幾つかのアニメを見て思ったのですが、〝予感〟〝深い眠り〟などの言葉を、安易に並べて、時間予知(t)を、理解した気になっている作品が、大急ぎで、成り立たせた背景も伴って、ちらほらあると 感じます。
便乗は、分かりますが、もう少し、慎重になりましょう。
(子どもたちに、嘘を教えることになるのです。―― なお、上記の注意喚起は、キューとミューの元ネタに対して行っていません。)
キュー(4象限)は、グローイングアップの実践によって、とても大切なものですが、垂直(Y)な〝構造を対象として見る=マインドフルネス〟が、見落とし厳禁です。
余談ですが、タイムマシン・タイムトラベルは、〝下側(集合)ないし右側(外面)〟の象限(Q)を強調します。
子どもを大切に描く、アニメのエピソードのラインは、〝上側(個)ないし左側(内面)〟の象限(Q)を強調します。
つまり、タイムトラベル(SF)は、右下の社会の象限(Q/4)、子どもを愛するアニメは、左上のハートの象限(Q/1)を、それぞれ、強調し、この2つは、互いに、非強調点=盲点 としても関係します。
(SFの理屈は、感情[Q/1]に無知であり、ハートのお話は、観測[Q/4]を確認せずに飛ばしている、という風なことです。)
・ アニメにおける〝時間予知(t)の翻訳〟
私は、このコーナーのアーカイブで、時間予知が、空間予知の男性タイプに対して、女性タイプ、空間予知が、対象を見るシーンの予知で、グロス・サトルを重心に コーザルで まとまって 展開する、第1層ないし 第2層がピークの予知であり、時間予知は、コーザル・ウィットネス・ノンデュアルを 時間の流れの中に入らないように見る 第3層が重心でピークの予知 だと、言いましたね。
鋭い人なら、思ったでしょうが、子どもに対して、どうやって、時間予知を翻訳するのか? 不可能なら、ある種の嘘を、言うしかないのか? と、気づかれましたか。
実際は、作者が、主体として、第3層の時間予知を、体験していない限り、そうなるでしょう。
しかし、クリシュナムルティが、言っているように、洞察とは、即座に、思考としての心理的時間を持たずに、一瞬で、重さなく、閃光のように無空間的に展開し、すべてを変えるもので、それは、年齢や性別、つまり、意識構造にとらわれない光 (あかり) なのです。
と、いうことは、そもそも、上記を体験できる主体・作者は、時間予知そのものに共通する言語、潜在性、未生の赤ん坊、時間のない現在、基底、を、身体方向とは異なる 直観として、瞬間的にとらえることにおいて、適切な翻訳が、可能 と言えるはずです。
人類は、ヒドゥンマップによって、あるいは、道を間違えた というのならば、ウェイキングアップと グローイングアップ両方の道を 極めることで、非時間的に、その外に、瞬時に立つ ことが、出来なければならず、赤ん坊へのリンキングも、例外ではありません。
あらゆる、子殺しが行われないような 健全性は、即座に、理解されて、達成されねばなりません。 交通戦争の終焉も、です。
この理解によって、〝予感〟というものを、スポーツマンガなどに代表される〝フィジカルな〟側面に、適用する場合、最初に起きる誤解は、〝予感は、少し先の未来を見る〟〝具体的なシーン・対象を認識する〟というもので、 空間予知の下位互換のような 解釈として、やらかします。
フィジカルは、基本的に、グロス(粗大)なので、感情(Q/1)も、身体自我(2)に還元する方向になります。
うまく言えないけれど、〝場面〟を目撃している者は、シーアー(I-I) つまり、非時間であり、何秒か先の未来のシーン(対象)のことではありません。
ここを伝え損ねると、後、すべてが、食い違ってくる気がします。
確かに、構造―段階 (グローイングアップ)の 発達ラインとして、時間と空間のモード のラインは、第1層から、第3層にまで、成長を続ける、構造です。
子どもは、時空間のモード(4)が重心なので、これを鵜呑みにすると、予感(10)を翻訳することは、絶望的でしょう。
しかし、なんとか、予感(10)に便乗したいという意図(5)から、状態―段階 (ウェイキングアップ) の実践を無視して、時間予知を理解しようとするのは、言いすぎるとすれば、いかがなものか、と思います。
まぁ、これ自体が、現象的に、仮説なわけですけど。
で。
時間予知(予感)は、非時間(ウイットネス・非二元)を、直接とらえる 時空間のモードであり、超意識に関連する、第3層で意識にのぼってくる 発達領域(スキル)です。
これを、フィジカルに適応する場合、第3層の、ポスト・ケンタウロスから、洞察によって ワンテイストとして、あるいは、自転車に乗っているときのようにして、現在的に、体験している必要が、あります。
空間予知は、対象(ハートなる恋人など)に執着するので、時間予知を理解するのは、難しいらしいのですが、少なくとも、身体のみ(粗大領域)を 対象として 拘束されているような状態では、時間予知の解釈は、不可能です。
これを、いかにして言うか、ですが、予感、深い眠り状態、という言葉や概念を、ストーリー展開の中で、安易に持ち出してくるようでは、子どもに誤解を与える元でしょう。
時間予知は、まずもって、非身体自我、身体に退行する感情の 対極にあるものであり、クリシュナムルティが 思考の終焉を言う中で、感情や感覚も 思考に他ならないことを、強調している通りです。
飽食主義から交通戦争まで、この、感覚や感情が、心理的時間に絡み合って、巨大な不幸と 拝金主義を 生み出しているからですよね。
一般的に、ゾーンに入る、という場合でも、この点を 理解してください。
また、時間予知を、いくつものパターン(対象)に 分類しようとする動きも、無駄で、悪手だと思います。
非時間に 区別はない からです。
該当のスポーツをすることを、ただ愛している、という場合、それは、確かに、ワンテイストです。
そこで、終わりであり、OKです。
問題は、空間予知のごとく、それを、分解して、対象化しようとするときでしょう。
ワンテイストを、浅い理解で、フィジカルに適応させよう とする意図は、売れ線だけとは言いませんが、何かが、見え見えですね。
ここまで言うのは、時間予知が、商業主義の 対極にある場合 があり、現代に、あまりにも理解されず、それが、不幸の直接の継続に なっているかもしれない と思うから です。
理屈では、時間予知は、ほぼ、ワンテイストのことなので、誰にでも 現前しています。
つまり、これが、正しく伝わらないというのは、実は、致命的なのです!
空間予知は、第1層が重心なので、グロス、そして、対象として翻訳でき、商業主義に、即座に悪用されるでしょう。
時間予知は、第3層にならないと、共時性として見ることもできないので、まず、お金にならないし、翻訳も、コーザルないし、ワンテイスト的に、なる はずです。
現代世界では、この、2つの予知は、あまりにも、バランスを欠いた評価をされ、商業主義こそが真理だとするフラットランドでは、100%、空間予知の肩を持ちます。
すると、時間予知は、あくまで〝空間予知を リンキングする能力である〟ことになり、売れ線の空間的な予知同士に、争い・競合を防止する、無料奉仕のような、利用価値のある 非営利的なツール だ、と、見られます。
少なくとも、時間予知の意図は、そんなおかしなところには、無いでしょう。
なぜなら、ケンタウロスに、ウェイキングアップも、マスターする必要があって、とてつもない労力を伴い続けているから です。
しかも、地味です!
あるとき、突然、第3層の芸術的土壌が揃うなどで、共時性から、その証拠が挙がっていき、空間予知としての巨大な興行収入の 元締めのような存在として、時間予知の能力が 筆頭になっているように 見えるのは、〝誤解〟です。
はっきり言って、フラットランドは、歪み切っているので、時間予知を 理解するのは、無理です。
そして、子どもへ伝えるべきアニメとは、歪みの無いこと なので、時間予知の目的と、合致します。
ゆえに、問題が、見えてくるでしょう。
時間予知を 正しく社会に組み込むことに 失敗しているから、子どもを 混乱させるのです。
例えば、誰も、自転車での交通ルールを守らないとするならば、それが正しいと証明できない限り、それはカオスであり、クルマも同様で、今の世代まで、ずっと そうなっていますよね。
分かろうとすれば、簡単に わかります。
時間予知を 理解したければ、交通戦争を見て、自転車に乗って ルールを守ってみれば、いいのです。
時間予知において、こんな主張をしているのは、私だけですが、覚悟が足らないというのではなく、発想すら 閃光のように浸透してはいない、というか・・・。
というわけで、詳しくは、突っ込まないので、提唱という意味では、このくらいでよいでしょう。
やはり、状態と構造、両方のマインドフルネスの中で、構造が第2層に達すると、時間予知もサポート範囲になります。
時間予知について 知りたければ、まず、第2層に成長することが必要で、そのとき、ウェイキングアップにも熟達していく必要があります。
オレンジの波を強調する陣営の多くが、興行収入のような フラット属性を 強調しているのは、単に、ウェイキングアップに無知で、グロス領域しか 知らないからです。
しかし、目に見える、交通戦争の終焉すら、解決できていません。
それも、グロスだけでは、クリアできません。
時間予知は、非時間にて展開する予知であり、その部分集合として、空間予知として展開する場合に、危機回避能力としての 直観がありますが、それ自体は、第1層の時点で、観測できるかもしれません。
しかし、自分を中心に展開する時間予知は、第1層では、自己中心的に 自分を対象として見るがゆえに、ほとんど、無意味です。
第3層になって、自分というものはなく、自分を、非時間的な基底として体験すれば、それは普遍的な自己なので、やはり、自分という中心はなく、その自己感覚から展開すれば、危機回避能力(10)は、みんなが健全にあるような 共時性を伴う リンキングの伝播(10)と、同義で、時間予知の、本当の真骨頂が、分かりませんか?
時間予知は、世界線のリアルアップデートも含めて、正しい不思議な偶然を! 時間を飛ばして、外に出ることで、皆に恩恵を 通すような、メリットがあるのですが、それ自体は、ワンテイストとして、自分という核が無いように、誰にでも普遍的に、そして、構造的に、行われていかなければならないスキル なのです。
単純かつ、複雑です。 時間予知は。
時間予知を 正しく扱う人が 増えれば増えるほど、なぜか、間違った営み、誰かに対する、該当の自転車の盗難などすら、少なくなるような、おもしろいことが、起きると思いますが、それは、すぐには、統計に出ません。
構造なので、科学的な観測が、そのうち、できます。
つまり、時間予知は、世界線のリアルアップデート、イミテーションを解体する、クリシュナムルティ流の、即座の基底への非時間的介入、グロス、サトル、コーザル、ウィットネスを含む、動かざる、何らかの無行為としての行為、という風な形で、理解可能かもしれません。
上手く言えませんが、たしかに、それは、ジュエルです。
2022年11月02日
予知(t)の翻訳! ~キュー(Y)と ミュー(ω)の〝未生的〟命題~
posted by インテグラルとど at 11:14| 実用的生活実践
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