前回より、誤った歯車式社会は 電車に飛び込む人をはじめ おかしな思想や荒廃したアクティングアウトの負の増大を加速させ、財産を無機的に増やす層は 無頓着のまま 資金と営みが幽霊化するのが問題でした。
これらは、どんどんカオスな風潮の苦しみ‐溺愛(人間の奇妙な病的形態)の感染を広げ、さらに資金が意味のない物やサービスへと変貌して、自他の心身・地球環境を壊し、戦争を終焉させる地球的知恵を削ぎ続けていきます。
ドラマでも21世紀初頭頃によく描写されている〝学校内の悲惨ないじめ〟が 大体のその縮図で、人間の成長上の奇妙な病理的性質は 社会の歯車(極端な資本的な縦社会)を採用している企業ほぼすべてに及ぶような〝ブラック企業の業務形態性〟として (パワハラやリストラなどで) 浸食し続けている、点は重要です。
こういった点は、現代の人々のセクシュアリティの強迫的性質(少年A的な ―― 或いはナチスないし おかしな黒魔術の信奉みたいなものをはじめ 種々幅広く) に 色々な混乱した影響をネット社会と共に蓄積し、目をつぶることは許されない(戦争へと発展する直接的原因になる) と言い換えられます。
私達の普通の空想(妄想)も影響力の圏内です。 (現代人は性が強迫観念になったと、啓蒙主義‐フラットランドの論で ケン・ウィルバーが主張している通りです。 霊性の未成長・矮小化と 資本主義の暴走・ネットの発達で 取り返しのつかないところにまで来ている気がします。)
この風潮の解決ワクチンとして重要なのは
〝バイタリティを制御‐それぞれに合った適度な禁欲 にて 鍛錬‐統合〟すると共に 表面上その逆に見える 〝強迫的な影の性向を (時に無害に溺愛することによって) 体験し 影と対話してその部分の排除していた事実(症状‐原型)に気付き 感情のセラピーとして自分のものとして適切に所有できるまでに鍛錬する (ゾーン5 支点1・2のシャドーワーク)〟2つを同時に実践していくことです。 (ボディ・マインド・スピリット・シャドーにて。)
セクシュアリティの禁欲主義者は、シャドーを無視する傾向が強く 何らかの別のゆがみとして表れて社会の混乱を助長しかねない点に概ね無頓着です。
逆に セクシュアリティのシンボリズム(例えば一種のユング的なもの)に溺愛奨励するような陣営は、シャドーを強化するだけで〝支点1・2 ゾーン5 のシャドー・ワーク と バイタリティの鍛錬‐統合 (ILP) に両方とも無頓着〟なので 社会のカオスを間違って溺愛させる確信を与えるだけです。 (特にIQ至上主義に甘やかされている人々に多いですよね。)
社会の(病的な)歯車の外に立つのが怖いあまり抑圧したり否認している側面であり、あなたが恥ずかしいと思うあなたの中の側面を〝コミュニケーションの表現に使えるまで 洗練‐統合〟できれば、余計な強迫観念が無くなり、時間も生まれて、幸福が向こうからやってくるのです。
人生の意味をはっきりとさせるような、好きなことを自由にして人に喜ばれるような人間になる、そういった実践のための〝資金〟が ベーシックインカムにより実現し、社会の歯車への依存から卒業できる人が増えるのです。 (そこから正しく出られない限り、バイタリティの根源的統合は難しいと思います。 霊性の深いところも含め、正しい判断ができないからです。)
2018年03月05日
バイタリティの洗練とセラピー 両方必要! ~ベーシックインカムと〝バイタリティの統合〟④~
posted by インテグラルとど at 08:58| 実用的生活実践
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2018年03月13日
すてきに輝く太陽のように 核なき世界へ ~ベーシックインカムと〝バイタリティの統合〟⑤~
太陽は、私達の昔ながらの天からの〝ベーシックインカム〟です。
太陽の環境(それ無しでは進化しなかったこと)が私たちの内部に包摂されているということは、そもそも 私達のこれから、地球市民社会における脳と心と世界は 現在地球規模で先進国から試験的に導入され始めている〝ベーシックインカム〟を包摂する (同時に創発する) のと同じ深層構造(ベクトル)です。
それが、核爆弾を地球から無くし 同時に 時間と活力的余裕ができる人類による〝核融合発電によるエネルギーシステムの進化〟をも生み出すと言えます。 (より深い太陽の環境の包摂。)
アフリカ大陸や南アメリカにて〝核(兵器)なき世界〟が実現しているのは、主要先進国(ここでは日本やアメリカ等)の極端に肥大した病的な資本主義(バイタリティのゆがみのスパイラル)が〝核なき世界の妨害となっているから〟と気づけば 少し深く理解できるはず。
そもそも、貧富の差が増大している我が国では、大多数の仕事に追われている人々が〝世界のことを自由に考えられない〟いわば (昔の奴隷制度の解放の後にも続いた 資本労働による)〝自己環境‐奴隷 状態〟のまま 現状悪化しています。
こちらも開放して、自己実現型の〝地球市民社会〟の実現に向けていかなければならない、多くの個性や才能・活力が〝地下で埋もれたまま〟世界の核兵器が無くならずに環境が破壊され続ける おかしな現在を理解できない(しない)のは もはや〝時代遅れ〟だ ということですね。
こうやって、資金システムの循環・バイタリティ・セラピー などを〝多角的〟に捉えて同時実現していく必要があると 捉えておいてください。
太陽の環境(それ無しでは進化しなかったこと)が私たちの内部に包摂されているということは、そもそも 私達のこれから、地球市民社会における脳と心と世界は 現在地球規模で先進国から試験的に導入され始めている〝ベーシックインカム〟を包摂する (同時に創発する) のと同じ深層構造(ベクトル)です。
それが、核爆弾を地球から無くし 同時に 時間と活力的余裕ができる人類による〝核融合発電によるエネルギーシステムの進化〟をも生み出すと言えます。 (より深い太陽の環境の包摂。)
アフリカ大陸や南アメリカにて〝核(兵器)なき世界〟が実現しているのは、主要先進国(ここでは日本やアメリカ等)の極端に肥大した病的な資本主義(バイタリティのゆがみのスパイラル)が〝核なき世界の妨害となっているから〟と気づけば 少し深く理解できるはず。
そもそも、貧富の差が増大している我が国では、大多数の仕事に追われている人々が〝世界のことを自由に考えられない〟いわば (昔の奴隷制度の解放の後にも続いた 資本労働による)〝自己環境‐奴隷 状態〟のまま 現状悪化しています。
こちらも開放して、自己実現型の〝地球市民社会〟の実現に向けていかなければならない、多くの個性や才能・活力が〝地下で埋もれたまま〟世界の核兵器が無くならずに環境が破壊され続ける おかしな現在を理解できない(しない)のは もはや〝時代遅れ〟だ ということですね。
こうやって、資金システムの循環・バイタリティ・セラピー などを〝多角的〟に捉えて同時実現していく必要があると 捉えておいてください。
posted by インテグラルとど at 22:30| 実用的生活実践
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2018年03月21日
心理学的なセラピーと道徳的な鍛錬 ~ベーシックインカムと〝バイタリティの統合〟⑥~
今回からは、具体的な私たちの近況を、インターネットの情報などを中心に照合・熟考して いろいろと 軽く議論していきたいと思います。
まず、セラピーについてですが、ILP(インテグラルな実践)では〝シャドー・モジュール〟〝シャドー・ワーク〟と呼ばれ、フロイト先生の〝エゴとイド(=私とそれ)〟時代から変わらぬ〝それ〟です。
抑圧や影として心理学でよく出てきます。
私が言っている〝ゾーン5〟は、本来の心理学の気持ちの領域〝ゾーン1〟の〝身体内部の感覚版〟にあたり、内面に対して外面のことです。
支点1と2は、前言語的領域であり、まぁ、動物的領域ですね。
人間の場合は、歪んで発達すると破壊性が激増する形で疾患となります。 (戦争は一例。集合的な 社会や文化のセラピーも必要なことは言うまでもありません)。
支点1と2は〝抑圧されるほど強くはない〟領域であり、〝セクシュアルなエネルギー〟即ち快楽原則などにて〝前抑圧的な抑圧(固着と抑圧が未分離で同じようなもの)〟として自己の地下に種々理由で蓄積され続けていく、さらに支点3以降の抑圧でもう一度以上抑圧されていく(アートマンプロジェクト的に言うと サイン[原型]がシンボル[症状]に更なるシンボル[症状]に 疎外されていく)、あまり宜しくはない〝無意識〟として外側に投影されて 人々や社会などに迷惑をかけつつ自分が不幸にもなる 誰でも日々形作っている、そういった領域です。
ベーシックインカムにより、病的な社会に適応する以外の道を選べるようになることで〝自分の直観〟を初めて信頼することに成功する人もいるでしょう。
このとき、見える景色 (例:本格的に自由に自転車に乗ってみよう) が、フロイトの支点1と2の〝シャドー・ワーク〟と、〝バイタリティの鍛錬〟両方の正しい統合の重要な感性的ヒントになる、はずです。
繰り返しますが、(ゾーン5の)シャドー・ワークは自分が惹かれる対象などを(プライベート基点で無害に)溺愛してセラピーすることもある半面、バイタリティの鍛錬では〝溺愛からの卒業‐自然なコミュニケーションとしての快い表現〟と、〝表面上逆の道〟を辿る必要がある、点をおさえておいてください。
まず、セラピーについてですが、ILP(インテグラルな実践)では〝シャドー・モジュール〟〝シャドー・ワーク〟と呼ばれ、フロイト先生の〝エゴとイド(=私とそれ)〟時代から変わらぬ〝それ〟です。
抑圧や影として心理学でよく出てきます。
私が言っている〝ゾーン5〟は、本来の心理学の気持ちの領域〝ゾーン1〟の〝身体内部の感覚版〟にあたり、内面に対して外面のことです。
支点1と2は、前言語的領域であり、まぁ、動物的領域ですね。
人間の場合は、歪んで発達すると破壊性が激増する形で疾患となります。 (戦争は一例。集合的な 社会や文化のセラピーも必要なことは言うまでもありません)。
支点1と2は〝抑圧されるほど強くはない〟領域であり、〝セクシュアルなエネルギー〟即ち快楽原則などにて〝前抑圧的な抑圧(固着と抑圧が未分離で同じようなもの)〟として自己の地下に種々理由で蓄積され続けていく、さらに支点3以降の抑圧でもう一度以上抑圧されていく(アートマンプロジェクト的に言うと サイン[原型]がシンボル[症状]に更なるシンボル[症状]に 疎外されていく)、あまり宜しくはない〝無意識〟として外側に投影されて 人々や社会などに迷惑をかけつつ自分が不幸にもなる 誰でも日々形作っている、そういった領域です。
ベーシックインカムにより、病的な社会に適応する以外の道を選べるようになることで〝自分の直観〟を初めて信頼することに成功する人もいるでしょう。
このとき、見える景色 (例:本格的に自由に自転車に乗ってみよう) が、フロイトの支点1と2の〝シャドー・ワーク〟と、〝バイタリティの鍛錬〟両方の正しい統合の重要な感性的ヒントになる、はずです。
繰り返しますが、(ゾーン5の)シャドー・ワークは自分が惹かれる対象などを(プライベート基点で無害に)溺愛してセラピーすることもある半面、バイタリティの鍛錬では〝溺愛からの卒業‐自然なコミュニケーションとしての快い表現〟と、〝表面上逆の道〟を辿る必要がある、点をおさえておいてください。
posted by インテグラルとど at 08:11| 実用的生活実践
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2018年03月27日
自己実現への重要な一歩♪ ~ベーシックインカムと〝バイタリティの統合〟⑦~
貧富の差や資金的な問題、金銭を稼げない者に対する差別など、様々な理由で 深くてやりたいことをやる勇気・決断を持てない人が多いです。
実際、住む家や環境などを奪われるならば、自己実現への道へ挑む決断は簡単にできないでしょう。
ベーシックインカムによりこういった生き方の深さの選択肢が広がるだけでなく、今までの時代遅れの制度が近年の人々へどのくらい悪影響を与えていたかということが、実現後徐々にでも分かってくるということなのです。
これは、一昔前まで奴隷は奴隷で当たり前のことだった(世界中心的な人権の実現に悪影響を及ぼし続けていた)点と 理屈が同じです。 現在でも、ほとんどの人が〝自己‐環境(病的な社会の歯車)の奴隷〟であり 実存的に自由ではないし それにしっかりと気づいてもいない(当たり前のように受け止めている)ということで、19世紀に〝奴隷がいなくなると経済が混乱する〟と言って奴隷解放に反対するようなものです。
現在の資本主義的な先端①は、新興国に多国籍企業として技術と文化を提供する動きなどです。
これは当然尊敬されますし、資本主義の内部で機能する〝素晴らしくも(儲けるための)ふつうの動き〟です。
さらに凄い個々人の決断と倫理にゆだねた最先端②は〝途上国などに行き 自分の出来ることを最大限行って 人々とその社会環境等を救う〟動きで、これまでの仕事の貯蓄とこれからの稼ぎと地位までをかなぐり捨てる行為で、社会の歯車の外側に立つことを意味しますし、それまで労働していたことから TVで紹介されても間違いなく 一般の我が国の人々から尊敬されるでしょう。
ただ、筆者はそこだけではなく、〝みんなが戦争に対して自分なりの危機感を持つべきだ〟とずっと感じてきました。 (高校で化学を学んだ経験から・歌手を目指した経緯から。)
まず収入がないことには何もできないという通俗的な理屈を鵜呑みにするなら〝学生や 収入の分かりやすい仕事についていない人〟は 何もできない、ということになり、働きさえすれば無責任でいい と主張している(志向性をぶち壊している)としか思えなかったからです。
こういったアーティストないし哲学的な仕事をする等のタイプ③は、上記の例②+〝さらに若いうちの地位と収入を捨てている〟のですが、この〝若いうちの労働〟のブラックボックスの詳細がきちんと理解されるのは〝ベーシックインカム〟導入後の自己実現型社会の常識が浸透した時代であり、それまでは〝無職・無能・ニート〟と思われて差別されるだけです。
(資金がないので外国に行く代わりに 世界が平和になるための洞察などを洗練させて伝えていきます。)
当然罪の意識などを感じかねないので、多くの同様の才能・志向性の傾向を持つ人々は、この一線を踏み越えられずに、とても苦しんでいるのです。
私も、世間を信頼せずに世界を信頼するのに、かなり苦闘しました。 それなりのルールを軽視しがちにならねばならないほど わき道を突っ切るように。
さらに、貧富の差の話で行くと、世間の主張を鵜呑みにするならば 誰も世界のことを考えられない (仕事がないので 確かさに支えられた貯金はできず たとえ 工夫すれば [おかしくも]ふつうの労働を せず 生きていける可能性があっても 世間からの歪んだ瞳を恐れて冒険することを100%あきらめてしまう) と言えてしまい、世界から戦争と核兵器が無くなることはない現状に加担する(先進国の市民が地球の未来を拒否する)、そういった人口が大多数を示すという実に残念な結果となるわけです。
その時の彼らの口癖は〝自分(に)は才能がない〟であり、ニートと自分で断定している人々ですら〝仕事をしている予定だが仕事がない という現状を保留している実質労働者目線〟で、生活が苦しい労働者と一緒のグループと言えます。 (「強く深い理由から〝冒険〟するきっかけや動機」 を持てない。)
ゆえに、こういった〝働きたくても欠陥品呼ばわりされて働けない〟人々は、〝ベーシックインカム+ブログなどで一歩一歩人に喜ばれる良い記事を書いていく〟という風な〝近未来‐ふつう〟的な生活(これからの自由労働) にシフトしていけばいい、筆者並びに どぎついムチャな脇道にて自己実現しようとしなくても良い、ということです。
ただ私のような経験を持っている人が一定数いて、こういった記事にてこれまでと今の現状を報告していかないと、到底 ベーシックインカムの理解が 資本主義の内側から大きく広がって 深く理解されることは難しい、と思います。
実際、住む家や環境などを奪われるならば、自己実現への道へ挑む決断は簡単にできないでしょう。
ベーシックインカムによりこういった生き方の深さの選択肢が広がるだけでなく、今までの時代遅れの制度が近年の人々へどのくらい悪影響を与えていたかということが、実現後徐々にでも分かってくるということなのです。
これは、一昔前まで奴隷は奴隷で当たり前のことだった(世界中心的な人権の実現に悪影響を及ぼし続けていた)点と 理屈が同じです。 現在でも、ほとんどの人が〝自己‐環境(病的な社会の歯車)の奴隷〟であり 実存的に自由ではないし それにしっかりと気づいてもいない(当たり前のように受け止めている)ということで、19世紀に〝奴隷がいなくなると経済が混乱する〟と言って奴隷解放に反対するようなものです。
現在の資本主義的な先端①は、新興国に多国籍企業として技術と文化を提供する動きなどです。
これは当然尊敬されますし、資本主義の内部で機能する〝素晴らしくも(儲けるための)ふつうの動き〟です。
さらに凄い個々人の決断と倫理にゆだねた最先端②は〝途上国などに行き 自分の出来ることを最大限行って 人々とその社会環境等を救う〟動きで、これまでの仕事の貯蓄とこれからの稼ぎと地位までをかなぐり捨てる行為で、社会の歯車の外側に立つことを意味しますし、それまで労働していたことから TVで紹介されても間違いなく 一般の我が国の人々から尊敬されるでしょう。
ただ、筆者はそこだけではなく、〝みんなが戦争に対して自分なりの危機感を持つべきだ〟とずっと感じてきました。 (高校で化学を学んだ経験から・歌手を目指した経緯から。)
まず収入がないことには何もできないという通俗的な理屈を鵜呑みにするなら〝学生や 収入の分かりやすい仕事についていない人〟は 何もできない、ということになり、働きさえすれば無責任でいい と主張している(志向性をぶち壊している)としか思えなかったからです。
こういったアーティストないし哲学的な仕事をする等のタイプ③は、上記の例②+〝さらに若いうちの地位と収入を捨てている〟のですが、この〝若いうちの労働〟のブラックボックスの詳細がきちんと理解されるのは〝ベーシックインカム〟導入後の自己実現型社会の常識が浸透した時代であり、それまでは〝無職・無能・ニート〟と思われて差別されるだけです。
(資金がないので外国に行く代わりに 世界が平和になるための洞察などを洗練させて伝えていきます。)
当然罪の意識などを感じかねないので、多くの同様の才能・志向性の傾向を持つ人々は、この一線を踏み越えられずに、とても苦しんでいるのです。
私も、世間を信頼せずに世界を信頼するのに、かなり苦闘しました。 それなりのルールを軽視しがちにならねばならないほど わき道を突っ切るように。
さらに、貧富の差の話で行くと、世間の主張を鵜呑みにするならば 誰も世界のことを考えられない (仕事がないので 確かさに支えられた貯金はできず たとえ 工夫すれば [おかしくも]ふつうの労働を せず 生きていける可能性があっても 世間からの歪んだ瞳を恐れて冒険することを100%あきらめてしまう) と言えてしまい、世界から戦争と核兵器が無くなることはない現状に加担する(先進国の市民が地球の未来を拒否する)、そういった人口が大多数を示すという実に残念な結果となるわけです。
その時の彼らの口癖は〝自分(に)は才能がない〟であり、ニートと自分で断定している人々ですら〝仕事をしている予定だが仕事がない という現状を保留している実質労働者目線〟で、生活が苦しい労働者と一緒のグループと言えます。 (「強く深い理由から〝冒険〟するきっかけや動機」 を持てない。)
ゆえに、こういった〝働きたくても欠陥品呼ばわりされて働けない〟人々は、〝ベーシックインカム+ブログなどで一歩一歩人に喜ばれる良い記事を書いていく〟という風な〝近未来‐ふつう〟的な生活(これからの自由労働) にシフトしていけばいい、筆者並びに どぎついムチャな脇道にて自己実現しようとしなくても良い、ということです。
ただ私のような経験を持っている人が一定数いて、こういった記事にてこれまでと今の現状を報告していかないと、到底 ベーシックインカムの理解が 資本主義の内側から大きく広がって 深く理解されることは難しい、と思います。
posted by インテグラルとど at 08:32| 実用的生活実践
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