2018年05月05日

みんなの気持ちで世界は変わる! ~ベーシックインカムと〝バイタリティの統合〟⑪~ ≪FIN≫

私の主張は、クリシュナムルティの考え方・実践方法がベースにあると言えます。理論的にはケン・ウィルバーです。

ベーシックインカム自体は未知数ですが、確実に言えることは、こういった聖人や賢人が主張してきたこと、そして少しずつ進化させてきた〝内面的なスピリチュアリティの発達(ライン)〟に関わる領域と親和性抜群だということです。

少し支給の方法を変えるだけですが、オートメーション化の恩恵を正しい形でフィードバックするのがとてつもないことなのです。

昔に、共通の通貨システム(現 為替レート)を世界中で創るのに苦労したのと同じです。


他には、家賃が高騰しないか?マイナーな土地に引っ越さねばならないのではないか? ですが、古い家が多くなるし 変なことをすると破たんするので、法律でも調整できればいいですが、上がるかもしれないし下がるかもしれないし どっちでもないかもしれないし、概念的な経済の勉強を丸ごとするようなものです。(ただしより深く。)


クリシュナムルティが言うように、〝表面ではなく根源的なところから革命を起こさなければならない〟わけです。

ケン・ウィルバー的には〝地球問題を無くすのは 私達の深いところによる合意だ〟ということなのです。


さらに他には、自転車や徒歩での田舎生活の差別や空気はどう変化するか? でしょうが、自由に都会に出られる気もします。


バイタリティの議論は前半にしましたが、ILPなどで実践して自己実現に適用して初めて意味を成すものです。そのためのベーシックインカムです。

途上国についても、これがうまくいくことで、一気に経済格差をなくし 世界規模のベーシックインカムだって実現できるかもしれません。

あるいは、ケン・ウィルバーは、仏教徒的な意味で〝皿洗い(ある種の地味な作業)〟に憧れたと言いますが、私達が皆、そういった何らかの作業をたまにやることが欲求となるような時代がむしろ来るかもしれません。

例えば、私の場合は、時間があるので、たまに行う 簡易野外ライブの前にごみを拾っています。

結局は、ベーシックインカムの後でも、都会も社会も緊張感も存在します。

また、ネットを使っている人が多いので、結局は色々とおもしろいサイトを見つけて、自己実現の基礎を集団規模で皆学んでいる、と言えそうな気もしています。

最近の問題の多くも 大人の不良のようなもので、社会が変われば意外といい子になるかもしれません。

バイタリティについて、コミュニケーション障害にエストロゲンが効果的だとして、実際の社会で自然に自己表現する女性性ないし両性的な柔軟さとは、物事に変に惚れ過ぎず バイタリティをコントロールできないものでもあらずの、しかし快い(ある種の幸せ物質が微細に感じるような)バランスをとるべきものですので、禁欲も溺愛も(鍛錬と影セラピー 異なる実践両者が それぞれ)単に極端な方向に行かない かなり強烈に生き生きした 生の表現がドワーッと出るような 妥協のない快い表現を自然に目指していくべきです。 身体だけではなく、心から心身へ。 これが単なる身体による固着溺愛ではないと区別できるようになれる時代が来れば、両性が適切な距離にて笑顔で ふれ合える すてきなリラックス社会ができるでしょう。

深いクリエーターとそのコアなファンは両者とも資金がないことが多く、例えばアニメは多くの人々を制作に必要としますが、ベーシックインカムの導入後は、深いアニメ作品がより多くなり 円盤の価格も下がりそうです。長編を何度も見返したり 定番漫画のアニメになっていない部分がアニメ化されたりするかもしれません。 或いは制作が面倒で制作費がより掛かるならば、これまでのアニメを適度に見ることになるのかもしれません。

コアな歌手や無名の歌手の競争に対する価値観の変化、アイドル達のバイタリティの価値観の変化、なども起こるでしょう。

皆が子どもを産み過ぎると ベーシックインカムが機能しなくなるかもしれないですが、途上国じゃあるまいし ここまで晩婚化や個性化の進んだ現代、確かに道徳段階の差によって意外と前リベラルの夫婦が子どもを多くつくるかもしれませんが、子は親を選べないからこそ ベーシックインカムの意味があるわけで、子どもの命をしっかりと認められるような社会展開と 子どもを産み過ぎる世帯などの状況に対して皆で良い方法を考えていく余暇を持つことができるというところが、第2層の最先端の制度となる所以なのです。

無理な労働は減少するでしょうが、着眼点に 「ドライバーとオートメーション」について、「健康な人の増加に 医師と過労の関係の緩和」 もありますね。


と、論じ損ねた話題をいくつか出しましたが、すでに豊かな文化が地球上にわんさかありますので、地球が適切に続いていくならば、割とすぐに、素晴らしい出来事が起こるでしょう

そのために これだと思うことをしつつ、何らかの努力を惜しまない実践が、良いですね♪
posted by インテグラルとど at 07:00| Comment(0) | 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

健全なアニメとは? ~アニメニーズと無意識の浸食①~

ワンピース程、ロングでやっている続き物は少なくなりましたが、そういった代表作を独占させすぎない方が良いとして、過剰な平等主義が謳歌していたのが、最近までの風潮でしょう。

それを経て、ワンピースが子どもに見られなくなったとのうわさも聞きましたが、一方で、「(同じ掲載誌重点で?) ワンピース以外は微妙」との意見も聞こえています。


・権力が集中するとよくない?

・原作とアニメの創作意図(志向)の分離。

・アニメの方がひどいシーンがひどくなる。(漫画の固定絵の方がそれを曖昧にできる点など。ワンピースは原作の時点で きちっと配慮しています。)


こういった点を、現在起こっていることを踏まえて、解説していきます。


[全17回を、毎日更新します。―― 多少背景が入り組みますので、勘などより 必要とあらば 後から まとめて読んでください。]

posted by インテグラルとど at 15:12| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

ダークファンタジーの定義 (その1) ~アニメニーズと無意識の浸食②~

人生は、山あり谷ありです。

つまり、根源的には ダークもライトもありません(笑)

上記は、〝ファンタジーの中にある〟と思っている人が多すぎる気がしますが

ほぼ、ありません。

ファンタジーだけが〝ダーク〟なわけでも、ダークのすべてが〝ファンタジー〟に収まるわけでも ありません。

こういった定義の混乱と おかしなイメージ化により、そういったストーリーを〝ファンタジー〟と見なして書く傾向もあります。


または、「魂の闇夜」って知ってます?
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2018年05月14日

ダークファンタジーの定義 (その2) ~アニメニーズと無意識の浸食③~

言葉には力があります。そして、定義の混乱は、即‐現実に影響します。 (そもそも言語化はリアルでしょう。)

そもそも、ストーリー自体が〝創作〟であり、現実全ても、ポスト形而上学によれば、〝創作 (主体が意味を付与する〝視点〟)〟です。

以上のことから、(ビジュアル系と言われるのを嫌うアーティスト(笑) と似てきますが)

ダークファンタジーに分類されている作品は、たいてい

定義不可能分類不可能と投げられている(幾つかの根拠を伴う事実から〝これもアリ〟だとされているが、実際は まとまった「より正しい流れ」に基づいて把握されないブラックボックス)

と思います。

最大の理由は、上記〝定義が混乱している〟からです。

ぶっちゃけ、すべては、何らかの意味で、ダークでしょう(笑)

だから、〝ダークを独占しているストーリー〟と、おかしな意味になるのです。

(暗闇を変な風に曲解して、強烈な嫉妬悲劇と共に、自己感覚をマヒさせて、[吉福さんの言う「悲しみの共同体」を癒しに使わない 捨て利用の意味で] 悲劇憐憫に気取りたい人向けに〝ナルシシズムだけが残っている作品〟と、インテグラル陣営に取られても仕方がないのが現状ですね。また、分類は作者が意図していないこともあるでしょう。)
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2018年05月15日

外国では「少年漫画でも破壊的な大人向け」 ~アニメニーズと無意識の浸食④~

アニメブームの一方で、異教の秘教に引っかかっているだけの外人さんも多いだけの〝ナルシシズム再活性化〟が起こっているとも見れましょう。 (アメリカの仏教文化が、そうでしたよね。成長していくために、低位からスタートせざる負えない。)

先ほどの「ダーク・ファンタジー」の例ならば、作家自身が、そう言われないよう、もしくは 通例とは違う意味ですよと定立する努力をするべきでしょう。

また、思ったと思いますが、〝定義を知る必要はありません〟 。

誰でも、何らかの分類で見ていますが、そもそも、〝定義にとらわれる〟ことがややこしさの原因で

簡単に把握するための〝定義に何が反映されているか?〟というインテグラル陣営の意見があるにすぎません。

〝こう分類されているからダメ〟とか、そう単純なものではないわけです。


(補足ですが、[内なる]子どもに害のある〝し好物〟が 上記の〝大人向け〟の意味になると思いますので、その場合は深さ(ホラーキー)が壊れている意味で〝ダメ〟であることは、最近のワンピースが主張する通りです。)
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2018年05月16日

原作とアニメの温度差(創作意図) ~アニメニーズと無意識の浸食⑤~

実質、原作の方とアニメ(映像音声)では、いろいろ違います。

原作者が指揮するか、さもなくば、静止画や文字という限界の中で〝作者が表現したかったもの〟を多元的に解釈して制作する 必要があるのです。

別視点では、映像音声(アニメ)で定立されている雰囲気(作風)は、作者が注意をしない限り 「原作者の意見」と 視聴者に処理されてしまうでしょう。

下手に、「原作と似せる気が無い」と言われるものも、その範疇です。 (最近多いみたいですね。)

何が問題かと言いますと

アニメの方が描写が過激(リアル)になる〟ということなんですね(^^ バトルとか。
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2018年05月17日

ブロックアニメ(クール性)の〝つくり続けたくない主義?〟 ~アニメニーズと無意識の浸食⑥~

要は、定義の混乱による、「爆弾(社会文化的に非難されて後で気付くものその他)を抱え続けたくない」と、(毒舌風ですが) そう思う気持ちも分かります。

ワンピースみたいに、原作基点でいいものを長くやってくれると、見る方も〝楽〟なのですが

「また新タイトルを、1話から見なければならないのか」の重ねる先には

〝ああこれね? それはこんなの〟主義(大まかな内容だけ頭に入れて眺めるようにあらゆる作品を軽薄に見ること)になります。 (人の情報処理ポテンシャル[主に集中して時間を取ること]は、そんなにありません。)

クール性にいいところもありますが、「せっかく苦労して見つけた お気に入り作品」がすぐ終わってしまうので、疲れない人はいないでしょう。 (本気で好きなら、完結までずっと見たいと思うはず。原作2巻程度完結の話は稀です。)

まぁ、情報(タイトル)がありすぎるということですね。 (社会も文化も、誰も処理しない。)
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2018年05月18日

前情報ない描写に注意 ~アニメニーズと無意識の浸食⑦~

近年、悲劇の描写を曲解している、経験の浅い作品が目立ちます。

幼い(大人?の)陣営で自己(文化)完結しているからでしょう。

前情報なく 女の子の絶叫をリアルに描写するシーンなどが、深夜アニメでなくとも(子どもが見る番組として)目立つようになってきた背景には

「本能のままに欲望(夢)を叶えよう」を暴走させてしまいかねない「シンボル過多の(人形的)アイドル主義 Σ(゚Д゚)」があることも一端です。(ナルトの「イチャイチャパラダイス」で作者が言いたかった 真の意図は何なのか考えてみましたか?)

ワンピース「ドレスローザ編」では、レベッカが絶叫するのは あらゆる回想含むシーンの積み重ねと「もうラストにゴールにつながる」期待感の中での、最後の最後です。

そこまで、ヘルシーに書き続けられないのなら、そんな描写入れる資格ないです。 (例え何を表現して赦されるグリーンの優しい文化があるとしても)

それなら、観光地で静寂に浸り ゆったりしていましょう。 (疲れる期待外れの描写って、いやですよね?)
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2018年05月19日

敵キャラの健全度とは? ~アニメニーズと無意識の浸食⑧~

前回の議論として

〝敵キャラの重要性と魅力意図(反面教師やシャドーの統合など)〟を 大衆に曲解させかねない

ところまできて、次世代は相次いで やりすぎてしまうということです。

特に、マジェンタ(2) アンバー(4)などの シャドーを含む指示対象(キャラクター)を、敵を含んで描写する場合には、その総合的な意図を統括する作者の知性的意図(道徳段階ティール(7)以上)が、粗く見ても必要です。

部分しか見ない作家(漫画家など)は、そういった指示対象を書くのですが、残念ながら〝しばれていない〟ので、作品が分解しています。

(ここ2年くらいは 私世代を中心とした既存のタイトルのアニメしか見ておりませんので 最近のタイトルは分かりかねますが、新参?作品の 社会文化的流れ[課題]は 論じることができるでしょう。)

悪魔的な所業(2)を描く場合でも、病気の理不尽さ(4)を描く場合でも、それがどういう風に起こって この段階(5など)で〝どういう風に受け止めればいいか〟を きちっと受け手に示せることが必要なのです。

つまり (ワンピースで縛れて、主張していない以下)

ドフラミンゴが堂々と世界を破壊しました ちゃんちゃん♪

に、崩壊していくというわけですね。 (結局勝っても 自分たちの破壊性を目の当たりにしただけで、何の解決にもなっていないということ。自分の力量と順序を間違えた、カテゴリーエラー。)
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2018年05月20日

意図せずショックを与えない配慮 ~アニメニーズと無意識の浸食⑨~

前回までの議論の〝前情報ないひどい描写〟は、当然

〝説明などしていても 計り違えのカテゴリーエラーにて押し付けている〟ものも含みます。

(そういった点を踏まえて 順当に積み重ねていく必要があります。)

目を背けてはいけない〝事実〟があることは明白ですが

〝客観的事実(Q/4)と 主体の状態(Q/1)〟その他もろもろを 多元的に把握して適切に描写する必要がありますので、上記は〝第2層(成熟した方)向け〟です。

部分を見て全体が見えない人(又は浅い全体しか見えない人)には、向きません。 (不完全な脚色された客観を、暴力的に視聴者の内的世界に押し刷り付けるだけになるからです。)

そして、アニメ制作の方は、以前述べた〝原作よりシーンがリアルになる〟〝原作者の意図と制作意図が分離してしまうことで 内容の根拠(メッセージ)が変わる(落ちる)〟点を、ふまえていてください。

普通は見ると分かりますので、まぁ〝第2層が見ると疲れる作品〟は 子どもにも大人にも良くない と言っておけばいいでしょうかね。
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