2018年10月03日

シンプルと無謀な贅沢 ~〝楽しみ〟と〝究極の関心〟⑩~

本来の功利主義とは、必要なものを供給できる社会です。

私は〝1年寝かせたお米〟(最近精米したもの) がおいしいと感じるのですが、〝まずい〟と言う人もいるようです。 味覚もあると思いますが、贅沢な人だとすると ちょっと軽蔑します。

必要最低限・・・とは言いませんが、アウトドアはサイクリング中心とか、かなりシンプルな持ち物状況の方が〝応用が効きやすい〟と感じます。

無駄に欲望主義であることとは〝何のかかわりも持ちません〟


即ち、エンターテイメントにおいて〝本物〟とは、と問うていくと 〝インテグラルに健全なもの〟と言うことになります。

現在の乱立した〝大人の深さの意味がないセールス言葉〟の規格では、エンターテイメントは堕天します。

情報が整理できないという 統合上の良く知られた深さによる欠点だけでなく、無駄に子どもを誘う 意味不明の本能至上主義的な〝健全性を迷子にさせる〟弊害こそが、これからとても注意深く 見抜いてサヨナラしていかなければならない歪みです。

そのために、最低、インテグラルな理解とその実践が必要だろうと私は言います。
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2018年10月07日

スピリチュアリティのピュア ~〝楽しみ〟と〝究極の関心〟⑪~

台風をはじめ、最近、異常気象が認められてきました。

核実験をはじめ、戦争各種は 結局地球を壊し、功利主義を破壊し、人類も破壊します。

兵器保有が合理的・・・というのが狂っているという簡単な理由です。


啓蒙主義が霊性を捨てた。

ということを理解するとしても、歪みを取り除いて健全に統合していくのは容易ではないのではないかと皆思っていると思います。


霊性には、〝高次の段階〟〝究極の関心のライン〟〝状態-段階 の熟達〟〝愛や良き態度と行い〟と言う風な少なくとも4つの定義がありますが、4番目が今回の議論の健全性に近いとしても、この4つ全てを実践に入れることができるスケールでないと、〝容易ではない〟が継続するでしょう。

認知だけ高次で幼く歪んだ霊性のライン、と言う勘違いの独裁者気取りが多い中、種々分野にて才能が加わる惨事を考えると、分野を越えての統合的対話が必要です。

真善美は、霊性にて統合しよう!という意味での〝インテグラルな健全性〟のお話です!
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2018年10月10日

どうすればステキに楽しい? ~〝楽しみ〟と〝究極の関心〟⑫~

私は、楽しくないことも多いです。

ケン・ウィルバーが、本を書く寸前に〝恍惚状態だった〟と言っていたこともありましたが、私も〝楽しい時〟に まともなものが書けます

曲作りにもライブにも、旅行にもレジャーにもデートにも言えて、以下同じです。


即ち、インテグラルなスピリチュアリティと言う名の健全性とは、その意味での〝楽しみ〟とは何か?

そう問うことになります。


私が昔友だちから聞いた噂に〝廃人〟というのがあって、なんだかとても怖くなりました。

今の私の理解としては、〝楽しみを嗜好物に還元して 自分を鈍らせ続ける〟ことで、次第に人生に意味を見いだせなくなる 生活習慣だと思っています。


スピリチュアリティを恐れがちな現代において、至高体験を健全性とインテグラルによって安全に理解体験し、上記の誤った〝生活習慣〟に陥らないようにしよう!というのが、私ないし統合的実践の主張です!

どちらにせよ、そういった健全性を包括的に理解しない場合に〝所与の恐ろしい廃人像〟が出来上がってしまうのです。

そこに奇妙な点は無いです。
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2018年10月15日

続・どうすればステキに楽しい? ~〝楽しみ〟と〝究極の関心〟⑬~

バイタリティならと思い、自転車に乗ると、大きな責任が発生することに気付かされ…。


歪み次第だとは思いますが、やはり 〝自由〟の意味が、重要となります。

自己中心に何でもやり放題というのは、子どもっぽいのではなく〝歪んだ大人〟です。


楽しみとは、確かに他者への思いやり、公共の福祉の精神に基づいたものでなくてはなりませんが、よくある義務感で行う行為が楽しいはずがありません!

歪んだ稚拙さでもなく、俗に大人びた行動でもなく、そこに健全さとインテグリティを浸透させる意味が見えてきます。

良い意味で素直なこと

ただし、騙そうとする人がいるため、知恵を身につけると懐疑的になりがちで、そのバランスの歪みがまた〝楽しみ〟を剥奪するという難しい問題があります。


よって、次世代の子どもは宝物なのです。

私たちがきちっと守れれば、次世代は 私たちよりストレスが減る状態で 世界を生きながら成長し、上記の複雑な問題自体を解決することに繋がります

そして、それを私たちが即座に理解することこそ、私たちの楽しみに対する〝難しい問題〟自体をクリアする、大きな経験になるという賢人的な事実も、これからは常識です。


といったことをふまえて、私が楽しむためにはやはり、人を疑う場合に備えて自分の得意分野で人にやさしく振舞う、楽しいイベントに感謝し 理解と機会の損失を最低限にして 継続していく、そういった実用的・倫理的実践が効くのだと思います。

ヴィジョンはやはり大事です。
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2018年10月20日

子どもと保守派の違い ~〝楽しみ〟と〝究極の関心〟⑭~

インテグラル理論を読み解くうえで、なぜ健全性の理解が必要なのかを、もう少し説明します。


保守派と子どもの違いから。この辺の理解が重要です。

保守派は大人の中から分類されるとしますと、そもそもリベラルへ成長しなかった大人には何らかの社会文化的な圧力ないし歪みがあったのではないか?――と想像できます。

児童は、そもそも これからリベラルそしてインテグラルへ向けて成長するポテンシャルがあります。

これが、子どもと保守派の違いです。

保守派が不健全と言うわけではなく、保守派とリベラルのタイプ以上に、保守派と児童の〝健全性≒ポテンシャル〟の違いに注目できると言いたいのです。

保守派(と言うより ここでは原理主義者)の主張が〝子供じみている〟というよりは、〝子どもの時に問題に直面した部分に関連した主張〟と言う風なシャドーモジュールのテーマになる傾向があると思います。

ポテンシャルが切り離されている、と言えるのかもしれません。


魔術的な段階の歪んだヴァージョンの〝テロリスト〟には さらに上記を濃く適用できそうです。

幼児とテロリスト、ほぼ関連がないでしょう。

発達心理学上で似た道徳段階等だからと言って、この二者を一緒にするのは 健全性・潜在性の面からも あまりに不適切です。

もちろん、表面上は、稚拙なテロリストの主張が〝幼児の研究を参考に心理学等において理解できる〟ことはできるでしょうが、健全性が乖離しているという〝特有の病状〟の方を本腰入れて理解しないと 要点がスカスカになる、と私は主張します。


子どもの希望にあふれたスピリチュアリティの芽と、乖離した大人の(統合失調的)生活習慣病の 直接的関連性の無さの理解こそ、〝統合的スピリチュアリティ〟を日常に適用する鍵なのです。

(両者の妙な創作的混合物とも未関連です。)
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2018年10月25日

音楽・ライブと スピリチュアリティ ~〝楽しみ〟と〝究極の関心〟⑮~

芸術と楽しみを論じるにあたって、私の経験する音楽領域にて集約します。

基本は各自が各分野にて適用できるものです。


ヒット曲は時代に移り変わりつつも基本構造を持ち、必ず源流があります

その流れは、インテグラルなアーティスト同士の繋がりとなり、意識していようといまいと、有名無名問わずに、時代や統合的な立場を反映します。

さらに、似た思想を持つ多くの他分野の人々とも対話することになります。


おのずと作詞も進化します。

明るくなったり、微細的・元因的・非二元的な経験を日常風景に持つような作風になります。

過去に書いた歌詞が意外にも道中の風景であったことや 他の統合的音楽家が同じく自分の源流を思い出してくれるようなものであることが 分かってきます。


大切なのは、似た経験を持ったアーティストより、他分野に広がっていくことです。

資本主義を保存はしますが、儲け主義の外側にあることが容易に分かるものです。

なまじ、当事者同士にしかわからないメッセージ(統合的リンキング)を伴うため、意外過ぎる方法でピンポイントコミュニケーションができ、多くの人々に気付かれないという軽さをも後押しする効果があります。

インテグラルな社会と文化を伝っていくということです。


そして、ライブは、そういった経験から導かれます。

大規模なものから簡素なものまで、ありとあらゆるヴァリエーションが想定できます。

表面だけの儲け主義とは関連性のないものですが、はたから見ると よく分からないでしょう。


と言う風に、インテグラルな世界空間から芸術を見ると、地球的つながりの他、他分野にまで 立場を越えて繋がっていく すてきな実質がある上に、今まで感じたことのない深さの健全性と楽しさが生まれ、継続していきます

それはかけがえのない生の経験となり、表面のみでは 或いは歪みでは〝決して真似できない〟ものにて、開けっ広げのコミュニティの判断を伴って成り立ちます。


芸術分野もまた、科学と道徳を含み、健全性を統合段階で発揮する中で、スピリチュアリティを輝かせるのです。
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2018年10月30日

ピュアな楽しみのライン♪ ~〝楽しみ〟と〝究極の関心〟⑯~

様々な方向より 健全性について述べましたので、そろそろ 結論に近づこうと思います。


ケン・ウィルバーが〝真善美は啓蒙主義において分離し、霊性は捨てられた〟と主張している通り、私が言いたいのは〝健全性を成り立たせるのは科学と芸術と道徳のバランスであり、スピリチュアリティの潤いがそれを促進する〟ということです。

そして、スピリチュアリティの定義の中で最もシビアな〝究極の関心のライン〟の画期的な理解と経験を持って〝スピリチュアリティの健全性の意味〟が真に共有でき、〝楽しみ〟の価値が 分かってきます

そこで得られる視点は

究極の関心のライン≒善き楽しみのライン

ということです。


霊性の発達ラインはモラルのラインと似て 捉えるのが難しいのですが、芸術も根拠としての霊性のラインは〝健全性を伴った楽しみの発達ライン〟あるいは〝健全性を促進して真善美を繋げる 快い生の実感を感じるライン〟と言えると思います。

健全性より程遠い人物による〝楽しみ〟の主張が、〝統合的なスピリチュアリティのテストより拒否される〟明確な理由です。

そして、楽しみの発達ラインは、不適切な主張をしていくのではなく 良い意味で それにかかわりを持たないのだと 分かっていただけたと思います。


善いことは楽しいことであり それが真実であることを伝える〝霊性〟という発達機能があるわけですね。
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