もし、第3者が判断する場合、まず、私たち著作権者(文章などを書いている者)が、悪質ないたずらの可能性の高い者の脅しを、拒絶すべきです。
全的に理解できるのは、時間と志向を取って、4象限ないし8つの方法論を理解した場合だけですので
相手にそれが無いと判断できる場合、権利者に迷惑が掛かりかねないので、拒絶しましょう。
そうなると、拒絶できるだけの〝法〟フェアユースなどの防衛ツールが、果たして今の日本にできるのでしょうか?
あるのでしょうか?
道徳とは、慣習倫理を越えていくことにあります。
芸術と科学専門の方でも、それらを正しく活かすために自分で考えて責任を持つことは〝倫理〟と言えます。(成長する倫理)
誰かが〝著作権をすべて理解するのは不可能〟と言いましたが(これは国民の平均的な声でもあります)
今後、ますます、曲解、分裂が起こりそうです。
ウィルバーは言います。
全的な革命無しには失敗すると。
もちろん、インテグラル派のすべての人の主張でもあります。
こういったことを、ほのぼの、しかし私も危機感を抱いているため、シリアス丁寧に、AQAL視点から、解説していきます。
よろしくお願い致します。
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ラベル:統合的リンキング (著作権) AQAL