2023年04月02日

思いやりの感情と〝ハイパー変数〟

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世界の混乱の問題の解決の視点は、簡単な〝ハイパー変数〟で、とらえることができると 感じます。

クリシュナムルティの基底 (ボーム博士との対話の辺りの視点)、ケン・ウィルバーのインテグラル理論 (統合的なマインドフルネス論の IとWeの4つの視点)、わたしが主張している 潜在価値と 未生の子ども の視点。

この辺りが、着目点。


私は、〝ハイパー変数=万物の理論(10)〟によって、生物圏の自転車の身体機能と五感の経験、音楽のポップ芸術、アニメのキャラクターとストーリーのアート、ゲームソフトの世界とバランス、さらに 金融業界の決済システムと 完全自動運転などの〝社会システムの基礎〟に〝貫通する電車〟を、走らせることを、最近、試みました。



自転車、ポップス、アニメ、ゲームソフト、社会システム


この貫通ダイヤを、神戸線を通る電車〝赤穂線+湖西レジャー号〟に例えると・・・。


自転車に代表される、生物圏の身体能力と、五感でとらえることができる経験は、ハイパー変数を定立する、成長と潜在価値の基礎であり、交通戦争を解決するにあたっても、感受性に関わってくる領域です。

スポーツやアウトドア活動に集約でき、ウオーキングなどのダイエットの日課にもあります。

区間は、播州赤穂~姫路 (各駅停車の西エリア) ですね。


次に、ポップスに代表される、歌詞とメロディを伴う、1人称の芸術の視点です。

五感が、プレ・言語のような、基本的な外面であるのに対して、歌詞とメロディは、それを、ごく簡単な言葉で集約した〝内面〟として、定立できます。

ここに、ハイパー変数の基礎が見られて、後は、これを、社会にまで 推し進めていくわけです。

また、ダンスなどの表現は、その付属モジュールであり、先の身体活動の拡張の役割として〝ポップ音楽の外面〟が 強くなりますね。

純粋なポピュラー音楽に比べて、身体表現は、自転車のようなスポーツに近く、これだけで 芸術の変数、アーティストと とらえるには、十分でないと思います。

ここが、シンガーソングライターと ダンサーの、よく論争になる、関係です。

アニメ制作者は、この視点を 見ておく必要があります。 純粋な芸術の変数は、シンガーソングライター辺りからしか 引き継げないからです。 ざっくり言うと。

区間は、姫路~神戸 の ラピッドですね!!


さらに、アニメのキャラクターには、2人称の関係で、この シンガーソングライターの視点が、包括できます。

ただの絵では、ないんですよね。 売るためだけのマスコットキャラクターが、アートの変数に 含められない理由は、これです。

音楽家のテストをパスする キャラクターである必要があります。

アニメのキャラクターと、ストーリーは、様々な、芸術家の1人称の関係と、そのアートに関係する 数多くのリスナーや視聴者との関係を、紡ぎ合わせることができますね。

これにより、芸術のサポート範囲が広がります。

一流のマンガやアニメは、ここで、ハイパー変数を劣化させずに、次に継がせることが、出来るのです。

つまり、キャラクターには、思想があります。

高度や象限も 伴っています。

例えば、ピカチュウは、ゲームソフト領域のキャラですが、音楽の1人称と アニメの2人称の中間くらいが、重心ですよね!

一方、アニメで展開する、ダンスの動作を含む、展開するシーン映像自体は、外面です。 キャラクターとシナリオに、その内面と変数が、要約されている わけですね。

区間は、神戸~京都 の ラピッドです!!


そして、ゲームソフトの視点に 行きます。

私は、レトロゲームのプレーヤーとしてでしたが、引き続き、ハイパー変数を引き継ぐことを 見ましたよね。

ゲームソフトは、アニメでは 2人称として対話した領域を、世界として、包括します。

キャラクターとシナリオは、3人称の社会領域の中に包み込まれ、にもかかわらず、それが、意図を持った〝ゲームバランス〟として展開する、内面のアートです。

ここが、単なる社会の客観的なものとの 違いです。

アニメでは できなかった、プレイヤーが 2人称の世界に 新たに入って、3人称の世界を抱いて冒険する ことが、可能です。

例えば、自転車で安全運転するメリットを、電車でGO!で 走らせながら 学べるかもしれません。

これは、アニメでは不可能です。

一流のゲームバランスは、アニメの変数を、劣化なく含みます。

芸術の中で、1人称の音楽と、2人称のアニメまでが、内面の象限で、引き続き芸術の内面のホロンではありますが、その3人称の個体と社会の外面を伴っているのが、ゲームバランスですよ。

しかも、芸術なので、この数学的な定立が、芸術と言えるわけです。

今までの あらゆる意図を、ゲームバランスという 数学的な変数に要約して、より多くの事象を 言えてしまいます。

これを、適切に行うには、相当の才能と努力、そして、根気のある対話、愛が 必要ですよね。

区間は、京都~近江今津 (ラピッド) ~ 永原 (ローカル) でしょうか。


芸術は、播州赤穂ないし、姫路~京都・永原 で、エイジェンシーとして、自立しながら、社会の電車と、微妙な接続を 保ち続けてきました。

でも、もし、これが、さらに、貫通していったら、どうなるのでしょうか?


永原~近江塩津~敦賀 が、同規格で直流電化したら、貫通が可能です。

播州赤穂・姫路~敦賀 というダイヤが、実現できますよね。

永原から先に 広がっている景色が、この、社会システムです。

ゲームバランスでは、数学的なアートの変数に 要約しているため、それ以外は、ほとんど 外面として、観測できました。

社会の領域は、それをさらに、強くします。

ほとんど、内面が見えないところ まで行き、しっかりした 感性を 持っていなければ、フラットランドにしか 見えません。

現在の金融業界は、おそらく、芸術のハイパー変数を 受け継ぐことに 失敗しており、道路交通も そうでしょう。

ポイントは、ゲームバランスの 要約的内面、シンガーソングライターと アニメーターのテストを パスする ハイパー変数を、社会システムで展開する、ということです。

アニメの変数を外面方向に展開したものが、お笑いのコントや 遊園地などのエンターテイメント、トレーディングカード、そして、ある種のキャラゲーだと思われます。 今度は、ゲームバランスの変数を、決済システムや仮想通貨、完全自動運転に、適用するのです。

そして、空を、越えていきます!



ハイパー変数で見る 交通戦争と社会問題


私が、最近、気づいた、決定的に重要だと思うことは、〝感情〟についてです。

未生の赤ん坊などの〝同じ夢を持っている 潜在価値・健全性〟によって、〝大人と子どもの対話〟〝発達段階が異なる者同士の意思疎通〟が〝可能〟だと、わたしは、強く主張します。

これは、ケン・ウィルバー式の インテグラル理論 では、ほぼ、ふれられていません。

私流の、ユニバーサルな、第3層の日本流だと思います。


プーチンは、ウクライナ人を、ジェノサイドしているわけですが、彼は、おそらく 本気で〝ウクライナ人が照れ隠しをしている〟〝喜んで侵略してほしいと思っている〟と 確信しています。

最近流行りの、NHKなどを装った 迷惑メール全般、そして 詐欺全般も、同様ですよね。

相手は、自分の迷惑メールを、本気で望んでいる、相手は 本当は照れ隠しをしている、と思っております。

少なくとも、無意識で、そう思い込んでいます。

そうでなければ、そんな、不毛で アホなことを、誰も やらないでしょう。

それは、交通戦争にまで 議論を進めると、みなさんを、ぎょっとさせます。


つまり、迷惑メールの送信者などは〝送る 相手を 全く理解していない〟のです。

どうやって それを判断するのかといえば、〝感情で〟判別します。

なんだか、通勤のストーカーの冤罪問題にも、絡んできそうですけど…。


相手を理解しているとき、そこには、自分が傷ついても構わない、相手を愛したいんだ、という、決意、責任が、必然的に伴います。

だから、フラットランドの 内面を消し去る侵略行為は、ナルシシズムの感情を増殖させ、自分だけを守るので、アウトなのです。


決定的に重要なポイントは、様々な形態・隠れたもの含めて、感情的な不平不満を 相手に言ってしまう 点です。

これがあれば、相手をいっぺんも理解してはいない、ということなのです。


そして、相手を理解していないのならば、相手と感情的に かかわってはいけません!

これが、信頼の原則(7)です。

後に見る、交通戦争の、直接の原因、そして 解決策 ですよ。


迷惑メール、詐欺、生活世界の侵略、独裁、紛争、戦争、辛辣な家庭問題、いずれも この〝不平不満を感情的にぶちまける〟という〝いやがらせ〟に該当しますよね?

ハイパー変数で見ると、基本的な方向性は、すべて同じです。

相手を理解していないなら、感情的に関わってはいけない、という信頼の原則を侵しているから、こんな問題が起きているわけです。

そして、彼らは、この点に無意識、無理解でしょう。

ただし、この文章を読んでも、無理解のままの者は、より、悪質な嫌がらせに、巧妙にシフトします。

そのときは、もう一回、同じテストを 繰り返します。

やはり、自分のことが 理解してもらえていない、と感じれば、相手は、そういった方法にて、感情的に嫌がらせをしている、ということです。


決定的な証拠は、あなたが、自分のことを理解してもらえていないと感じる、行為全般、その存在です。

迷惑メールから詐欺、様々な侵略行為に〝関わることは損失だと感じる〟のなら、それは〝あなたへの 嫌がらせになっている〟ということです。

一方、行う方も、〝感情的な不平不満を 行為にせざるを得ない〟点で、決定的な証拠を 見せざるを得ません。

この2つの証拠、事実によって、〝両者は 感情で関わってはいけない〟ということを、判別、証明できます。

愛は 憎しみとは 関係しない (10)

クリシュナムルティが 言っているのは、このことです。

これが、ティール革命後の、社会のルール(7)ですよ。

そこを守らないと、戦争が 起き続けるわけです。

自転車が信号を守ることで より安全に走れるメリットを 自分で理解できない 不運な社会 です。


自動車保険会社は、クルマが、歩行者自転車を 保護する立場にあるので、同様に、守らなければなりません。

つまり、歩行者と自転車を 愛していなければ、信頼の原則(7)により、感情的に関係してはならないので、示談交渉が出来ず、迷惑メール同様、嫌がらせになります。

完全自動運転を 心から賛同 できない 自動車保険会社は、有害です。

なぜなら、この思想は、必ず、クルマに、交通戦争と、制限速度無視などの 危険運転を はびこらせるからです。

そして、これを理解している保険会社は、少ないでしょう。

ただ機能的に機能しているだけでは、ゲームバランスのハイパー変数を、含むことはできません。

シンガーソングライターのテストも、パスできません。


投資活動の場合、ロボアドバイザーは、ハイパー変数を含んで、新興国や途上国に支援できるように、進化していくのが理想であり、過去の財閥が、その流れをジャマするようなことが 起きうるならば、ドラえもんの誕生の視点もありますが、交通戦争同様です。

世界を支援したいという感情を持った個人を 理解できない 証券会社は、その個人と〝感情的に関わってはいけない(7)〟ので、投資を支援するグループでは、あり得なくなります。

社会には、こうした矛盾が 多くあり、ほとんど包括的に説明されていないので、ティール革命(7)が 理解されていないのだろうと、推察できます。

ハイパー変数、感情の関係、信頼の原則(7)、嫌がらせの判別、これらの視点で、簡単に、あらゆる問題の解決能力が、得られます。


もちろん、本当に 問題解決能力を得るには、自覚と理解からの、成長が必要です。

ステートを鍛え、モラルを含む セルフ関連発達ラインが 第2層にあることが、重要な条件です。


あなた(I)のことを理解してもらえない、親(YOU)がいるとします。

その親(YOU)は、あなた(I)のことに興味がないと言います。

子育て放棄でしょうかね?

この時点で、信頼の原則(7)が消えるので〝相手は 感情的に かかわってはいけない〟ことが 判別されます。

私的には、先進国ないし日本の、9割の親子が、潜在的に これ!!

潜在価値での 発達段階を越えての対話が できない理由です。

しかし、親(YOU)は、私のブログを読んで(笑) 〝自分(YOU)の方が 相手(I)に 理解されていないと感じる〟と、感情的な不平を 言い始めますよね?

プーチンを(YOU)、ウクライナの人を(I) にしてみれば、これは、一目瞭然です。

物価が高くなるどころじゃ ないですね!


交通戦争も、同様です。

逆に〝問題が起き続けているのなら、感情的にかかわっているはずだ〟と 洞察できます。

クルマのドライバーたちは、実際、相手のことを 理解していないし、興味もないのです。

にもかかわらず、感情的に、不平不満を、ぶちまけております。

それが、サンキュー事故、制限速度の集団オーバー、自転車を 2車線あっても右から追い越さない因習、交通戦争全般 の 根源なんですよね。

クルマ通勤って、イライラするんでしょ?

当然、交通弱者の、バイク、自転車、もはや、歩行者すらも、不平を持って 通勤しています!


お金に関する論争があったとします。

家庭の視点がいいでしょう。

感情が飛び交い、結局、理解されていないと思う方は、関わることを防衛します。

不平不満を言う方が、家計の流れを 牛耳ろうとしているわけです。

この場合、事実として、最終的に、そのお金は動くのか? ということです。

どちらにしても、感情的にかかわるのは、損失です。

自転車のブレーキを直すのならば、その出費は、適切でしょう。


また、相手を愛し始めるということも、起こり得ます。

そうなれば、確かに、互いに、関わり始めることが できるでしょう。

適切な理解によって、成長して、相手が 自分のことをわかってもらえていないと感じる 領域には、不平不満を言わない、そっとしておく、これができるうえで、理解できるところに、関係していく、ということです。

基本的には、信頼の原則(7)を侵していても、事実としての諸法則 (ルギア・ロギア) には、関われます。

プーチンでも、原子や分子、生命や基礎代謝などの原理に、逆らってはいません。

家庭内のお金の流れも、事実によって、互いに関係することができます。

しかし、そこに、感情的な不平不満が混ざれば、アウトです!

広義の戦争になります。

理屈は簡単ですが、感情的な不平不満を否定する感情的な不平不満も 感情的な不平不満です!!

自分の、感情的な不平不満を 認識できることは、成長と内省を必要とし、高度です。

信号を守ることが安全であるというくらいの理解は、最低持ち合わせているモラルが要ります。

そして、潜在的にでもいいので、幼い子どもの健全性もまた、このモラル、理解を持っていると考えます。

(ということは、幼い子どもを 本気で保護することも 主題になります!)

歪んだ社会は、その創意、性善説を 滅ぼすわけです。


あなたが、自分のことを理解してもらえていないと感じ続けて、お決まりの感情的な論争に巻き込まれて〝またか・・・〟と、防衛的な怒りをぶちまけるフェーズにおいて、これまで述べてきたことを、覚えておくこと、考えてみることは、メリットが大きいでしょう。

本当に、相手と、感情的にかかわりたくない、そういう会話をしたくないのならば、お金や家計の面など、事実に付属したやりとりが 避けて通れないという悪夢から、解放される 問題解決能力が、身に付くかもしれませんよね。


リーマンショックが、衣食住の生活世界、マイホームの視点で 詐欺に引っ掛けやすい という理由で起こったので、言いますね。

生活する場所を 選択することになりそうな シチュエーションだとして。

住む家は、本当に、実家がいいのか?

一見、土地も家も持っていたとしても、家庭内で論争になるのは、事実を見ない、感情の不平不満、その思い込みの主張です。

円安とか、物価の上昇など、色々な要因を 入れていないかもしれません。

そこに住んで、本当に健康的で、幸せなのか? そこに住むことは、社会的に強制されることになるのか?

もし、そうでなかったら、良いと思う方から 動かない、というのも、手です。

仕方がない・・・と思う傾向がある気がしますが、たぶん、そういうときは、自分の希望を主張したい、何とかできる手段が 定立できる傾向がある、のですよ!

働きたくない、と思った場合も 同様です。

このブログは、この経緯で、出来ました。

たぶん、直観的な確信、自分のことが理解されていないから それらと関わりたくない、と気づいていたのでしょう。

独特な気運というのが、どうして 成長するのか?

それを考えてみるのも、いいですね!

本当に節約になっているものなら、自然とやっていくものです。


食べログなどのコメントを見ていて思ったのですが、時々、不自然なクレームがありますよね?

行きつけのお店では、ショップの人との関係に 気を使うようになります。

そのお店が必要で、無くなってほしくないから です。

つまり、そこの営みを、愛しているからです。

そのお店には、同じような五感、味などの評価、感性を持った人が 集まってきて、会話がなくても、サークルのような 信頼の原則(7)が 出来ます。

これを理解できない人は、感情的な不平不満を、コメントで 書き殴ります。

すべてを丸投げして サービスを期待しますが、他のファンとの関係を 意識できません。 感情的な つながりも。

正しくは、会計の最中に、品に疑問が生じで、後ろを ぞろぞろ 待たせていたとしても、そのお店を愛しているなら、OKだという 思い切った度胸が要ります。

うまくいかなくて 憤慨するなら、そのショップを使う意味は、ありません。

お店を選べない? 家庭の問題も論じましたので、店をファミリーだと思えば、関わる必要が〝事実〟なのか、それとも〝感情的な不平〟なのか、それを ハイパー変数で 見ましょうね。


相手のことを 思いやること。

本当に、相手を愛したいという 強い気持ちになること。

直観的に、相手を知らなくても 同じ夢を 持っていると 感じること。

ふしぎな出会いに、身を任せていくこと。

そうやって、私たちは、より適切な関係で、コスモスと同調していくのです!


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posted by インテグラルとど at 12:45| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする