2016年06月23日

メロディと統合的リンキング ☆記念付録☆ ~具体的なリンキングの例~

まずは、〝メロディと統合的リンキング (全10回)〟をどうぞ。


もう少し、深いところを突っ込みましょう。

要点は、〝高度と手法が適切なら、オマージュかどうかは問われない〟

この〝統合的リンキング〟の精神で、フェアに論じることになります。


☆以下の議論は、〝故意・悪意を持った盗作や矮小化を許してはならない〟という視点で、後述したものですので、絶対に、誤解釈して〝何をやって似せてもいい〟などと思わないよう願います。世界単位で迷惑を掛けます。☆  議論は アニメ重心になります。私の判断で、ジュエルペット2作品のみに 具体例を とどめています。


・似ている音楽は、〝有名同士〟では、よく見られることです。これは〝境界線〟がしっかりありますが、〝レベル〟と〝用途〟により、〝文化〟として適切なものです。

(上記例で以下適切な)パロディもあります。〝ジュエルペット きら☆デコッ!〟のペリドットのパッションスペースの回では、アメリカの映画だと思われる音楽が流れます。こういった、〝あるイメージで対象を指し示す、あまり 「リフレインないし作品の思想」に重要でないもの〟は、オマージュというより、形式的な〝パロディ〟というべきです。

・オマージュかリンキングかは、文脈により判断することになります。日本の作品(アニメなど)で よく流れる〝展開をイメージさせる曲〟(例えば〝リベラルな戦略的イメージ〟の音楽) は、そういった文化群を連想させるので、私的(8)には、文化の土台を基にした、基礎的リンキング、と見ます。(元になった洋楽ないしワールドミュージックがあるだろう…といったことも、ポストモダン内では暗黙の前提ですが、ここでは こういった曲が文化的に純オリジナルとして話しています。)

・深い高度を持って作品と一体化している〝コアなBGM〟もあります。例えば、「レディ ジュエルペット」の、深く深く入っていくあの音楽です。作品(8)に絡み合っていますし、先日の議論において、私が〝リフレインしていた〟音楽です。[2種類ありますが、どちらでもよいです]。 これは、たとえ元があったとしても(※ポストモダンの基本発想・仕様) 〝矮小化〟に開かれていることはないでしょう。 [私のいた音楽スクールの講義で、ある方が (実際のメジャー・プロデュース[制作]の現場で) 「後で気付いたらメロディが似ていた、しかもあっちの方がいい! こりゃしまったな…」 (という出来事が昔あった)って話をしていて、「カレーだと分からないカレーは〝まずい〟」というたとえ話が印象に残っています。これは、〝矮小化〟と〝統合的リンキング〟の話ですね。(主張領域 L/7 辺りで解釈して下さい。)]

・備考 : アメリカはコミュニオン過多、日本はエイジェンシー過多だと 進化の構造でウィルバーは言いましたが、この点もヒントになります。(日本の村社会ゆえに、見かけとは逆なわけです)。 また、「直接、対象曲を聞いたリンキングでなくても良い」という、色々なバージョンの〝社会文化(集合)的派生〟(ニーズ含む)視点も、考えるに値します。


〝先にこのメロディ(フレーズ)を使ったら、もう他の人は使えないのか?〟といったことを、ガチガチに信奉していくと、その曲を自由に作ることも演じることも、できない、―――こういった(インテグラルな責任と権利、倫理に基礎を置いた)視点が重要になってくるということですね。


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posted by インテグラルとど at 21:26| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする