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正月に餅を食べる時に、カリカリにしたいけど、焼いていくと くっついて、非常に面倒なことになる・・・と ずっと思っていました。
餅の、ベタベタしてくる部分を、別の餅にくっつけて、カリカリの部分が、下に来るように、箸などで調整します。
これで、カリカリに焼けました。
お雑煮、食べ放題です。
消化しにくいらしいので、よく噛みましょう。
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※ このページは 2022 02 01 掲載の記事です♪
2021年08月01日
切り餅をトースターで くっつけずに焼く方法
posted by インテグラルとど at 10:00| 実用的生活実践
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2021年08月06日
予知と AQAL ~時空間のラインと インテグラル理論~
所与の犬というのは、存在しません。
AQAL(インテグラル理論)によれば、〝象限・レベル・ライン・タイプ・状態〟という〝視点〟が、重なって、滑走しています。
AQALの表記は、Q[象限]と、L[レベル]、この2要素を、上記の5要素の代表とした、名称です。
実際は、5要素全ての〝特定(!)〟が必要 です。
象限とレベルが、最低限必要ですが、今回は、あるラインにて〝タイプ〟が重要 となる議論をします。
レベルにタイプを加えた、視点を見ます。
時空間(スペースタイム)のライン、を見ましょう。
AQALにて、〝タイプ〟の中で 一番代表的で 影響力のあるモードは、男性性(t/m)と女性性(t/f)のタイプ です。
このモードで、議論をします。
時空間の発達ラインにおいて、男性タイプと女性タイプがある ということは、AQALで、より厳密には、5要素を、特定・表記しなければならない、ということです。
ここで、ある特定の予知を、予知(L/5, Q/4, S/g, l/時空間, t/m) とします。
この予知(5)は、今回の議論に合うように、簡略化すると、予知(L/5, t/m) です。
ワンピースの、マダム・シャーリーのような予知は、私が〝空間(的な)予知〟と呼んでいるもので、その要素は、予知(l/時空間, t/m) です。
ラインが身体ではなく、予知(時空間) ですので、男女のタイプは、身体的な性別を意味せず、ラインが社会性でもないので、ジェンダーも意味しません。
では、AQALによる、男性性(t/m)と女性性(t/f) のモードとは、厳密には、何を意味するのでしょうか?
男性性(t/m)は〝エイジェンシー(ランキング)〟に重きを置くモード、女性性(t/f)は〝コミュニオン(リンキング)〟に重きを置くモードです。
AQALでは、複雑な5要素の組み合わせ次第で、色々な男性と女性のタイプを 特定できますので、その積み重ねは、無限です。
あなたが、あるラインでは男性的モード(エイジェンシー志向)、あるラインでは女性的モード(コミュニオン志向)ということも あり得ます。
ジェンダーとは 社会性のラインにおいての、生物学的性別とは 身体のライン(認知に先行するライン・運動能力のラインとは別)においての、男性と女性モードです。
先ほどの、予知(L/5, t/m) が、もし悪用されたとすると、どうでしょう。
所与の予知というものは 存在しません。 予知も、まずもって、解釈なのです。
ワンピースの、ポーネグリフ(情報・テキスト)を、(l/時空間, t/m) と 表記するとします。
このとき、クロコダイルが、その内容(古代兵器・プルトン)を悪用しようと、勝手な解釈(L/3, Q/4, S/g, l/時空間, t/m) を行う時、ポーネグリフの意図は、滑走してしまいます。
もう一度言いますが、所与の予知、というものは、ありません。
マダム・シャーリーの予知は、具体的なんだから、それは存在している、とも、言えません。 なぜなら、その予知は、別の真実を 彼女が彼女なりの方法で〝解釈(5)〟したものであるかもしれないからです。
リオ・ポーネグリフとは、〝ポーネグリフ(l/時空間, t/m) 〟を〝つなげて読む〟ことなので、ある解釈(5)は、リオ・ポーネグリフにとって、〝ある関係の範囲内で正しい(n)〟ということになります。
しかし、リオ・ポーネグリフは、〝未だ存在していないテキスト(n)〟です。
そこには、確実に、〝意図(n)〟が存在しています。
この、意図(n)を 読み解く時、リオ・ポーネグリフは、完成するのです。
(本来の表記は、リオポーネグリフ、 『・』無し だったと思いますが、時空間のラインにおいての議論ですので、
この議論を紡いだときの表記を 使います。)
話を戻しましょう。
ポーネグリフや 種々未来予知を含む 対象の、時空間のラインにおいての解釈は、対象(L/n, t/m) です。
では、この〝時空間のラインのクライマックス〟は、いつなのでしょうか?
AQALによれば、すべての発達ラインには、ピークとなるレベルの帯が存在しているか、その傾向が強い と なっています。
時空間のラインにおいて、私の、収集・考察したデータによれば、それは、第3層(インディゴないしホワイト)において、最も強くなります。
そのレベルにまで 到達しない限り、真実は明らかにならない のです。
第1層の解釈は、第3層の解釈の サブ解釈 であって、第3層の意図の本質(ホワイト)は、
ちんぷんかんぷん、です。
第3層の解釈の基本は、第2層によって 初めて 明らかになります。
そして、ポーネグリフ(L/7, t/m) の〝テキストの意味を読む〟力や知識の視点は、
ポーネグリフの読解(L/7, t/f) と 表すことが できるのではないでしょうか?
ここに、(t/f)=女性のモード が、出ましたね。
L/7は、第2層(ティール) です。
いよいよ、ポーネグリフが〝ふしぎテキスト〟じみてきました。
お玉ちゃんも、びっくりです。
時空間のラインにおいての、ポーネグリフの読解(L/7, t/f) とは、一体、何を意味するのでしょうか。
考えられるのは、(t/f)=〝コミュニオン志向のモード〟なので、ポーネグリフの読解(L/7, t/f) とは、ポーネグリフを繋げて読むこと(L/7, t/f)、と 同じ意味になる、と、私には思えます。 また、それは、ポーネグリフをラフテルへと届けること(L/7, t/f) とも同義 です。
そうなれば、ポーネグリフ(L/7, t/m) を〝結びつける=リンキングする〟才能(視点) こそが、ポーネグリフの読解(L/7, t/f) ということなのです。
しかし、ポーネグリフを読み解くこと、は、昔から、世界政府によって 禁じられてきました。
理由は、繋げて完成するテキスト、リオ・ポーネグリフ(L/n, t/f) こそが、真実を明らかにする〝ゴール〟だからです。
その真実は、世界政府にとって、不都合なこと のようです。
現時点では、あくまで、ポーネグリフの 時空間のラインにおいての解釈 を テーマにする、というモードでの議論です。
ワンピースにおいては、ポーネグリフは、基本的には、過去の歴史を 語っています。 (それを 未来に向かって 紡いでいるという 視点。)
また、 リオ・ポーネグリフ(L/n, t/f) が、ひとつの (ハイパー・) テキスト であるならば、それはまた、リオ・ポーネグリフ(L/n, t/m) でもあると、私は思います。
また、AQALの 5要素で 考察しても、そうなります。 (男女のタイプ・エイジェンシーとコミュニオンのモードは どの視点にも常に存在しているためです。 ―― この視点は 決定的に重要ですが、本当の理由は、後に見ることになります。)
時空間のラインは、第3層において、頂点に達する、と 私は言いました。
その理由の一つは、予知は、超意識とおなじく、合理性を越えた(いわゆるトランスパーソナル) な〝レベル=構造-段階〟だからです。
わたしは、〝パラレルワールドを構築できる視点〟として、いろいろ議論してきましたので、おなじみと思いますが、そういった、〝合理的に説明できるけれども、合理的には体験できない〟という構造が、第3層 です。
そして、合理性の頂点が、第2層です。 (様々な、第1層の視点を統合する、能力・視点です。)
そういった〝世界(空間)のヒミツ〟こそが、第3層にあるのだと、種々データからも、私は思います。
これが事実ならば、リオ・ポーネグリフの視点は、(L/9, t/f) の表記 になります。
この視点から 始まるのです。
時空間のラインの解釈において、世界政府が 読み解くことを禁止した、つまり、何者か達が、真に恐れたこと は、リオ・ポーネグリフを読み解くこと・完成させること(L/9, t/f) であった と思われます。
ここで、ワンピース(9)というアートの解釈(意図)は、〝予知(9)の真実の隠蔽〟と〝少なくとも関係する〟という流れが、見えます。
今は、ポーネグリフが、なぜ、考古学的な発達ラインではなく、時空間の発達ラインで 解釈すべきであるか、ということには、重くは 触れません。
ざっくり言うならば、まずもって、ワンピースは、タイム・アート (連載) だから です。
この一連の流れから、あること(島)が見えてきます。
予知(L/5, t/m) は、具体的な内容(空間=シーン) を伴った 時空間の知性の、
オレンジのレベル です。
それを繋げる力は、予知(L/5, t/f) です。
また、私は、予知(t/f) を、特に、〝予感 (予見)〟と呼んでいます。
よって、オレンジレベルの、予知を繋げる力は、予感(L/5, t/f) です。
しかし、ここからが、本当におもしろいのですが ―――
オレンジのレベル(5)では、実は、予知(7)に関しては、ちんぷんかんぷんです。
ということは、予感(5)もまた、予知(5)を紡ぐ範囲の才能なので、予知(7)に関しては、
ちんぷんかんぷんです。
そして、予知(7)と 予感(7)は、同じ、ティールの時空間のラインにおける エイジェンシーと
コミュニオンのモードなので、どちらか一方だけ存在しているということは あり得ません。
より 包括的に見れば、予知(7)≡予感(7) なのです。
つまり まとめれば、時空間のライン(7) です。
ワンピースで言うならば、ポーネグリフ(7) です。
ポーネグリフ(7) は、ポーネグリフ(5) より、リオ・ポーネグリフに 近くなります。
なぜならば、リオ・ポーネグリフは、ポーネグリフ(9) と 表すことができるからです。
この議論の、おもしろい中心点は、〝予感(5)は 予感(7) に 到達できない〟他界的であるために、認識できない、ということです。
それは、〝存在していない〟ということです。
予感(5)には、予感(7)は、存在していません。
ただし、予感(9)において、あらゆる時間に、或いは、それを越えて、予感(9)が 現前しているという視点を、まもなく 見ることになりますが。
それすらも、予感(9)なくしては、気付くことができません。
しかし、未来は、それ(9)すらも、万人に 恩恵を与えるように、組み込んでいくに、違いありません。
時空間のラインにおける 対象としてのポーネグリフは、予感(5)で紡いだ時、ポーネグリフ(5) となります。
それは、リオ・ポーネグリフ では、ないのでしょう。
予感(t/f) は、より 発達していかなければならない のです。
予感は、(L/7, t/f) 第2層において、〝運命としての直観〟を 認識し始めます。
いうなれば、リオ・ポーネグリフ(9)を、読み解き始める のです。
予感(L/7, t/f) は、自他の置かれている状況が〝よい〟か〝わるい〟か、存在論的(実存的)に 認識する 才能です。
自分の内部で、選ぶと 未だ体験したことのないほどに充実して、選ばないと 世界が引き裂かれるような後悔に崩壊する、そんな感性が、生じます。
10倍の集中力、構造的なフロー体験が、目覚めるのです。
しかし、時空間的な リオ・ポーネグリフ(9) に まだ無意識的(他界的)なために、この感性が、予知(7)に つながっている、予知(7)を紡いでいるコミュニオン能力である、ことを、まだ知りません。
時空間のラインにおいて、第2層ではまだ、ダイナミックに こういった視点を 認識できないから です。
つまり、充実と後悔の直観(L/7, t/f) は、予知だったのです。
それは、時空間のラインにおける、コミュニオンのモードの才能 なのです。
そして、この直観(L/7, t/f) が、まっすぐに、第3層へと 繋がっていきます。
リオ・ポーネグリフは、いよいよ、完成します。
先ほどの 直観的な能力が、予感(L/9, t/f) に目覚めると、世界は、とても、ふしぎに見えます。
ここで、初めて、〝他界的だった現象が 現実の客体になる(9)〟ということが、起きます。
予感(L/9, t/f) において、自分が起こす 何気ない行為は、無選択の自覚による、自覚的な選択の結果、共時性となった〝生起〟なのです。
それを、私は、一人称的な〝解釈―生起〟とも言っています。
また、それは、リアリティーは 自分自身が作る(2) という オカルトとも 違います。
リアリティーは、あるレベルに達した すべての存在 (所与のレベルのエイジェンシー) が、そのコミュニオンの中で 共同で作っています。
自分自身だけで コミュニオンのすべてを 操作することは、できません。
むしろ逆で、予感(L/9, t/f) は、第2層までの あらゆる 時空間のラインにおける 事象(能力・ホロン)を 含んできたために、大規模な影響が、要約・集約されている結果 なのです。
これは、〝構造-段階〟なので、客観的に、起こったことの意味を、考察できます。
たぶん、起こったすべてのことは、何らかの意味で、自分が自ら選んで起こしたこと(9)、
自分自身との選択の結果(9)、なのです。
それが、膨大な世界へと 影響を与えることを 認識するがゆえに、責任(9)が 無選択の選択(9)を、一瞬ごとに起こす〝動機(コミュニオン)〟となることを、客観的な認識も兼ねて、理解するのです。
また、このレベルでの、構造主義(発達心理学)としての、学術的なデータは、非常に少ない です。
別の言い方をすると、インスピレーションとは、自分が〝ある理由〟によって、〝瞬間的に生じる状況を選んだ(9)〟と、体験されます。
角度を変えると、別の時間の自分や誰かが、本人に〝インスピレーションを渡した〟ということです。
つまり、インスピレーションとは、コミュニオン(9) なのです。
わたしもまた、ひらめきを、その都度 形にして、文章にしています。 (生じています。)
この、予感(L/9, t/f) こそが、予知(L/5, t/m) 、予知(L/7, t/m) 、予知(L/9, t/m) のすべてを、第1層から第3層までの、すべての予知のエイジェンシーを、結び付けるもの だったのです。
それは、時空間的な、リオ・ポーネグリフ(9) です。
そして、予知(L/5, t/m) は、本当は、予知(L/7, t/m) を見ていたのですが、それを縮小して、部分的・断片的に見ていた予知 だったのです。
ちょうど、マダム・シャーリーの例 でしょう。
もちろん、予知(L/7, t/m) は、予知(L/9, t/m) を見ていた のです。
それを、部分的に 認識していた、というわけです。
ポーネグリフの内容とは、所与の解釈 であり、それは、究極的には、繋げて(9)読まなければ、意味を成しません。
これまでの予知は、紡いでも、その予感は、曖昧なものであり、真の予知とは、確かな予感を説明できてこその、根拠(9) であるべきなのです。
所与の 時空間的 ポーネグリフのテキスト を そのまま読んで(解釈して 別のテキストとつなげて) も、真実(9)に辿りつけるわけでは ありません。
真実(9)を知るためには、そこまでの冒険(9)を、達成しなければならない のです。
ここで、視点を変えてみましょう。
予知(5)は、予知(9)の 断片 です。
予知(5)が悪用されれば、不当な利益を、悪者に 与えることになるでしょう。
予知能力者(5)は、色々な方法を駆使して、それを どうにかしようとします。
自分の能力を忘れよう、隠そう、とする かもしれません。
自分自身(5)にとっては、自分が見た予知の内容が、真実なのです。
しかし。
予知能力者(7)は、上記のことすべてを、あらかじめ知っています。
さらに、本人(7)は、どこかで それを計算に入れて、予知(7)を 解釈―生起 させ始めています。
そう。
予知能力者(7)は、他ならぬ、予知能力者(5)の、未来の〝自分自身〟だったのです。
自分(5)が 予知能力を忘れよう・封印しよう、という選択まで、未来の自分自身(7)は、すでに予知していたのです。
ただし、未来で。
では、この未来は、時間的に、先の時空間に あるのでしょうか?
いえ。
自分自身(7)の予知は、自分自身(9)の予知によって、すでに、洗いざらい、網羅されています。
しかも、未来で。
ですが、予知(9)を紡いでいるのは、予感(9) です。
そして、ここで、予感(9)は、〝偶然などなかった〟と、具体的な証拠を収集して、言います。
世界は、共時性で、生起します、と。
予感(9)は、ふしぎな偶然には ある数式のように 意味を〝外在〟している 定数のようなものがある ことを認識し、その〝証拠〟を 見る方法を 既に持っています。
そして、予知(9)は、未来の出来事を見る才能 です。
ゆえに、すでに、予感(9)の証拠の収集について、今より過去に、既読 です。
こういった 視点は、クリシュナムルティが、基底について、ボーム博士との対話で 語りたかった内容でもあった、と、読み解けます。 (基底の対話については 『時間の終焉 (コスモス・ライブラリー)』 に 載っています。)
予感(9)を目覚めさせる者、それを、もっと過去に すでに見ているのが、予知(9)を使う者 です。
つまり、予知(9)や、予感(9)は、いくらでも、より過去に、見ることができる者が、いるかもしれません。
また、より未来の予知や予感が、今、つまり、この過去に、生起している、と とらえることも、
不可能ではなく、むしろ、筋が通っています。 (実践的です。)
ゆえに、予知も予感も、つまりは、第3層、インディゴないしホワイトは、それを見るのが 時空間のラインの能力である、そのアドレスは、時間の中にはないか(非時間)、あるいは、あらゆる時間の中にあり得る(超時間)、と、読み解くことが、できるのです。
オレンジレベルでも、夢が形骸化して、その理想主義の断絶にあえぐ のは、そういった、高次の直観が 既にあるから です。
基本は、状態として、とどまり、そして、去っていくのです。
共時性によって、自分の旅は、うまく行くように、成長します。
そして、それは、時間の無い、無限の昔から、無限の未来にまで、無空間的に、無時間的に、決まっていたことなのです。
あるいは、全く決まっていることが無いことが、ずっと 決まっていたのです。
なぜなら、すべては、非時間だったからです。
そして。
ラフテルは、自分自身だった、と、 実は 自分が知っていて、その時は 時間がなく、成長によって、そのことを 始めて認識したとき、 知らなかった瞬間など なかったのだと、 知るのです。
世界が怖れている、本当の達成とは、究極とは、これなのです。
そして、進化に 終わりはないのです。
時のポーネグリフは、意識という変数によって、リオ・ポーネグリフに、生まれ変わります。
つねに、リアルに、アップデートされていくのです。
にもかかわらず、それは、時間の無い、今、この瞬間に、初めから、判り切っていた ことなのでした。
――――――――――――――
ですが。
結論を急ぐ前に、予知が もし 本当にあったら、と、考えてみましょう。
ふつうに考えて、悪用を連想しない人は いないです。
自分の予知を、自分ではなく、誰かが悪用する場合には、配慮ができる者として、責任は重大であり、自分がそれを意図したか 助長したという可能性を 認めざるを得ないことになれば、
予知などというものは、ない方がいいことに、なるかもしれません。
しかし。
この議論では、すでに、未来の自分たちは、この出来事を 知っています。
そして、それは、第3層において、ある事実と共に、確信的に、解決されます。
予知 (未来のテキストと 意図や存在) は、予感 (時間を越えていく 未来のテキストの読解力としての 繋ぐ達成) を、第3層のゴールまで、紡いでいったのです。
ポーネグリフは、繋げることで、その読解力そのものが〝ミラクル〟そう〝UP〟したのです。
テキストには、すべてが書かれていました。
でも、そのテキストは、空。 時間の無い紙に 書かれており、『それを読む力』は、あらゆることを経て、すべてが明らかになった瞬間、初めて、『すべてが書かれていたということを読む力』に、成るのです。
予知の悪用は、実は、未来の私たちが、すでに解決策を 知っていました。
そして、予感。 その紡ぐ想いが、これまでの、予知に対する、あらゆる怖れと偏見を、AQALのような 包括的な地図と共に、解決するのです。
それは、予知が、ずっと、切望してきた、願い。
そう、ずっと、それを見続けてきました。
そして、それは、今、見つかりました。
世界は、変わります。
――――――――――――――――
というわけで、予知は、やがて、世界中に受け入れられる、ごく、あたりまえの、基本能力になります。
その後の社会は、誰もが、ズルをせず、それ(ズル)ができない 市場・政治・アート・医療・
スポーツ・その他もろもろ・・・
今の時点で、この ズルをしている〝何者かたち〟が、それを読み解くことを〝心底怖れている〟
それだけのことです。
AQAL(インテグラル理論)によれば、〝象限・レベル・ライン・タイプ・状態〟という〝視点〟が、重なって、滑走しています。
AQALの表記は、Q[象限]と、L[レベル]、この2要素を、上記の5要素の代表とした、名称です。
実際は、5要素全ての〝特定(!)〟が必要 です。
象限とレベルが、最低限必要ですが、今回は、あるラインにて〝タイプ〟が重要 となる議論をします。
レベルにタイプを加えた、視点を見ます。
時空間(スペースタイム)のライン、を見ましょう。
AQALにて、〝タイプ〟の中で 一番代表的で 影響力のあるモードは、男性性(t/m)と女性性(t/f)のタイプ です。
このモードで、議論をします。
時空間の発達ラインにおいて、男性タイプと女性タイプがある ということは、AQALで、より厳密には、5要素を、特定・表記しなければならない、ということです。
ここで、ある特定の予知を、予知(L/5, Q/4, S/g, l/時空間, t/m) とします。
この予知(5)は、今回の議論に合うように、簡略化すると、予知(L/5, t/m) です。
ワンピースの、マダム・シャーリーのような予知は、私が〝空間(的な)予知〟と呼んでいるもので、その要素は、予知(l/時空間, t/m) です。
ラインが身体ではなく、予知(時空間) ですので、男女のタイプは、身体的な性別を意味せず、ラインが社会性でもないので、ジェンダーも意味しません。
では、AQALによる、男性性(t/m)と女性性(t/f) のモードとは、厳密には、何を意味するのでしょうか?
男性性(t/m)は〝エイジェンシー(ランキング)〟に重きを置くモード、女性性(t/f)は〝コミュニオン(リンキング)〟に重きを置くモードです。
AQALでは、複雑な5要素の組み合わせ次第で、色々な男性と女性のタイプを 特定できますので、その積み重ねは、無限です。
あなたが、あるラインでは男性的モード(エイジェンシー志向)、あるラインでは女性的モード(コミュニオン志向)ということも あり得ます。
ジェンダーとは 社会性のラインにおいての、生物学的性別とは 身体のライン(認知に先行するライン・運動能力のラインとは別)においての、男性と女性モードです。
先ほどの、予知(L/5, t/m) が、もし悪用されたとすると、どうでしょう。
所与の予知というものは 存在しません。 予知も、まずもって、解釈なのです。
ワンピースの、ポーネグリフ(情報・テキスト)を、(l/時空間, t/m) と 表記するとします。
このとき、クロコダイルが、その内容(古代兵器・プルトン)を悪用しようと、勝手な解釈(L/3, Q/4, S/g, l/時空間, t/m) を行う時、ポーネグリフの意図は、滑走してしまいます。
もう一度言いますが、所与の予知、というものは、ありません。
マダム・シャーリーの予知は、具体的なんだから、それは存在している、とも、言えません。 なぜなら、その予知は、別の真実を 彼女が彼女なりの方法で〝解釈(5)〟したものであるかもしれないからです。
リオ・ポーネグリフとは、〝ポーネグリフ(l/時空間, t/m) 〟を〝つなげて読む〟ことなので、ある解釈(5)は、リオ・ポーネグリフにとって、〝ある関係の範囲内で正しい(n)〟ということになります。
しかし、リオ・ポーネグリフは、〝未だ存在していないテキスト(n)〟です。
そこには、確実に、〝意図(n)〟が存在しています。
この、意図(n)を 読み解く時、リオ・ポーネグリフは、完成するのです。
(本来の表記は、リオポーネグリフ、 『・』無し だったと思いますが、時空間のラインにおいての議論ですので、
この議論を紡いだときの表記を 使います。)
話を戻しましょう。
ポーネグリフや 種々未来予知を含む 対象の、時空間のラインにおいての解釈は、対象(L/n, t/m) です。
では、この〝時空間のラインのクライマックス〟は、いつなのでしょうか?
AQALによれば、すべての発達ラインには、ピークとなるレベルの帯が存在しているか、その傾向が強い と なっています。
時空間のラインにおいて、私の、収集・考察したデータによれば、それは、第3層(インディゴないしホワイト)において、最も強くなります。
そのレベルにまで 到達しない限り、真実は明らかにならない のです。
第1層の解釈は、第3層の解釈の サブ解釈 であって、第3層の意図の本質(ホワイト)は、
ちんぷんかんぷん、です。
第3層の解釈の基本は、第2層によって 初めて 明らかになります。
そして、ポーネグリフ(L/7, t/m) の〝テキストの意味を読む〟力や知識の視点は、
ポーネグリフの読解(L/7, t/f) と 表すことが できるのではないでしょうか?
ここに、(t/f)=女性のモード が、出ましたね。
L/7は、第2層(ティール) です。
いよいよ、ポーネグリフが〝ふしぎテキスト〟じみてきました。
お玉ちゃんも、びっくりです。
時空間のラインにおいての、ポーネグリフの読解(L/7, t/f) とは、一体、何を意味するのでしょうか。
考えられるのは、(t/f)=〝コミュニオン志向のモード〟なので、ポーネグリフの読解(L/7, t/f) とは、ポーネグリフを繋げて読むこと(L/7, t/f)、と 同じ意味になる、と、私には思えます。 また、それは、ポーネグリフをラフテルへと届けること(L/7, t/f) とも同義 です。
そうなれば、ポーネグリフ(L/7, t/m) を〝結びつける=リンキングする〟才能(視点) こそが、ポーネグリフの読解(L/7, t/f) ということなのです。
しかし、ポーネグリフを読み解くこと、は、昔から、世界政府によって 禁じられてきました。
理由は、繋げて完成するテキスト、リオ・ポーネグリフ(L/n, t/f) こそが、真実を明らかにする〝ゴール〟だからです。
その真実は、世界政府にとって、不都合なこと のようです。
現時点では、あくまで、ポーネグリフの 時空間のラインにおいての解釈 を テーマにする、というモードでの議論です。
ワンピースにおいては、ポーネグリフは、基本的には、過去の歴史を 語っています。 (それを 未来に向かって 紡いでいるという 視点。)
また、 リオ・ポーネグリフ(L/n, t/f) が、ひとつの (ハイパー・) テキスト であるならば、それはまた、リオ・ポーネグリフ(L/n, t/m) でもあると、私は思います。
また、AQALの 5要素で 考察しても、そうなります。 (男女のタイプ・エイジェンシーとコミュニオンのモードは どの視点にも常に存在しているためです。 ―― この視点は 決定的に重要ですが、本当の理由は、後に見ることになります。)
時空間のラインは、第3層において、頂点に達する、と 私は言いました。
その理由の一つは、予知は、超意識とおなじく、合理性を越えた(いわゆるトランスパーソナル) な〝レベル=構造-段階〟だからです。
わたしは、〝パラレルワールドを構築できる視点〟として、いろいろ議論してきましたので、おなじみと思いますが、そういった、〝合理的に説明できるけれども、合理的には体験できない〟という構造が、第3層 です。
そして、合理性の頂点が、第2層です。 (様々な、第1層の視点を統合する、能力・視点です。)
そういった〝世界(空間)のヒミツ〟こそが、第3層にあるのだと、種々データからも、私は思います。
これが事実ならば、リオ・ポーネグリフの視点は、(L/9, t/f) の表記 になります。
この視点から 始まるのです。
時空間のラインの解釈において、世界政府が 読み解くことを禁止した、つまり、何者か達が、真に恐れたこと は、リオ・ポーネグリフを読み解くこと・完成させること(L/9, t/f) であった と思われます。
ここで、ワンピース(9)というアートの解釈(意図)は、〝予知(9)の真実の隠蔽〟と〝少なくとも関係する〟という流れが、見えます。
今は、ポーネグリフが、なぜ、考古学的な発達ラインではなく、時空間の発達ラインで 解釈すべきであるか、ということには、重くは 触れません。
ざっくり言うならば、まずもって、ワンピースは、タイム・アート (連載) だから です。
この一連の流れから、あること(島)が見えてきます。
予知(L/5, t/m) は、具体的な内容(空間=シーン) を伴った 時空間の知性の、
オレンジのレベル です。
それを繋げる力は、予知(L/5, t/f) です。
また、私は、予知(t/f) を、特に、〝予感 (予見)〟と呼んでいます。
よって、オレンジレベルの、予知を繋げる力は、予感(L/5, t/f) です。
しかし、ここからが、本当におもしろいのですが ―――
オレンジのレベル(5)では、実は、予知(7)に関しては、ちんぷんかんぷんです。
ということは、予感(5)もまた、予知(5)を紡ぐ範囲の才能なので、予知(7)に関しては、
ちんぷんかんぷんです。
そして、予知(7)と 予感(7)は、同じ、ティールの時空間のラインにおける エイジェンシーと
コミュニオンのモードなので、どちらか一方だけ存在しているということは あり得ません。
より 包括的に見れば、予知(7)≡予感(7) なのです。
つまり まとめれば、時空間のライン(7) です。
ワンピースで言うならば、ポーネグリフ(7) です。
ポーネグリフ(7) は、ポーネグリフ(5) より、リオ・ポーネグリフに 近くなります。
なぜならば、リオ・ポーネグリフは、ポーネグリフ(9) と 表すことができるからです。
この議論の、おもしろい中心点は、〝予感(5)は 予感(7) に 到達できない〟他界的であるために、認識できない、ということです。
それは、〝存在していない〟ということです。
予感(5)には、予感(7)は、存在していません。
ただし、予感(9)において、あらゆる時間に、或いは、それを越えて、予感(9)が 現前しているという視点を、まもなく 見ることになりますが。
それすらも、予感(9)なくしては、気付くことができません。
しかし、未来は、それ(9)すらも、万人に 恩恵を与えるように、組み込んでいくに、違いありません。
時空間のラインにおける 対象としてのポーネグリフは、予感(5)で紡いだ時、ポーネグリフ(5) となります。
それは、リオ・ポーネグリフ では、ないのでしょう。
予感(t/f) は、より 発達していかなければならない のです。
予感は、(L/7, t/f) 第2層において、〝運命としての直観〟を 認識し始めます。
いうなれば、リオ・ポーネグリフ(9)を、読み解き始める のです。
予感(L/7, t/f) は、自他の置かれている状況が〝よい〟か〝わるい〟か、存在論的(実存的)に 認識する 才能です。
自分の内部で、選ぶと 未だ体験したことのないほどに充実して、選ばないと 世界が引き裂かれるような後悔に崩壊する、そんな感性が、生じます。
10倍の集中力、構造的なフロー体験が、目覚めるのです。
しかし、時空間的な リオ・ポーネグリフ(9) に まだ無意識的(他界的)なために、この感性が、予知(7)に つながっている、予知(7)を紡いでいるコミュニオン能力である、ことを、まだ知りません。
時空間のラインにおいて、第2層ではまだ、ダイナミックに こういった視点を 認識できないから です。
つまり、充実と後悔の直観(L/7, t/f) は、予知だったのです。
それは、時空間のラインにおける、コミュニオンのモードの才能 なのです。
そして、この直観(L/7, t/f) が、まっすぐに、第3層へと 繋がっていきます。
リオ・ポーネグリフは、いよいよ、完成します。
先ほどの 直観的な能力が、予感(L/9, t/f) に目覚めると、世界は、とても、ふしぎに見えます。
ここで、初めて、〝他界的だった現象が 現実の客体になる(9)〟ということが、起きます。
予感(L/9, t/f) において、自分が起こす 何気ない行為は、無選択の自覚による、自覚的な選択の結果、共時性となった〝生起〟なのです。
それを、私は、一人称的な〝解釈―生起〟とも言っています。
また、それは、リアリティーは 自分自身が作る(2) という オカルトとも 違います。
リアリティーは、あるレベルに達した すべての存在 (所与のレベルのエイジェンシー) が、そのコミュニオンの中で 共同で作っています。
自分自身だけで コミュニオンのすべてを 操作することは、できません。
むしろ逆で、予感(L/9, t/f) は、第2層までの あらゆる 時空間のラインにおける 事象(能力・ホロン)を 含んできたために、大規模な影響が、要約・集約されている結果 なのです。
これは、〝構造-段階〟なので、客観的に、起こったことの意味を、考察できます。
たぶん、起こったすべてのことは、何らかの意味で、自分が自ら選んで起こしたこと(9)、
自分自身との選択の結果(9)、なのです。
それが、膨大な世界へと 影響を与えることを 認識するがゆえに、責任(9)が 無選択の選択(9)を、一瞬ごとに起こす〝動機(コミュニオン)〟となることを、客観的な認識も兼ねて、理解するのです。
また、このレベルでの、構造主義(発達心理学)としての、学術的なデータは、非常に少ない です。
別の言い方をすると、インスピレーションとは、自分が〝ある理由〟によって、〝瞬間的に生じる状況を選んだ(9)〟と、体験されます。
角度を変えると、別の時間の自分や誰かが、本人に〝インスピレーションを渡した〟ということです。
つまり、インスピレーションとは、コミュニオン(9) なのです。
わたしもまた、ひらめきを、その都度 形にして、文章にしています。 (生じています。)
この、予感(L/9, t/f) こそが、予知(L/5, t/m) 、予知(L/7, t/m) 、予知(L/9, t/m) のすべてを、第1層から第3層までの、すべての予知のエイジェンシーを、結び付けるもの だったのです。
それは、時空間的な、リオ・ポーネグリフ(9) です。
そして、予知(L/5, t/m) は、本当は、予知(L/7, t/m) を見ていたのですが、それを縮小して、部分的・断片的に見ていた予知 だったのです。
ちょうど、マダム・シャーリーの例 でしょう。
もちろん、予知(L/7, t/m) は、予知(L/9, t/m) を見ていた のです。
それを、部分的に 認識していた、というわけです。
ポーネグリフの内容とは、所与の解釈 であり、それは、究極的には、繋げて(9)読まなければ、意味を成しません。
これまでの予知は、紡いでも、その予感は、曖昧なものであり、真の予知とは、確かな予感を説明できてこその、根拠(9) であるべきなのです。
所与の 時空間的 ポーネグリフのテキスト を そのまま読んで(解釈して 別のテキストとつなげて) も、真実(9)に辿りつけるわけでは ありません。
真実(9)を知るためには、そこまでの冒険(9)を、達成しなければならない のです。
ここで、視点を変えてみましょう。
予知(5)は、予知(9)の 断片 です。
予知(5)が悪用されれば、不当な利益を、悪者に 与えることになるでしょう。
予知能力者(5)は、色々な方法を駆使して、それを どうにかしようとします。
自分の能力を忘れよう、隠そう、とする かもしれません。
自分自身(5)にとっては、自分が見た予知の内容が、真実なのです。
しかし。
予知能力者(7)は、上記のことすべてを、あらかじめ知っています。
さらに、本人(7)は、どこかで それを計算に入れて、予知(7)を 解釈―生起 させ始めています。
そう。
予知能力者(7)は、他ならぬ、予知能力者(5)の、未来の〝自分自身〟だったのです。
自分(5)が 予知能力を忘れよう・封印しよう、という選択まで、未来の自分自身(7)は、すでに予知していたのです。
ただし、未来で。
では、この未来は、時間的に、先の時空間に あるのでしょうか?
いえ。
自分自身(7)の予知は、自分自身(9)の予知によって、すでに、洗いざらい、網羅されています。
しかも、未来で。
ですが、予知(9)を紡いでいるのは、予感(9) です。
そして、ここで、予感(9)は、〝偶然などなかった〟と、具体的な証拠を収集して、言います。
世界は、共時性で、生起します、と。
予感(9)は、ふしぎな偶然には ある数式のように 意味を〝外在〟している 定数のようなものがある ことを認識し、その〝証拠〟を 見る方法を 既に持っています。
そして、予知(9)は、未来の出来事を見る才能 です。
ゆえに、すでに、予感(9)の証拠の収集について、今より過去に、既読 です。
こういった 視点は、クリシュナムルティが、基底について、ボーム博士との対話で 語りたかった内容でもあった、と、読み解けます。 (基底の対話については 『時間の終焉 (コスモス・ライブラリー)』 に 載っています。)
予感(9)を目覚めさせる者、それを、もっと過去に すでに見ているのが、予知(9)を使う者 です。
つまり、予知(9)や、予感(9)は、いくらでも、より過去に、見ることができる者が、いるかもしれません。
また、より未来の予知や予感が、今、つまり、この過去に、生起している、と とらえることも、
不可能ではなく、むしろ、筋が通っています。 (実践的です。)
ゆえに、予知も予感も、つまりは、第3層、インディゴないしホワイトは、それを見るのが 時空間のラインの能力である、そのアドレスは、時間の中にはないか(非時間)、あるいは、あらゆる時間の中にあり得る(超時間)、と、読み解くことが、できるのです。
オレンジレベルでも、夢が形骸化して、その理想主義の断絶にあえぐ のは、そういった、高次の直観が 既にあるから です。
基本は、状態として、とどまり、そして、去っていくのです。
共時性によって、自分の旅は、うまく行くように、成長します。
そして、それは、時間の無い、無限の昔から、無限の未来にまで、無空間的に、無時間的に、決まっていたことなのです。
あるいは、全く決まっていることが無いことが、ずっと 決まっていたのです。
なぜなら、すべては、非時間だったからです。
そして。
ラフテルは、自分自身だった、と、 実は 自分が知っていて、その時は 時間がなく、成長によって、そのことを 始めて認識したとき、 知らなかった瞬間など なかったのだと、 知るのです。
世界が怖れている、本当の達成とは、究極とは、これなのです。
そして、進化に 終わりはないのです。
時のポーネグリフは、意識という変数によって、リオ・ポーネグリフに、生まれ変わります。
つねに、リアルに、アップデートされていくのです。
にもかかわらず、それは、時間の無い、今、この瞬間に、初めから、判り切っていた ことなのでした。
――――――――――――――
ですが。
結論を急ぐ前に、予知が もし 本当にあったら、と、考えてみましょう。
ふつうに考えて、悪用を連想しない人は いないです。
自分の予知を、自分ではなく、誰かが悪用する場合には、配慮ができる者として、責任は重大であり、自分がそれを意図したか 助長したという可能性を 認めざるを得ないことになれば、
予知などというものは、ない方がいいことに、なるかもしれません。
しかし。
この議論では、すでに、未来の自分たちは、この出来事を 知っています。
そして、それは、第3層において、ある事実と共に、確信的に、解決されます。
予知 (未来のテキストと 意図や存在) は、予感 (時間を越えていく 未来のテキストの読解力としての 繋ぐ達成) を、第3層のゴールまで、紡いでいったのです。
ポーネグリフは、繋げることで、その読解力そのものが〝ミラクル〟そう〝UP〟したのです。
テキストには、すべてが書かれていました。
でも、そのテキストは、空。 時間の無い紙に 書かれており、『それを読む力』は、あらゆることを経て、すべてが明らかになった瞬間、初めて、『すべてが書かれていたということを読む力』に、成るのです。
予知の悪用は、実は、未来の私たちが、すでに解決策を 知っていました。
そして、予感。 その紡ぐ想いが、これまでの、予知に対する、あらゆる怖れと偏見を、AQALのような 包括的な地図と共に、解決するのです。
それは、予知が、ずっと、切望してきた、願い。
そう、ずっと、それを見続けてきました。
そして、それは、今、見つかりました。
世界は、変わります。
――――――――――――――――
というわけで、予知は、やがて、世界中に受け入れられる、ごく、あたりまえの、基本能力になります。
その後の社会は、誰もが、ズルをせず、それ(ズル)ができない 市場・政治・アート・医療・
スポーツ・その他もろもろ・・・
今の時点で、この ズルをしている〝何者かたち〟が、それを読み解くことを〝心底怖れている〟
それだけのことです。
posted by インテグラルとど at 11:20| 実用的生活実践
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2021年08月17日
アートの〝筋書き〟 ~権力と予知・その時空間のライン~ 新たな考察
運命は、決まっているのでしょうか?
予知能力というものが、ひとたび、あると 断定されると、今後の出来事のすべては、誰かが知っている、あるいは、誰かに仕組まれている ように 感じ、リベラルの世界で獲得した自由が、滑り落ちていくような恐怖を感じる、というのは、ちょっと 笑えません。
ポイントは、リベラル(5)よりも、第3層の予知(9)の方が、より、インテグラルである、ということです。
つまり、リベラル世界で獲得した自由が、保存されずに 破壊される、ということは、ないはずなのです。
(各ラインの、基本構造と移行構造の性質によって、保存されて包括されるか、否定されて包括されるかは、違いますが、いずれも、越えて含む点は 同じです。 ―― 例えば、モラル(4)の順応性は、モラル(5)では、無くなります。 しかし、モラル(3)は モラル(4)の順応性に寛容[意識的・理解的]であることはあり得ませんが、モラル(5)では 可能です。 これは、モラルのラインの慣習(4)が、部分性は否定されるも、全体性として包括されているからですね。)
前回も挙げました、ケン・ウィルバー「インテグラル理論を体感する ~統合的成長のためのマインドフルネス論~」。 その中の〝ショーイング・アップ〟の章の中に、私の[I][We]、そして、相手の[I][We]、を 感じるという視点 が出てきます。
この実践の特徴は、相手の[I]を感じるのが、とても 難しいのではないか? ということです。
私が思うに、友達Aにも、友達Bにも、同じように、わたし[I]のことが、見えているのでしょうか?
あの悩みや、この悩み、すべて、わたし[I]が感じているように、見えることができるのでしょうか?
[I][We]の4点視点に関して、わたし[I]が、相手[I]を正確に理解していかないと、相手と良好な関係を築くことは、難しいといいます。
特に、遠方の相手に言えますが、一体どうやって、相手の[I]を、知るのでしょうか?
この点を、前回も挙げた、2種類の予知で、考察してみると、今まで想像だにしなかった領域が、開けてくると思いますよ。
アーティスト(L/9, t/m, l/時空間) の[I] が、アーティスト(L/9, t/f, l/時空間) の[I] を感じるとは、一体 どういうことなのでしょうか?
それは、おそらく、〝推測する〟ということです。
ここで、予知(9)という現象の、知られざる性質を、ほどきましょう。
たぶん、未来とは、〝共創造されるのです〟
つまり、相手の影響を、積極的に受諾する、といいますか、相手の筋書きに、乗るのです。
例えば、無意識に。
初めから、別れる運命だった、という筋書きを持っているカップル(アーティスト)が いたとしましょう。
最終的に、アーティスト(L/9, t/m, l/時空間) の[I] が、アーティスト(L/9, t/f, l/時空間) の[I] に対して、〝合意〟させた と、解釈される現象が、生じると思います。
このとき、別れる運命に対しては、まだ、両者、自由には なっていません。
ちなみに、ここでの〝別れる運命〟とは、〝所与の解釈〟です。
たぶん、他にいくらでも、より包括的な文脈があります。
しかし、運命は、〝別れる方向〟に、引っ張られます。
そういう〝共時性〟や〝シーン〟を〝固定〟していくからです。
そして、2人は言います。
これが起こることは、決まっていたんだ。
なんか、ちょっと、へんですね。
ここで、〝権力〟を加えてみましょう。
[なお、t/m、t/f は、この議論の文脈上、生物学的性別でも ジェンダーでもない、エイジェンシーとコミュニオンの志向を 現しているタイプです。]
有名サイドのアーティスト(L/9, t/m, l/時空間) の[I] は、スポンサーなどに依存しており、予知を〝書き加える〟という行動を、無意識的に行うことが有り得ると、私は、思います。
ポストモダンの発見した、〝生活世界の植民地化〟の〝権力衝動の隠蔽〟です。
例えば、非視点的な狂気 (把握できるすべての視点を 平等に低く 狭い価値の範囲に追いやる、という視点) は、おいしいものを食べたいという欲求を 周縁化しません。
(グルメに対する権力が 隠れて働いているわけです。)
予知に対しても、権力と結びついている限りは、隠れた認識が 働いていると思われ、また、
非権力者[I]に対する 共感力は、弱まると思います。
かつて無名だった者の中に、〝筋書きに動かされた〟ことで〝手遅れ〟となる 何か被害を被って、〝全てを恨む〟というパターンも、わりとありそうです。
そういった者は、世の中すべてが 権力の筋書きであるという 衝動に駆られて、有名になって〝復讐〟しようとしますが、まずもって、AQALを 時空間予知 それぞれのレベルに 適用することを、怠っているか、それに失敗していることが、原因です。
では、〝(所与の) 被害を被らない〟〝筋書きに動かされない〟ためには、何をすればいいのでしょうか?
少なくとも、権力に対して、無防備ではいけない、という点には、合意できるのではないでしょうか?
アーティスト(L/9, t/m, l/時空間) の[I] は、権力を持って有名になっている場合、シーンの予知に対して、筋書きを加えます。 (どんな場合でも とは言いません。 立場の話でもあります。 詳しくは複雑な問題なので、割愛します。)
それは、平均的なスポンサーに有利な〝アートでお金を稼ぐこと〟を助力する内容であるかもしれません。
さすれば、無名なアーティスト(L/9, t/f, l/時空間) の[I] は、上記の選ばれた者に とてつもなく有利な〝土俵〟を 納得させられ、才能を〝条件〟に従って、捧げることを強いられるのでしょう。
有名な彼らは、予知の筋書きで、〝みんな平等である(9)〟ことを納得させようとしますが、実際は、〝有名となる運命の筋書きに合致した〟という〝生活世界の植民地化〟を伴った 隠れた権力衝動に基づいているものでしかないかもしれません。
それはつまり、インディゴ(9)のアーティストの活躍できる場が、信じられないほど少ない、社会の権力的な歪みかもしれません。
だからといって、その反動、アートで 世界全てを ぶっ潰してやろう、というのも、ズレすぎです。
よって、無名サイドのアーティスト(L/9, t/f, l/時空間) の[I] が、権力の暴力に負けないために、必要な実践の例として…
無名のままでは、売れないミュージシャンの生活の悪化、フリーランスのアニメーターの健康の危機・・・。 これを〝変われない〟という筋書きで言われた時に、〝受け入れる〟と 返答 (=その指示には合意しない、の返答を) するのが、一番です。
どうせ、その苦しみ[I] を 正確に理解できるのは、まずもって、該当者です。
権力者に共感されるマネをされても、分かってもらえていない… としか思えません。
現に、無名サイド(フリーランスなど) を救済する法律 等を、有名サイドの権力者が 積極的に組み込もうと運動していることは ほとんど無いでしょう。
それが彼らにとって 必須に思えないからです。 (多少のカテゴリーエラーがあっても、です。)
いうなれば、相手の[I] を理解するのは、とてつもなく大変であるということです。
権力の犠牲者と思えるための怒りのようなものを〝けす〟という筋書きに対しては、〝考える〟と返答します。
〝行き止まりの現状・閉じこもりのみじめさ〟には、〝すじがきのない 軽さの直観の極み〟とします。
わたしは、これらは、有名サイドが平均的に捉えているような〝大人慣れして利口に生きる〟程度のことではないと思います。
未来のアーティストなら、権力に依存しないのは、当然のことなので、その直観であるとは、主張したいです。
後は、どうすれば、もっと、権力者に、〝筋書きを解除させるような〟影響力を与えるか、という話です。
有名サイドは、単に、スポンサーが嫌がることに、同調する傾向があるだけではないのか? と思いました。
いざとなったら、権力で、無名サイドに対して、予知で6割協力しているように筋書きを立てて、実際的にコントロールしようとするのは、現状としては、よく分かりませんか?
予知の筋書きですら、隠れた権力衝動、生活世界の植民地化に、動かされているのだとしますと、無名サイドは、相当、慎重になるべきだ、と、思います。
ここで、ひとつだけ、無名サイドが、素早く認識してほしいと思うのが、〝今、芸術家らしく、権力から自由、究極のメリットだ〟という点です。
これができない、有名サイドは 第3層に至っても、芸術家として 真の自由を 勝ち取ってはいません。
(そんなアートの中身は、いつも、無名サイドのハート【相手の[I] 】です。)
サード・ティアーの、そして、アーティストとしての、〝強さとは〟一体 何なのでしょうか?
権力(ビジョン)からの自由。
それもあるでしょう。
筋書きと言われる、その権限も、〝協力〟によって、ゴールへと紡いでいけば、とても良いものになるでしょう。
ホラーキーとしての権限として導けば。
予知の、今回の結論としてのヒミツは…。
あなた[I]の、ある運命を語るアート[I]と、出会ったことで、あなた自身が、その〝筋書き〟に影響を受け続けている、ということです。
(予知占いと同じく、出会った そのアートによって、あなたの未来は、あなたの立場の変化を含めて 具体的に解釈され続けます。)
もし、その予知が、〝絶対に外れないもの[I]〟だとしたら、あなたが それに出会っていなかったとき、にこそ、有効であったはず。
なのに、出会ってしまっているのに、絶対に外れないのなら、あなたを含んだ筋書きとして、そう主張されていることになります。
それは、むしろ、相手の筋書きの予知[I]に、あなたの方が 加担し 受け入れ 叶えている、とすら言え、むしろ、そうとしか考えられない と結論するかもしれません。
要は、あなたが出会うから、その予知は、あなたによって、現実となるのです。
当たった場合は、ですが。
私の考えですが、有名サイドの予知は、いくらかの選択肢の中で、対象者が選びそうなルートを強調して、そちらに引き入れようとしています。
それに、しっかりと、気付くのです。
さすれば・・・
✧ ―――――――――――――― ✧
流れゆく その・・・。 運命は、〝空〟です。
何者にも、縛られることは、ないでしょう。
✧ ―――――――――――――― ✧
結論。
つまり、予知が問題なのではなくて、理解が重要である、のです。
特に、幸せの理解、相手[I]への共感の視点 を、自分の納得のできる方法で、進めていく、ということです。
そして、無名サイドは、伝える努力を惜しんではならない時代 だと、あらためて思いました。
壁は、経済事情 (と 芸術との関係の 危機感) だと思います。
posted by インテグラルとど at 07:47| 実用的生活実践
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2021年08月30日
予知(L/9, t/f, l/時空間)の〝例〟 ~予感(9)・共時性(9)~
ふと、B’z (n) の『野性のEnergy』を かけて、かなり久しぶりに まいのブログ を見て、最初に表示された、そのページ からのリンクの、アルバムの題名の順に、上から見て、ちょうど、『ひとりじゃない』を、見たとき、『野性のEnergy』 の歌詞の 『ひとりじゃない』 が、流れてきました(≧▽≦)♪
※ 気のせいの延長線上に、見聞色の覇気は あるようですω
私は、まいの 『自由へと まっすぐに進んでいく』 ところが、好きです🌻♢
〔一般社会(n)の周りに 『そういう人』 が居なさすぎる気も、しますし。〕
たぶん、まいは、感覚のライン(マイマイ) が、先行している 時空間のライン に追いついていなかった、かつてのサイコグラフの壁を、越えつつあり、『私たちの感覚(9)』に近づいている、ということなのでしょう。
ねこω ねこω
今年に オリンピック が開かれたことについての感想も、聞いてみたいですが。
余談ですが、まいは、誰と結婚するのでしょうね?
♢
(2023 08 追記:旧リンク先の題名がないので、リンクを置き替えました。 上部中心に、過去にリンクしたページと、一致していると思いますが、現時点で、意味の取れるリンク先を指定しておきますね。 元々のリンク先 lineblog.me/kurakimai/archives/ 1062463289、1062462986、1062462810、ですよ~。 )
その後の記事。「偉大な〝ラ〟IN の〝アナザーエピソード〟」も、どうぞ💕
🐇💨
ラベル:パラレルワールド
posted by インテグラルとど at 15:54| 実用的生活実践
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2021年08月31日
[アニメ] ミュークルドリーミー の 楽しみ方 ~上級者向け(笑)~
♢
大人が見やすいように、無印を編集して、何度も見る、という方法 を取ります。 (録画限定です。)
ふつうに見ると、ヘビーユーザーでも、2~3回で、時間を取れなくなるでしょう。
ここで、Wチューナーを 使い倒していれば、予備を 録っているはず。
そちらを、つなげて、予告や、お着がえ、ゆに達のシーンを、極力抜いて、みゅーちゃんω を見まくることができるようにすれば、なかなか、見ごたえがあります。
そんなこと、やっとったんかいな(*´ω`*)
――――― ☀
2期の みっくす! も、上記の応用。 お好みで♡
小規模を除くと、こんな方法をとったのは、このアニメが、初めてです。
❀
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
♢
2023 10 15 追記 ♪
ティール組織 (図解版・2018年訳) を見て、気づいたことを、補足しておきます。
・ミュークルドリーミー (→ みっくす!) は、 私からの、 広義の 〝助言プロセス〟(統合的リンキング) も経て、定立されている。
(ここは、ジュエルペットのメイン作と同じですが、ティール組織〝自分で考える〟を理解するうえで、ミュークルドリーミー みっくす! は、かなり分かりやすい 視点を、強調していますよね。)
・ミュークルドリーミー みっくす! は、〝感知 (知覚) ― 応答〟で 描かれている。
(これは、ジュエルペットシリーズでは 強調されていなかった、新バージョンかもしれません。 自転車に乗る視点で、数年先を見据えて 大まかな計画を立てるのではなく、うーんと先を見据えて 直近の計画を立てる、ということです。 最近のアニメが、フラットランドに拘束されて、なぜ面白くないかと言えば、図解・ティール組織の本で言われているように、中学校のような ありきたりな 世界が、アンバーの延長線上で活動しているからでしょう。 大学のアカデミズムは ボールドウィンを拒絶し ポストモダン・ソシュールの記号論を フラットランドに売り渡したわけです。 アニメは、その延長線上にある限り、夢を活きることは、できません!)
❀
大人が見やすいように、無印を編集して、何度も見る、という方法 を取ります。 (録画限定です。)
ふつうに見ると、ヘビーユーザーでも、2~3回で、時間を取れなくなるでしょう。
ここで、Wチューナーを 使い倒していれば、予備を 録っているはず。
そちらを、つなげて、予告や、お着がえ、ゆに達のシーンを、極力抜いて、みゅーちゃんω を見まくることができるようにすれば、なかなか、見ごたえがあります。
そんなこと、やっとったんかいな(*´ω`*)
――――― ☀
2期の みっくす! も、上記の応用。 お好みで♡
小規模を除くと、こんな方法をとったのは、このアニメが、初めてです。
❀
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♢
2023 10 15 追記 ♪
ティール組織 (図解版・2018年訳) を見て、気づいたことを、補足しておきます。
・ミュークルドリーミー (→ みっくす!) は、 私からの、 広義の 〝助言プロセス〟(統合的リンキング) も経て、定立されている。
(ここは、ジュエルペットのメイン作と同じですが、ティール組織〝自分で考える〟を理解するうえで、ミュークルドリーミー みっくす! は、かなり分かりやすい 視点を、強調していますよね。)
・ミュークルドリーミー みっくす! は、〝感知 (知覚) ― 応答〟で 描かれている。
(これは、ジュエルペットシリーズでは 強調されていなかった、新バージョンかもしれません。 自転車に乗る視点で、数年先を見据えて 大まかな計画を立てるのではなく、うーんと先を見据えて 直近の計画を立てる、ということです。 最近のアニメが、フラットランドに拘束されて、なぜ面白くないかと言えば、図解・ティール組織の本で言われているように、中学校のような ありきたりな 世界が、アンバーの延長線上で活動しているからでしょう。 大学のアカデミズムは ボールドウィンを拒絶し ポストモダン・ソシュールの記号論を フラットランドに売り渡したわけです。 アニメは、その延長線上にある限り、夢を活きることは、できません!)
❀
ラベル:統合的リンキング (著作権) AQAL
posted by インテグラルとど at 12:14| 実用的生活実践
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