わたしはわたし型ルートを経て〝自分の心身とハートに合った明け渡し奉仕〟がもしできれば
得も言わぬような、とてつもない満足感に満たされるのではないか、と直観し
それを社会の具体的な活動に適用できないことに、深い残念さを覚えるのではないでしょうか?
手のかかる子ほどかわいい、など、ストレスが社会から消えれば こういう考え方は当たり前のように社会の常識であり続けるでしょう。
後は、わたしはわたし型ルートの次元でそういった〝心が善くズキズキする〟感じを実践で見つけつつ
機会が開きそうだったら、社会の集中的な部分に入って、一勝負していくのも、良いのではないでしょうか?
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