2018年12月13日

インテグラルな資本主義への道 ~健全性とメタILP~

ぶっとんだ題名ですが、統合的(ポスト形而上学的)な資本主義ということですので、その構造は保存しつつ排他性はなくなっており、社会主義などのいいとこどりも成された深さという意味で、もはや イメージで言う資本主義ではないと思います(笑)

ケン・ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」を読み解きながら、「ジュエルペット てぃんくる☆」の すてきすぎる仕事に Mr.Childrenのメッセージ(主題・意図)も交えて、一夜限り (閲覧期間無制限(⋈◍>◡<◍)。✧♡)にて、お送りしようと思います。


・信頼の資本主義は 経済ではなく〝合意〟


〝インテグラル・スピリチュアリティ〟でおなじみの〝社会(Q/4)・文化(Q/2)は、コミュニケーションによって成り立っている〟という主張は、資本主義もまた〝システムと内面のコミュニケーションである〟つまり〝信頼の原則によって合意しなければならない〟ということです。

リベラルがスピリチュアリティの発達ラインを抑圧した結果 セクシュアルな乖離がひどくなり 健全な成長ができなくなって、原理主義者を語るカルト集団(~L/2の病理バーション)に〝(嗜好的な)萌えアニメは 性犯罪を抑制(リベラルの苦し紛れで所与の独白的主張)するのだから、感情や思想(この場合は非常に有害なものだが なぜそうなのかリベラルが気付けない)を 抑制なく どこまでもエスカレートして表現して 情報媒体で 自爆テロを起こしても構わない!〟と勘違いさせることで、次の世界大戦が懸念されて資本主義も崩壊するのでは?という状況が、今です。


この現状の解決の糸口は、「ジュエルペット てぃんくる☆ を 適切に解釈(9)する」ことだと 私は主張しますが、後期のミスターチルドレンでも ONE PIECE でも良いです。

子どもと女性が差別され続ける資本主義の中で 第3層の発話によって制作(定立)された〝てぃんくる〟は 既に 現代に置き換えてのキリスト(ミレニアム)並みに稀有ですが、故に 上記の主題を貫通するほどに 本当にまともに解釈できる者は、普通に(おかしな)資本主義に適応している男女では〝いない〟と言えます。

女性の波は浸透的ですので、どの波(発達段階)の男女でも てぃんくる☆は見れるようになっていますが、そこが 女性のスピリチュアリティの わかりにくいところにもなっています。

本当はシンプルなんですがω


また、根源的なアート(芸術家の旅)は 内にスピリチュアリティのラインを含み、行きつくところに行きつきます。(漫画やアニメでは絵本・音楽では洋楽の系譜など スピリチュアリティのラインのプレモダンまでの部分を 実はサポートしつつ それを超えてゆくからです。)

その点で、芸術は有利です。

さらに、上記の作品は、普通に資本主義を〝扱って〟います。 なにかの〝資本主義による商品化は絶対に認めない〟風な〝反経済的な側面はありません〟し、売るためのものでもない〝意図〟で作っています。 (物質主義を軽く超えていますね。)


さて。続きを語るとしましょう。


資本主義は、お金を回すのではなく、〝合意を回す〟のです。

不健全なナルシシズムや先ほどのカルト集団のような主張は、お金を回しながらでも 信頼の原則を無視する(壊す)ので、お判りでしょう。

そして、信頼の原則の健全な定立には〝スピリチュアリティのラインのリベラルな成長〟が絶対的に不可欠です。

これが成されなかったので、真善美は 目も当てられないほどに ばらっばらになりました( ;∀;)

