十字路があるとして、主要道が片側1車線、交通量は、混んでいない程度の国道並みだとします。
一方、自転車は、脇道を直進し、主要道に阻まれます。
このシチュエーションで、脇道の自転車側から見て、左側から来る自動車が、やや遠くで、店に入るために右折しようと停車、後ろに渋滞ができます。
当然、対向車である、右側から、自動車がたくさん来ているわけです。
(脇道には 自転車1台のみ、主要道にクルマが多数走っています。)
この時、右側で、自動車が、脇道先端で停車している自転車に気づいて、停車するとします。
(もし、その自動車が、こちらの脇道に左折して来るのであれば、要注意なので、指示器の有無にかかわらず、この視点を頭に入れておくべきですが、めったに曲がってこない脇道だとして…)
私ならば、この場合、渡ることが難しいのです。
オレンジ色のセンターラインの道であっても、停車している自動車を追い越して、後続自動車が来ないとも限りません。
しかも、両方の車線は、見通しが悪く、塞がっています。
バイクや自転車のすり抜けも、あり得ないとは言い切れません。
仮に、お先にどうぞという合図を送っても、私のその合図が、適切に伝わるか、確信できかねます。
このシチュエーションのポイントは、脇道の自転車から見て、左側から来る自動車が、やや遠くで店に入ろうと右折しようと停車して、後ろに渋滞を作っている状態が理由で、右側の自動車が止まりました。
右側の自動車は、〝左側の自動車を店に右折させる ついでに〟自転車を行かせるように止まった、〝自動車の渋滞を作らないように自動車(クルマ)中心のルール優先で、対応した〟という 空気が、強く出ます。
もし、脇道から見て左側の車両しか 見ていなかったら、1手でアウトです。
この場合、横断歩道さえあれば、安全に渡れるのです。
横断歩道には、押しボタン含む、信号ほどの強制力はありませんが、自動車側の、停止線で片側の自動車が止まった時点で、黄色信号、両側から自動車が停車する等で安全確認できたら、赤信号となり、歩行者自転車側の横断(青信号扱い)が可能です。
横断歩道には 信号がなくても、あるシチュエーションを経ると(何手かの手順を踏むと)、そこは 信号と同じ働きをするのです。
(赤信号でも無視したり、ギリギリで通過、フライング発車、など、信号があっても、自動車は平気で信号を無視していますので、信号があろうが、安全確認は必須です。 横断者は、横断歩道で信号がないからと言って、信号を絶対化して 存在を空気化するのは、結論として、早すぎます。)
信号のない横断歩道は、自動車が必ず止まるように機能していなくても、法的に広義の信号扱いなので、踏切と同じく〝必ず止まれるように証拠を持って走らなければならない〟という 〝理解〟によって、意味はあります。
つまり、クルマが、横断歩道の前の停止線であまり止まらなくても、それにムカつくよりも、まず、横断歩道があることを、アドバンテージにしましょう。
横断歩道が無いと、飛び出さない限り 横断不可能、となり得ますからね。
ということは、交通量が多く 横断歩道がない場所を横断するときは、上記を考慮して、渡るのをためらう道ならば、迂回する方がいいのかもしれません。
一番いいのは、横断歩道も信号もない、主要道と裏道の十字路で、〝対向車が居ない時に もう一方の自動車が停車する〟ことです。
このとき、停車したクルマの後続車もいないと、なお良いです。
自動車は無理に止まらなくてもいいわけなので、ふつうは、横断者は途切れ目を狙うわけですが、あなたが来なければ横断できる、という場合にのみ、停車してくれると、横断側への配慮だとわかるので、確実です。
あるいは、なぜ、交差点付近で駐停車してはいけないのかという答えの一つです。
乗降するために止まっているのならば、ルール違反ですが、横断側から見て、人が乗り降りしていなければ、横断者のために止まったのだと、判断できます。
自転車歩行者側は、判断をミスすると、1手で終わりますから、安易に自動車を信頼できないのです。
ドライバーの顔が見えれば、もちろん、一瞬は、見るべきです。
自動車側は、こういった微妙なシチュエーションは、歩行者として あまたの道を横断した経験がないと、身につかないでしょう。
歩行者としての横断は、自転車でたくさんのエリアの道を走る場合、一番経験できると思います。
クルマ側は、自転車で、裏道中心に、たくさん走ることで、このような判断力を身に着けられると思います。
自転車と歩行者は違う、というのは、ここでは、論点として持ち出す必要はなく、自動車ドライバーが歩行者として経験している道は、大概、横断歩道があり、人があまり横断しないような道まで 歩行者状態で横断しておらず、結果、自転車で経由しているときの横断、でしか、出会わないシチュエーションも数あることを、意外と知らない、という点が、今回の題目の課題、現実のギャップです。
一見 自動車側が あってもなくても同じだと思っていそうな横断歩道、ほとんどの自動車ドライバーはそう思っているだろうと確信できる運転をする現代、にもかかわらず、むしろ、信号のない横断歩道で自動車が止まらないからこそ、横断歩道には、安全に横断するための、とても助かる実践的な機能があった、と再確認できます。
横断歩道の前の停止線付近で止まっている車両があれば、横断者のために止まっていると、解釈でき、信号を予算削減で減らす現代において、さらに、その役割は、重要になるでしょう。
夜の場合、位置を覚えておかないと、見逃す可能性がある 欠点がありますが、夜に無茶な横断をするかどうか、今回の議論は、クルマが、横断者のために停車したか、横断者は どうやって判断するのか ですから、夜の場合は、道を走る間は、徐行が望ましく、あくまで、横断時の判断のお話です。
横断は、一見 単純そうに思えますが、高度で複雑です。
車両が通っていないのならば、そもそも、議論と認識の必要がないからです。
車両が通っているからである以上、横断者がいる時に、自転車が停止線で止まっても、後続のクルマは、ふつうに停止線を越えて走り去っていくので、自転車側に、歩行者を渡らせてしまう強制力を持たせるくらいなら、停止線で止まるのは、良いこととは言えません。
つまり、自転車側は、車両が止まったからと言って、安全であるとは限らない、と、知っているのです。
クルマたちのせいで。
自動車ドライバーは、あらゆる ほかのドライバー、それらすべての複合的な道路交通を考慮に入れて、走る必要があります。
ほとんどのドライバーは、ルールと自分の運転のみを考慮し、他のドライバーが、所与の神話で、同じように行っていること、その関係が、複雑に絡み合って、横断者に襲い掛かって来ること の難易度を、軽視するか認識すらしていないと、感じます。
自転車でロングライドをして、裏道をつないでいる場合に、もっとも、強く、確信できると思うのですが、これは、自動車教習所では、まず、認識されていないのでしょうね。
近い将来、バーチャル空間でもいいですが、自転車でロングライドできる者しか、完全自動運転を除いて、免許が取れない時代になるでしょう。
自動車のみの運転の、その (実践的観点から見たところの) 死角の多さに、ほとんどのドライバーは驚くと思います。
自転車側は、クルマの超高速(スピード)絶対主義に、何の責任も負えないので、自爆含めて、クルマは走っていない方がよい、と、本気で思います。
自動車社会は、見かけ以上に、相当なリスクを負って、その崩壊を、歩行者自転車側にまで、押し付けてきます。
こういったことをすべて考えて、それでも、横断者側が悪い と言えるドライバーが居ない以上、自動車社会は、遂行矛盾の塊であり、もし、すべて考えているならば、横断者側のせいには 絶対にできないので、相当安全に、時間と道を選んで運転するでしょう。
このコーナーの結論は、横断者は、その信じられないほどの自動車社会の遂行矛盾を〝自分で判断して攻略しなければならない〟ということです。
そこが、一番、カオスで、現実的に複雑です。
2022年02月06日
横断歩道 (信号) のない主要道の横断 ~ 交差点とサンデードライバー ~
posted by インテグラルとど at 12:40| 実用的生活実践
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