紀元前の、帝国主義(アンバー)の時代、少数の、合理性(オレンジ)の波を、世界平和に役立てる人々がいました。
ソクラテスも、その一人でしょう。
キリストなどの聖典の芯の意図は、第3層(インディゴ・ホワイト) の波から書かれているようなので、これは、驚くにあたりません。
私が思うに、紀元前の帝国主義を成り立たせることが、当時、世界平和につながったと考えられるのです。
今でも起こっている、国としての部族間の紛争。 難民問題。
レッドの波によっては、まとまることができなかった、新たな問題、より大きな人口が、世界規模でまとまる 緊急の課題が、紀元前には、見えてきたということです。
映画の、テルマエ・ロマエが主張することでもありますが、基本的に、市民は、戦争のない世界を、平和を望んでいました。
(平和じゃなきゃ、リピーターとして、温泉に入れないため。)
アンバーの波は、電池を信じません。
(紀元前に、電池はあったそうですね。)
隣の人、世間、移り変わる季節、話題の話は、信頼します。
ということは?
当時、紀元前、オレンジの波の人々は、世界平和を実現するため、アンバーの国民に対して、アンバーが、オレンジの説得力によって、怪しい波ではないことを、公ではなくても、形態形成に、元型に、証明する必要があったのです。
この道、夢の世界が、やがて、多くの市民を、安全に、レッドから、アンバーに、健全に歩ませる、社会の接着剤になったのです。
オレンジは、世界平和のために、人類が平等であることを、知っています。
しかし、アンバーの波は、世間のブームを信じるので、私たち隣人が平等であることを、その合理性を、ヒーローに、語らせます。
これは、現代社会のアンバーにも、わりと、そのまま、あてはまります。
ヒーロー(5)は、アンバーの波が正当で良いことを、レッドからアンバーへ成長する潜在性を持つ市民(3)に、説得力を持って、訴えます。
温泉に入り放題だとか、言うんですよ。
ここで、ヒーローの語ったメッセージは、現在の考古学では、〝神話(4)〟と呼ばれます。
実際には、意図(5)がありました。
アンバーが、神話―合理性、と言われるのには、ちょっとばかし、不可思議な理由が見えます。
まず、現代の子ども、例えば、のび太君は、ちーたん みたいな恐竜を育てて、豊かな感情を、成熟させるわけです。
アンバーの子どもは、基本的に、周りの友達に、感情的に思いやりを持ちます。
そこは、合理性というよりは、感情です。
では、合理性は、どこから来たのでしょうか?
現代の子どもは、合理性を持たせるために、オレンジに成長すればよいので、潜在性が アンバーで 最先端だった 紀元前こそ、次にやることは、合理性を強化すること、であったと思われます。
紀元前、アンバーに目覚めた市民たちは、世界が平和である理由を、ヒーローのメッセージが 合理性を使っていたために、そのお墨付きを、世間のブームの範囲、自分たちが認識できる範囲で 合理性を使い、人々が平等であることを、納得できる理由を強化しました。
奴隷制には無意識ですが、合理的に、人間とみなせる存在は、平等である理由を、幾度にわたって、証明し続け、結果、神話―合理性、という意識が、形態形成から表層構造として、できたのです。
しかし、啓蒙主義が起こった、ルネサンス以後、ビッグスリーは、乖離しました。 スピリチュアリティのラインは、焼失します。
なぜなのか、今見たように、考えてみましょう。
ヒーローのメッセージ(5)は、健全的な神話(4)として、合理的に機能します。
神話は、表層構造こそアンバーですが、実際は、深層的に、啓蒙主義なのです。
紀元前の啓蒙主義 は、合理性を使って、人々を、世界を平和にすることでした。
これが、神話の、本当の意図です。
ルネサンス以後の理性の革命は、この、ヒーローの意図と仕事(5)を、破壊しました。
よって、アンバーまでの市民が、合理性(5)を、世界平和に使うすべが、なくなったのです。
当の理性そのものが、理性の最初の革命を、壊した のが、理性の革命です。
これが、ビッグスリーの分離の正体です。
クリシュナムルティが言うように、人類は、もっと前に、道を間違えているのです。
ここで、理性の革命、中世から、近代になった時代、先ほどと同じことが、起こっています。
ティール(7)、つまり、第2層の波が、オレンジ(5)の構造に、お墨付きを与えて、アンバー(4)の国民たちを、安全に リベラル化する、ティール革命が、起きたのです。
ティール革命は、近代に起きたのです!!
つまり、近代に起きたのがビッグスリーの分離なら、現代待っている、大規模なティール革命も、そのまま、失敗が、流用されるのです。
例えば、(ティール、グロス) を悪用する、大企業の代表取締役。
ケン・ウィルバーは、啓蒙主義の時代に〝しばしば、第2層の主張を使っていた〟と言っていたはずですが、ティールは〝内在価値・深度がすべてだ〟 という主張です。
つまり、〝深度絶対主義〟なのです。
〝統合的なマインドフルネス論〟では、〝第2層の成り立ちは、誰も抑圧しないこと、その社会は いまだ誰も目にしたことがない〟と言いますが、実際は、これは、第3層の主張を、根拠にしているのです。
話は戻りますが、ティールは、〝優れた深度を持つ者が偉い〟という主張をします。
(ある意味、グリーン(6)が、ティール(7)を、拒絶するのは、これに説得力がないからです。 インディゴ(9)によって、潜在性の主張で、これを補強する必要がありますが、後に見ます。)
※ ケン・ウィルバーは、〝良い理論とは、それより良いものが生まれるまでは持ちこたえられるもの〟という風に 定義したことがあるらしい (〝万物の理論〟参照) です。 つまり、本人も、このコーナーが書かれることは、肯定していますので、その点は、ご心配なく。
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この、〝優れた深度(7)〟は、啓蒙主義の近代の翻訳の際に、〝優れた業績(5)〟というお墨付きであると、みなされました。
つまり、ビッグスリーの乖離は、〝どんな深度の人間であっても、業績の優れた者だけ、結果が出た実力のある者だけが、優先的に評価される〟 深度は それに関係ないに違いない、と合理化されるに至ります。
これに、多大なダメージを受けたのが、ルネサンスから、さらなる勢いをつけた、芸術たちです。
意図(n)が 消し去られていますから。
現代のアニメが、子どもを強調するのは、第3層の潜在性の主張で、このティール革命を救おうとして、もがいているからです。
実力と深度は、同じものではないので、悪用によって お金を稼いでも、企業は、実力があると みなされます。
深度が低いか、歪んでいるゆえにできることです。
神話が、合理性によって強化されたのと同じように、現代の企業は、(ティール・グロス)によって、資本を増やすことを、強化しております。
これが、近代に生まれた 株式会社の正体であり、近代のティール革命の、慣れの果てというわけです。
ティール革命が、既存のオレンジを ただ否定するだけなら、前回のアンバー否定の問題をも 抱えながら、さらに状況は悪化するでしょう。
今、世界が滅亡の危機に瀕しているのも、間違ったティール革命が、原因かもしれないのです。
次のヒーローは、第3層(インディゴ・ホワイト)ですが、これは、予知(潜在性のおえかき) の基礎が、お墨付きを深層的に与えられたときに、形態形成として起こります。
第3層は、子ども、それも、まだ生まれていない潜在性を、4象限保存した上で、頂点とします。
これは、第2層の、深度の法則を理解しないと、絶対に たどり着けません。
マジェンタ(2)の家族主義、レッド(3)の個人保護、アンバー(4)の集団主義、は、いずれも、子どもの構造に似ている(同じ波に同一化している)ので、白人の子どもが周りの白人とばかり仲良くしているから、人種至上主義は正しい、とかいう、頭のおかしい聖戦に、使われます。
つまり、子どもは、病んだ大人たちに、聖なる存在として、悪用される触媒、根拠、その萌えとして、使われています。
これは、子どもというか、人類とその潜在性を、破壊する、許せない数々の行為であり、オレンジ、グリーン、ティール、ホワイト、いずれにも、説得できる、やめさせなければならない、闇の活動です。
こういった、まちがった、子ども崇拝主義、つまり、病んだ内なる子供、破壊されつくした灰色の潜在性の燃え跡地に、自他の内なる子供の燃えカスを、復讐に仕立て上げたもの ・・・・・・・・ とは違って、本当の、潜在主義(9) があります。
予知(9)があることを示して、ティール革命に、本当の説得力を! グリーン(6)たちが納得できるように、子どもや感情を第一に考える、第3層の説得力を詰め込んだ、ティール革命(7)に、バージョンアップ(9)するのです。
グリーンは、この、病んだバージョンを、普通のティール主義では、深度認識できないので、ティールを拒否します。
グリーンを、病んだ崇拝主義の解体エージェントにするには、第3層の、潜在性の主張で、ティール革命を主張する必要があります。
ミュークルドリーミーは、この、第3層のティール革命、第2層の啓蒙主義、理性のアンバー、といった、歴史的なホラーキーのバランスを表現した、今までに無かったアニメです。
これが、ケン・ウィルバーの言う、〝誰も抑圧されない、まだ誰も目にしたことのない、ティール革命後の社会〟です。
ここで、進化に対する、内化を考えます。
