桜を見て、共時性も起きました。
今も一つの機会とみて、書けることは書いておこうと思います。
この内容は、今まで、色々なジャンルとして ご報告した内容を基礎にするものですが、生活が錯乱している場合は、ひとまず、最も有効な対策だけしてください。
このブログをお読みになっている読者の方々は、見解はどうであれ、有益な視点になるでしょう。
☆ 04 21 さらに追記 ☆
☆ 05 06 さらに追記 ☆
私の生活は、自然の中に入った後、数日間 インドアな生活をする というものです。 (単騎で。)
これは、ここ数年で、特に変わりありません。
詳細はともかく、全員がこのような〝車間距離〟を営んでいれば、ウイルスはすぐに終結すると思います。
資本主義・自由主義は、これまでさんざん甘やかされてきました。
クリシュナムルティの書いたことを素直に読んでいけば、私がここで言わんとしていることが よく分かるはずです。
飽食主義、有効ではない付け足し的ジャンル・業務で 社会を複雑にする拝金主義、情報を我が手に操作しようとして 不安を煽り心を操るメディア、ブランド力で民衆の生活世界を支配する大企業、暴走した自動車社会による倫理の欠如した交通戦争、生態系の世界的な無視――
総合的に、日々これらを直感的に捉え、未来に活かそうとする現代人が、果たしてどのくらい いるのでしょうか?
そこに、今回、丸型突起の新型ウイルス (今話題のあれ) が登場してくるわけです。
そもそも、ウイルスとは、地球上にて、バランスを何らかの意味で支えており、乳酸菌と比較できるかと言えば、―――耐性菌を抗生物質で生じさせ、人体内部の菌のバランスが悪化し、免疫の低下とともに、菌の他、新たなウイルスが猛威を振るいやすくもなる―――
つまり、現代人の多くは、仕事に意味を持てず、したくもなく、坂井泉水さん流に(言う)〝こころの環境破壊〟が起きており、新型ウイルスに対応できる〝精力〟は、〝炎〟は、地球上に あまり無い状況と言えるのかもしれません。
ツイッターで見られた発言の中で、〝会社を休みにしてくれないと、仕事を引き続きしなければならない〟というものがありました。
なぜ地下鉄に乗らなければならないのか、大の大人が、そう言っているわけです。
都市部での交通戦争は、相変わらずです。
秩序主義ならば、ひとまず、バイキンマンはやっつけましょう。
しかし、この世から細菌が消えると、人類は滅びます。
つまり、ウイルスも、ホロン階層上だけでなく、もう少し現実的な意味でも、単純に悪者であるしかない、そうあらねばならない、という〝既成信念〟とは、関係が無いのが本当でしょう。
一部の病理的な保守派が、国の国民への権力の増長に興奮するという、勘違いも甚だしい〝戦争ロマン〟に、私たちが付き合う道理は、1ミリもないのです。
総理は、無能でしょうか?
内面を見る、保守派に文化づくられた人々の中には、そうして、政府を非難する者がいます。
しかし、重要なのは、〝どうやってウイルスを終結させるかという社会システム[Q/4]〟であり、個々人の幼い感情論は、ここにて、乏しい意味しか持ち得ません。
リベラルが強い〝社会制度の側面〟を、保守派が牛耳ってきた〝風習〟の面に還元してすり替えて、国に当たっているのです。
そういう非難者は、風習ではなく制度の問題、であることを看破できない意味で、社会に混乱をもたらす張本人[ホロンの中のウイルス]であり、その主張は〝破たんしています〟!!
まず、繰り返しますが、こういった〝洞察〟から、鍛えましょう。
日本人は、とにかく〝対面〟を好み、私のような〝無駄なことを省く数学タイプ〟に、生きにくい社会を提供し続けます。
これが、今回の、ウイルスの指数関数的社会現象を生み、人と顔を突き合わせないと〝生きていけない〟経済システム・制度・金銭管理を伴う〝社会〟を作ったわけです。
簡単に言うと、今回のハザードを〝想定〟する必要が無いと考え、出来てもいなかった、のです。
社会の日常時間は、悪い意味で、当たり前に過ぎていきます。
この常識が染みついてきた限り、総理に当たっても、自分たちの風習のせいだとしか言えず、保守派もリベラルも同罪でしょう。
全員が、そこの常識を疑ってかかって、即座に、〝飲食店と遊技場には寄らないようにしよう〟と 行動すれば、まず、治まる話だと思います。
しかし、現状、若い子は、外で集団で ほっつき歩いていたりしますし、電車は動かないと 経済が崩壊しかねない社会です。
ゴールデンウィークに会社と飲食店などの密室系だけ全て閉めて、アウトドアとドライブスルーの周遊休暇にするとしても、まず、飲食店等に国が税金の一部を援助する、その代わりに、2月以降のこういう時に閉める――ことを、約束させられなかったことが原因でもあります。
会社と家族は違いますし、市民をコントロールせず、資本制度の方をコントロールすべき でした。
どうせ、一定の人々は聴きませんし、また、地域の子どもが今も見せる無邪気な はしゃぎ様を見ていると、とても大切に思えます。 大人だけがこれを失うことで大混乱している、と、無駄な既成知識の横行です。
ウエイパーで、スープスパゲティを作ってみました(・∀・)
おいしかったです。
案外、それで治るのかもしれません。
風邪と同じウイルス種なので、かかっていても、免疫が付いている場合があり、すでに、ほとんどの人が、大丈夫かもしれません。
グレーフルーツか、バナナか、風邪ならば何でも食べて治すわけですが、必ずしも、症状が出て実害が出るのではなく、病は気からなので、免疫を付けるための健康維持の話に見れます。
潜伏期間がより短かったサーズやマーズの方が、攻撃性≒症状、が早い、ということならば、今回の新型は、症状が出ていない時点で 大きくうつるということもない、と見れば、潜伏期間の長さから恐怖を煽り、社会の崩壊をもくろむ〝誰か〟も見えて来るかもしれません。
嘘のニュースというのも、ニュース(噂)になりましたしねぇ。
症状が出てからでも、遅くはないはずです。
対面社会の風習(一種の差別意識)さえ、なんとかすればね。
海外の方がドライだから、都市閉鎖 (強引な手段) はできますが、日本に観光客が来ますので、世界から非難されそうですね。
太陽の光をたくさん浴びると、案外いいのかもしれません。
暑い地域の人は、そもそも日ざしを避けるので、ぽかぽかになると〝収束するという根拠〟の無さを〝反証〟する場合は、冬は日照量が大したことがなく、春になることで、自然に陽を浴びることを好み、習慣的に、内部から免疫が付いていく、という見方もあります。
実際、私は、冬しか風邪をひきません。
うつすことでの責任、は、保守派的な翻訳としては妥当で、そこは 私の仕事で無いだけですが、より真実は、潜伏期間にとらわれ過ぎて、実際の社会の崩壊を軽く見、物資が行きわたらずに食料自給率が低下し大量の命と切り離せない話になったら・・・例えば、中国では、昔、政策をして逆に飢饉になりましたよね?
経済の方が、敏感でした。
自転車での通勤が増えます。
ある意味、やっと、というところでしょう。
都市部では、鉄道があったので、特に、バス等を除く 道路交通に頼る必要はありません。
例外が起きた時、免許の取得保持の利便性の薄さと、自動車維持のコストと貧富の差の現状より―――、つまり、自転車しかないです。
原付は歩道を通れない分、待機・待避が満足にできず、道路を走り続けるのは困難です。
このフェーズで、なぜまだ、自動車社会の交通戦争なのか? です。
この出来事を考慮したならば、そろそろ、自動運転のフェーズ3とも言える、〝全員が制限速度・安全速度を守れるシステム〟に移行していたはずです。
今、どうでしょうか?
ウイルス騒動で、謙虚で一丸な気持ちが、芽生えているでしょうか?
自動車だから関係ない、と言って、スーパーに通って、煽られないように 制限速度以上で、会社に行っていませんか?
自動車保険は、〝自転車・歩行者の為に全てを創始し慈しみ尽くすような儲け商品ですか?〟
現状では、そうは思いません。
自転車に乗ってみれば、よく分かるでしょう。
徒歩でも、同様です。
郊外は自転車歩行者が圧倒的に少ないため、フェーズが遅れるとして、都市部では、自動車維持に回すコストが〝生活を圧迫〟してもおかしくない理由が、今回の騒動です。
絶対に必要なのか?という意味です。
食料の方が大切でしょう。 ド田舎は例外です。 (車でスーパー。)
家賃が高すぎるのが、大きな欠点です。
海外では、日本とは別の仕組みで似たような矛盾が横行して、〝リーマン・ショック〟が起きました。
鉄道を止めると、生活出来ない人が 絶望しますが、仕事に意味を持てない原因の社会システムとして、働いても 生きていくのに必要なコストが賄えない ことが挙げられます。
そういう仕組みになっていることは、〝貧富の差が拡大している〟点で分かり、大企業が〝無駄な業務を増やしている〟と想定でき、実際のところ そうでしょう。
国が放任しているのが、今回のウイルスの現状と相関すると思います。
ベーシックインカムは、完全自動運転と並ぶ〝未来に必須待望の社会システム〟で、どうなっているかと言えば、生活費すら安くならず、スマホの月額費用でさらに家計は苦しくなっているでしょう。
実際、書店が消失しているのは、そういう理由だそうです。
今もまだ、秩序の無い現代です。
私は、スイーツが好きで、温泉も好きで、小さなショップは心配です。
チェーン店は、従業が過酷なので、どうなってもあまり〝感情〟は沸きませんが、思うところは、訪れる人がせっかく減っているというのなら、換気して、席も広くエリアを取って、個人経営の小さなカウンター販売の感覚で、慎重に営む方法があります。
それ以前に、小さなショップは、運営するという自由な選択肢も持てないほどではないか、心配です。
なじみの店ならば、少数の客しか付かないならば、開いても構わないでしょう。
老人は話し相手を求めて、マスク越しに、集まって話します。
子どもも、サッカーの練習をしたかったりするのです。
いまこそ、おそばマスク になる時がやって来た!!! ...のかもしれません( ^^) _
歩道で、ウォーキングとランニングをする人が増えていくので、自転車は、車道・・・を走れたら苦労は無いので、とっても意識を高めて どこかを走る必要があります。
私がライドしてきた中で、通勤時間ほど おっそろしいものは、基本、他に無かったです。
公共交通機関での感染の原因は交通戦争、つまり、自動車です。
リバーサイドのサイクリングロードだけでOKなら、使い倒しましょう。
このように、〝メディアに不安を煽られないこと〟〝拝金システムに生活世界を支配されないこと〟が基本中の基本ですが、このコーナーで書いた(類の何らかの)ことを考えて実践(吟味・確認実証・反証)するのが〝面倒だ〟という方は、〝どうすればウイルス騒動が集結するのか 本当に真剣に考えているのに 答えが出せないです!〟などと、言うべきではありません。
自転車通勤を推奨しているわけでもありませんが、都心は、通勤自動車を半分とか1割にしなければ、自転車の走る姿なんて、観れたもんじゃない気がします。
大阪市内や阪神圏主要部でも、同様です。
優れたインテグラルな意見・見解・視点が、多数 インターネット上に在れば、私もこうしたコーナーを わざわざ設けないのですが、逆に、この混乱に便乗して、自分たちの意図・行為を 不当にばら撒く輩がいそうなので、警戒のためにも、載せておきます。
私たちは、一体何と戦っているのでしょうか?
心の健康と 体づくり、いつもと同じペースの日常、今の子どもの活力を考慮に入れた落ち着き、忘れてはならない〝生活 (ライフ)〟があります。
☆ 04 21 追加 ☆
・アウトドアのために、人の少ない県外へ行くことを、公共交通機関を除いて、むしろ奨励すべきです。 都市部は狭すぎます。
・免疫は、付きます。すなわち、免疫が付いている人が、スーパースプレッダーになる場合を除き (そんな仮定はおかしな話で、すでにウイルスが消えているのに うつすという説、或いは、共存としての免疫という説――が真でなければ) そのうち、大多数が、免疫を持って、症状も出ないか軽症のまま、収束します。 (少なくとも、現時点で、私はそう思います。)
・ロックダウンにおけるデモなど、世界の現状を考えましょう。国民主権とは?
・精一杯やってもダメだったら、結果は受け入れるべきです。 (頑張っても感染者数が増え続けるなら、上記の免疫の話を熟考のうえ、ウイルスと付き合っていく方法を模索するということです。 現実逃避しても、経済がさらに低迷するだけです。)
・免疫と特効薬は(Q/3)、密室の営業規定は(Q/4)です。 個体外面と集合外面。 特効薬があてにならないのなら、社会制度(Q/4)を洗練集約するとともに、上記のアウトドアの奨励などの、免疫(Q/3)を極めない手はありません。 それ(Q/3)こそが、現時点での最強の特効薬なのです。
・蔓延が、蔓延+核戦争 (最悪)、となったら、前者が収束していない上に後者が被さるわけです。 それに比べれば、前者だけの方が、はるかにマシです。 いざとならなくても、自然災害(ウイルス)を受け入れる準備は、当然だと思います。
・医療崩壊のみ、全力で何とかすればよいのです。 高齢者が多い日本は、その意味も含めて考えます。
・資本主義倒壊(5)→帝国主義化(4)→ミーイズム(3)―――前者から中者への分解退行期が今だとすると、それ(4)の強制(保守派的なロックダウンなど)でも収束が見られない場合、後者の〝自己責任の奔放〟に 人それぞれ化(3)していくので、そうなって無秩序になっても、経済自体はずっと存続させることが可能。 だとしますと、今、余計な経済的な規制を入れるのは、逆効果というか、長い目で見て無意味だと思います。
このように、〝長い戦いになる〟と最初につぶやいた人は、すでに 〝単なる収束は難しい〟ことを読んでいると言えます。 後で、やっぱり・・・と思うより、出来るだけ引きこもって、仕事を強制停止できないと分かれば、収束を目標にすることから、免疫を高めることで自然災害の (ただし人類が生態系を壊したことで いらっしゃった) お客さんと、うまく付き合う方法に、世界規模の合意で、迅速にシフトすべきなのです。 このタイミングを見誤ると、経済が崩壊して、アレルギーという名の社会的な免疫疾患(Q/4)みたいになります。 つまり、この主張の根元は、権力の暴走と自由の抑圧が悪い方向に転がるのだろう、との心配から来ます。 なぜなら、ここまで真剣に考えて自粛の意味を解釈して自己責任を語る人は、稀だからです。 こういった意見を周辺化して深さを ないがしろにするならば、世界経済の空中分解は不可避でしょう。 明るく言いますと、うきるんるんで理性的に過ごせば、解決はそこです。(合意にあるのです。)
誰かが、こういったヴィジョンを、広める必要があります。
☆ 05 06 追加 ☆
・前回指摘した、退行分解が 深刻な近況をはらんで、個人・社会・文化を横断して、始まりつつあります。 (県境・帝国主義的保守のアンバー的防衛としての乖離。)
・〝自粛の目的〟は、〝医療崩壊を食い止めること〟で、それ以上の意味を持ちません。それ以下の意味も持ちません。
・〝自粛〟の定義は、混乱しており、目的も達成目標も、解釈が人それぞれ過ぎます、それが最終的に、自己中心主義の政治(3)に退行するのは目に見えているわけです。
・自粛に対する〝普遍的な合意〟が必要で、ロックダウンすらそれを満たしていません。参考にはなりません。 合意には、〝集団免疫をつける合意〟〝自分の健康を最大限に活かす生活の権利と責任の合意〟を含みます。 政府がそれの存在を強調しないのは、長い目で見て危険です。
・なぜなら、政府は、自粛によって、国民をコントロールしようとしているようにしか思えないからです。 アナウンスや看板などがその例でしょう。 医療崩壊を食い止めること以上の意味を持たない自粛に、権力の暴走が見て取れます。 政府が国民に信頼されなくなると、自己中心主義に 政治含めて退行します。広義のギャング社会となるわけです。交通戦争は今もそうです。
・ウイルスの爆発的な指数関数的増加は、医療崩壊を引き起こすので、それを食い止めたのが、今回の自粛です。 イギリスの最初の方針は〝集団免疫を付けることは正しい〟次に〝医療崩壊を起こさないことが その有効条件〟――最初の〝集団免疫〟が間違いだったという〝破たんした〟解釈が横行して、誰もそれを批判しないところが、世界的な合意が無いことの証拠です。 スウェーデンを除いて、冷静な見解を持った〝普遍的な自粛〟は 根付いていないようです。
・つまり、ウイルスの爆増を抑えたことで、医者たちが安堵した〝目的達成〟が成り立ち、その結果、数週間で起きた感染数が、数年のスパンで見て何割かは減るとは見れるものの、一定の感染者が 交通制限のように 渋滞して長期的に流れてくることになるので、医療崩壊を食い止める自粛によって、総合的な自粛期間は かなり伸びます。 爆増で1ヶ月なら、制限状態では 数ヶ月から2年程、集団免疫を獲得しながら 現状が続く見込みです (証拠から、それが政府が意図している事実でしょう。)。 長期的なポイントは、医療崩壊を食い止めることであり、根絶は短期的には不可能です。できると思って自粛するから、おかしくなるのです。
・長引く自粛が意図である以上、学校の休校など、2年続けるには無謀ないくつかの取り決めは、数ヶ月で打ち切ることは必至です。 部分的に休校に成り得ることの理解を得て、クラスや学校ごとに授業を行い、競争社会・受験戦争を否定した進学・就職ができる世界を目指すべきです。 受験戦争は、ウイルスショックを助長する無力な風習である証拠が今です。 すべての学校を平等に休校する意味も、半年 経てば 無くなります。
・同様に、個人的な旅行などの活動と県外への移動、リゾート施設や飲食の個人店とチェーン店など (子どもから見ても健全と見なせる広義の健康を促進する居場所) の運営、番組、芸術活動と制作、スポーツ、ライブや観戦、鉄道の通常使用、今まで制限されてきた数々の活動も、半年経てば、圧力強制の意味を失い、自粛の心得だけ残しながらも、奨励する方向にしていかないと、意味がないことに気付きます。 それができない場合、リベラル国家の存続は不可能でしょう。 ウイルス爆増・医療崩壊の構図になれば、強い自粛のフェーズに戻るということです。 ウイルスの変異も、集団免疫の獲得が予防の鍵です。 2年後のワクチンの期待も可能です。
・苦しい時に達成目標が必要で、現時点での自粛の意味論的混乱は、国民主権という意味で、政府のせいです。 自粛は医療崩壊を食い止めるためのもので、医療の補強は、税金の使い方で大部分行うものです。 達成目標は、根絶ではなく、爆増の抑止です。 政府は きっちりと、その旨を明らかにすべきです。 それをしないならば、リベラル国家であることを やめるという宣言を行っているのです。 (強制が絶対化されるので、その無謀な政策の結果、ギャング国家を奨励することになります。)
・都道府県の対立という、非リベラル的な退行現象も、自粛の意味論的混乱という〝失敗〟です。 既に、自粛の目標は達成されたとすべきで、都道府県全部の合意が〝なし〟若しくは〝カオス〟若しくは〝根絶〟ならば、遂行矛盾や無謀策に行きつき、やはり、ギャング社会への退行を奨励してしまいます。 都道府県の対立は、自粛の意味論的政策の行きすぎに対する、シャドー領域(無意識)のボイコットです。
・保守派は、ウイルスをうつされたくないので、かかることに怯えています。 一方で、リベラルは、集団免疫の仕組み上、一定数がかかることは当然だと帰結できるので、自分がかかりたくないのにリベラル面するのが、最も欺瞞だと、本当は分かっています。 そこが問題のポイントで、保守派には防衛をさせるべきだが、それ以上のことが必要で、個別にやればよく、リベラルは、緊張を緩めて、大切な他者のために、爆増を抑えられたタイミング以降は、うつされても構わない、よって、うつしても 繊細でいることができるだけでなく、気にしないことができる。 スウェーデンはこの洞察です。 うつされたくないと保身に出ると、今の都道府県間での嫌がらせ事件行為が横行し、結局は、ギャング社会を奨励します。 これは、子どもの社会とは全く違う、病理的な暮らしです。
・戦争行為によって、数えきれない人が 命を落とすので、二度と戦争はすべきではありません。 保守派は戦争をします。 ウイルスに対する自粛はデリケートで、人災だからと自粛を強制すると、保守派が間違った力を持ち、意味論的混乱のまま破壊的な核聖戦をします。 未来の地球が壊れます。 ウイルスは、決してそんなことはしません。 人です。 うつされたくないと思った結果、核爆弾を落とすのです。 自粛の根源的対象は〝戦争の火種になる行為の自粛〟であり、〝間違った防衛・抑制〟は、〝真の自粛の責任の放棄〟となり、国も世界も、このことを一番迅速に、繰り返し繰り返し 強調していくべきなのです。
・ウイルスは、人災ではありません。自然災害です。 交通戦争は、過失による個別の責任がありますが、社会システムとインフラの欠陥です。 弱者は該当者に責任を保険でしか補償要請できません。 真の原因は 法律を含む、社会システムにあります。 そして、道路交通には 移動という〝目的〟があります。〝リスクとリターン〟があるのです。 リベラルはすべてこのビジョンが基本であり、ウイルスの媒介は〝社会的な象限にある〟メカニズムで、そこに目的はなく〝リスクとリターン〟もありません。 つまり、過失としての責任は発生せず、保守派が誤解しているような〝犯人〟はいません。 誰も悪くはないのです。 悪者をでっち上げた分だけ〝損失〟が確定します。 ウイルスの媒介には 故意というものは無いとすべきであり、個々人の防衛責任という権利があるのみであり、その結果、医療崩壊を起こさせない緊急自粛も部分的にアリというだけであり、うつしても大丈夫、だからうつされても大丈夫、この精神が崩壊すれば、意味論的崩壊と遂行矛盾により、人は、知性による正直な自信を失います。
・すでに長く生きた老人たちは、生態系をいじって 高度経済成長に加担した者たちであり、その主要の責任を交通戦争含めて中心的に持っています。 ウイルスによる命の視点は、寿命の中に含めて受け入れるべき問題であり、安楽死問題と直結します。 誰も言わないので強調しますが、老人は独りぼっちが嫌です。 ウイルスにうつされたくないという顔をすると、残念そうにします。 平均的に、魂の知性が高いです。若者が学ぶべきことが多いです。 老人たちに必要なのは、心の健康、自由に秩序ある〝和〟であり、まごころです。 自粛だの人災だのは、混乱することで、この〝和〟を壊します。 私たちは、変わる時が来たのです。
・芸術が真っ先に差別される、ということが あってはなりません。 今回の自粛は、芸術家も含んだ合意でしょうか?――政府が、芸術を軽視している、と見なせれば、国民は政府に懐疑的になり、ギャング社会に退行します。 デリケートで微妙な問題もはらむ〝新作アニメ〟は、老人含む〝こころの和〟にとても重要な役割を果たすものであり、政府の勝手な自粛による意味論的混乱という強制で、制作を壊されている、と思われないようにする〝れっきとした事実を見せられる〟マージンは必要です。 学校と同じで、部分休校もあり得る、というような方向で、任意制作として、復帰するタイミングを間違えれば、何かを失って二度と戻ってこない気がします。 政府は、芸術を命とは関係ないと思って、軽んじているような現状空気なのですが、そうではないところを見せてほしものです。 テレビ局の方がその判断なら、政府が 芸術番組を 劣遇しないバランスで奨励すべきです。 電車を動かすなら、任意制作で、アニメ放映も動かすべきです。 焦って作ることだけ避ければよいです。 映画は 延期寄りでよいでしょう。
・私は、一週間、家から出ずに引きこもることができますが、国民のほとんどは無理です。 一人で秘境に行くという勇気も労力も持てないので、必然的に、〝運動〟の範囲内で、〝人が集まる定番の運動場である歩道など〟にお墨付きという安心感を得るために出かけていきます。 もちろん、集団で出かけ、集団ばかり集まっているエリアに行くのです。 これは、〝密集地を避ける複雑なアドバイスの元に奨励するアウトドア〟とは違います。 正しいアウトドアが奨励されない〝政府投げやりの軟禁状態〟が生み出した〝もがくようなボイコット〟です。 このままほおっておけば、確実にギャング社会に退行して、人それぞれ主義に陥ります。 何度も言いますが、交通戦争は常にそうです。パトカーも交通の流れを変えることができない現状で ずっと続いているわけです。 この意味でも、自粛の目的は〝医療崩壊の原因であるウイルス爆増を抑えること〟であり、すでにその段階は達成していると見るべきです。 無策な道路交通が引き起こした交通戦争により、〝人々は交通ルールを守れない〟ことが明らかになりました。 自分の命を守れて弱者を犠牲にするルールしか採用しません。 つまり、無策な自粛政策も、〝人々はルールなき混乱した現状を守れない〟ことは必至で、これに強制を加えても〝退行を奨励するだけ〟となります。 既に〝ウイルス爆増は食い止めた〟ので、その秩序ある〝ルールは守れた〟とするならば、自動車交通の暴走肥大化は、〝秩序あるルールによって健康化することが可能〟と見れます。 ウイルスは自然災害、自動車交通の戦争は人災です。 どちらを強化・強制すべきかは、明らかだと思われるのです。
・政府が権力に自粛の目的をすり替えてすらいる、と皆のフラストレーションの混乱がつのるであろう中、仕事に行くこと、電車に乗ること、野菜作りからインフラ事業まで、ありとあらゆることを〝罪〟だと思ってしまう人が後を絶ちません。 暗い社会になっていくのは目に見えていて、ウイルスのせいだと言うのは〝通用しない〟ことを見ました。 大震災を無かったことにできないのと同様です。 最初の原因が、ミクロとマクロの象限の違いにすぎません。 政府は、国民が〝罪を背負うことを助長、奨励すらしてしまっている〟現状です。 それは明らかに間違いです。 誰も悪くないのです。目的と相関する人災ではなく 目的を持たない自然災害です。それを伝える義務もあります。 (目的を持たないものを根拠に 目的を持った種々の活動を罪としているのです。) メディアも適当なことばかり言って責任を取らないからでしょう。 だとすると、政府はメディアにきっちりと〝人災ではなく自然災害〟だと報道させる強制力を持つべきです。 こういうところだけは〝言論の自由〟と結び付けられていたら笑えます。(笑えません。)――冤罪です。
・交通の場合は、自転車や30キロ制限の原付を4輪自動車が片側多車線の道で 追い抜く=追い越す 場合。 隣以降の通行帯で追い越さない場合、重い罰則を科すべきです。 1m空けて徐行・最徐行するなら構いませんが、ルールによりきっちりと決められているにもかかわらず、全く変わっていない現状の中で〝一番危ない〟交通戦争の原因のひとつです。 罰則を設けても大して取り締まられることは無いので、驚異的な人災である以上は、重い罰則を制定すべきです。 片側多車線の一般道で自動車が起こす暴虐の数々は、故意と言えます。 交通のインフラが脆弱すぎます。 これが無理なら、自動車が走れる一般道は、すべて片側1車線未満にすべきです。 自粛により、歩行者と自転車は爆発的に増え、用途もあります。―――こういった交通人災から何とかできないならば、政府が自然災害であるウイルスによって自粛を実質強要するのは 法的根拠としても空回りしているので妥当とは言えず、説得力も持ち得ていないことは、国民主権の全国民として、自覚すべきです。
・自転車の場合は、歩道で減速せず1mのマージンを極限まで削いでスルスル抜けてくる、停止義務のある交差点で(自転車運転により停車した例えば私の)後ろに止まらない、停止線を越えてすり抜けた後 信号無視と予測不能の行動をする(自動車のせい)、一旦停止せずに横道から突っ込んでくる、突如曲がったり 歩道から飛び出してくる、歩行者がいても徐行しない、(例えば自転車に乗っている私の) 安全運転義務とその振る舞いを理解しない (状況による 押して歩く選択の瞬間からは 歩行者になる、歩行者視点で ルール崩壊の自転車を見ることにもなる)。―――自動車のせいで車道が走りにくいと、散々な目に逢うので、自転車も取り締まってほしいけれど、結局は自動車の独壇場。 ルールを知らない大多数の自転車と ルールを知っていて故意に横暴な ほとんどの自動車。 ウイルスと比較にならない凶悪さです。
・自粛が長引くことで、劣遇された数々の営みはどうするべきか?――(一部の 健全性のコミュニオンに大きく逆らう営みは別にして) 店を閉めるのが当たり前・従わないと罪と言い切る人、政府含む。――そういう人々は、7日間、一度も家から出ない、くらいは、複数回 やらなければならない。 つまり、権力を振りかざしてはいけないし、罪だと言ってはいけないのです。
・現状、大多数が仕事に行くことで、自粛の目的が〝根絶ではなく爆増の抑止〟であることに〝合意〟しています。 ぶっちゃけると そういうことです。 慎重な判断を要しますが、劣遇された職業があってはなりません。
・今回の結論は、〝ウイルスは意図を持たない自然災害であり、誰しもが例外なく、人ごろしと言われてはならない、徹底した情報的説得が必要である〟ということです。 そのために、なぜそうであるのかを自分で考える、知性を使います。 実践の絶好の機会です。
2020年04月09日
【社会現象】 2020年 知性溢れる見解と実践の覚書 (真剣ver.)
posted by インテグラルとど at 13:24| 実用的生活実践
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