1日、90分を、朝夕・毎に、2回歩く。
こんな、昔から、当たり前だったことを、現代の人間は、ほとんど、行っていませんね。
小鳥を見ていると、自分の体重を、浮力で無効化するように、環境の中で、軽くて、自然です。
歩くことは、地球という乗り物に、乗っていることです。
スペース宇宙にいると、私たちという生態系は、がんじがらめに なるわけです。
歩くとは、新快速の空席に乗るようなもので、あなたが そこに座らなくても、コストは、ほとんど変わりません。
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歩きの〝究極の視点〟に 気づいている現代人は、とても少ないように思います。
私たちの〝基礎代謝〟は、基本的な機能であり、細胞分裂・再構成が、日々、行われていますね。
からだ、筋肉は、使わなくても、新しく、うまれ、変わっていきます。
ウオーキングには、極所疲労というものが、基本的に、ありません。
ジョギングやランニング、そして、ストップアンドゴーなどで強い動きを使う 自転車は、ある意味、特殊なことをしていて、その回復は、代謝より専門的で、時間がかかるのです。
ウオーキングは、基礎代謝、すなわち〝回復〟によって、前に進み続けることができます。
これは、他の移動では、見られない、驚くべき バランスです。
基礎代謝を、向上させることで、ウオーキングの エネルギーは、強化されていきます。
ジョギングと同じくらいの速度にまで、達すると、その実感が良く分かりますよ。
歩きは、補給して運動するものではなく、体がつくり替わっていくときに生じる〝流れ〟です。
意志によって動きをつくる、という機能とは、一線を駕しております。
あなたのからだは、意識しなくても、回復しています。
そう。 つまり、自転車をはじめとするスポーツは、自ら補給して、エネルギーを計算し、自然に使われることのない筋肉を、積極的に 消費していきますが、歩きは、何も しなくても、新しく供給され続ける〝私-財〟を使うわけです。
ウオーキングは、体の調整そのものということなので、必要不可欠な身体のバランスを 構成していくことで、体脂肪が燃えます。
なぜ、ウオーキングで、有酸素運動の王道が、脂肪の燃焼が生じるかといえば、〝回復―基礎代謝〟によって、あなたのからだが〝強化一新〟されているからです。
からだは、皮下脂肪、内臓脂肪、血中グルコース、筋グリコーゲン、肝グリコーゲン、など、体感によって、区別していません。
直観的に、好きなものを、順序良く、バランスよく食べれば、適切な体形になります。
これは、かなり、納得のいく、理論的な話です。
体脂肪とは、空き家のような くっきりと残り続けている物体 とは違い、つねに、生まれ変わっている、ハイブリッドな〝動き〟です。
基礎代謝と回復の視点からは、生命エネルギーを 物質保存の形で 実現した総体の部分でしょう。
これは、みかけより、はるかに複雑で、生きております。
体脂肪を燃やす、というとらえ方は、単線的で、実は、エネルギーが身体として、自然に地球に乗車している、という状態です。
この、地球号の空席に 自然に座っている状態が、ウオーキングです。
それを、時間で観測してみると、体脂肪も 燃えてます。
脳は、時間に絡み取られているだけなので、心理的な時間のない〝意識〟として、ウオーキングの順序(サイクル)の 外に立つことができます。
腹は、体の時間としての、未来を表します。 次に必要な〝食〟を、直観的に、導きます。
ウオーキングとしての、身体そのものは、現在の実在と、回復の流れを表します。
腹減り状態と、歩きの進みとは、時間に捕われない脳から、意識的に観察してみると、別の機能です。
これらを、観念として、混同してしまうことは、権力者が、お金ですべてを支配できるという、思い違いをしてしまうことに、似ています。
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身体は、自然に回復しています。
そこに、苦痛は、ありません。
なので、その回復によって、ウオーキングは、生じます。
それは、コストなく、余った筋肉を まんべんなく使いたおしていくことです。
運動量自体は、自転車ほど楽な効率ではない点で、あなたの体重が、地球を蹴って、全体的に移動しているということ。
身体全体で、衝撃ソフトに! サスペンションとして。
これが、基礎代謝の向上につながる〝流れの修行〟になっていて、〝重力に適応する とてつもなく自然な用意〟というわけです。
自転車ひとつ、ボール1個も いらないです。
楽器の演奏者は、ステージに立つとき、うまく演奏できるかどうか、真剣ですね。
歩いて、全身で体重を移動していることには、無頓着。
それは、歩きのコストが、実質ゼロであることを、示していませんか?
こうして、一歩一歩、進んでいくことで、景色が変わり、色々な出来事が、起きます。
意識に時間はなく、共時性には〝視点の解釈〟があるものの〝凝り固まった意味〟を見るのは〝不自然〟です。
それをも含めて、ざっくりは、〝ふしぎなこと〟は、確かに起きます。
コロナ禍も いなして、前に進んでいきますが、〝みらいのことば〟は、権力者が考えている点では〝無意味〟となる 隙間で生じ、〝基底に雇われながら〟 何かを行い 創ります。
歩きは、確かに、想像を越える次元で、永くて、シンプルです。
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ラベル:AQAL