第3層、ホワイトは、第2層のティール革命を、バージョンアップし、それにより、ビッグスリーの分離を訂正して、差異化に作り変えます。
すると、第2層の啓蒙時代のヒーローの意図は、復活し、アンバーまでの波が、健全にオレンジに向かい、しかし、オレンジを押し付けないという、リベラル教育の課題が、世界規模で、復興します。
企業にも、政府にも、芸術にも医療にも難民にも、直接の影響があります。
これにより、紀元前の理性のヒーローが願った、世界平和のルートも、再び機能します。
レッドやアンバーなどが、神話によって、理性を理解する道です。
圧力なべのふたの除去、コンヴェアベルトの復活。
これらすべては、ホラーキー内で、世界線として、同時に生起し、瞬間的に起こり、内包されます。
再び、進化に戻ります。
いわゆる、大人の保守派は、自分たちの行っている行為が、世間から争いを無くすことに競合する、合理性に欠けた行為であることを、認めます。
それは、即、オレンジへの成長になります。
そして、どこの国の保守派も、同じ現状であることを、理解します。
オレンジが安全であることが、より証明されることは、オレンジが、スピリチュアリティを包み込む波 であることになります。
子ども時代の豊かな感情は、紀元前の理性のヒーローによって、合理性と つながるはずでしたが、近代によって、その道が絶たれたアンバーは、落としどころが無くなった感情を 復讐とテロに向かわせ、社会主義の主張もそうなっています。
これが緩和され、感情がオレンジに包まれて、啓蒙時代のティールなヒーローの、〝アンバーの感情よりオレンジの感情のほうが良い〟ことが、定立されます。
すると、その感情は、グリーンによって、赤ちゃんや子ども、動物に広げられ、現代の、第3層のヒーロー、〝潜在性と健全性のホラーキー〟の広がりは、容易となり、健全性に包まれた、ティール革命が 起こります。
そして、このティール革命は、(ティール・コーザル) や、(ティール、ノンデュアル) であり、潜在性と健全性に、みゅーちゃん(⋈◍>◡<◍)。✧♡ っぽいものに 支えられた、形態形成、社会の接着剤になります。
この、天国というか、空の夢の世界(アビス)を、地上に降ろして浸透させる、第3層(ホワイト)の実体験が、今の、厄介な戦争を終わらせる、直接のカギになります。
赤ちゃん、子ども、まだ生まれない存在、こういった、スピリチュアルな対象 に、私たち自身の身で、トンレンや、観想、座禅の棒などの、祈りと修業を 加えることもできます。
もし、あなたが、何かに身を溶かして働きたい、聖なる 馬車ウマのようになりたい、と思っているのなら、その思いを、説得力を持たせて、言える時代が 来たかもしれないです。
私見ですが、社会主義国などにも多い、保守派は、この、赤ちゃんなどの潜在性に対して、自分を明け渡す社会が来てほしくて、それができないから、テロを起こそうと 思うのではないでしょうか。
資本主義は、子どもより大人の方が偉い、という主張が、まだ、勝つようにできているので、そこが気に入らないのだと、言えなくはないのです。
というか、本当のティール革命によって、この 保守派の隠れた衝動に、保守派 自らが気付くのではないか、と思います。
理由は、アンバーの波が好きだから 固着(中毒)しているのであり、しかし、そのことに無意識なので、オレンジの理性と感情へ移行すれば、その理由が明らかになりそうな気がします。
もしくは、生物圏に近接した、母親的な無償の愛と、人間としての魂のバランスが、デリケートな問題であり、その方向性を、啓蒙主義が神話とともに壊した結果、上記の、潜在性への畏敬が働かなくなって、今に至るというのも、視点として 分かります。
神様は、潜在性の子どもは、わたしたちに、聖なる機能適合をしてほしいのです。
子どもたちは、裁判官で、神様で、優しいたましいで、社会の公の場で、自分を明け渡して、子どもに納得してもらえるように、役割を果たしているかが、見られます。
政府ではなく、子ども、です。
これは、小学生が、知恵をつけてきて、ああそうだ、赤ちゃんが偉いんだった、と言うに等しいです。
小学生が一番聖なる存在であるという、不合理な主張も、成り立ちません。
赤ちゃんは、中絶されることがありますが、生まれていない存在は、その潜在性が 一切深度に変わっていないので、失われることはありません。
それを、宇宙の、Kosmosの法則だというなら、こういった、非時間、無空間は、第3層の波が、コスモスの運動として直接体験するものであり、確かなお墨付きを、形態形成として与えることができます。
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ちょっと、世間的な、砕けた話も入れます。
最近の、制服を着て制服を否定する、制服好きのアイドル、は、保守派の複雑性を言い当てていると思います。
セーラー服が軍服であり、現在、いわゆる戦争が起きている、という遂行矛盾も、関係するかもしれません。
潜在性と健全性、子どもや赤ちゃんが、一番聖なる存在なら、つまり、偉いのなら、それは、時間に対して、非時間的な何かを 基準にできるということです。
クリシュナムルティが、基底、と言っているものです。
ここでは、深度がある大人の方が偉い というルールではありません。
さらに、病んだ大人がよりダメ という相対的なルールもあります。
聖なる子どもは、制服が似合うか、その潜在性を持った若さがあります。
制服は、自分を、社会に表現する、トラウマを越えて 夢のように自由にふるまう、ことを意味し、いじめを否定せず、そこから自由でいる修行です。
学校時代が一番楽しかった、と ぼやく大人が あまりに多いのですが、その多くは、物言わぬ保守派として 生きており、本当は、何か重大な違和感 がありながら、それを抑圧しています。
日本のアニメに、制服姿の子どもが、聖なる存在として描かれているのも、何か、潜在性を活用しきれず賞味期限切れにしてしまったことの、直接の喪失感が、根拠でしょう。
どうせ いじめられるなら、かわいい制服の学校が良かった、と、保守派が考えがちなら、今の啓蒙主義は、豊かな感情を抑圧する リベラル教育を行っている、とも考えられるかもしれません。
そして、アニメオタクが、安易に、軍隊もののアニメ萌えに走るのも、この、薄っぺらい形式性が、ビッグスリーの乖離とともに、大失敗しているからです。
いじめを無くすには、いじめを体験して理解する必要 があります。
しかし、リベラルには、いじめをしてはいけないため、いじめをなくす方法もわかりません。
たぶん、もっと昔には、そういったルールがあったのですが、神話と一緒に、すべて捨てられたのでしょう。
保守派が作るアニメは、いじめの存在を前提として体験するものばかりなので、複雑な成長を必要とする私たちは、健全性をとらえて、もっと単純化できる 進化と関係の道を、探るべきです。
想像力が豊かな人は、子どもが聖なる存在で、社会的に偉い設定で、色々、構想体験できると思いますが、現代社会は、ビッグスリー自体が破砕しているので、肝心の、第2層をも超えた潜在価値、という、非時間的視点で、子どもを体験する空想は、困難です。
下手な勘違いの妄想にしかならず、それが、また、フラットで 意味のないアニメになるだけでしょう。
いじられキャラの視点も複雑ですが、ブルマは確かにジャコとうまく 意味のある コミュニケーションをしているので、リベラルの世界にも、感情が受け入れられないわけではないのです。
というより、多くの市民は、アンバーまでの感情しか、スピリチュアルには、受け止めることができない、と言えます。
いずれにしても、子どもが聖なる存在であるという視点は、直感的に正しいですが、ほとんどの解釈は、悪いです。
子どもを何らかのネタにして売る、そこから抜け出ていないからです。
ソックスのあかりちゃんのために、会社をやめるパパは、すごいです。
潜在性と健全性、非時間性を、うまく包括していくバランスが 回復して、創発が起こり続ければ、皆、何でこんなことに気づかなかったんだろう、と思うのでしょう。
ポケモンの〝ジ・オリジン〟では、サカキ (たぶん買収癖のある代表取締役のこと) が、レッド (子どもの主人公) に、大きく影響され、人生をやり直す決意をします。
これは、潜在性(9)の考え方、深度絶対主義(7)ではない、バージョンアップしたティール革命、を、感じているのです。
初期のポケモンのアニメも、第3層の意図で、ティールの〝誰も抑圧されない、まだ誰も目にしたことのない社会〟を、描きなおしている、と言えて、予知、予感、しゃべるニャースで 潜在性、など、いろいろな意図が、入っています。
このように、直感的に、ビッグスリーの乖離、感情の否定に、危機感を覚えている、グリーンやティール、ホワイトは、ポケモンを支持することで、何かを待ちたいのです。
ミュークルドリーミーは、シナリオに〝深度・心圏〟形式を使わず、大人が見て面白い内容、(例えば、ジュエルペットサンシャイン) ―― その技法を使用しない、という制約で、2年、続きました。
これは、直接、ホワイトのことを、言っています。
アニメに、多数の、おかしな定立がある中で、頼れそうなものすべてに頼らないようにしても、それでも、イラストが届き続けるようなアニメ は、優れているのです。
これは、深度が優れている(7)という判断によっては、理解できないことを 分かったうえで描いた(9)、という、複雑に入り組む世の中への メッセージ です。
今回報告することになった、これが、先端の、第3層の構造です。
2022年03月28日
誰も追いやられない社会 誰も見たことのない時代 ~本当のティール革命!~
posted by インテグラルとど at 12:22| 実用的生活実践
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