2019年11月14日

未来の〝ことば〟 ~状態・構造と アートに〝ともだち〟~


空しかない。 そこから、無形の眠り、何もない意識が芽生え、夢の世界へと下降する。

時間が現れる。 過去や未来、多次元が くるまって、光の道のしるしに。

夢から覚めると、いつもの日常、物質とシステムのある世界、そして身体に気付く。

なんらかの、空からの印象を 覚えていることもあるよ



という風に、〝状態-段階〟としての〝非二元神秘主義(S/nd)〟が色濃くなると、〝構造-段階〟としての第3層に 永続適応しやすくなります。

空から夢が、光から形が、それが、状態と構造の秘密のひとつで、インスピレーションや直観と呼ばれ、昔から、報告されてきたジャンルですね。


仏教では、微細神秘主義(S/s) つまり、夢の世界の現象は、魔境と呼ばれて、その中に、一種のESP、つまり、過去や未来が 時間的な順序を越えて把握される現象・視点があることに、合意しています。


私が音楽を作る時、どうしても作りたいと思う音楽ほど、メロディの印象が色濃いもので、夢の世界から 引っ張ってくる気がある、つまり、空から未来を見ている、ような説明が可能です。

合理的に体験(9)は できませんが、合理的に説明(8)は できます。

そのメロディにさらに、いつ詩を付けるのか、その印象も、直観です。


好きな人だと感じた時の、言えないときの絶望感が、ダイモンがデーモンに変わる時が、つまりは、空からの形、時間の順序を飛び越えるという未来を感じ取っている、解釈している、と見れます。

私の場合は、実際に未来の映像は見えませんが、後で 答え合わせ(9)をする時に、確かに、知らない事実や名詞があるにもかかわらず〝知っている〟印象があることに気付くのです。


別の見方では・・・

例えば、働かざるもの食うべからず!という理念で動いている意識は、それ以外の価値観をシャドーとして締め出します

中には、〝ものを見れば 先の印象が分かる〟人がいますが、せいぜい、物質的な粗大領域(S/g)に 関心と対象が限られていて、深いメロディやアートの夢 そういった美とは、無縁で、低俗だという価値判断 (自分本位の歪んだヒエラルキー) を行うと思います。

上記は、この家がいいとか、そういうことです。 (それも重要なジャンルですけど。)


私が、自転車で信号を守らないとすれば、裏道重視でロングライドをするという発想も持てません。

正しい手順、方法をクリアして初めて、その領域に、想い、直観が適用できるのです。

(楽しいお話を入れるならば、〝KinKiのやる気まんまんソング〟は その流れで 聴きましょう♪)


王様が象に賢者を踏み潰させよう、という昔話がありますが、賢者は避けるわけです。

それもまた、自然な無選択の意識で、シャドーワークとも、信号順守の発達ラインとも関係してきます。


ということは、非常に深い願いであるからこそ、そこに〝構造-段階〟として定立できる根拠があるからこそ、直観は出でて、そのジャンルを広げるのは、良いことを4象限をクリアして〝行おう〟という、明確な実践によってです。

(つまり、現代の自動車社会は、直観の範囲を 乏しく、即ち〝限定〟するようです。)


アインシュタインのような天才は、多数派とは異なる脳構造であったことが知られていますが、つまり、マイノリティな脳構造、器質的な障害として分類されている場合でも、インスピレーションの直覚方法が ユニークないし実践的で、要は、それにエネルギーを使っている、自分の世界に入っている、というだけだったりします。

アーティストは、だいたい そうです。


上記にも、もちろん、構造-段階 があります。


では、共時性(シンクロニシティ)や既視感(デジャヴ)は、どうなのでしょうか?

これらは、インスピレーションの一種、時間的順序を越える ひとつの状態だと説明できますが、それらを解釈する〝構造-段階〟つまり、その 総合的なネットワークに依拠します。

形態形成(8)として合理的に説明できますが、実際は、外側のシステムに共時性が起こることが多く、デジャヴも ごく日常の領域(S/g)にて起こることから、五感で把握しているシステムと関連して認識される点で、同種でしょう。

夢の世界(S/s)では、デジャヴやシンクロニシティ(グロス・S/g・的な時間)は、包含・超越されている、と言えます。


共時性として、自動車が好きな技師が 道路交通のシステムについて日々考えていた場合、ふしぎな偶然が 道を含んで現れることが有り得ます。

数字に強い人が、数字に関する日常的な共時性を解釈することを含めて、起こり得ることもあります。

動物好きな人が、目撃した動物に付与する、出会いの運命の解釈を含めて、未来から自分自身へのメッセージ的な共時性としての シチュエーションもアリです。

つまり、システムと社会もまた、内面と相関する象限であり、意図と直観の反映の範囲となります。

今日これを見るから出かけよう、という 行動力が、無意識下で意識されている、そういう流れで 外側に共時性が見出せることが多いのでしょう。

いかにたくさんの、自分にとって意味の持てる情報を把握できるか、この資質を育むことで、共時性の法則をある程度 経験できると思います。


今回言いたかった最大のことは、〝コミュニケーション〟です。


アーティスト同士が、芸術で対話する時、この資質は極限になるようです。

統合的対話によって、美の発達ラインなどから、作画、メロディ、あらゆる〝交流-解釈〟ができます。

会って話すよりも、インテグリティが増す実践となります。

そこに、共時性が伴うことが多いと気付いていく中で、誰かが意図したように感じれば、第3層の構造的根拠で、そういった超時間的把握・言語がある、と 気付けます。

私は昨年、そういったことの具体例を、根拠を持って 挙げました。

(提示したのは、深さを中心とした、ほんの一角です。)


私は、未来を見れないと思っていましたが、色々な経験をしていくと、印象では 何となく、どうなっていくのかが分かります。

どこから自動車が来るかは分からなくても、来そうなところで自分はどうしたいのか、どうしているのか、そういった 流れの把握は、〝無選択の意識〟に近いところで やっていると思います。


好きな人が やがて現れるという直観を持つ人でも、その強い印象を映像化できないとしても、たしかに 未来を見ていると 捉えられます。


どのようなバージョンだとしても、最初に起こっている流れは、同じでしょう。


もう一度、要点を繰り返しますが、未来を見ることに こだわりすぎると、自分が閉じているルール・領域を 忘れます。

無意識に追いやられたシャドー領域に特に言えますが、リベラルの闇 (自動車社会をはじめ... いわゆる エゴVSエコ) にも言えますが、その部分は、未来の印象を把握するには不十分であるだけではなく不適切でもあるので、未来が見えない、ということになります。

だから、統合的実践(ILP)が効いてくるのです。


TVゲームなどにて、何かを引き当てるのを予想する、というのは、通常 無理です。

スポーツ選手がレースで、というならば、本気で勝負しているなら、どうしたいかという点で 在りえるでしょう。

ゲームの場合は、本当に、このタイトルをブログに乗せて交流したい、とか、何か意味につながる達成を予期する見込みの共時性は、アリです。

予想全般に言えますが、内面の深さを無視した粗大中心志向(S/g 絶対化)では、共時性は理解できませんし、意味を持ちません。

この点を別方向で心配している人は、気にしすぎないように。


つまり、お金のモジュールを実践する時は、自分がなぜ これ(節約など)をやりたくて、そうすればどうなるのか、を真剣に考える時に 多次元的な 意味を持つ、ということです。


今回、これを書いた動機は、やっぱり、気付くタイミング含めて、色々と 昔は 有り得ないと思っていた〝すごいこと〟が 起こっていたからです。


私の作った歌、メロディの印象と作詞だと思いますが、そこ(視点の視点の視点...)からインスピレーションを閃光を得て、世界に意味があることを、人間の優しさの本来を、伝え広めたい、と 繋いでくれた人々がいることに気付けたことが、今回のご報告の基礎にもなっています。

具体的には、去年に掲載(別ブログ中心に掲載)しましたが、まだ 続き があるようです!!

(⋈◍>◡<◍)。✧♡



P.S. ――― (2019.11 15)


〝this way〟… 〝way〟は「方法」!



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P.S. ――― (2019.12 02)


〝 by 〟が〝 キー 〟なの!? (笑)


ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 22:28| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする