2022年03月04日
世界情勢と緊急特番 ~国際的平和とインテグラルマインドフルネス論~
交通戦争の、排気ガスの汚染を変えようと思っているのであれば、同じように、過去の世界大戦が いかに私たちにとって有害であるのか、それを変えようと、捕らわれないように 話し合うことも、可能 に思えます。
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クルマは、相変わらず、信号のない停止線で、止まりません。
(歩行者として横断していても、ギリギリかわせると決め込んで、速度を上げて突っ込んできます。)
自転車は、ほとんど歩道を走り、歩者分離構造の歩道橋スローブの下りで、他に歩行者(押し自転車含む)がいても、ラッシュなどに特にいえますが、ノンブレーキ含む走行をし、どんな時でも、たいてい降りないのです。
そういうふうに、どの歩道でも、車道を通ろうとする選択肢は持たず、歩道しかない場合に、状況で徐行するという判断力がなく、スレスレで後ろから追い越し、交差点では、車道を走れても、角に信号待ちで自転車があふれ、クルマがあまりいなければ、平気で信号無視、逆走し、見通しの悪い交差点で、ろくに安全確認もせず、これだけのことをやらかしても、社会は、平然な顔をしています。
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交通戦争の現状を、変えられるだけのハートがない、この日本で、クルマの運転手たちは、免許を取得できるという、危機。
自分の身をも危険にさらすことを認識すらできない、自転車たち。
ルールを自分なりに考えようという発想すらない現状。
(踏切で自転車が起こしてはいけないのは、線路で躓いて、動けなくなること。 つまり、徐行義務があります。 止まって発車して転倒すると思うなら、あるいは、クルマが後ろから突っ込んでくると思うなら、一旦停止はリスクを伴うので、手信号と同じで、行わない選択もアリです。 クルマの方は、踏切で立ち往生すれば大変なことになるので、一旦停止は必須。バイクも重いので、次に必須。 歩行者は、そういう意味で、一旦停止は、不要。 自転車含む、すべての人は、安全確認は必要。 変なクルマが踏切を通過しようとしていないか、など。 よって、守った方がいいが、自転車が踏切で停止をしない、徐行にする、そのぶん、信号は必ず守る、歩行者状態でも守る、とか、そういう優先順位を考えられる理性が、ないのです。―――――やみくもに、ルールだけ守ろうとすると、原付まで一方通行の道では、基本の進行方向の逆に 止まれの停止線がなく、交差点を見落とすでしょう。 止まれがなくても、止まらなければなりません。 止まるのは、停止線からだと、発車してから ふらつき、もう一回止まらなければならないので、信号がない場合は、最も適切に安全確認できるところで、停止か徐行をする必要があります。現状の歩道走行形式で、車道の裏道を走る自転車は、それらを全くやらない者が多いです。 リベラルの法律は、憲法が優先です。 そうでなければ、違憲です。 法律は、ハートによって、解釈されなければなりません。 道交法は、車両の円滑な、つまり、性能を発揮できるような道路交通が目的です。 自転車が、車道を安全に走れるようにする、それが、王道です。 そのために、状況次第での手信号、一旦停止などは、解釈が必須です。 クルマは、信号のない停止線で止まらないから、安全な車間距離を確保しておらず、渋滞も生み、リベラルな、つまり、相手を傷つけないという安全によっての性能は、発揮できていません。よって、もっと、車間距離を空け、制限速度以下で走らなければなりません。 自転車は リベラルであるオレンジ、クルマは 社会中心的であるアンバー、の波を、歪めて解釈しているのです。)
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これだけのことが起きているなら、日本で、世界で、戦争が起き続けているというのも、予知で世界の滅びが決まっているという雰囲気の主張も、納得できないけど、理解できる話です。
考えられるはずなのに、何らかの原因(真善美霊性の分離?)で、それが機能しない。
戦争なんて、絶対に起こしてはいけないのに、あえてそれを選ぶことになる、いままでとこれから。
過失は、過失。 それで、蘇生呪文ザオリクが開発されるわけではありません。 リク王は、超人ではないのです。
しかし、今の社会、法律を守って罪を償わなければ、犯罪者扱いです。
ゆえに、どうやっても、これから気を付けようと決意する流れが、奪われます。
(実践インテグラルライフの統合的倫理では 分かりにくい主張ですが、ざっくり言うと、逃げても逃げなくても 反省できないことが問題 なのです。)
そして、世界で一番怖いことが、交通過失によると断定すれば、世界の権力者、例えば、ヒトラーは、故意に、人々を殺害しまくっているのです。
それは、社会的に肯定すらされておりました。
過失より、ヒトラーの方が、ましで、良い、とすら感じるようになるでしょう。
それが、最も大きな、超大罪、〝世界の均衡を破滅させる犯罪〟です。
過失で反省することに限って自分を内省するルールを破壊すれば、故意で何をやってもいい社会 (戦争行為という怨念) に憑りつかれます。
本当の非倫理的な行為とは、この理解によって 何とかしなければならない、という基盤を、破壊することです。
そうならないことが、とても大切なことだと、気づいてこそ、明日が動きます。
そして、逃げられない、自分の唯一の運命とは〝どんな時でも前を向いて生きなければならない〟という点のみです。
リスクとは、転ぶために それを計算して行うもの ではありません。転ぶことに意味はない のです。 それをどうにか無効化して、前を向く(立ち上がる)、その直後に、初めて、意味を持つのです。
成長とは、今までできなかったことを、越えていく運動 です。
そのとき、うまくいかなくなる可能性 (何らかのホロンの癌になるリスク) がある、というのみで、その恐れを煽る行為が、世界の均衡を壊す運動で、チンピラと詐欺師が自分のシャドーに持っているこれを、脅しに使うというものです。 (バイクに乗っている者に、歩行者の立場から、言えるときに、安全運転をしてねと言うと、相手は何も言えません。)
成長すること、超えて、含む、その両方を正しくなすこと、それが うまくいかないのが リスクです。
リスクは、ホロンの中毒 (リスクを負えないという固着)、ホロンのアレルギー (リスクによってホロンの癌に病んでしまった分離・乖離) を生み出します。
ホロンの中毒もアレルギーも、表裏一体です。
成長の必須、前を向き続けるという義務、権利によって、どうしても、次のリスク(挑戦)を負うしかありません。
過失をヒトラーにする社会的大犯罪は、前を向くという人間らしさを、果てから果てまで バカにしているのです。
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そして。
第一次世界大戦は、いろいろな原因で起こったと思いますが、小麦はフラワーですから、今の状況を見て、ヨーロッパの火薬庫とは、笑えません。
言葉の共時性は、信じがたいところで、直接の重要性を、示します。
第一次世界大戦後、時を経つつも、人間が社会を作っているので、おそらく、かなりの関係性を持って、世界恐慌が起こったと思われ、そのすぐ後に、ヒトラーが、台頭。
このことから、世界が混乱してスパイラルに陥ると、市民は、普通じゃないリーダーを求めるという結果が出ています。
それは、世界の均衡を崩す犯罪の声に、容易に耳を傾けてしまうことになり、交通戦争を起こしている社会なら、なおさら容易いのです。
信者の行動からも思うに、私は、アメリカの前大統領のトランプ氏も、ヒトラーのように独裁権力を持てば、このようになるかもしれないと、不安に思うことがありました。
今の現状は、ウイルスによって、権力者のようなメンタルのない人物たちが、自粛で疲れて、発狂するには、十分なインターバルです。
彼らの市場操作で、簡単に、大恐慌は、起こるでしょう。
効率の悪すぎるハナシですが。
そして、何らかのヒトラーが、同じこと、それより卑猥なことをして、第2次世界大戦が生まれたように 次の大戦を否応なしに引き起こしかねません。
本来、ウイルスは次の大戦の引き金の脅威、と発想すべきところ、ニュースが全くそれを押し流すように、国民は、ウイルスは新たな普通じゃないリーダーの必要性を叫ぶ、と取って、第2次大戦と同じ過ち、それ以上の過ちに加担します。
その状況を、適切にとらえられなければ、最悪、世界は いとも簡単に滅びます。
火遊びするものは、何らかの意味で、必ずやけどをするものです。
リスクの転ぶことの方にばかり、捕らわれていると、です。
今の中国は、世界を発展させた物質的な経済技術を、それより卑猥な戦争の大義名分に使います。
資本主義(原材料を商品に変えて輸出する類の運動)を火遊びする中国は、自らのホロンの癌によって、大やけどをするしかありません。
中国の、遂行矛盾は、世界や市民に命令しなければならないこと、となります。
ここでもし、ウイルスが、故意に、世界にばらまかれたのだとしたら、デマでも、世界恐慌から第2次大戦のときのように、今のフェイク動画でも何でも、このようなことを地球の人々がそうだと断定したら、そこから、誰もが戦争にすべてを投げるような、憎しみが、世界を終わらせるような気がします。
よって、中国の、ウイルスを国内でのみゼロにしようとする行動、地球上でゼロにしないと意味がないとわかっているのかいないのか、それが変だな、と思います。
ロシアは、国産ワクチンしか国民に打たせない、なぜなのか、ロシア国民の気持ちを思うと、ワクチンを輸入しないことに怪しい感じがします。
ここで、リスクの話で、いい例だと思うので、ルパン三世を、少し触れます。
ルパンは、芸術、つまり、アニメです。
より適切な解釈が、そのホロンの意味と価値を決定します。
(私は、パート5の構想の後に、名作のパート4ができたと思っています。)
芸術ホロンである以上、ルパンは犯罪者だ、以上、では、アホな解釈、さようなら、で、おもしろくもありません。
最近思うのは、ルパン三世の意図は、ルパンが繊細である、という1点に、集約される と思うのです。
繊細で傷つきやすく、ゆえに、どんな世界の権力者も、見過ごしておくことができない。
しかし、リスクで転ぶこと(ホロンの癌になること)を恐れていては、権力者に立ち向かうことはできない。
権力者が今のように、次の戦争を引き起こしかねないまでになると、世界が滅びてしまうので、何とかしなければならない。
その理由によって、ハードルを上げてまで、ルパンを、泥棒、という、みんなが嫌悪する設定にして、その理由を明かさず、あえて、成長とリスクの デリケートな難題に、皆を気付かせようとした、と、私には最近、思われました。
この意味では、普通じゃないリーダー、は、禅の公案としては、アリなのでしょう。
ただし、ほとんどの者が、正しい見解にたどり着いていません。
ルパン三世そのものも、アニメの性質上、名作回に限って、と言って構わないでしょう。
ポイントは、成長とリスクの関係は デリケートかつ避けては通れないから、故意(ヒトラーのような権力者)と、過失(ルパン三世の設定)を通じて、前を向こうとすることで、躓いて終わらないでほしい、と、皆に伝えることが必須だった、ということです。
銭形のとっつぁんは、パート4で、ルパンを逮捕しますが、逮捕すればルパンは終わり…にならなかったんですよ!
理由は、ルパンが泥棒であるのは〝設定だから〟で、その設定にしている〝本当の意図〟が、より深くにあるんです。
泥棒を肯定している、それでは名作として不十分、他に何かあるのでは?
こう発想していくのが、ルパンによって学ぶ、ということです。
世界の名前を出してまで、いろいろな権力を批判するのは、かなりのリスク、それを取るための膨大な繊細さを必要とします。
情報は意図が大切という意味で、放送番組を吟味するヒントになる意味で言いますが、ルパン三世 や 世界仰天ニュース を 大切にしてきた 日本テレビには、そういった思想があると、感じます。
代わって、テレビ東京は、広告中心のテレビ局でしょう。
そのいいところは、広告主次第で どんな良い番組も放映可能。
スバル、亀田製菓、眼鏡市場、ポカリスエット、で、弱虫ペダル。
すべての提供をサンリオにすれば、アニメは、素晴らしくなると思いますが、ポケモン含めて、提供は、サンリオではないでしょう。
これによって、テレビ東京が、なぜ、反戦の声を出したり引っ込めたりするのか、が、いくらか理解できると思います。
今回、その反戦の緊急番組、池上さんとテレビ東京の番組を見て、このコーナーを書いておりますが、なぜ、テレビ東京に、その番組が放映されたのか? 日本テレビやテレビ朝日ではなかったのか? ということも、考えてみましょう。
テレビ東京は、意図を、つまり、内面を大切にします。
企業が、自分の商品を売る意図より、世界が無くなってしまうことを許容するほうが困る、と思えば、こういった番組も、できます。
ただ、口裏合わせている場合もありますが、少なくとも、多くの企業と社会が平和を望む傾向は、あるでしょう。
池上さんが、テレビ東京とともに、今の現状の思いのたけを ぶっちゃけたいと思った時、テレビ東京は外国人と仲良くしたいと思っていますから、こんな番組も容易く作れるのです。
(2022 04 25 追記:本記事は前回の上記該当番組の後に書いていますが、およそ2か月後の 2回目のテレビ東京と池上彰の番組は、戦車やミサイルなどの兵器やアンテナの解説に走って議論がすり替わり、戦争は私たちの手に負えないもの[だから丸投げする]という意図ばかりが見えて、決定的に重要な〝どうすれば戦争を止められるのか?〟を議論させないという、個人的に嫌いな構成でした。理由は、生放送だからで、池上彰は、その洞察力を、要約して、道徳段階の高いゲストと話し合うところが重要なのです。提供が印字されていましたが、こういった重要な議論を消し去ることは、むしろ戦争を助長します。交通戦争を解決できないのと同じく。)
[※ 議論を、戻します。 上記の( )は、注なので、繋げずに お願いします。]
以前 私は、池上さんに、テレビ東京とは 縁は作っておいたほうがいい、と書きましたが、そういうことです。
日本テレビは、もともと、こういうことを別路線で既にやっているので、過剰になるかもしれない点でも、池上さんの本心を生かせないかもしれないから、頼ることもないから、でしょうね。
テレビ東京が、ルパン三世をどうとらえているかは、少し気になりますが、弱虫ペダルを見ると、少しだけ謎が解ける、かもしれません。
地球を破壊するような権力者を許せない、という意図では、結ばれているのではないでしょうか?
私は、中華街や 肉まんが好きなので、中国の文化そのものには、優秀さがあると思いますが、今の中国の権力者は、過去の解釈を破壊しており、中華街を地球ごと滅ぼすかもしれない軍国主義を押し通そうとしているようにも見えます。
中国だって、さらに、大昔の原人に、そのルーツがあり、中国が最初ではありません。
よって、豚まんを作っているのが日本人だったらアウト、などというルールも、通用しません。
戦争のために日用品を輸出する、それならば、国際社会は、中国からの貿易を拒否する、それで正解です。
中国の権力者は、関係が見えていません。
社会主義において、一番重要な、社会について、大きな誤解をしているので、その国民たちから、嫌われているように見えます。
ロシアの方は、迫る現状を、国民が批判したくてもできない状況のようですが、戦争になって壊されるのは市民なので、縛れるものなら、独裁者を生まない健全な社会を望みます。
しかし、日本では、交通戦争を どうやっても無くせていません。
日本で交通戦争を無くすことを本気で望むように、ロシアの国民が、現状の矛盾した社会を、変えたいと、思えるでしょうか?
ロシアの権力者を縛れるのは、ロシアに生きる国民ですが、権力者が、暴力に耐えきれない国民からの運動によって縛られたとしても、そうなる頃に、世界がなければ、すべては、変えられないまま、終わります。
日本の交通戦争は、どうせ 戦争して世界は めちゃくちゃになるから、スピード違反も、歩行者のために停止線で止まることを無視することも、かまわない、と考えている傾向があると思います。
簡単に言うと、世界のすべての人々は、自分の潜在性によって、おのおの こういった話に耳を傾けることをしなければ、否応なしに、世界、つまり、自分の存在の危機に、直結することを許容する、という事実を知るように、話し合うこと、合意すること です。
親が言い聞かせれば、3歳の子どもでも、リベラルな見解を共有 できます。
無免許のバイクの暴走族は、難しいでしょう。
未来のタイムトラベラー、タイターの世界では、2015年に、第3次世界大戦が起き、世界人口の半数、30億人が、核戦争で命を落としました。
世界中のあらゆるものは被曝して汚染され、花火大会のような あのワクワク感は、どこにもないそうです。
あの戦争によって、さっき言いました〝耳を傾けて合意すること〟を行わない陣営 を、排除した、と言います。
それ以外、人類が生き残る選択肢は無かったのです。
今後、タイターの世界では、子どもの潜在性を健全に成長させて、世界大戦を起こすような権力者にならないように 開花をサポートしていかねばなりません。
私たちの世界では、クリシュナムルティが、そのような、潜在性と基底の関係 によって、子どもの才能を開花する教育論を展開しています。
インドが故郷のクリシュナムルティなので、仏教思想が一つの源流である中国のルーツです。
中国は、考えを強制しているという意味で、子どもの潜在性を、自らの教育によって破壊していると言わざるを得ず、〝耳を傾けて合意する機会〟を奪っています。
これでは、タイターの世界で言う、生き残る方、に残るのは無理でしょう。
そして、深くは タイターも言うように、戦争は、完全に間違いです。
いいことなど、何一つなく、権力を持って戦争をしようなどと考える余裕すら、恵まれすぎていたことを、生涯以上にわたって、思い知らされるのです。
ロシアは、子どもを どのように育てているのか わかりませんが、あるマンガでは、〝リベラルなロシア〟が描かれており、生きる人々次第、ということでしょうか。
中国の権力者は、民族時代の復興を宣言しているようですが、ヒトラーのゲルマン民族復興による ユダヤ人虐殺、KKKの白人至上主義と 黒人たちへの差別のさらなる加担、などと、大差ない ところに行くでしょう。
なぜなら、第1次大戦と、その後の世界恐慌が、ヒトラーの台頭を生み出したから です。
〝聞く耳を持って合意〟できないようにする、崩壊です。
自ら無駄遣いのために借金することにスリルを感じる者のように、現状を全く把握できず、やがては、過失を越えて、故意の大犯罪に手を染めてしまう例は、ヒトラーたちを理解する カギにもなります。
ザマスの一件でゴワスさんが言ったように〝善と悪のバランスが重要で 悪に揺れないこと〟善は悪の反対物ではないので、バランスとは、学ぶ、前に進む、反省する、ということで、リスクによって躓いたままでいない、ことです。
躓きを美化すれば、ザマスのように、宇宙を滅ぼします。
みらいのことばを読み解いていくと、ウイルスショックについては、予測されていた と思います。
それを回避しなかったのは、それが一番、脅威から隠れるのに マシな場所だったから、もっと大きな脅威が すでに起こりつつあり、逃げ場が ここしかなかったから、と読めます。
とすると、ウイルスショックが回避できなかった時点で、すべては、最悪の方向に向かうことが決定した、とかいう者も、出てくるでしょう。
いずれにしても、ウイルスショック自体が、ホロンの癌、前に進むことができずに躓くこと のみを美化すること、であるならば、それは起こっては ならなかったのですが、悪に揺れないこと、前に進む成長のリスクを理解して超えることを学ぶこと、を意味するならば、それは、吉報でもあります。
ウイルスを目の敵にして根絶だけしようとする考えでは、吉報ではなく、ホロンの癌、戦争を意図してゆくことに、つながるのです。
世界が混乱している状況では、世界大戦が起こりやすい、一番大きな混乱は、世界大戦なので、世界大戦がさらに 世界大戦を引き起こすのです。
大統領クラスの人物は、まず、この歴史を、反省材料として提供すべきです。
どんな大統領なら、これに加担してしまうのか?
あれだけわかりやすい、ヒトラーという例 があって、ドイツは原発を持たず、日本も兵器を持っていないのに、それでも、同じことを、世界は選ぶのでしょうか?
第1次大戦と世界恐慌によって、満州事変が起きます。
そして、混乱が頂点を通り越して、広島と長崎に原爆が投下され、世界は滅びの瀬戸際まで来ました。
世界は断片化し、冷戦が繰り広げられ、核兵器は地球で無くなることがありません。
そして、私たちが生まれる前に起こった世界大戦。 排気ガスを吸い続けている現代人のように、もはやそれは、その事実と歪みは、空気のように、私たちに繰り返し汚染します。
当たり前と思ったら最後、二度と、それを無くそうという意図は、生まれません。
逆に、交通戦争の、排気ガスの汚染を変えようと思っているのであれば、同じように、過去の世界大戦が いかに私たちにとって有害な毒ガスであるのか、それを変えようと、捕らわれないように話し合おうとすることも、可能 に思えます。
制限速度を守ることと、世界大戦が悪いものであることを話すこと、どちらも、そうしないと自他が脅かされることを理解しているから、同じカテゴリーです。
中国は、世界に向かって、構想として、鉄道を作ろうとしているらしいですが、列車は、制限速度を超えると、あるいは、脱線します。
そこには、起こる意味はなく、起こさないように しなければなりません。
鉄道は、中国の国境を越えて広がる、だとすると、他の国々にとっても、安全で有益でなくてはいけません。
そうでなければ、国同士で争いが起きます。
それは、列車の脱線でなくて、何でしょうか?
外交の制限速度も、守りましょう。
平和とは、統一とは、ルールの上で、成り立ちます。
中国のトップは、ルールを守っていません!
火遊びする者は、必ず脱線するのです。
中国が、日本に対して、日本の交通戦争を無くせ!と言うと、おもしろいことになるでしょう。
言いそうにありませんが。
そうすれば、中国側も、交通戦争を無くしていなければなりません。
それができなければ、世界を束ねる鉄道を 作っても、周りに感謝されません。
日本は、リベラル憲法なので、オレンジはアンバーを含んでいなければなりません。
日本も中国も、制限速度を守らねばならず、でないと脱線し、世界を束ねるには、リベラルにならなければ不可能 です。
ヒトラーは、それができなかったゆえに、自殺しました。
(上記は、日本でも人気の ヨーロッパの社会心理学者、E・フロム の本に詳しい見解があります。)
明日は我が身、です。
平和の制限速度は、守りましょう。
歪みは、どこからくるや、取りきれないものになり、皆、それを理解しようとしないことが、悲劇です。
中国は、それを越えようとせず、リスクをとって リベラルに、なろうとせず、そのシャドーで、世界を植民地化しようとしているのです。
ロシアも、まったく同じでしょう。
(中毒とアレルギーの表面上の違いは あるかもしれませんが。)
社会主義には、ルールがあります。
社会が平等になることです。
世界のすべてが、社会です。
社会が平等になるためには、リベラルになって、社会主義のルールを守りましょう。
それが、社会主義の世界の統一です。
子どもでも理解できます。
(資本主義と社会主義は、別のラインだと考える方法もあります。 日本はリベラルな社会主義としての平等にうるさい福祉国家だからです。 資本主義は、社会の象限の、経済の発達ライン、中国でも発展中のラインです。 社会主義は、社会と文化の境界の象限にあるラインで、潜在性を開花する社会の発達ライン、に近いものかもしれません。 だとすると、中国は、そのラインを、集団主義のアンバーで抑圧しており、オレンジの社会主義への移行を、そのラインのアンバーレベルの中毒によって、破壊しています。 これにより、リベラルな技術の産物、自動車・鉄道から 様々な科学技術まで、正しく扱うことができず、世界に脅威を与えることになり、関係が保てず、世界から孤立することになります。 中国からの輸出品、例えば自転車は、その乗り手の使い方次第です。 先進国などは、その輸出品の技術をどう扱うか、そのラインの成長をサポートすべきで、中国は、輸出側の国任せで、自国で、そのラインを伸ばしません。 資本主義の 経済のラインは中国で伸ばすのに、社会主義の、潜在性の開花ラインは 中国で まったく伸ばしません。 (社会の接着剤は、アンバーからオレンジなので、技術国なら、アンバーまでは基礎で、伸ばしているといえないでしょう。) 中国が輸出品を買ってもらえるのは、輸出国が それを持て余さず、適切に扱えるモラルを 平均的に持ち得るからです。 中国、そしてロシアは、今、社会主義を社会主義で、破壊しています。 皮肉です。)
こうして書いていくと、永遠に終わらなそうな感じがしませんか?
それが、今の世界です。
文脈は無限に滑走しているので、それを見ない人々もまた、自分勝手な結論で動いていきます。
すべてを書くことはできず、何らかの方法で切り出し、まとめなければなりません。
独裁者たちは、このやりかたを、決定的に間違えているのです。
というわけで、今回はこれで終わりますが、わたしは、数年前に、タイターの例も出して、戦争に対して警告しているのに、何年たっても、権力者たちは変わりはしませんね。
それに腹が立ちますよ。
もし、これを見ている権力者がいたら、私は、こう言いたいのです。
あなたは、この数年、いったい何をやっていたんですか?
posted by インテグラルとど at 19:23| 実用的生活実践
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2022年03月28日
誰も追いやられない社会 誰も見たことのない時代 ~本当のティール革命!~
紀元前の、帝国主義(アンバー)の時代、少数の、合理性(オレンジ)の波を、世界平和に役立てる人々がいました。
ソクラテスも、その一人でしょう。
キリストなどの聖典の芯の意図は、第3層(インディゴ・ホワイト) の波から書かれているようなので、これは、驚くにあたりません。
私が思うに、紀元前の帝国主義を成り立たせることが、当時、世界平和につながったと考えられるのです。
今でも起こっている、国としての部族間の紛争。 難民問題。
レッドの波によっては、まとまることができなかった、新たな問題、より大きな人口が、世界規模でまとまる 緊急の課題が、紀元前には、見えてきたということです。
映画の、テルマエ・ロマエが主張することでもありますが、基本的に、市民は、戦争のない世界を、平和を望んでいました。
(平和じゃなきゃ、リピーターとして、温泉に入れないため。)
アンバーの波は、電池を信じません。
(紀元前に、電池はあったそうですね。)
隣の人、世間、移り変わる季節、話題の話は、信頼します。
ということは?
当時、紀元前、オレンジの波の人々は、世界平和を実現するため、アンバーの国民に対して、アンバーが、オレンジの説得力によって、怪しい波ではないことを、公ではなくても、形態形成に、元型に、証明する必要があったのです。
この道、夢の世界が、やがて、多くの市民を、安全に、レッドから、アンバーに、健全に歩ませる、社会の接着剤になったのです。
オレンジは、世界平和のために、人類が平等であることを、知っています。
しかし、アンバーの波は、世間のブームを信じるので、私たち隣人が平等であることを、その合理性を、ヒーローに、語らせます。
これは、現代社会のアンバーにも、わりと、そのまま、あてはまります。
ヒーロー(5)は、アンバーの波が正当で良いことを、レッドからアンバーへ成長する潜在性を持つ市民(3)に、説得力を持って、訴えます。
温泉に入り放題だとか、言うんですよ。
ここで、ヒーローの語ったメッセージは、現在の考古学では、〝神話(4)〟と呼ばれます。
実際には、意図(5)がありました。
アンバーが、神話―合理性、と言われるのには、ちょっとばかし、不可思議な理由が見えます。
まず、現代の子ども、例えば、のび太君は、ちーたん みたいな恐竜を育てて、豊かな感情を、成熟させるわけです。
アンバーの子どもは、基本的に、周りの友達に、感情的に思いやりを持ちます。
そこは、合理性というよりは、感情です。
では、合理性は、どこから来たのでしょうか?
現代の子どもは、合理性を持たせるために、オレンジに成長すればよいので、潜在性が アンバーで 最先端だった 紀元前こそ、次にやることは、合理性を強化すること、であったと思われます。
紀元前、アンバーに目覚めた市民たちは、世界が平和である理由を、ヒーローのメッセージが 合理性を使っていたために、そのお墨付きを、世間のブームの範囲、自分たちが認識できる範囲で 合理性を使い、人々が平等であることを、納得できる理由を強化しました。
奴隷制には無意識ですが、合理的に、人間とみなせる存在は、平等である理由を、幾度にわたって、証明し続け、結果、神話―合理性、という意識が、形態形成から表層構造として、できたのです。
しかし、啓蒙主義が起こった、ルネサンス以後、ビッグスリーは、乖離しました。 スピリチュアリティのラインは、焼失します。
なぜなのか、今見たように、考えてみましょう。
ヒーローのメッセージ(5)は、健全的な神話(4)として、合理的に機能します。
神話は、表層構造こそアンバーですが、実際は、深層的に、啓蒙主義なのです。
紀元前の啓蒙主義 は、合理性を使って、人々を、世界を平和にすることでした。
これが、神話の、本当の意図です。
ルネサンス以後の理性の革命は、この、ヒーローの意図と仕事(5)を、破壊しました。
よって、アンバーまでの市民が、合理性(5)を、世界平和に使うすべが、なくなったのです。
当の理性そのものが、理性の最初の革命を、壊した のが、理性の革命です。
これが、ビッグスリーの分離の正体です。
クリシュナムルティが言うように、人類は、もっと前に、道を間違えているのです。
ここで、理性の革命、中世から、近代になった時代、先ほどと同じことが、起こっています。
ティール(7)、つまり、第2層の波が、オレンジ(5)の構造に、お墨付きを与えて、アンバー(4)の国民たちを、安全に リベラル化する、ティール革命が、起きたのです。
ティール革命は、近代に起きたのです!!
