指示言語は数あれど
現代は、自己実現世界です。
この、空に対する形、進化する悟りは、ウィルバーの言うところではありますが
真我探求の代表的な紹介者である、ラマナは
形について どう言っているのでしょうか?
私見としては
まだ啓蒙時代である、1900年前期
ひとところで〝社会的義務〟を果たしていることが 殆どだったでしょう。
ゾーン4にまだ無知で、聖者ですら、遥か未来に、形により〝空〟の定義がどうなるのか?の文化的影響については、分からないと言わざるを得ません。
例えば、ラマナは(ある意味で)〝私にできることは少ないです〟と言っています。
これは、世界に影響を与えるツール、例えば〝インターネット〟がまだ無かった
未来技術ならなおさら! ――ということですし(笑)
では、ウィルバーは、なぜ、〝明白な世界〟として、形と進化を深く深く尊重したのでしょうか?
これには、ラマナからのメッセージが大きく関係します。
ラマナは〝反知性主義者ではない〟ことで(も)有名です。
悟るためには、悟ることを求めてはいけない のですが、そのためには 知恵が 要ります。
そして、形の成長は、より新しい悟りへの風潮と、新たなヴィジョン
なにより、より大規模に悟りやすくなる〝深度〟を促します。
原始時代に、ここまでの熱い悟りと そのための対話は ありましたか?
現代の病理が、認知過多の 再集合化現象 だとすれば
ラマナの言及する〝自然な悟り〟とは、〝形=知恵 の抱擁〟に他なりません
これは、ウィルバー風には、〝インテグラル・スピリチュアリティ〟と言えるでしょう♪
また、ラマナの時代は、あらゆる世界の〝悟り〟が一同に会した、類を見ない時代の幕開けでもあったのです。
特に、蒸気船(移動技術)の発達で、そういった普通の人々が、ラマナと交流できたことも大きいです。(対話ができる!)
このことから、現代の課題は
・20世紀初頭はまだ社会責務・世界戦争が優勢で〝無執着‐悟り‐義務〟が解り易かった
・現代は、自己実現(↑)と 過度の個人化(←)、 霊性の奇妙な枯渇と肥大
これらをかみ砕いた上での〝形=悟り〟を追求する必要がある
さもなければ、悟りの意味が単なる〝消費主義〟になる!
(↑)・・・良い生 (←)・・・悪い生
または、〝聖者たちが 十分な深度に達する前に 悟ると、成長する世界に興味を無くし、悟りが形の暴走と言った難しい問題に無力だという風潮を植え付ける〟
と 時代に認識されるかもしれません。
(その結果、非合理な崇拝神秘主義が横行する等、前に見たとおりです。)
このことから、ウィルバーも言及する通り、〝ラマナは時代を先取りした聖者〟です。(つまり深度が十分)
では、彼の教えの神髄とは、AQAL的にはどうなのでしょうか?
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