2015年02月01日

社会性と才能 ~どちらを取るかの日本という国~

あなたが、周りの関係に満足し、日常を好きでいるなら

才能は〝社会性〟という形で自然に伸びます。

話題を合わせるとか、慣習的で表面的なものを越えた

あくまでリベラルな話です。(それ以前のステレオタイプにこの議論は当てはまらない!)

でも、そうでないなら

〝一つのことをとことんやる!〟的な〝個人的才能〟を発揮し始めるでしょう。

しばしばウィルバーが指摘するのが、このタイプのエリート主義です。

このように、どちらもすてきなもので

社会性タイプがアホで没個性的なのではありません!

次回は、この国での両者の私的な3人称的認識。
posted by インテグラルとど at 21:36| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2015年02月02日

もし社会人を見下しているなら本当を知らないだけ ~彼らは賢い!~

前回の議論の社会性タイプ、才能タイプには多くのヴァリエーションがあるでしょうが

両者、比較的健全な場合に当てはまります。

そうでない才能タイプに、本当は会社に入りたかったけど、無理だったから、社会を恨んで、才能で認めさせてやる! というのがありますね。

このタイプの哲学は、既にナルトで発展しています。

例えばそういう人は、才能(個)にとらわれすぎて

義務をこなす人を嫌悪しますが

彼らは、単に人が好きなだけで、人にどうすれば喜んでもらえるかをシンプルに考えられるので

非常に頭が良いです。

これが第2層以降というなら、エリート主義ですが

要は、誰かと自分、どちらを取るか、という傾向の話です。

この国では、どうも極端に分かれがちですね(^ω^♪
posted by インテグラルとど at 21:42| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

才能と経験! ~社会が追いつく時~

普通、少数の才能者が体現する世界ですね。

比較的、誰もが成長志向に基づいて描く理想の類は。

ただ、それが才能からではなく、社会性から

つまり、構造的経験からくるとき

社会がそれに追いつく時

何かが、変わると思います。

音もなくそういう扉が開くのです!

次回は、その具体例!
posted by インテグラルとど at 22:02| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2015年02月04日

音もなく開く扉! ~才能から社会性へと広がる時空間認識~

前回の具体例行きます!

ワンピースの世界が、個人の才能的理想型だとすれば

ハンター×ハンター(宇宙兄弟・ちはやふる でもいい。日本テレビには最近感心していて、とどはこれらを3強と呼ぶとか呼ばないとか(・∀・)) に体現されているのは制作コミュニティの日常的〝経験〟だと思います。

音になる前の音、的な、何かが確かに存在しており

私たちは、どこかしらその直観に気付いて生きている

日常的に、デジャヴなどと感じて、それを実感している…。

どうも、そういう風潮の広がりを感じる気がします。

それは紛れもない個人的エリート主義ではなく

普遍的エリート主義(≒平等主義)です('0')ゞ
posted by インテグラルとど at 20:30| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2015年02月05日

パラレルワールドは分岐する時間軸!? ~用法の混乱と整理統合~

wikipediaでは、並行世界(パラレルワールド)は〝ある時空から分岐し、それに並行して存在する別の時空を指す〟と言っており、〝この記事には独自研究が含まれているおそれがあります〟〝この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です〟と明記されています。

これは、小説等で、世界が分岐するタイプの〝タイムパラドックス回避〟がブームとなり、パラレルワールドの一種として記述できることから書かれたものでしょう。

以上より〝パラレルワールドは分岐世界でなければならないとは言っていない〟ことが分かります。


次に〝時間軸〟が登場します。

時間の矢(方向・Arrow of time)の意味ではなく〝時空〟(とど‐タイターの用語では世界線・world line)の意味で、誰かさん?(アニメ界??)が広めてしまったようです。

しかも、wikipediaには〝時間軸〟がありません(笑)

理由は、様々な英名等、外来名が〝時間軸〟と訳されている為です。(time axis; temporal axes; time base; temporal axis)

〝軸〟は、昔から〝中心〟的 曖昧な意味で使われることが多く

〝時間軸〟もそのあおりを受けた〝死語〟のような旧用法だったようですが

物理で当たり前に習う方の〝時間軸(time axis)〟は健在な為、時間軸(world line)と言葉の権威・用法が混乱し、現在の浸透に至っています。

つまり、現在のパラレルワールドに対する〝本気度〟とはその程度のものなのです。

現代物理学ではあれだけ可能性が指摘されているというのに…。デジャヴもあるし。


また、分岐を分化と取り違え、統合を歌っているものがあります?(検索エンジンでありました)が、分化/統合は、全体‐部分の成長・創発のプロセス(レベル)であり、分岐は、ヴァリエーション(タイプ)です。個体と社会と言ってもよく、〝あなた〟は〝わたしたちみんな〟と〝統合〟することなどできませんね。出来るとすれば、ただの〝究極独裁主義〟です。(到底統合とは言えないですけど|д゚))


