ティール組織 の本を読んでみました。
思ったことは、触れられている〝いま〟は、メタ要素にメタ要素を重ねたもの で、社会で展開するには、うんと複雑になることです。
私は、会社横断的な、特定の会社に属さない という意味で、これを定義してました。
上記の本たちは、その、エイジェンシー版と言えましょう。
(例えば、グーグルは、企業―エイジェンシーとして、グリーンでしょうが、そのグーグルマップは、自転車でコストを削減するうえで、第2層に応用できるので、グーグルの意図はともかくとして、ツールを、会社に依存しないコミュニオンとしての、ティール組織に、加えられます。 これは、ポスト形而上学においての、私の、主張―定立、です。)
ティール組織は、コミュニオン、仲間の存在が重要で、リーダー(会社の場合はCEOらしい) がティールに達していることが、カギになります。
それをふまえて、未解決の問題、まだ主流でないインテグラルなOSを、手探りで開発していく、ということです。
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私は、会社、というか、社会に適応できない (※すべての人に当てはまるわけではない)、内向直観型、の、思考―様子を見てから行動するタイプ、らしいので、あえて、そうすることで、責任のハードルを上げました。
アンバーなら、怠け者とか言いますが、これを書くのをジャマする 社会強制的なコストも含めて、余計な〝食料を与えるな、そしたら金だけは稼ぐだろう〟式の 邪魔な ドミネーターヒエラルキーを、全部排除していったわけです。
食べることができれば、世界から魔法のように、戦争が消える、わけがないからです。
むしろ、格差から、それを助長するでしょう。
というわけで、今回は、やや短いコーナーとします。 (いや、長いかな・・・(笑))
要点は、私自身を、歩く、みらいのことば、地球市民社会としての〝ティール組織〟と捉えて、生きている ということ。
これを、自転車に乗る視点から、本書にあてはめますね。
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私が、中央区のライブを見るために、ままちゃりで、あまり走りたくない〝危なさAの道〟を、通っていた近況。
周りの自転車は信号無視、歩行者多い、歩道は見通し悪い、車道は路上駐車、クルマは溢れていて、道もあまり選べない。
挙げると、不満しか出てきませんが、慣れていても、意味がないと言える道です。
唯一の対抗策は、クルマが来ていないときに、車道を走る、という方法です。
これは、ティール組織の会社が、苦労をしているときの状況に、ぴったりですよね。
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私の自転車は、ロングライド、遠くまで行く実用規格、郊外型のルートを結ぶことが、前提 です。
それを、短距離、中距離の都市部に、応用 します。
この場合、規格のメインではなく、リスク は 上がります。
それを、主体的に選択していけるだけの、経験 を、得ていく。
これを〝ティール型、段階3の走行方法〟だと、私は言いました。
クルマ、バイク、自転車、どれでも可能 です。
ティール組織の会社も、こうして、〝コミュニティ〟から、主体的な責任 を負います。
私も、〝段階3走行の形態形成場〟というコミュニオン から、同様のことをします。
だから、はたから見れば危なそうに見える私の走行は、ただ単に、外側から観察するだけで、核が見えるものではありません。
都市部で走っている私を見ても、郊外型のロングライド規格だとは、分からないでしょう。
ダイヤは、トランプの規則、構造主義的で、その法則は見えません。
以上から、たかが自転車、と思われる、現代の交通戦争の還元主義的常識に、堂々、異議を唱え、モノ申しましょう。
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『』太字は、ティール組織(フレデリック・ラルー / 2018 訳 / P216)から。
(漢数字は 文章統一の意味でも、通常の数字にしています。)
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ティール型の企業・組織において、困難な問題を乗り越えるときに、コミュニオン内でトラブルがあったときの、人間関係の展開です。
まず、説明責任を負っている、『2人だけで解決策を探ろう』 フェーズで、ティール型を主張―定立します。
ゲームのRPGで例えるなら、1人の人の中に、あらゆるシナリオ、世界、登場人物が登場する、ソフトそのものだ と とらえるのです。
相手も同様で、私がドラクエなら、相手はFF。 それぞれ、自分の世界内に、相手が登場できる余地がある のです。
グリーンでは、すべての人物を、ヘテラーキー内のRPGに登場する、客体的な感情エネルギー的存在として、等価でとらえます。
グリーンでは、説明責任を、コミュニティに還元して、依存させるので、永遠にあいまいな決定となります。
つまり、段階3の走行方法は、完全自動運転も、創発しません。
このフェーズで、ママチャリに乗っている私は、しかたなく、交通量は少ないが、ちょっと野蛮な、兵庫区―長田区エリアを、夜遅くに、走るとします。
そして、後ろから車が来ないことを確かめて、ブロックできるように、車列に入る規格で、左車線の停止線に、停まります。
右隣の車線に、前の信号で ぎりぎり引っかかってしまったらしい クルマが居て、自転車は端を、そして歩道を走らないと、クルマにとって、そいつにとってジャマで困るから、脅してくるとします。
そやつは、レッド色の、本来免許を持ってはいけない クルマです。
当然、2車線あれば、並列できるのは当たり前で、そのクルマは、ルールをわかっていません。
また、左車線が左折、右車線が左折と直進、歩道は見通しが悪く狭く 自転車がルールを無視して 歩行者もいる、という、ふざけた交差点の場合、横断歩道を ホッチキス型に押して 迂回して移動する方法 を取るより有効ならば、停止線がベストです。
これを判らせる、主張―定立できるかが、ティール組織としての持続性へのカギです。
私は、社会に適応しては働かないこと、を実践することで、ティール組織という社会の象限の現在を、構成する方法を、模索、こうして、自転車で示せるまでになった、ということです。
そして、今、議論をしてます。
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もし、ここで、そのクルマに負けたら、今後、車道を走れなくなるでしょう。
だとすれば、歩道だと、安全運転の義務を ティール型において長期的には果たせないので、歩きの方が良いことになる、自転車を実用的に使えなくなります。
車道を走る権利を、守らなければ、なりません。
自転車の車道走行 = ティールの会社 と捉えましょう。
後ろから、バス(=同僚・車両)が来ました。
『別の同僚に仲裁者として参加』 してもらいます。
これは、バス=目撃者としての立場、に近い扱いですよね。
レッドのクルマは、私に、もう、無茶は出来ません。
運転席が向こうなので、確率は低いですが、ドアを開けて降りてこられれば、歩行者になって、歩道に逃げるしかありません。
そうすれば、相手は、自転車の走行妨害、クルマVS歩行者、という、2つの〝不利な状況〟を相手にする羽目になります。
相手の無意識を突くのです。
そして、〝法律を盾〟にします。
これを定立するために、後ろにバスが来るのは、いいですね!!
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後は、左車線から直進して、交差点をパス、クルマが、直進なら、交差点後に、追い越してもらって、クリアです。
歩道付近では、3台の自転車が、見通しが悪い地点で、ばらばらに、ルールを無視しており、クルマはそれを見ているはずなのに、ノータッチです。 あり得ません。
そのクルマは、そのうち、なんらかのツケが、来ます。
会社では、汚職、業績悪化、甚大なミス、などと同じところです。
『同僚たちの委員会』という〝一般の道路交通〟の 常識―ルールが生きている部分 によって、そのクルマのその後を、判定してもらいます。
彼は、他のクルマとも、きっと、トラブルになるでしょう。
ポイントは、私の走行の場合、ほとんど、端に退避して、クルマをパスさせるということで、クルマが、私にしゃべりかける機会、喧嘩を売る機会は、レアです。 今回をしのいだら、同じ人物に会うことは、なさそうです。
よって、都市部を走るときは、こういったことが起きないように、頻度を減らし、用事をひとまとめにし、極力密度の濃いイベントにしか使わないようにして、歩きでも近場の用事をこなし、ダイヤを調整していくこと で、完成を見ます。
私が車道の端で退避しているときは、クルマの相対速度は、クルマが出しているスピードなので、クルマには、〝スピードを出さない安全運転の主体的責任〟〝自転車がルールを守って車を先に行かせているという対話に応える主体的責任〟の2つが、無視できない形で、発生します。
そう捉えて、発生させています。
弱虫ペダルでは、〝車道ではスピードを出していないほうが危ない〟と言われますが、その意味をティールでとらえると、退避停車で逆手に取ることもできる わけです。
これは、きっちりと、道路交通法に描かれている解釈で、行っている退避 です。
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実は、『』内のフェーズは、ティール型の会社においての、職場を離脱した方が良いかもしれない同僚に向けての、対応です。
めったにないことなのですが・・・。
私の例でのレッドの道徳段階のクルマ(段階1の走行・自転車なら歩道走行と路側帯逆走運転のフェーズです)に当たります。
そのクルマから、免許を取り除く方がいいと私が考えた場合 は、こうして、私の段階3の走行―退避によって、日々コミュニケーションをとった、地元のクルマ文化に、そやつの相手をしてもらいます。
これで、少しずつ、交通戦争が、解決に向かい、ティール型の〝運転免許システム〟が創発します。
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このように、見えない、メタ要素がふんだんに盛り込まれた〝ティール組織〟は、見かけより複雑 です。
レッド+アンバー+オレンジ+グリーン の企業の総和、より、ティールの集まりの方が、多くの問題解決方法を より短時間で、深く洞察します。
自転車でAクラスの車道を走るのが危ないからという理由で、このメタ要素を、葬り去れると思った、レッドのクルマは、長い目で見て、大きな勘違いをしています。
そして、喧嘩しなければ伝わらない、というのも違います。
ケン・ウィルバーが言うように、〝論争は権威的なものを判らせる 尊敬すべき方法だけど、喧嘩しない方法もあるよ〟というわけです。
イラスト付きのティール組織の本の方で、自転車の例が出てきて、オレンジ型では、あるいは 地図を持って このルートを行けば こうなるはずだ、という旅が、予想外になったら、あれのせい これのせい、となる例を紹介していました。
私なら、グーグルマップで、調べているときに、オレンジ的な要素を展開し、失敗したときに直面する痛みも、体験しておきます。
そして、何も考えずに、同ルートを走るのです。
道を忘れたら、雨が降ってきたら、それはそれです。
走っているときは、直観を使えるように、簡単な感覚だけで移動できるようにしているので、オレンジ型は、ハートも準備不足だと言えましょう。
推測する未来と、リアルに走る今とは、全く別のものです。
ティール組織は、つねに、後者を選択します。
ピラミッド型のドミネーターヒエラルキー、グリーンも含めて グロースな階層でない、すべては、その勝手まがいの未来は、コストです!!
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以上が、ティール組織のメタ要素を、私なりに捉えた、近況です。
現在創発しつつあるコミュニティを、追っていく内容としての展開ならば、まだ古い土壌で、新しいことをやる、交通戦争内で自転車の段階3を実践する、なにか、不均衡なところがあって、ティール型の会社の今ある表面をまねても、意味はありません。本質は見えません。
これが メタ要素という意味で〝ジュエルペット てぃんくる☆のメインの制作チーム〟は、ティール組織 です。
(古い体制のテレビ局、権力者に逆らえないグリーンまでのCEOや株主は、こういったチームを、長期的には阻害します。 そこで、誰が、この文化に、主体的な説明責任を持つべきなのか、という課題が、生まれる わけですよ。 グリーンまでに任せておくと、見たとおり、権力者だけが、いいようにそれを悪用するからです。)
( わたし、そして、みんなのために、ぼそっと言いますね。 ―― ↑ この意味で、ティール組織の本に、作者が挙げていない、日本の具体的な企業の名前を、関連付けるのは、やめておいた方が良かったのでは…? こうやって、権力が…)
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ティール組織は、現実の問題を、いやというほど体験して、それを解決できなかった経緯から、新たな冒険として、現在も もがきながら進む、偉大な運動、潮流、その、オーケストラ! シンフォニー・プレリュードです♪
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