つまり、近代に起きたのがビッグスリーの分離なら、現代待っている、大規模なティール革命も、そのまま、失敗が、流用されるのです。
例えば、(ティール、グロス) を悪用する、大企業の代表取締役。
ケン・ウィルバーは、啓蒙主義の時代に〝しばしば、第2層の主張を使っていた〟と言っていたはずですが、ティールは〝内在価値・深度がすべてだ〟 という主張です。
つまり、〝深度絶対主義〟なのです。
〝統合的なマインドフルネス論〟では、〝第2層の成り立ちは、誰も抑圧しないこと、その社会は いまだ誰も目にしたことがない〟と言いますが、実際は、これは、第3層の主張を、根拠にしているのです。
話は戻りますが、ティールは、〝優れた深度を持つ者が偉い〟という主張をします。
(ある意味、グリーン(6)が、ティール(7)を、拒絶するのは、これに説得力がないからです。 インディゴ(9)によって、潜在性の主張で、これを補強する必要がありますが、後に見ます。)
※ ケン・ウィルバーは、〝良い理論とは、それより良いものが生まれるまでは持ちこたえられるもの〟という風に 定義したことがあるらしい (〝万物の理論〟参照) です。 つまり、本人も、このコーナーが書かれることは、肯定していますので、その点は、ご心配なく。
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この、〝優れた深度(7)〟は、啓蒙主義の近代の翻訳の際に、〝優れた業績(5)〟というお墨付きであると、みなされました。
つまり、ビッグスリーの乖離は、〝どんな深度の人間であっても、業績の優れた者だけ、結果が出た実力のある者だけが、優先的に評価される〟 深度は それに関係ないに違いない、と合理化されるに至ります。
これに、多大なダメージを受けたのが、ルネサンスから、さらなる勢いをつけた、芸術たちです。
意図(n)が 消し去られていますから。
現代のアニメが、子どもを強調するのは、第3層の潜在性の主張で、このティール革命を救おうとして、もがいているからです。
実力と深度は、同じものではないので、悪用によって お金を稼いでも、企業は、実力があると みなされます。
深度が低いか、歪んでいるゆえにできることです。
神話が、合理性によって強化されたのと同じように、現代の企業は、(ティール・グロス)によって、資本を増やすことを、強化しております。
これが、近代に生まれた 株式会社の正体であり、近代のティール革命の、慣れの果てというわけです。
ティール革命が、既存のオレンジを ただ否定するだけなら、前回のアンバー否定の問題をも 抱えながら、さらに状況は悪化するでしょう。
今、世界が滅亡の危機に瀕しているのも、間違ったティール革命が、原因かもしれないのです。
次のヒーローは、第3層(インディゴ・ホワイト)ですが、これは、予知(潜在性のおえかき) の基礎が、お墨付きを深層的に与えられたときに、形態形成として起こります。
第3層は、子ども、それも、まだ生まれていない潜在性を、4象限保存した上で、頂点とします。
これは、第2層の、深度の法則を理解しないと、絶対に たどり着けません。
マジェンタ(2)の家族主義、レッド(3)の個人保護、アンバー(4)の集団主義、は、いずれも、子どもの構造に似ている(同じ波に同一化している)ので、白人の子どもが周りの白人とばかり仲良くしているから、人種至上主義は正しい、とかいう、頭のおかしい聖戦に、使われます。
つまり、子どもは、病んだ大人たちに、聖なる存在として、悪用される触媒、根拠、その萌えとして、使われています。
これは、子どもというか、人類とその潜在性を、破壊する、許せない数々の行為であり、オレンジ、グリーン、ティール、ホワイト、いずれにも、説得できる、やめさせなければならない、闇の活動です。
こういった、まちがった、子ども崇拝主義、つまり、病んだ内なる子供、破壊されつくした灰色の潜在性の燃え跡地に、自他の内なる子供の燃えカスを、復讐に仕立て上げたもの ・・・・・・・・ とは違って、本当の、潜在主義(9) があります。
予知(9)があることを示して、ティール革命に、本当の説得力を! グリーン(6)たちが納得できるように、子どもや感情を第一に考える、第3層の説得力を詰め込んだ、ティール革命(7)に、バージョンアップ(9)するのです。
グリーンは、この、病んだバージョンを、普通のティール主義では、深度認識できないので、ティールを拒否します。
グリーンを、病んだ崇拝主義の解体エージェントにするには、第3層の、潜在性の主張で、ティール革命を主張する必要があります。
ミュークルドリーミーは、この、第3層のティール革命、第2層の啓蒙主義、理性のアンバー、といった、歴史的なホラーキーのバランスを表現した、今までに無かったアニメです。
これが、ケン・ウィルバーの言う、〝誰も抑圧されない、まだ誰も目にしたことのない、ティール革命後の社会〟です。
ここで、進化に対する、内化を考えます。
第3層、ホワイトは、第2層のティール革命を、バージョンアップし、それにより、ビッグスリーの分離を訂正して、差異化に作り変えます。
すると、第2層の啓蒙時代のヒーローの意図は、復活し、アンバーまでの波が、健全にオレンジに向かい、しかし、オレンジを押し付けないという、リベラル教育の課題が、世界規模で、復興します。
企業にも、政府にも、芸術にも医療にも難民にも、直接の影響があります。
これにより、紀元前の理性のヒーローが願った、世界平和のルートも、再び機能します。
レッドやアンバーなどが、神話によって、理性を理解する道です。
圧力なべのふたの除去、コンヴェアベルトの復活。
これらすべては、ホラーキー内で、世界線として、同時に生起し、瞬間的に起こり、内包されます。
再び、進化に戻ります。
いわゆる、大人の保守派は、自分たちの行っている行為が、世間から争いを無くすことに競合する、合理性に欠けた行為であることを、認めます。
それは、即、オレンジへの成長になります。
そして、どこの国の保守派も、同じ現状であることを、理解します。
オレンジが安全であることが、より証明されることは、オレンジが、スピリチュアリティを包み込む波 であることになります。
子ども時代の豊かな感情は、紀元前の理性のヒーローによって、合理性と つながるはずでしたが、近代によって、その道が絶たれたアンバーは、落としどころが無くなった感情を 復讐とテロに向かわせ、社会主義の主張もそうなっています。
これが緩和され、感情がオレンジに包まれて、啓蒙時代のティールなヒーローの、〝アンバーの感情よりオレンジの感情のほうが良い〟ことが、定立されます。
すると、その感情は、グリーンによって、赤ちゃんや子ども、動物に広げられ、現代の、第3層のヒーロー、〝潜在性と健全性のホラーキー〟の広がりは、容易となり、健全性に包まれた、ティール革命が 起こります。
そして、このティール革命は、(ティール・コーザル) や、(ティール、ノンデュアル) であり、潜在性と健全性に、みゅーちゃん(⋈◍>◡<◍)。✧♡ っぽいものに 支えられた、形態形成、社会の接着剤になります。
この、天国というか、空の夢の世界(アビス)を、地上に降ろして浸透させる、第3層(ホワイト)の実体験が、今の、厄介な戦争を終わらせる、直接のカギになります。
赤ちゃん、子ども、まだ生まれない存在、こういった、スピリチュアルな対象 に、私たち自身の身で、トンレンや、観想、座禅の棒などの、祈りと修業を 加えることもできます。
もし、あなたが、何かに身を溶かして働きたい、聖なる 馬車ウマのようになりたい、と思っているのなら、その思いを、説得力を持たせて、言える時代が 来たかもしれないです。
私見ですが、社会主義国などにも多い、保守派は、この、赤ちゃんなどの潜在性に対して、自分を明け渡す社会が来てほしくて、それができないから、テロを起こそうと 思うのではないでしょうか。
資本主義は、子どもより大人の方が偉い、という主張が、まだ、勝つようにできているので、そこが気に入らないのだと、言えなくはないのです。
というか、本当のティール革命によって、この 保守派の隠れた衝動に、保守派 自らが気付くのではないか、と思います。
理由は、アンバーの波が好きだから 固着(中毒)しているのであり、しかし、そのことに無意識なので、オレンジの理性と感情へ移行すれば、その理由が明らかになりそうな気がします。
もしくは、生物圏に近接した、母親的な無償の愛と、人間としての魂のバランスが、デリケートな問題であり、その方向性を、啓蒙主義が神話とともに壊した結果、上記の、潜在性への畏敬が働かなくなって、今に至るというのも、視点として 分かります。
神様は、潜在性の子どもは、わたしたちに、聖なる機能適合をしてほしいのです。
子どもたちは、裁判官で、神様で、優しいたましいで、社会の公の場で、自分を明け渡して、子どもに納得してもらえるように、役割を果たしているかが、見られます。
政府ではなく、子ども、です。
これは、小学生が、知恵をつけてきて、ああそうだ、赤ちゃんが偉いんだった、と言うに等しいです。
小学生が一番聖なる存在であるという、不合理な主張も、成り立ちません。
赤ちゃんは、中絶されることがありますが、生まれていない存在は、その潜在性が 一切深度に変わっていないので、失われることはありません。
それを、宇宙の、Kosmosの法則だというなら、こういった、非時間、無空間は、第3層の波が、コスモスの運動として直接体験するものであり、確かなお墨付きを、形態形成として与えることができます。
☀
ちょっと、世間的な、砕けた話も入れます。
最近の、制服を着て制服を否定する、制服好きのアイドル、は、保守派の複雑性を言い当てていると思います。
セーラー服が軍服であり、現在、いわゆる戦争が起きている、という遂行矛盾も、関係するかもしれません。
潜在性と健全性、子どもや赤ちゃんが、一番聖なる存在なら、つまり、偉いのなら、それは、時間に対して、非時間的な何かを 基準にできるということです。
クリシュナムルティが、基底、と言っているものです。
ここでは、深度がある大人の方が偉い というルールではありません。
さらに、病んだ大人がよりダメ という相対的なルールもあります。
聖なる子どもは、制服が似合うか、その潜在性を持った若さがあります。
制服は、自分を、社会に表現する、トラウマを越えて 夢のように自由にふるまう、ことを意味し、いじめを否定せず、そこから自由でいる修行です。
学校時代が一番楽しかった、と ぼやく大人が あまりに多いのですが、その多くは、物言わぬ保守派として 生きており、本当は、何か重大な違和感 がありながら、それを抑圧しています。
日本のアニメに、制服姿の子どもが、聖なる存在として描かれているのも、何か、潜在性を活用しきれず賞味期限切れにしてしまったことの、直接の喪失感が、根拠でしょう。
どうせ いじめられるなら、かわいい制服の学校が良かった、と、保守派が考えがちなら、今の啓蒙主義は、豊かな感情を抑圧する リベラル教育を行っている、とも考えられるかもしれません。
そして、アニメオタクが、安易に、軍隊もののアニメ萌えに走るのも、この、薄っぺらい形式性が、ビッグスリーの乖離とともに、大失敗しているからです。
いじめを無くすには、いじめを体験して理解する必要 があります。
しかし、リベラルには、いじめをしてはいけないため、いじめをなくす方法もわかりません。
たぶん、もっと昔には、そういったルールがあったのですが、神話と一緒に、すべて捨てられたのでしょう。
保守派が作るアニメは、いじめの存在を前提として体験するものばかりなので、複雑な成長を必要とする私たちは、健全性をとらえて、もっと単純化できる 進化と関係の道を、探るべきです。
想像力が豊かな人は、子どもが聖なる存在で、社会的に偉い設定で、色々、構想体験できると思いますが、現代社会は、ビッグスリー自体が破砕しているので、肝心の、第2層をも超えた潜在価値、という、非時間的視点で、子どもを体験する空想は、困難です。
下手な勘違いの妄想にしかならず、それが、また、フラットで 意味のないアニメになるだけでしょう。
いじられキャラの視点も複雑ですが、ブルマは確かにジャコとうまく 意味のある コミュニケーションをしているので、リベラルの世界にも、感情が受け入れられないわけではないのです。
というより、多くの市民は、アンバーまでの感情しか、スピリチュアルには、受け止めることができない、と言えます。
いずれにしても、子どもが聖なる存在であるという視点は、直感的に正しいですが、ほとんどの解釈は、悪いです。
子どもを何らかのネタにして売る、そこから抜け出ていないからです。
ソックスのあかりちゃんのために、会社をやめるパパは、すごいです。
潜在性と健全性、非時間性を、うまく包括していくバランスが 回復して、創発が起こり続ければ、皆、何でこんなことに気づかなかったんだろう、と思うのでしょう。
ポケモンの〝ジ・オリジン〟では、サカキ (たぶん買収癖のある代表取締役のこと) が、レッド (子どもの主人公) に、大きく影響され、人生をやり直す決意をします。
これは、潜在性(9)の考え方、深度絶対主義(7)ではない、バージョンアップしたティール革命、を、感じているのです。
初期のポケモンのアニメも、第3層の意図で、ティールの〝誰も抑圧されない、まだ誰も目にしたことのない社会〟を、描きなおしている、と言えて、予知、予感、しゃべるニャースで 潜在性、など、いろいろな意図が、入っています。
このように、直感的に、ビッグスリーの乖離、感情の否定に、危機感を覚えている、グリーンやティール、ホワイトは、ポケモンを支持することで、何かを待ちたいのです。
ミュークルドリーミーは、シナリオに〝深度・心圏〟形式を使わず、大人が見て面白い内容、(例えば、ジュエルペットサンシャイン) ―― その技法を使用しない、という制約で、2年、続きました。
これは、直接、ホワイトのことを、言っています。
アニメに、多数の、おかしな定立がある中で、頼れそうなものすべてに頼らないようにしても、それでも、イラストが届き続けるようなアニメ は、優れているのです。
これは、深度が優れている(7)という判断によっては、理解できないことを 分かったうえで描いた(9)、という、複雑に入り組む世の中への メッセージ です。
今回報告することになった、これが、先端の、第3層の構造です。
ソクラテスも、その一人でしょう。
キリストなどの聖典の芯の意図は、第3層(インディゴ・ホワイト) の波から書かれているようなので、これは、驚くにあたりません。
私が思うに、紀元前の帝国主義を成り立たせることが、当時、世界平和につながったと考えられるのです。
今でも起こっている、国としての部族間の紛争。 難民問題。
レッドの波によっては、まとまることができなかった、新たな問題、より大きな人口が、世界規模でまとまる 緊急の課題が、紀元前には、見えてきたということです。
映画の、テルマエ・ロマエが主張することでもありますが、基本的に、市民は、戦争のない世界を、平和を望んでいました。
(平和じゃなきゃ、リピーターとして、温泉に入れないため。)
アンバーの波は、電池を信じません。
(紀元前に、電池はあったそうですね。)
隣の人、世間、移り変わる季節、話題の話は、信頼します。
ということは?
当時、紀元前、オレンジの波の人々は、世界平和を実現するため、アンバーの国民に対して、アンバーが、オレンジの説得力によって、怪しい波ではないことを、公ではなくても、形態形成に、元型に、証明する必要があったのです。
この道、夢の世界が、やがて、多くの市民を、安全に、レッドから、アンバーに、健全に歩ませる、社会の接着剤になったのです。
オレンジは、世界平和のために、人類が平等であることを、知っています。
しかし、アンバーの波は、世間のブームを信じるので、私たち隣人が平等であることを、その合理性を、ヒーローに、語らせます。
これは、現代社会のアンバーにも、わりと、そのまま、あてはまります。
ヒーロー(5)は、アンバーの波が正当で良いことを、レッドからアンバーへ成長する潜在性を持つ市民(3)に、説得力を持って、訴えます。
温泉に入り放題だとか、言うんですよ。
ここで、ヒーローの語ったメッセージは、現在の考古学では、〝神話(4)〟と呼ばれます。
実際には、意図(5)がありました。
アンバーが、神話―合理性、と言われるのには、ちょっとばかし、不可思議な理由が見えます。
まず、現代の子ども、例えば、のび太君は、ちーたん みたいな恐竜を育てて、豊かな感情を、成熟させるわけです。
アンバーの子どもは、基本的に、周りの友達に、感情的に思いやりを持ちます。
そこは、合理性というよりは、感情です。
では、合理性は、どこから来たのでしょうか?
現代の子どもは、合理性を持たせるために、オレンジに成長すればよいので、潜在性が アンバーで 最先端だった 紀元前こそ、次にやることは、合理性を強化すること、であったと思われます。
紀元前、アンバーに目覚めた市民たちは、世界が平和である理由を、ヒーローのメッセージが 合理性を使っていたために、そのお墨付きを、世間のブームの範囲、自分たちが認識できる範囲で 合理性を使い、人々が平等であることを、納得できる理由を強化しました。
奴隷制には無意識ですが、合理的に、人間とみなせる存在は、平等である理由を、幾度にわたって、証明し続け、結果、神話―合理性、という意識が、形態形成から表層構造として、できたのです。
しかし、啓蒙主義が起こった、ルネサンス以後、ビッグスリーは、乖離しました。 スピリチュアリティのラインは、焼失します。
なぜなのか、今見たように、考えてみましょう。
ヒーローのメッセージ(5)は、健全的な神話(4)として、合理的に機能します。
神話は、表層構造こそアンバーですが、実際は、深層的に、啓蒙主義なのです。
紀元前の啓蒙主義 は、合理性を使って、人々を、世界を平和にすることでした。
これが、神話の、本当の意図です。
ルネサンス以後の理性の革命は、この、ヒーローの意図と仕事(5)を、破壊しました。
よって、アンバーまでの市民が、合理性(5)を、世界平和に使うすべが、なくなったのです。
当の理性そのものが、理性の最初の革命を、壊した のが、理性の革命です。
これが、ビッグスリーの分離の正体です。
クリシュナムルティが言うように、人類は、もっと前に、道を間違えているのです。
ここで、理性の革命、中世から、近代になった時代、先ほどと同じことが、起こっています。
ティール(7)、つまり、第2層の波が、オレンジ(5)の構造に、お墨付きを与えて、アンバー(4)の国民たちを、安全に リベラル化する、ティール革命が、起きたのです。
ティール革命は、近代に起きたのです!!
つまり、近代に起きたのがビッグスリーの分離なら、現代待っている、大規模なティール革命も、そのまま、失敗が、流用されるのです。
例えば、(ティール、グロス) を悪用する、大企業の代表取締役。
ケン・ウィルバーは、啓蒙主義の時代に〝しばしば、第2層の主張を使っていた〟と言っていたはずですが、ティールは〝内在価値・深度がすべてだ〟 という主張です。
つまり、〝深度絶対主義〟なのです。
〝統合的なマインドフルネス論〟では、〝第2層の成り立ちは、誰も抑圧しないこと、その社会は いまだ誰も目にしたことがない〟と言いますが、実際は、これは、第3層の主張を、根拠にしているのです。
話は戻りますが、ティールは、〝優れた深度を持つ者が偉い〟という主張をします。
(ある意味、グリーン(6)が、ティール(7)を、拒絶するのは、これに説得力がないからです。 インディゴ(9)によって、潜在性の主張で、これを補強する必要がありますが、後に見ます。)
※ ケン・ウィルバーは、〝良い理論とは、それより良いものが生まれるまでは持ちこたえられるもの〟という風に 定義したことがあるらしい (〝万物の理論〟参照) です。 つまり、本人も、このコーナーが書かれることは、肯定していますので、その点は、ご心配なく。
☀
この、〝優れた深度(7)〟は、啓蒙主義の近代の翻訳の際に、〝優れた業績(5)〟というお墨付きであると、みなされました。
つまり、ビッグスリーの乖離は、〝どんな深度の人間であっても、業績の優れた者だけ、結果が出た実力のある者だけが、優先的に評価される〟 深度は それに関係ないに違いない、と合理化されるに至ります。
これに、多大なダメージを受けたのが、ルネサンスから、さらなる勢いをつけた、芸術たちです。
意図(n)が 消し去られていますから。
現代のアニメが、子どもを強調するのは、第3層の潜在性の主張で、このティール革命を救おうとして、もがいているからです。
実力と深度は、同じものではないので、悪用によって お金を稼いでも、企業は、実力があると みなされます。
深度が低いか、歪んでいるゆえにできることです。
神話が、合理性によって強化されたのと同じように、現代の企業は、(ティール・グロス)によって、資本を増やすことを、強化しております。
これが、近代に生まれた 株式会社の正体であり、近代のティール革命の、慣れの果てというわけです。
ティール革命が、既存のオレンジを ただ否定するだけなら、前回のアンバー否定の問題をも 抱えながら、さらに状況は悪化するでしょう。
今、世界が滅亡の危機に瀕しているのも、間違ったティール革命が、原因かもしれないのです。
次のヒーローは、第3層(インディゴ・ホワイト)ですが、これは、予知(潜在性のおえかき) の基礎が、お墨付きを深層的に与えられたときに、形態形成として起こります。
第3層は、子ども、それも、まだ生まれていない潜在性を、4象限保存した上で、頂点とします。
これは、第2層の、深度の法則を理解しないと、絶対に たどり着けません。
マジェンタ(2)の家族主義、レッド(3)の個人保護、アンバー(4)の集団主義、は、いずれも、子どもの構造に似ている(同じ波に同一化している)ので、白人の子どもが周りの白人とばかり仲良くしているから、人種至上主義は正しい、とかいう、頭のおかしい聖戦に、使われます。
つまり、子どもは、病んだ大人たちに、聖なる存在として、悪用される触媒、根拠、その萌えとして、使われています。
これは、子どもというか、人類とその潜在性を、破壊する、許せない数々の行為であり、オレンジ、グリーン、ティール、ホワイト、いずれにも、説得できる、やめさせなければならない、闇の活動です。
こういった、まちがった、子ども崇拝主義、つまり、病んだ内なる子供、破壊されつくした灰色の潜在性の燃え跡地に、自他の内なる子供の燃えカスを、復讐に仕立て上げたもの ・・・・・・・・ とは違って、本当の、潜在主義(9) があります。
予知(9)があることを示して、ティール革命に、本当の説得力を! グリーン(6)たちが納得できるように、子どもや感情を第一に考える、第3層の説得力を詰め込んだ、ティール革命(7)に、バージョンアップ(9)するのです。
グリーンは、この、病んだバージョンを、普通のティール主義では、深度認識できないので、ティールを拒否します。
グリーンを、病んだ崇拝主義の解体エージェントにするには、第3層の、潜在性の主張で、ティール革命を主張する必要があります。
ミュークルドリーミーは、この、第3層のティール革命、第2層の啓蒙主義、理性のアンバー、といった、歴史的なホラーキーのバランスを表現した、今までに無かったアニメです。
これが、ケン・ウィルバーの言う、〝誰も抑圧されない、まだ誰も目にしたことのない、ティール革命後の社会〟です。
ここで、進化に対する、内化を考えます。
第3層、ホワイトは、第2層のティール革命を、バージョンアップし、それにより、ビッグスリーの分離を訂正して、差異化に作り変えます。
すると、第2層の啓蒙時代のヒーローの意図は、復活し、アンバーまでの波が、健全にオレンジに向かい、しかし、オレンジを押し付けないという、リベラル教育の課題が、世界規模で、復興します。
企業にも、政府にも、芸術にも医療にも難民にも、直接の影響があります。
これにより、紀元前の理性のヒーローが願った、世界平和のルートも、再び機能します。
レッドやアンバーなどが、神話によって、理性を理解する道です。
圧力なべのふたの除去、コンヴェアベルトの復活。
これらすべては、ホラーキー内で、世界線として、同時に生起し、瞬間的に起こり、内包されます。
再び、進化に戻ります。
いわゆる、大人の保守派は、自分たちの行っている行為が、世間から争いを無くすことに競合する、合理性に欠けた行為であることを、認めます。
それは、即、オレンジへの成長になります。
そして、どこの国の保守派も、同じ現状であることを、理解します。
オレンジが安全であることが、より証明されることは、オレンジが、スピリチュアリティを包み込む波 であることになります。
子ども時代の豊かな感情は、紀元前の理性のヒーローによって、合理性と つながるはずでしたが、近代によって、その道が絶たれたアンバーは、落としどころが無くなった感情を 復讐とテロに向かわせ、社会主義の主張もそうなっています。
これが緩和され、感情がオレンジに包まれて、啓蒙時代のティールなヒーローの、〝アンバーの感情よりオレンジの感情のほうが良い〟ことが、定立されます。
すると、その感情は、グリーンによって、赤ちゃんや子ども、動物に広げられ、現代の、第3層のヒーロー、〝潜在性と健全性のホラーキー〟の広がりは、容易となり、健全性に包まれた、ティール革命が 起こります。
そして、このティール革命は、(ティール・コーザル) や、(ティール、ノンデュアル) であり、潜在性と健全性に、みゅーちゃん(⋈◍>◡<◍)。✧♡ っぽいものに 支えられた、形態形成、社会の接着剤になります。
この、天国というか、空の夢の世界(アビス)を、地上に降ろして浸透させる、第3層(ホワイト)の実体験が、今の、厄介な戦争を終わらせる、直接のカギになります。
赤ちゃん、子ども、まだ生まれない存在、こういった、スピリチュアルな対象 に、私たち自身の身で、トンレンや、観想、座禅の棒などの、祈りと修業を 加えることもできます。
もし、あなたが、何かに身を溶かして働きたい、聖なる 馬車ウマのようになりたい、と思っているのなら、その思いを、説得力を持たせて、言える時代が 来たかもしれないです。
私見ですが、社会主義国などにも多い、保守派は、この、赤ちゃんなどの潜在性に対して、自分を明け渡す社会が来てほしくて、それができないから、テロを起こそうと 思うのではないでしょうか。
資本主義は、子どもより大人の方が偉い、という主張が、まだ、勝つようにできているので、そこが気に入らないのだと、言えなくはないのです。
というか、本当のティール革命によって、この 保守派の隠れた衝動に、保守派 自らが気付くのではないか、と思います。
理由は、アンバーの波が好きだから 固着(中毒)しているのであり、しかし、そのことに無意識なので、オレンジの理性と感情へ移行すれば、その理由が明らかになりそうな気がします。
もしくは、生物圏に近接した、母親的な無償の愛と、人間としての魂のバランスが、デリケートな問題であり、その方向性を、啓蒙主義が神話とともに壊した結果、上記の、潜在性への畏敬が働かなくなって、今に至るというのも、視点として 分かります。
神様は、潜在性の子どもは、わたしたちに、聖なる機能適合をしてほしいのです。
子どもたちは、裁判官で、神様で、優しいたましいで、社会の公の場で、自分を明け渡して、子どもに納得してもらえるように、役割を果たしているかが、見られます。
政府ではなく、子ども、です。
これは、小学生が、知恵をつけてきて、ああそうだ、赤ちゃんが偉いんだった、と言うに等しいです。
小学生が一番聖なる存在であるという、不合理な主張も、成り立ちません。
赤ちゃんは、中絶されることがありますが、生まれていない存在は、その潜在性が 一切深度に変わっていないので、失われることはありません。
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ちょっと、世間的な、砕けた話も入れます。
最近の、制服を着て制服を否定する、制服好きのアイドル、は、保守派の複雑性を言い当てていると思います。
セーラー服が軍服であり、現在、いわゆる戦争が起きている、という遂行矛盾も、関係するかもしれません。
潜在性と健全性、子どもや赤ちゃんが、一番聖なる存在なら、つまり、偉いのなら、それは、時間に対して、非時間的な何かを 基準にできるということです。
クリシュナムルティが、基底、と言っているものです。
ここでは、深度がある大人の方が偉い というルールではありません。
さらに、病んだ大人がよりダメ という相対的なルールもあります。
聖なる子どもは、制服が似合うか、その潜在性を持った若さがあります。
制服は、自分を、社会に表現する、トラウマを越えて 夢のように自由にふるまう、ことを意味し、いじめを否定せず、そこから自由でいる修行です。
学校時代が一番楽しかった、と ぼやく大人が あまりに多いのですが、その多くは、物言わぬ保守派として 生きており、本当は、何か重大な違和感 がありながら、それを抑圧しています。
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いじめを無くすには、いじめを体験して理解する必要 があります。
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たぶん、もっと昔には、そういったルールがあったのですが、神話と一緒に、すべて捨てられたのでしょう。
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というより、多くの市民は、アンバーまでの感情しか、スピリチュアルには、受け止めることができない、と言えます。
いずれにしても、子どもが聖なる存在であるという視点は、直感的に正しいですが、ほとんどの解釈は、悪いです。
子どもを何らかのネタにして売る、そこから抜け出ていないからです。
ソックスのあかりちゃんのために、会社をやめるパパは、すごいです。
潜在性と健全性、非時間性を、うまく包括していくバランスが 回復して、創発が起こり続ければ、皆、何でこんなことに気づかなかったんだろう、と思うのでしょう。
ポケモンの〝ジ・オリジン〟では、サカキ (たぶん買収癖のある代表取締役のこと) が、レッド (子どもの主人公) に、大きく影響され、人生をやり直す決意をします。
これは、潜在性(9)の考え方、深度絶対主義(7)ではない、バージョンアップしたティール革命、を、感じているのです。
初期のポケモンのアニメも、第3層の意図で、ティールの〝誰も抑圧されない、まだ誰も目にしたことのない社会〟を、描きなおしている、と言えて、予知、予感、しゃべるニャースで 潜在性、など、いろいろな意図が、入っています。
このように、直感的に、ビッグスリーの乖離、感情の否定に、危機感を覚えている、グリーンやティール、ホワイトは、ポケモンを支持することで、何かを待ちたいのです。
ミュークルドリーミーは、シナリオに〝深度・心圏〟形式を使わず、大人が見て面白い内容、(例えば、ジュエルペットサンシャイン) ―― その技法を使用しない、という制約で、2年、続きました。
これは、直接、ホワイトのことを、言っています。
アニメに、多数の、おかしな定立がある中で、頼れそうなものすべてに頼らないようにしても、それでも、イラストが届き続けるようなアニメ は、優れているのです。
これは、深度が優れている(7)という判断によっては、理解できないことを 分かったうえで描いた(9)、という、複雑に入り組む世の中への メッセージ です。
今回報告することになった、これが、先端の、第3層の構造です。
posted by インテグラルとど at 12:22| 実用的生活実践
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