2019年06月21日

【自動車】 信号のない横断歩道の停止線停車は 命を救って〝渋滞を無くす〟!!

この、ある種、当たり前、そして、逆説的な〝事実〟を 真っ正面から議論する〝運転免許保持者〟は、なかなかいないのではないですか?

自動車が、未だに 自転車に対して同一車線上の通行帯に加速して突っ込んでくる〝運転免許保持者〟がいる中での近況解説です。 【自転車乗り視点から自動車交通】


自転車は、裏道を開発します。

時間はかかりますが、グーグルマップがありますからね。

家の中で、あらかじめ 頭と心に行程をきざんでおくわけです。

サイクリングロードの源流の一つは〝裏道〟だったりします。 (自転車で走れる色々な公道)

自動車とは発想からして異次元で、〝自動車と同じように走る自転車〟とは〝歩行者と自転車に対しての安全義務 (すり抜けをしない運転を工夫する)〟ということです。

(わざわざ、自動車交通のデメリットをも継承する必然性はゼロです。)

つまり、自転車のルートは、自動車の交通渋滞と交通戦争の〝影響を受けない〟実質のメリットが、基本です。


というわけで、自転車(にわか歩行者)は 交通量の多い自動車中心の幹線道路を〝横断〟する必要が 一般的に見て 必ずあり、自動車が、横断歩道の停止線できちんと止まると、自転車は〝自動車と別のルートを(電車で言う外線に対して内線扱いで)通ることが可能〟となり、自転車を〝無理やり抜かす(ほんの少し先の世界では法的に一発免停の 行為を行いうる)〟必要性すらなくなります。

このことを考えたことがない自動車ドライバーは、自分たちで教習所を作り替えた方がいいです。

(今度はこういったことを見落とさずにきちんと話し合えるコミュニティとして。)

ちなみに、リベラルとは〝他者の幸福を願って行動しているならば、ある程度の失敗は 堂々と赦してもらえる、自由=寛容 な日常〟を意味します。 (―― 強迫的に 加害者に被害者 言いません。)


日常的に走っていれば分かるはずの、横断歩道がなぜか無いが自転車が横断する必要性がある交差点の場合でも、同様です。

つまり、一般道では徐行としての走行が基本です。 (前や後ろのドライバーが初めての道を走っているのかも。)

また、自転車ルートが 部分的に、メインの車道を走ることになる区間があるので、その部分を自動車ドライバーが理解する必要があります。

そういう道ではたとえ国道でも、安全な速度で1m以上開けて追い越さなくてはなりません。

別視点では、自転車は 自動車と走っていないシチュエーションが 多めであるということです。 単なる自動二輪と同じ扱いでは、動きの面で 安全ではありません。 (自転車は歩道に行くために、徐行して停止する時間が必要です。)

また、これらを教えない教習所は、自転車乗りの視点からは〝教習所ではありません〟

(ただし、こういったページの報告で言う〝発見〟の余地の為の 特定の見解を押し付けない側面はリベラルであり、運転免許保持者が そのことを考えることが本当の必須科目である実践であるがゆえの〝真の教習所〟であるべきだということです。 【人=学び、リベラルなモラル】)

壁やガードレールと自転車の距離は、全くの異次元で〝別〟です。

流通業界ならば、生き残り、他社を圧倒する〝究極の秘策〟(公共の福祉としての私見) は、路上駐車 (危険すぎるのでコストとリスクを極限に上げているのに気付きにくい行為・自転車のすり抜けと同種のカルマ) をせず、極力一般道を経由しない (制限速度が上限である運転を開発する) ことです。 ドライバーのストレスの軽減(メリット)が、そのまま利益になります。 (総合的に考える。) トラック(工事のダンプなど含む・特に大型)のドライバーは、一般道を自転車と走り慣れていないため、一般道にいる時 とてつもなく危ないことをしている 〝自覚がない〟一般現状を〝自覚すらしていない〟ことで とてつもない出費(コスト)を支払っているのです。

このような、絶妙な着眼点を、機会があれば、定期的に発信していきたいと思います。
posted by インテグラルとど at 12:48| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする