2021年08月06日

予知と AQAL ~時空間のラインと インテグラル理論~

所与の犬というのは、存在しません。

AQAL(インテグラル理論)によれば、〝象限・レベル・ライン・タイプ・状態〟という〝視点〟が、重なって、滑走しています。

AQALの表記は、Q[象限]と、L[レベル]、この2要素を、上記の5要素の代表とした、名称です。

実際は、5要素全ての〝特定(!)〟が必要 です。


象限とレベルが、最低限必要ですが、今回は、あるラインにて〝タイプ〟が重要 となる議論をします。

レベルにタイプを加えた、視点を見ます。


時空間(スペースタイム)のライン、を見ましょう。

AQALにて、〝タイプ〟の中で 一番代表的で 影響力のあるモードは、男性性(t/m)と女性性(t/f)のタイプ です。

このモードで、議論をします。


時空間の発達ラインにおいて、男性タイプと女性タイプがある ということは、AQALで、より厳密には、5要素を、特定・表記しなければならない、ということです。

ここで、ある特定の予知を、予知(L/5, Q/4, S/g, l/時空間, t/m) とします。

この予知(5)は、今回の議論に合うように、簡略化すると、予知(L/5, t/m) です。

ワンピースの、マダム・シャーリーのような予知は、私が〝空間(的な)予知〟と呼んでいるもので、その要素は、予知(l/時空間, t/m) です。

ラインが身体ではなく、予知(時空間) ですので、男女のタイプは、身体的な性別を意味せず、ラインが社会性でもないので、ジェンダーも意味しません。


では、AQALによる、男性性(t/m)と女性性(t/f) のモードとは、厳密には、何を意味するのでしょうか?


男性性(t/m)は〝エイジェンシー(ランキング)〟に重きを置くモード、女性性(t/f)は〝コミュニオン(リンキング)〟に重きを置くモードです

AQALでは、複雑な5要素の組み合わせ次第で、色々な男性と女性のタイプを 特定できますので、その積み重ねは、無限です。

あなたが、あるラインでは男性的モード(エイジェンシー志向)、あるラインでは女性的モード(コミュニオン志向)ということも あり得ます。

ジェンダーとは 社会性のラインにおいての、生物学的性別とは 身体のライン(認知に先行するライン・運動能力のラインとは別)においての、男性と女性モードです。


先ほどの、予知(L/5, t/m) が、もし悪用されたとすると、どうでしょう。

所与の予知というものは 存在しません。 予知も、まずもって、解釈なのです。


ワンピースの、ポーネグリフ(情報・テキスト)を、(l/時空間, t/m) と 表記するとします。

このとき、クロコダイルが、その内容(古代兵器・プルトン)を悪用しようと、勝手な解釈(L/3, Q/4, S/g, l/時空間, t/m) を行う時、ポーネグリフの意図は、滑走してしまいます。

もう一度言いますが、所与の予知、というものは、ありません。

マダム・シャーリーの予知は、具体的なんだから、それは存在している、とも、言えません。 なぜなら、その予知は、別の真実を 彼女が彼女なりの方法で〝解釈(5)〟したものであるかもしれないからです。


リオ・ポーネグリフとは、〝ポーネグリフ(l/時空間, t/m) 〟を〝つなげて読む〟ことなので、ある解釈(5)は、リオ・ポーネグリフにとって、〝ある関係の範囲内で正しい(n)〟ということになります。


しかし、リオ・ポーネグリフは、〝未だ存在していないテキスト(n)〟です。

そこには、確実に、〝意図(n)〟が存在しています。


この、意図(n)を 読み解く時、リオ・ポーネグリフは、完成するのです。


(本来の表記は、リオポーネグリフ、 『・』無し だったと思いますが、時空間のラインにおいての議論ですので、
この議論を紡いだときの表記を 使います。)



話を戻しましょう。


ポーネグリフや 種々未来予知を含む 対象の、時空間のラインにおいての解釈は、対象(L/n, t/m) です。

では、この〝時空間のラインのクライマックス〟は、いつなのでしょうか?


AQALによれば、すべての発達ラインには、ピークとなるレベルの帯が存在しているか、その傾向が強い と なっています。

時空間のラインにおいて、私の、収集・考察したデータによれば、それは、第3層(インディゴないしホワイト)において、最も強くなります

そのレベルにまで 到達しない限り、真実は明らかにならない のです。

第1層の解釈は、第3層の解釈の サブ解釈 であって、第3層の意図の本質(ホワイト)は、
ちんぷんかんぷん、です。

第3層の解釈の基本は、第2層によって 初めて 明らかになります。

そして、ポーネグリフ(L/7, t/m) の〝テキストの意味を読む〟力や知識の視点は、
ポーネグリフの読解(L/7, t/f) と 表すことが できるのではないでしょうか?


ここに、(t/f)=女性のモード が、出ましたね。

L/7は、第2層(ティール) です。


いよいよ、ポーネグリフが〝ふしぎテキスト〟じみてきました。

お玉ちゃんも、びっくりです。


時空間のラインにおいての、ポーネグリフの読解(L/7, t/f) とは、一体、何を意味するのでしょうか。

考えられるのは、(t/f)=〝コミュニオン志向のモード〟なので、ポーネグリフの読解(L/7, t/f) とは、ポーネグリフを繋げて読むこと(L/7, t/f)、と 同じ意味になる、と、私には思えます。 また、それは、ポーネグリフをラフテルへと届けること(L/7, t/f) とも同義 です。

そうなれば、ポーネグリフ(L/7, t/m) を〝結びつける=リンキングする〟才能(視点) こそが、ポーネグリフの読解(L/7, t/f) ということなのです。


しかし、ポーネグリフを読み解くこと、は、昔から、世界政府によって 禁じられてきました。

理由は、繋げて完成するテキスト、リオ・ポーネグリフ(L/n, t/f) こそが、真実を明らかにする〝ゴール〟だからです。

その真実は、世界政府にとって、不都合なこと のようです。


現時点では、あくまで、ポーネグリフの 時空間のラインにおいての解釈 を テーマにする、というモードでの議論です。

ワンピースにおいては、ポーネグリフは、基本的には、過去の歴史を 語っています。 (それを 未来に向かって 紡いでいるという 視点。)


また、 リオ・ポーネグリフ(L/n, t/f) が、ひとつの (ハイパー・) テキスト であるならば、それはまた、リオ・ポーネグリフ(L/n, t/m) でもあると、私は思います。

また、AQALの 5要素で 考察しても、そうなります。 (男女のタイプ・エイジェンシーとコミュニオンのモードは どの視点にも常に存在しているためです。 ―― この視点は 決定的に重要ですが、本当の理由は、後に見ることになります。)


時空間のラインは、第3層において、頂点に達する、と 私は言いました。

その理由の一つは、予知は、超意識とおなじく、合理性を越えた(いわゆるトランスパーソナル) な〝レベル=構造-段階〟だからです。

わたしは、〝パラレルワールドを構築できる視点〟として、いろいろ議論してきましたので、おなじみと思いますが、そういった、〝合理的に説明できるけれども、合理的には体験できない〟という構造が、第3層 です。

そして、合理性の頂点が、第2層です。 (様々な、第1層の視点を統合する、能力・視点です。)

そういった〝世界(空間)のヒミツ〟こそが、第3層にあるのだと、種々データからも、私は思います。


これが事実ならば、リオ・ポーネグリフの視点は、(L/9, t/f) の表記 になります。

この視点から 始まるのです。


時空間のラインの解釈において、世界政府が 読み解くことを禁止した、つまり、何者か達が、真に恐れたこと は、リオ・ポーネグリフを読み解くこと・完成させること(L/9, t/f) であった と思われます。

ここで、ワンピース(9)というアートの解釈(意図)は、〝予知(9)の真実の隠蔽〟と〝少なくとも関係する〟という流れが、見えます

今は、ポーネグリフが、なぜ、考古学的な発達ラインではなく、時空間の発達ラインで 解釈すべきであるか、ということには、重くは 触れません。

ざっくり言うならば、まずもって、ワンピースは、タイム・アート (連載) だから です。


この一連の流れから、あること(島)が見えてきます


予知(L/5, t/m) は、具体的な内容(空間=シーン) を伴った 時空間の知性の、
オレンジのレベル
です。

それを繋げる力は、予知(L/5, t/f) です。


また、私は、予知(t/f) を、特に、〝予感 (予見)〟と呼んでいます

よって、オレンジレベルの、予知を繋げる力は、予感(L/5, t/f) です。


しかし、ここからが、本当におもしろいのですが ―――

オレンジのレベル(5)では、実は、予知(7)に関しては、ちんぷんかんぷんです

ということは、予感(5)もまた、予知(5)を紡ぐ範囲の才能なので、予知(7)に関しては、
ちんぷんかんぷんです


そして、予知(7)と 予感(7)は、同じ、ティールの時空間のラインにおける エイジェンシーと
コミュニオンのモードなので、どちらか一方だけ存在しているということは あり得ません


より 包括的に見れば、予知(7)≡予感(7) なのです。

つまり まとめれば、時空間のライン(7) です。

ワンピースで言うならば、ポーネグリフ(7) です。

ポーネグリフ(7) は、ポーネグリフ(5) より、リオ・ポーネグリフに 近くなります。

なぜならば、リオ・ポーネグリフは、ポーネグリフ(9) と 表すことができるからです。


この議論の、おもしろい中心点は、〝予感(5)は 予感(7) に 到達できない〟他界的であるために、認識できない、ということです。

それは、〝存在していない〟ということです。

予感(5)には、予感(7)は、存在していません


ただし、予感(9)において、あらゆる時間に、或いは、それを越えて、予感(9)が 現前しているという視点を、まもなく 見ることになりますが。

それすらも、予感(9)なくしては、気付くことができません。

しかし、未来は、それ(9)すらも、万人に 恩恵を与えるように、組み込んでいくに、違いありません。


時空間のラインにおける 対象としてのポーネグリフは、予感(5)で紡いだ時、ポーネグリフ(5) となります。

それは、リオ・ポーネグリフ では、ないのでしょう。

予感(t/f) は、より 発達していかなければならない のです。


予感は、(L/7, t/f) 第2層において、〝運命としての直観〟を 認識し始めます

いうなれば、リオ・ポーネグリフ(9)を、読み解き始める のです。


予感(L/7, t/f) は、自他の置かれている状況が〝よい〟か〝わるい〟か、存在論的(実存的)に 認識する 才能です

自分の内部で、選ぶと 未だ体験したことのないほどに充実して、選ばないと 世界が引き裂かれるような後悔に崩壊する、そんな感性が、生じます

10倍の集中力、構造的なフロー体験が、目覚めるのです

しかし、時空間的な リオ・ポーネグリフ(9) に まだ無意識的(他界的)なために、この感性が、予知(7)に つながっている、予知(7)を紡いでいるコミュニオン能力である、ことを、まだ知りません

時空間のラインにおいて、第2層ではまだ、ダイナミックに こういった視点を 認識できないから です。


つまり、充実と後悔の直観(L/7, t/f) は、予知だったのです

それは、時空間のラインにおける、コミュニオンのモードの才能 なのです。


そして、この直観(L/7, t/f) が、まっすぐに、第3層へと 繋がっていきます

リオ・ポーネグリフは、いよいよ、完成します


先ほどの 直観的な能力が、予感(L/9, t/f) に目覚めると、世界は、とても、ふしぎに見えます。

ここで、初めて、〝他界的だった現象が 現実の客体になる(9)〟ということが、起きます。


予感(L/9, t/f) において、自分が起こす 何気ない行為は、無選択の自覚による、自覚的な選択の結果、共時性となった〝生起〟なのです

それを、私は、一人称的な〝解釈―生起〟とも言っています。

また、それは、リアリティーは 自分自身が作る(2) という オカルトとも 違います。

リアリティーは、あるレベルに達した すべての存在 (所与のレベルのエイジェンシー) が、そのコミュニオンの中で 共同で作っています。

自分自身だけで コミュニオンのすべてを 操作することは、できません



むしろ逆で、予感(L/9, t/f) は、第2層までの あらゆる 時空間のラインにおける 事象(能力・ホロン)を 含んできたために、大規模な影響が、要約・集約されている結果 なのです


これは、〝構造-段階〟なので、客観的に、起こったことの意味を、考察できます

たぶん、起こったすべてのことは、何らかの意味で、自分が自ら選んで起こしたこと(9)、
自分自身との選択の結果(9)、なのです。

それが、膨大な世界へと 影響を与えることを 認識するがゆえに、責任(9)が 無選択の選択(9)を、一瞬ごとに起こす〝動機(コミュニオン)〟となることを、客観的な認識も兼ねて、理解するのです


また、このレベルでの、構造主義(発達心理学)としての、学術的なデータは、非常に少ない です。


別の言い方をすると、インスピレーションとは、自分が〝ある理由〟によって、〝瞬間的に生じる状況を選んだ(9)〟と、体験されます

角度を変えると、別の時間の自分や誰かが、本人に〝インスピレーションを渡した〟ということです。

つまり、インスピレーションとは、コミュニオン(9) なのです。


わたしもまた、ひらめきを、その都度 形にして、文章にしています。 (生じています。)


この、予感(L/9, t/f) こそが、予知(L/5, t/m) 、予知(L/7, t/m) 、予知(L/9, t/m) のすべてを、第1層から第3層までの、すべての予知のエイジェンシーを、結び付けるもの だったのです。

それは、時空間的な、リオ・ポーネグリフ(9) です。


そして、予知(L/5, t/m) は、本当は、予知(L/7, t/m) を見ていたのですが、それを縮小して、部分的・断片的に見ていた予知 だったのです。

ちょうど、マダム・シャーリーの例 でしょう。


もちろん、予知(L/7, t/m) は、予知(L/9, t/m) を見ていた のです。

それを、部分的に 認識していた、というわけです。


ポーネグリフの内容とは、所与の解釈 であり、それは、究極的には、繋げて(9)読まなければ、意味を成しません

これまでの予知は、紡いでも、その予感は、曖昧なものであり、真の予知とは、確かな予感を説明できてこその、根拠(9) であるべきなのです。


所与の 時空間的 ポーネグリフのテキスト を そのまま読んで(解釈して 別のテキストとつなげて) も、真実(9)に辿りつけるわけでは ありません。

真実(9)を知るためには、そこまでの冒険(9)を、達成しなければならない のです。


ここで、視点を変えてみましょう。


予知(5)は、予知(9)の 断片 です

予知(5)が悪用されれば、不当な利益を、悪者に 与えることになるでしょう。

予知能力者(5)は、色々な方法を駆使して、それを どうにかしようとします。

自分の能力を忘れよう、隠そう、とする かもしれません。

自分自身(5)にとっては、自分が見た予知の内容が、真実なのです。


しかし。


予知能力者(7)は、上記のことすべてを、あらかじめ知っています

さらに、本人(7)は、どこかで それを計算に入れて、予知(7)を 解釈―生起 させ始めています。

そう。

予知能力者(7)は、他ならぬ、予知能力者(5)の、未来の〝自分自身〟だったのです。

自分(5)が 予知能力を忘れよう・封印しよう、という選択まで、未来の自分自身(7)は、すでに予知していたのです


ただし、未来で。


では、この未来は、時間的に、先の時空間に あるのでしょうか?


いえ。


自分自身(7)の予知は、自分自身(9)の予知によって、すでに、洗いざらい、網羅されています

しかも、未来で。


ですが、予知(9)を紡いでいるのは、予感(9) です。

そして、ここで、予感(9)は、〝偶然などなかった〟と、具体的な証拠を収集して、言います

世界は、共時性で、生起します、と


予感(9)は、ふしぎな偶然には ある数式のように 意味を〝外在〟している 定数のようなものがある ことを認識し、その〝証拠〟を 見る方法を 既に持っています

そして、予知(9)は、未来の出来事を見る才能 です。

ゆえに、すでに、予感(9)の証拠の収集について、今より過去に、既読 です。

こういった 視点は、クリシュナムルティが、基底について、ボーム博士との対話で 語りたかった内容でもあった、と、読み解けます。 (基底の対話については 『時間の終焉 (コスモス・ライブラリー)』 に 載っています。)


予感(9)を目覚めさせる者、それを、もっと過去に すでに見ているのが、予知(9)を使う者 です

つまり、予知(9)や、予感(9)は、いくらでも、より過去に、見ることができる者が、いるかもしれません

また、より未来の予知や予感が、今、つまり、この過去に、生起している、と とらえることも、
不可能ではなく、むしろ、筋が通っています。 (実践的です。)


ゆえに、予知も予感も、つまりは、第3層、インディゴないしホワイトは、それを見るのが 時空間のラインの能力である、そのアドレスは、時間の中にはないか(非時間)、あるいは、あらゆる時間の中にあり得る(超時間)、と、読み解くことが、できるのです


オレンジレベルでも、夢が形骸化して、その理想主義の断絶にあえぐ のは、そういった、高次の直観が 既にあるから です。

基本は、状態として、とどまり、そして、去っていくのです。


共時性によって、自分の旅は、うまく行くように、成長します。

そして、それは、時間の無い、無限の昔から、無限の未来にまで、無空間的に、無時間的に、決まっていたことなのです

あるいは、全く決まっていることが無いことが、ずっと 決まっていたのです

なぜなら、すべては、非時間だったからです


そして。


ラフテルは、自分自身だった、と、 実は 自分が知っていて、その時は 時間がなく、成長によって、そのことを 始めて認識したとき、 知らなかった瞬間など なかったのだと、 知るのです

世界が怖れている、本当の達成とは、究極とは、これなのです

そして、進化に 終わりはないのです


時のポーネグリフは、意識という変数によって、リオ・ポーネグリフに、生まれ変わります。

つねに、リアルに、アップデートされていくのです



にもかかわらず、それは、時間の無い、今、この瞬間に、初めから、判り切っていた ことなのでした。


――――――――――――――


ですが。

結論を急ぐ前に、予知が もし 本当にあったら、と、考えてみましょう。


ふつうに考えて、悪用を連想しない人は いないです。

自分の予知を、自分ではなく、誰かが悪用する場合には、配慮ができる者として、責任は重大であり、自分がそれを意図したか 助長したという可能性を 認めざるを得ないことになれば、
予知などというものは、ない方がいいことに、なるかもしれません


しかし。


この議論では、すでに、未来の自分たちは、この出来事を 知っています

そして、それは、第3層において、ある事実と共に、確信的に、解決されます


予知 (未来のテキストと 意図や存在) は、予感 (時間を越えていく 未来のテキストの読解力としての 繋ぐ達成) を、第3層のゴールまで、紡いでいったのです

ポーネグリフは、繋げることで、その読解力そのものが〝ミラクル〟そう〝UP〟したのです。


テキストには、すべてが書かれていました。

でも、そのテキストは、空。 時間の無い紙に 書かれており、『それを読む力』は、あらゆることを経て、すべてが明らかになった瞬間、初めて、『すべてが書かれていたということを読む力』に、成るのです。


予知の悪用は、実は、未来の私たちが、すでに解決策を 知っていました

そして、予感。 その紡ぐ想いが、これまでの、予知に対する、あらゆる怖れと偏見を、AQALのような 包括的な地図と共に、解決するのです

それは、予知が、ずっと、切望してきた、願い。

そう、ずっと、それを見続けてきました。

そして、それは、今、見つかりました。


世界は、変わります


――――――――――――――――


というわけで、予知は、やがて、世界中に受け入れられる、ごく、あたりまえの、基本能力になります


その後の社会は、誰もが、ズルをせず、それ(ズル)ができない 市場・政治・アート・医療・
スポーツ・その他もろもろ
・・・

今の時点で、この ズルをしている〝何者かたち〟が、それを読み解くことを〝心底怖れている〟

それだけのことです
posted by インテグラルとど at 11:20| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする