圧倒的に、自転車が少なく、歩道も自転車向きではないので、裏道主体で、車道を走ることになるでしょう。
郊外では、あまり問題にならない、自転車走行でも、都市部では、悲劇的です。
特に神戸の海側からは、平坦で山を越えられませんから、ママチャリが、田舎道を走ることは、難しいでしょう。
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歩行者生活において、飽きが来るのは危険と思った私が、少々、ルートを変えてみると、主要道から 裏道 (私がいる道の端) に、バイクが突っ切って曲がってきて、私は、驚いて、跳びあがってしまいました。
通り慣れていると、特に、そういうことが、あります。
歩道がない裏路地から、徒歩で、角を曲がって、狭い歩道に行こうとするときに、例の最短ルートでバイクが曲がってくる例でも 分かる通り、こういうことが、起こります。
徒歩でも、怖い目に会うので、歩行者に配慮できるなら、自転車の方が大きく危険だとは限らない、歩行者の中に自転車がある、歩行者は (ルールも守って) 車両すべての 根源的な上位互換、こういう風な視点で、私は、歩行者生活シフト後の、アフター自転車を、挑戦中です。
今回は、その、生き永らえた、ご報告です。
完全自動運転は、まだかなぁ…。
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補足 (2023 11 06) ―― 『MBTIへの招待』 P134 より。
『6章 コミュニケーションをするための道筋』 の中に、世界でまだまだ、紛争が起きているという言及が、ありました。
これは、紛争=交通戦争 ということでもあるので、『偏見・先入観・感情的な反応』という、シャドーの視点で、なぜ、自転車は、クルマに〝恨まれるように 危険運転をされるのか〟を、見ましょう。
ポイントは、インテグラル・ライフ・プラクティス〝ILP〟で見て、ユングとMBTIのタイプ論は、〝ボディモジュール=感覚型〟〝シャドーモジュール=感情型〟〝マインドモジュール=思考(マインド)型〟〝スピリットモジュール=直観型〟に、ぴたりとあてはまるところです、
例えば、ケン・ウィルバーの4までのモデル (インテグラル心理学 の頃までの モデルで、トランスパーソナル心理学的な型のモデルです) では、心霊・微細・元因・非二元 という〝構造〟と〝状態〟の両方を、〝大霊的な直観〟の捉え方で、第3層 (―― 第2層 あるいは ティール より先) に 重ねていました。
この例で、直観とは、第3層、スピリチュアリティの定義の中のいくつかの〝なるべく深い段階やストリーム〟と捉える傾向のある、視点 と、なります。
(ちなみに、私の言っている、車両の運転は、段階1が レッドやアンバー重心、段階2は オレンジとグリーン、段階3は ティールを含む 第2層の重心です。)
少し、ざっくりしますが、これらの視点も含めて、道路交通の〝シャドーモジュール〟を展開します。
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偏見・・・自転車というグループは皆〝ルールを無視して危ない運転をしている〟 (免許を持っている自分[たち]は違う!)
先入観・・・[ブロック状態の 前方を走る自転車の例なども含めて] その自転車の行っていることは〝間違っている〟( ―― そうでなくても! なぜかは問われない。)
感情的な反応・・・信号のない横断歩道の停止線では 歩行者が居ても、みんな 停まらない〝はずだ〟! 同様に、制限速度オーバーも、流れなので、みんなが行っている (自転車と原付の速度は考慮されない!)。 片側多車線で 追い越しを 右から行うのは 左車線を走る クルマに対して だけでよい (自転車・原付は視野に入らない)、路上駐車は 誰もが やっているし 駐輪もあり 自分が邪魔だと思うから 大目に見ている よって 自分は 停めても悪くない!―――といった 根拠の乏しい反応が 蓄積されていく形!!
主に、クルマからの 平均的ないし オレンジ含む 慣習的な視点です。
偏見は遠隔的、先入観は近接的です。
最近、クルマの運転を見るだけでも、そのドライバーの感情が見えてきた気がします。
停止線で 私が停まっているとき、後ろからじわじわ来ながら、ぎりぎりまで真後ろに寄ってくるクルマ(二輪は除く) は、上記の3要素〝偏見・先入観・感情的な反応〟全部に 当てはまっている クルマです。
(そのドライバーは、これを分かっていません。 無意識です。 意識できれば、注意を払って車間距離を取れるからです。 車間距離の取れない車が、免許を保持しているわけです。 これが、紛争=交通戦争 ですよ!)
他にも、大きな音 (あいまいな基準ですが...) を立てて 先発で 後ろから速度を上げてくるクルマも、この3シャドー要素が、すべて当てはまっています。
この要素は、1つでもあると、大きなトラブルになることがあって、自転車側が、これを知っておくことが、大切です。
2023年11月04日
〝ひまわりの丘〟で〝ひまわり〟を見ました ♪
posted by インテグラルとど at 22:39| 実用的生活実践
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