シャレになりませんねω


・健全な労働♪ というより〝天職〟☆彡


結局は、資本主義の行きつく先は〝ナンバーワンより 深いオンリーワンの自己実現的社会〟です。

機械に仕事を任せれば、そもそもの〝働かねばならない強迫観〟は消え失せます。

ただし、途上国は資本主義のような〝経済システムを簡単にリベラルに発展できない〟意味で、一度何らかのリベラル国家に持続成長する必要はあります。

そこを間違えると、誰も働かなくなるでしょう。 (ちょうど一昔前の ロシアの辺り?で起こったことのような 途上国・新興国版。信頼の原則が意味を成さず 理解普及しないのです。)

実際に働いて社会に適応してみて、信頼の原則が発揮できないくらい窮屈だと感じたら、社会を変えます。

ギャングに負けないように学校を作った新興国の子どもの ロックンロール(たましい)です(⋈◍>◡<◍)。✧♡


1年(所与の期間) 使われるに使われて働いて、奴隷根性と闇闇しい禁断症状が抑えるに抑えきれなくなったりしたら、過去の環境も含めて〝この社会に表面的に向いていない〟ので、離れないと〝死にます!〟(何らかの意味で。)

吟味は必要だということです。

例えば、後期に 女性的なスタイルの仕事に制服とともに憧れたとしても、経験上分かってくると思いますが、〝リベラル社会はスピリチュアリティのラインのを抑圧しているので、その自分たち(~原理主義的なスピリチュアリティ)を周りの顧客や世間に投影して、ビジネスパーソンなんだから マナーの一環で統一された清楚な服装位すべき、という風に いつわりの欲求のムード(圧力)に囚われているにすぎない〟と感じます。

てぃんくる☆を見れば、その健全性より、上記の社会が まだまだひどいものだと分かります。

資本主義とスピリチュアリティとしての信頼の原則の関係が、まだまだ見えていないということです。


例えば、1年で100年分働いた、と思うような社会では 歪んで浅すぎるので、コストが膨大にかかっていて おかしいほどに非効率的なのです。

信頼を回すということは、このコストをスピリチュアリティのラインを強調して〝理性的にスムーズにする(解消する)〟ことを意味します。

芸術家やモラル領域のスペシャリストが当然必要で、彼らにも生計を立てられる余裕を与えることが〝それ=上記コストの最適化〟で、物質主義なる独白的科学主義としての 環境汚染の代わりに 機械による労働の最低限化かつソフトなるシフト(移行)による 精神的価値の向上=余った資金の彼らへの交流 へと 流動していくべきです。


一人のビジネスパーソンがいます。彼ないし彼女は スーツを着て 難しい企画書類を持っているわけです。入社にもお金と人件費(コスト)がかかったでしょう。

彼女も含め以下 彼 は、当然 お昼を食べるので飲食店へ行きます。(例です。)

給料面から考えて、余裕がないわけです。

ここですが、一人のビジネスパーソンを支えるのに 下層労働者と呼ばれ得る人々が必要です。 (実は 健全ではないバージョンです。)

この部分が、1年で100年分の仕事をしたと思えるほどのむなしさを与える箇所で、健全ではなく スピリチュアリティのラインの抑圧にも原因があって、仕事の効率という名の士気が 社会全体で下がり、ミスチルが〝LOVEが消えている〟と言ったそのまんま、イライラしたムードと共に 超ロー・テンションの社会文化(ぶっちゃけ浅すぎるコミュニケーション)になります。

でも、誰もなぜそれがおかしいのか分かっていなかったのです。

今日では、〝てぃんくる〟さえ見れば、たぶん 誰でも 理解できます。 (このコーナーの道徳的意義が分かるリベラリストの場合。)


つまり、働きやすい職場ではなく、無駄な競争を省くための〝スピリチュアリティのラインによる信頼の原則の確立〟が早急の課題です。

てぃんくる☆発、今流行りの言葉で言えば、〝Happy!〟です。それを生みます。(創発させます。)


途上国の食糧問題、先進国の難民問題、いずれも、こういったバランスの欠如が どんどん悪化している結果です。 天職を直感したら、一度 強迫的に働くのを やめましょう。 それが 信頼の原則の権利という名の義務で責任です。ロック!で 新の闘いです。

何かが終わって始まりもしますが、〝差異化と分離を混同〟するのだけは、いい加減にやめましょう。 (さりげに説明。)


・大人の世界は 子どもを染める


健全なバージョンだと、子どものポテンシャルは〝空=形〟にまで 多次元的に広がるのですが、そうでなければ 歪んだサイコグラフがそのまんま伝搬します。

大人が子どもを育てる・子どもは未熟 というのは驕りで、ポテンシャルという名の健全性を 大人サイドは なめきっているのです。


〝インテグラル・スピリチュアリティ〟に出てくる人生の駅は ケン・ウィルバーの譲歩で、本当は〝好きな駅に止まる自由を持っている〟わけではなく、リベラル社会であるにもかかわらず レッドやアンバー(非合理段階)にて成長が止まるのは、止まらざるを得なかった〝ありえない・不当な〟理由があったからだと ほぼ言えて、そのほとんどは、ブーメリティスのように 〝文化ごと同じサイコグラフで感染する〟わけです。

スピリチュアリティのラインは、リベラルどころか 古代人にも負けているのではないでしょうか?

(これは、現代人が想像する 不均衡で野蛮な民族[あるいは無理にオカルトじみた妄想の産物]ではなく、当時の健全なバージョンは 今ほど内面的には醜い争い[乖離的な抗争]をしていなかった、という風に言える視点で言っています。)


人生の駅の例は、大人と子供の文化は不可分であり、大人が健全からほど遠いのならば、最初から〝社会は問題の対象〟となるはずで、それが リベラルなスピリチュアリティのライン(のレベル)です。

そうしないならば、問題が子どもに感染したまま、問題とも認識されずに永遠に解かれないままでしょう。

しかし、その場合、地球は滅びます。


大人が、次世代の子どもに〝新しい社会の期待〟をするのも 虫が良すぎる話で、ブーメリティスの例のように 問題を大人が解いて 子どもたちに原因をばらまかないようにしないと、むしろ酷くなります。

問題は、蓄積されていくからです。


これが、所与の神話ですね。


大人から、大人の世界から 変えなければならないことは、明白です。

素晴らしい大人が 健全にすごいアニメを作ったら、子どもの前に大人に大きな影響を与えるわけです。

子ども向けの絵本を子どもが作る 合理的な理由は、考えると どこにもないわけです。

健全な大人は、深度によって健全な子どもを含み、健全な子どもは、ポテンシャル(健全性)によって大人を含みます。

しかし、歴史展開によって、時間的順序はあります。


どの世代も、若いころ、イカれたヤツに憧れたりして、確かに反抗するものですが、時代を繰り返してもまだ地球上の私たちの問題が全然解決されていない通り、〝スピリチュアリティのライン≒健全性〟のリベラルな定立は ことごとく失敗してきた、ということです。


・悩むのも面倒だから 今から実践しよう!


今から、できます。

私は、小学5年生の終わりごろまで 散々な子ども時代を過ごしてきましたが、にもかかわらずか故にか、てぃんくる☆ともつながる〝ものさし〟を提供できました。(このように。)

もちろん、ケン・ウィルバーの書いたものは、本来 倫理のラインで読むべきです。(インテグラルに。)

社会の問題を常に〝みる〟ということは、健全性を対象として見る、ポスト形而上学としての〝指示に置き換えて見る〟ということです。

私たちは、てぃんくる☆[メタILP(9)]を この形で応用します


以上、ざっと提案の形で まとめとします。

このコーナーを読んでおられる方は、既に 基本のILP(統合的な生活実践)の方法を確立していると思いますので、そのアップデート(確認・見解)としてお読みください。

ILPを知らない方でも、このページ(ブログ)の内容を 読み解いていくと、実践方法が明らかになっていくと思いますので、よかったら どうぞ。
posted by インテグラルとど at 22:35| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする