2020年12月30日

ホワイトの直観! ~世界を平和に!子どもが大好きになる♪予見と未来予知(≧▽≦)✧~

時間的な予知(予感・直観・予見)という、全貌を ほとんど知られていない ライン(知性) があります。

この、予知(t)に関して、〝占い〟というものの相性がどうだろう? と考えた人はいるでしょうか?

もし、そうなら―――ああ、なるほど。予知(t)は、占いという触媒でこそ、真の力を発揮するのか…。 とか、想像を巡らせて〝予感(n)〟すると思います。

しかし、悲しいかな。 この、〝予感(n)〟は、〝認知のライン(の所与のレベルn)〟からなされる 単なる〝空想―思いつき〟であり、予知(t)とは、何の関係もないんですよ。

ω

本当の、予知(t)とは、まずもって、合理的に証拠を集める、非常に科学的なタイプの予知 です。 

これを知らない人が多いのは、予知(s)の方が一般化している以上、当然でしょう。

この、予知(s)というのが曲者で、未来のビジョンを、夢を含む何らかの方法で直覚、導き出します。

予知(s)は、空間的な予知、シーンの予知 であって、通常言われるタイプの〝未来予知〟です。

もちろん、こちらも ラインなので、対応するレベル(n) があります。


時間の予知・・・。 予知(t)とは――、空間の予知、予知(s)との 相性で決まる のです。

この相性が抜群だと、レベル(n)に相関して、予知(t)は、大きな効力を発揮しますが、相性がかみ合わないと、面倒なことになります。


例えて言うと、予知(t)は、自転車走行であり、本人の直観という推進力で、かなり 微妙なバランスを保っている わけです。

この感じを分かる人が、まず超希少なのですが、ここに、下手な空間的予知(s)が加わることで、予知(t)という自転車【サイクル】は、バランスを保てなくなるのです。

そういった、予知(s)とは、自動車【クルマ】に例えられ、スレスレで、自転車=予知(t) を、追い越していくのです。


このように、予知(t)のペースが乱されることは、本人の日常世界にとって、実は非常に危険であり、予知(t)を身につけてきた人とは、通常の社会に単純に守られない存在だったりと、取り巻く状況が特殊です。

芸術家に多いのではないかと思いますが、詳細は 分かりかねます。

これも直観であり、それを、AQALと実践で紡いでいるわけですが、色々と証拠が集まってきているのも確かです。


わたしも、予知(t)と、予知(s)を、ラインとして主張する通り、予感等に 強力な興味を持つ人が多くなると思われますが、生兵法は大怪我の基。 そう、単純なものではないのです。

一説として、今回のウイルス禍も、予知(t)と、予知(s)、それぞれのバランスが失われたために、きれいな接続が取れなくなって、起こったのではないか、と、私は思っております。

もしそうなら、たしかに、小さなことでは、ないでしょう?


誰しも、気付かぬうちに、予知(t)か、予知(s)を、扱っている のは、確かだと思います。

そういった直観無くして、言葉を覚えるのも、不可能かもしれないからです。

形態形成、私たちの潜在能力を実現する、成長というメカニズムは、この、2つの予知のラインと 兼ね合わせてこそ、明快に説明できる と 思われるからでもあります。

そこに、サトルボディ、コーザルボディ、を加えて議論しても、良いでしょう。


まず、自動車に例えた、予知(s)の、下手なバージョンとは、そう、通俗的な占い ですね。

それも、権力を纏ったタイプです。 そういったものは、予知(t)に、影響を どうしても及ぼす わけです。


仮に、良かれと思って、こういった、中途半端な未来予知(s)を、直観する個人(t)に、接続しても、うまくいかずに、トラブるのが、自然な流れでしょう。

こういった、中途半端な予知形態(s)には、色々な特徴があります。


まず、その形態が、特定の警告のように働く メッセージであること

これこれは、このようなことになる、とかいうものです。

誰にとっても 普遍的な結果となるように、主張されていますから、その 合理的な根拠がない 以上、欺瞞ですよね。

あなたが あるタイプだと、必ず不幸が起こるのですか?


予知(t)は 繊細なバランスで成り立っており、そのベールは、〝未来の感受性〟にある、と思われます。

ここに、〝みらいのことば〟も含まれます。

その多くは、合理的世界と、下側からの生物圏的な感受 によって、判断されており、そこから、超意識的な領域に 強みを持たせていくのです。

まずもって、非常にかすかな内的変化によって、予知(t)の直観は、チューニングされるのです。

(後者の生物圏的な感受は、非常に微弱な受信であり、内面というよりは、何らかの エネルギーに近いと思われ、自我の弱い子どもが影響を受けやすく、非常に発達した大人が 後天的に 合理性の上に ケンタウロスを越えて 第3層で 意味を直覚していくもの、それは超意識ではなく 本来 下意識にあり、ケン・ウィルバー〝ワン・テイスト〟の 根拠が乏しい占星術への 議論・脱構築のエピソードあたりで 触れられている領域を、私流に再構成して主張したものです。)


ここに、余計な警告・判断が入ると、そのすべてが、狂います。

全てのコトバ、プロセスは、まずもって〝視点〟ですから、あることを、肯定的に感受しているのに、それを妨害されることは、生物圏的なリズムと、合理的な判断力の両方が、驚いて、すくみ上がります。

創作としてのメロディを引っ張ってくることができる人は、こういったメカニズムで、予知(t)を使っている可能性がありますし、そういった創作でこそ、予知(t)を伸ばすことが、理想だとも言えます。


最近、悪名高い、合理的な根拠が乏しく 対話的ではない形式の〝夢占いのようなもの〟は、元は、フロイトの 浅い意味での深層心理学が根拠の為、予知夢(s)とも、関係しません。

未来の出来事を(s)のようには 判断できない 未来予知(t) は、予知夢(s)を〝合理的に判断〟しなければならない ために、モノロジカルなオカルト主義が入るものは、拒絶しなければなりません。

それは、時間的予知の防衛機構、とも言えるかもしれませんが、いずれにしても、無根拠のものに騙されない直観こそが、本当の予見(t)です。


今回のウイルス禍の下では、上記のように、無根拠の占い(s)が、人がすがりつくように 蔓延しやすいでしょう。


無根拠の占い(s)でも、主に、レベル(n)を理解できない、何らかの予知(s)を経験した人々が、占い師として、人々への使命感で動いていることがあります。 あるいは、それで、お金を儲けられると考えるのかもしれません。

しかし、占い(s)で、はたして、自分は、幸せになれるのでしょうか?

まず、空間的な予知(s)を、自己実現、セカンド・ティアー(第2層) に向けて、熟達していかなければ、合理性を越える ことはできないのです。

そして、そのためには、たとえ、シーンの予知や予知夢(s)であっても、〝合理的なテストを自分で施す〟必要があるのです。

それを パスしてきた人々だけが、本当に実力のある 予知をも発揮する者(s) として、名を馳せたりするのです。

例えば、高度な才能と個性を持った タレントとして。


話は、少し戻りますが、所与の占い師(s)は、完全無根拠ではなく、かなりあいまいな経験から、予知が無いわけではないくらいの衝撃は受け、その混乱の内に、何らかの 自分を納得させるための〝理由〟を 世界から拾おうとします。

そして、その中途半端な見解(s)を、他の人々に伝搬させるのです。

しかし、時間的な予知(t)には、その見解(s)の中身など、モノロジカルであり、合理的に見えない(理解できない)ので、対話することは ほぼ不可能です。

ちょうど、この現代に、あなたは戦争に行けばいいんだよ(s)と言われた時、どうすることが合理的なのか?(t)、ということです。

まず、答えは決まっていますよね。

何のメリットもなく、何らかの抗争に巻き込まれるのは、その 自転車(t)のバランスを危ぶめることを意味し、生活世界がショックを受けます。

拒絶(t)する。 当然です。


この辺りに、感受性が高い個々人(t) と、レベルに開くことができない占い師(s) の 距離 があります。

レベルを見ない 占い師(s) のほとんどは、占星術、時に魔術、そういったものと変わらない原理に頼って、惰行・退行します。

本人(s)の中に見えているシーンを、一体どうすれば、他の人々にプラスになるように、伝搬することができるのでしょうか?

それには、最低限、予知のライン(s)(t)以外の、様々な知性と経験が、必要 なのではないでしょうか?


こういったことから、最近、ブームにしてしまったかもしれない〝予感(t)〟を、考えていくと・・・


① もし、子ども向けのアニメで これ(n)を取り入れる場合、大人向けの内容ではないこと、根拠の無いことを明示すべき、です。

しかし、占い師(s)が、これを そう簡単に認めないのは、予知の潜在性を 咎めることに つながるわけです。


② 上記の場合、肯定的な内容 のみ、例えて おみくじならば、メッセージとしての 末吉以上のコーナー にすべきです。 なぜなら、子どもとは、まずもって、魔術・神話的な世界観を持っているのであって、否定的な概念は、直接、子どもたちの心を不安にします。 この、魔術・神話的なレベルは、合理的な予知判断(t)などとは、何の関係もないものであって、占いコーナーを、誰のために紡いで提供しているかの明示は、必須 だと、私は主張していきます。

(切り離された占いのコーナーが、ストーリーと包括されて、第3層の主張からの翻訳となるには、対話を含めて、上記のような道を 辿る必要があることが、明らかでしょう。)


こうして、発展したポイントが導かれます。


2つの予知(s)(t)は、どのような組み合わせであっても、合理性から、さらには、それを越えた地平から、協力しての接続を行わなければならない。

現代社会において、そうしない限り、幼児以外に、社会文化的・実践的用途として〝実用に耐えうる〟高度 になることは、決してないからです。

特に、時間的な予知(t)は、セカンド・ティアー(第2層)を、さらに越えて、サード・ティアー(第3層)にまで到達して、初めて、その性質を自覚する ことが、基本だと思います。

その超意識の性質上、慎重に合理的なテストを施していくのちに、後天的に成熟しない限り、予知能力の話が 強い根拠を持つことはないのです。


したがって、以下


④ 私は、魔術・神話的な用途で提供される、水平的な予知占いもどき(s)、合理的な根拠を伴わない 内容・行為等に、一切加担しておらず、その根拠も 否定します

わたしが、どれだけ、予知能力全般について、強い主張をしようとも、こういった内容と勢力を、勝手に含めないでください。

小さな三輪車で、交通量の多い車道を走りなさい などと言うことを、当然 私は 主張していません。

予知の場合でも、ね。


スーパーマインド(サード・ティアー)では、確かに、子どもの潜在性の今現前について、はっきりと根拠を述べることになると、私は言いました。

ただし、ほとんどの大人は、子どもへ〝自分たちの稚拙な部分を投影〟して見ているだけで、〝子どもへの翻訳〟をする時に〝幼稚性への埋没〟の道連れを食らいます。

これは、現代社会に、徹底した合理的な基準、それも、色々な翻訳的レベルの神話をサポートした〝スピリチュアリティのラインに関する成熟した知性〟が 根付いていないからだと言え、そんなものがあることすら、ほとんどの大人は知りません。

私が思うのは、子ども向けに翻訳しようとしている 多くのアニメなどが、上記の道に分解しており、結果、予知などなかった、ということになっています。

しかし、これは、合理的とすらいえないでしょう。

本当の、スーパーマインドは、ただ、翻訳だけでは終わらずに、埋没をすることの無い〝本当の子どもたちへの実践的未来予知〟を 提供できなければならない からです。

そして、現実に、その高度で、予知(s)を紡いでいる人々を、私は知っているので、それに接続する(t)ことが、埋没なき翻訳になることを、体感してきました。

これは、やはり、構造―段階(ストラクチャー・ステージ)あるいはレベル、なので、絶対的に、基本的な段階としての流れを飛び越えることはできない のです。

ここで、私は、〝予感〟という、世間に知られすぎている用語を使うことを、控えるべきだった と 思い知らされるに至ります。

せめて、〝予見〟にするべきでした。

通常は、以前から、〝直観〟という言葉を使ってきたので、それでもいいです。

合理性を加えるならば、〝洞察〟でも良いでしょう。

いずれにしても、私にとって、中途半端な予知(s)は、邪魔(t)です。

最低、第2層に達していることが、必要だと思います。


ここで、ずっと、言ってよいのに言わなかった秘密があるのですが、法則的には、予測の出来るやつです。


空間的予知(s)が 第3層 インディゴ(9)にある人は、そのシーンの強力さにもかかわらず、正しい洞察的な予知(t)が 2段階基礎的な 第2層 ティール(7)に支えられる形で、燃え盛ります。

時間的予知(t)が 第3層 インディゴ(9)にある人も 同様で、正しく予感的な予見・直観・洞察に 閃きの明快さは 揺るがないのに、そこに 未来のシーンが現れる共時性(s)が 2段階基礎的な 第2層 ティール(7)に充満する形で、咲き誇ります。


私(t)の場合は、未来のことは分かっていないつもりで 直観を判断・観照 (t) して、マインドフルに紡ぎますが、結局は、後になってみて、共時性も根拠(s)となっています。

この場合、ハイパー・ライトに 第2層の共時性(s)という占い師 であるためには、第3層の予見(t)が使える賢者であることが必要 (前提) なのです。

よって、占い師(s)は、魔術・神話的なものを根拠にしている時点で、決定的に重大なポイントを見逃しているのです。


空間的な予知が第3層にある人(s)の場合は、自然な流れで 未来のシーンが揺るがずに安定している感じ、マインドフルな世界、その 非時間と超時間を、今に集約して安らいで 見て (s) いますが、にもかかわらず、ふと分析してみると、強い〝無空間的な〟閃き(t) を 纏っています。

そこに働いている、ハイパー・ライトな 第2層の知性(t)という賢人は、まずもって、第3層のスーパー予知(s)的 聖者 であらねばならない のです。

どういった場合でも、ハイパー・ライトに、つまり、とてつもなく自然な時空間の中で 予知ができるというバージョンは、必ず、得意なラインが、第3層の方に突き抜けている ということです。


もしあなたが、時間予知(t)のタイプなら、共時性によって自己実現的なレベルで合理性を成熟させる事象において、生活世界から 未来を見たい(s) と思うときは、第3層の予見力(t)まで、発達することが必要 です。

しかし、それができれば、第2層までの、あらゆる予知能力を体得した人、空間的な未来予知の聖者(s)とも、リンキング・接続をすることが、できる のです。


基本的には、強いバージョンが第3層にある人同士で、この、繋がりは、可能 です。

それでも、第3層の〝空間予知(s)〟が 少し前に適応していた 第2層の世界観(s) に、第3層の〝時間予知(t)〟は、アクセス・共感できる、という点がポイント です。

おそらく、移行構造なので、魔術・神話・合理的な〝予知の世界観〟は、否定されたうえで、包摂 されています。 (モラルのラインと同様に。)

あくまで、重心は第3層なのですが、それでも、第2層のセカンド予知が使える わけです。

(この場合、ファースト予知は、第3層 サード・ティアーにあります。)


確かに、どんなバージョンでも、健康に第3層にまで成長することには、多大な意義 がありそうですね。


今回の結論

子どもの潜在的な可能性が今現前しているという地平、とは、時空間的な どちらの予知でも、マジェンタやアンバー(魔術・神話的な段階)には無く、むしろ、ティールやインディゴ(スーパーマインド・第3層側)のチェス盤にある、それが、すべてのレベルの基礎的チェス盤を、移行構造重心で包摂している、ということです。

しかし、グリーン(6)の高度では、チェス盤の多次元性が見えきらず、どのように子どもに翻訳を意図しても、かならず、稚拙な大人のバージョンが にじみ出てくる、という結果が出ていると思います。

グリーン(6)の高度に達しない大人は、子どもに翻訳をすることの必要性すら、軽視するでしょうから、私が今書いていることは、必ず、近い未来に役立つでしょう。

そのためには、第2層を、人口の10%にする必要がある のです。



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☆彡


(P.S. ひとりごと。 これだけは、ぼそっと書いときましょうか。 ※ 願い → カネ )

posted by インテグラルとど at 07:46| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする