2015年06月05日

著作権者を理解するということ ~著作権法‐非親告罪化とAQAL①~

作者の言いたいことが分かるのは、本人(Q/1)と、世界空間を共にした解釈者(Q/2)であり、作品(Q/3・Q/4)を時間と強い志向的興味によって触れ続け、初めて、全的に理解ができる、ということです。

もし、第3者が判断する場合、まず、私たち著作権者(文章などを書いている者)が、悪質ないたずらの可能性の高い者の脅しを、拒絶すべきです。

全的に理解できるのは、時間と志向を取って、4象限ないし8つの方法論を理解した場合だけですので

相手にそれが無いと判断できる場合、権利者に迷惑が掛かりかねないので、拒絶しましょう。

そうなると、拒絶できるだけの〝法〟フェアユースなどの防衛ツールが、果たして今の日本にできるのでしょうか?

あるのでしょうか?

道徳とは、慣習倫理を越えていくことにあります。

芸術と科学専門の方でも、それらを正しく活かすために自分で考えて責任を持つことは〝倫理〟と言えます。(成長する倫理)

誰かが〝著作権をすべて理解するのは不可能〟と言いましたが(これは国民の平均的な声でもあります)

今後、ますます、曲解、分裂が起こりそうです。

ウィルバーは言います。

全的な革命無しには失敗すると。

もちろん、インテグラル派のすべての人の主張でもあります。

こういったことを、ほのぼの、しかし私も危機感を抱いているため、シリアス丁寧に、AQAL視点から、解説していきます。

よろしくお願い致します。


[次の記事]〝すべては視点の滑走!!

[まとめて読む]〝リンク後 まとめ表示 下部よりどうぞ♪

[トップ記事へ]〝プロローグリンク


posted by インテグラルとど at 22:13| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする