ウイルスが収束しそうな現在、近いうちに、オリンピックも開かれるらしいです。
そんな今の近況の中で、見るべき映画が、たくさん作られていることでしょう。
その中で、誰にも見てほしくない映画が、公開されるようです。
いつやるかは知りませんが、それを知って、世界の混乱がひとつ鎮まっても、また、暗い時代になるのか、と、吐き気がしました。
どうにも、気分が収まらないので、書きます。
以前は、これを、書きませんでした。 存在を知らなかったからです。
今回も―――
触れたくない。 伝えたくない、話題にしたくない。
しかし、前回、これをしなかった、あるいは、できなかったことで、非常にまずいことになったので、自分を信じて、言っておきます。
私達は、それに、一切、加担していません。
私たちの名前を無断で使っても、私たちの思想を破壊に駆使しても、私たちは、一切、それとは関係がありません。
もし、そうではないというのなら、これを書いたから、この権限で、その関わりを、全部壊してください。
これを書くと、知らなかった人たちが、知ることになるかもしれません。
だから、書きたくありません。
しかし、きっと、書いておかなければいけないでしょう。
あれは、ひとつの制作スタジオを壊滅させ、別の放火犯も あれに影響していると思われ、私たちの文化にとって、いいことは、何一つないのです。
問題は、わたしもまた、フルーツバスケットの言うように、セクシュアリティに大きな乖離・病理がある、ということです。
つまり、それを悪用されているわけです。
ミュークルドリーミーの年末の占いは、遂行矛盾を露呈した、あれ、を、咎めているわけですよ。
世界が混乱していく中で、虎視眈々と放映を続けた 私が認める、次世代に開いたテレビアニメたちは、すでに世界を救っています。
まず、それを、見て、感じてほしいです。
そして、世界にも、そう言いたい。
ここで、交通戦争と、テロを含む 戦争全般について、書きます。
私たちは、か弱き羊であり、何か凶悪なモンスターが、この世界を支配しています。
それは、オドロオドロしいほどに。
しかし。
それらの心理描写は、すべて、勘違い、です。
実は、交通トラブルの憂いの時に感じる気持ちは、自転車が自動車に 該当のシチュエーションで追い越された時のサツイにも似たストレスと同じ気持ちであり、私が、あれ、に感じる吐き気と、きわめて類似しています。
つまり、私は、か弱き羊ではなく、本当は、お墨付きさえあれば、間違っていると思うものを、一掃しても、かまわない、と思っている、ということです。
皆さんの中に、普通にあり、この、攻撃的なまでのモンスターは、通常、無意識です。
交通戦争、とは、この攻撃性のことであり、非常に凶悪な行為をします。
運転免許を持つことが大人の証であり、免停になっていないのならば、自分は安全運転をしているはずだ、だから、自転車をスレスレで抜かしても、歩行者が横断歩道を横断しようと待っているのを無視しても、何の問題もない、と、そのモンスターは考えます。
しかし、そのモンスターは、無意識であるために、わたし、にとって、とてつもない脅威です。
そう、わたしは、まさに、か弱き羊であり、私以外の凶悪なやつが、居ることになっています。
が、ことは、そう簡単では ありませんでした。
実は、私たちが、か弱き羊を演じているのは、脚色なのです。
嘘なのです。 ご都合主義なのです。 作者の顔が 見えていないのです。
本当は、自分こそが、凶悪なモンスターであり、機会さえあれば、憎むべきすべてを、うち滅ぼそうとしていました。
そう、映画のシーンの、グロテスクな、心臓を取ってゾンビとなる、嘘のファンタジーのすべてが、あなただったのです。
あれのおかしいところは、信者が、自分は か弱き羊である、と思いたいときに、ひっかけられる、ということです。
いや、あなたこそが、凶悪なのです。
現代社会は、交通戦争のような構想に、お墨付きを与えます。
そういうように、教育されてきたからです。
クリシュナムルティが言うように、世界は はるか昔に間違えて、決して聞く耳を持たず、理性的には なり得ませんでした。
誰もが、決して、変えることができない、この日常、この悪夢。
なぜなら、それを、認識できないから、です。
認識できないものは、変えようがありません。
そして、それを認識させようと、病んだ制作陣営・スポンサー・シナリオ・その他、で構成された映画を作ったテロこそが、この、認識できないものを 認識させようとした 下法です。
要は、社会と文化のすべてが〝病んでいる〟のだから、それを根拠に 信じる者は救われない、すべてが嘘の、あれにすがる者たちこそ、こっけいな、ファニー・ストーリー、ざまあみろ、ということです。
視聴者もとい信者は、怪物に あざ笑われているのです。
怪物とは、あれが主張する限りにおいては、病んだ世界そのものでありますから、制作陣営やスポンサーなどです。
つまり、文化を破壊しています。
芸術家の差別、生活世界の植民地化 に加担している 現代社会の競争主義が、制作陣営というロボット、そのスポンサーと同義でしょう。
また、破壊と自暴自棄には、快感が伴います。
すべてが嘘であることを示している、それが、あれの、真実です。
つまり、すべてを否定しなければならない、ということは、制作陣営も、スポンサーも、制作さえも、〝なかったことにしなければならない〟のです。
決して、それをすることができない以上、続編を作ることしか、嘘を言い訳できないというところに来たのが、今でしょう。
ということは、自転車の未来、自動車の危険運転を無くす責任、――あれが、これらの重大な運動に、根幹から責任を持っていくことは、有り得ません。
それらのモラルの羅針盤そのものが、予知も含めて、意図的に大崩壊しているからです。
これから起こるかもしれないと心配する、色々な戦争や紛争。
それは、私たちが か弱き羊であるというより、それが 私たちの作った嘘の世界、私たちこそが、その世界の根本原因である、という意味で、深刻です。
交通戦争を、冷たい競争社会を、無くせていない私たちは、無力というより、責任を持つことから 逃げています。
その時に感じる吐き気は、犠牲者の羊ではなく、自分自身の 卑怯で残忍な 真実です。
それを回避して、忘れ続けること、それが、このカルト邪教の、正体です。
あなたには、この答えが、分かりましたか?
芸術家という生き物は、心のどこかで、現代社会の冷たい競争社会と、線を引いています。
一流の繊細な芸術家にしか、認識できない、深刻な問題が、あれを生み出されたこと、なのです。
世界を否定しようとする嘘 は、唯一 それに対抗する芸術家が 脅威なので、芸術の形式で、その崩壊を ばら撒けば、芸術家ではない人々は、洗脳される、というわけです。
ここで、ケン・ウィルバーは、友人 ロジャー博士の研究も受けて、〝予知能力は存在する〟〝利益や責任逃れなど自分本位に使っているなら 予知の成功率は劇的に低下する〟という方向の主張をしています。
つまり、予知はある、と宣言されています。 (邦訳: インテグラル理論を体感する 統合的成長のためのマインドフルネス論――コスモスライブラリー 2020)
同時に、予知の悪用も、あり得ることが、容易に汲み取れますね。
つまり、セレビィを とっつかまえて、その予知力を乱用した コーダイと、同じです。
誰にも気づかれずに、その犯罪を行うことが、できます。
ただし、2.3の、例外もあります。
例えば、意識の波が、第3層に到達する場合、何らかの予知か それに近い構造を使えるので、合理性を使って 合理的に体験できないXデーを、共時性などから 割り出す経験が 磨かれていくのです。 (悪用に気付ける。)
他にも、子どものころから、未来のシーンが見える人々。 (悪用に気付ける。)
あまりにも、予知を乱用しすぎて、墓穴を掘ってしまった場合。 (遂行矛盾。)
そういったシチュエーションで、コーダイのような者が〝失脚〟することが、有り得ます。
ゆえに、その敵を、あれは、滅ぼしておこうと考えました。
そのための、誰にも気付かれないはずの〝情報操作〟が、お手の物だと、考えたのでしょう。
しかし、私がこうして黙らないので、ついに、続編を作ってやろう、としたようですね。
たしかに、それをされると、困りましたね。
その手を打たれると、こうして、書く以外、どうやって選択肢を広げたらいいんでしょうか?
暗い未来は、イヤですからね。
というわけで、私は、この世界の虚構性とは、シャドーワークの実践と、空(アビス=深い夢)の認識としての瞑想(包括的な気付き)の実践、によって、とらえることができるんだ、と言いました。
それは嘘だから、何もかも 嘲笑ってしまおう、とは、一切、言っておりません。
あれは、しょせん、円盤制作会社たちの、興行収入の、回しものです。
売れれば、何でもいい。
世界がどうなろうと、信者が、客がどうなろうと、知ったことではない。
それが、世界です、 と。
★彡
みなさん、あんなものは、無視しましょう。
2021年06月28日
きっと誰にも気づかれない抗議 ~映画と未来と〝心の実態〟~
posted by インテグラルとど at 10:10| 実用的生活実践
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