よって

wikipediaは、パラレルワールド≒分岐世界? としか言っておらず

時間軸(time axis)と呼んでいる過去の作品は、時間軸(world line)のことを言っているのだと勘違いされ

パラレルワールドは絶対に分岐しないといけなくて、それを〝時間軸〟と呼ばなければならないと思っている風潮ができた


と結論できます。


グラフで、横軸(time axis)を取り、それと平行に走るのが(world line)です。

この(world line)は、最初から〝平行〟モデルで

分岐時空の精妙な矛盾点を解決できます。(過去に色々解説しています。)

では(・∀・)



[次の記事]〝多次元世界中心 論考

posted by インテグラルとど at 21:50| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

子どもを産みたくない社会って 悔しくない??

中国の一人っ子政策。

習いましたよね(・∀・)

要は、自分のこと考えてる余裕のない人は、子供を生んじゃうってことなのでしょうが

日本に一人っ子政策は必要ないんですよね…。

中国は歴史があり凄い国だと思うので、決してこの議論で見下しているわけではありません!

ただ、違いは気になります。

今回の主題は、生きていてもつらいと思っている人は、なぜ子供を生めるのか?

どういう気持ちなのか?? ということです。

家庭のトラブルのほとんどはここにありそう( ;∀;)

私的近況で言いますと

「子供を生んでも、この世界がどれだけ素晴らしくてきれいでびくびくしなくてもいいから! って本心で教えられる自信がないから、結婚するのが恐い!」

です(笑)

第2層的境地かもしれませんが

根深い話な気がする・・・。
posted by インテグラルとど at 21:13| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2015年02月07日

あんた結婚なんてできるの!?と言われた時の反論法

というか考え方です。

そもそも、安心して働ける社会、生きがいの持てる楽しい世界

でなければ、罪の意識が働いて子どもなど生めないはずです。

あなたに経済力が皆無だからといって

結婚する権利・考え方・意思をはく奪していい他者など存在しません!

こういうことに無知だから、経済力さえあれば子供を持っていい、自由にしていい、と、家庭内の虐待が無くならないのです( ;∀;)

事実は、経済力という前提の逆です!

あなたが生まれてきたということは、社会が生きがいにあふれて安心できる場所でなければならない。そうでなければ、生まれてきてはいけなかった、つまり、騙されてきたことになります。

マギ(週刊少年サンデーの漫画・アニメ)のカシムと繋がります。

要は、親と子の道徳段階の違い、カテゴリーエラーで認識される問題です。

まず、経済力を持つのではなく、正しい社会に行くことです。正しい〝やりたいこと〟を見つけるべきです。(ちょうどクリシュナムルティが言うような。)

上記が破たんする限り、生まれてきてはいけなかった、つまり〝命〟を軽んじることになります(´゚д゚`)


あなたがどこかでモヤモヤしているなら、前提を見直してください!
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2015年02月08日

最近の対立は元々一つの宗教 ~固定観念か?遺産か?~

昔から変わらず守られてきた〝安定や安心〟のような情愛的伝統は

現代のフラットランドを〝有用性のないごみのようなもの〟と感じるらしいですが(笑)

このブログの趣旨である〝万人に共通なもの〟は

元々この〝昔の宗教〟

ビッグスリー差異化前の精神的なところに元があります。

良くも悪くも、明治維新から戦後にかけて、上記現代化が進みましたが

最近は、対立が多いです。

その最たる例は、ニートですね!

次回は、視点の包含が進歩であることを見ます。
posted by インテグラルとど at 21:22| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

すべてのものは包含できる! ~慣習から現代対立を経た統合~

ニートは、偏見のみで出来てます。

私は、状態であると指摘してきましたが

このように、ケン・ウィルバー「統合心理学への道」芸術と批判(評論・解釈)の(4方向的)風潮曰くの

ポストモダン的〝なんか中身のない鎧が滑走してる〟的

誰かに何か戯言を言わされてる主義、通称おしゃべりが横行してます。

ニートと会社員という このブログの旧題名は

2つの、ごく当たり前の営み(ないし状態)が、対立することなく普通に併在可能であることを示す意です。

次回は、観想的知恵、何でもかんでも自分(達)でやってみる生活感が

古典的かつ統合的であることを見て

この章を終了します。(全3回)
posted by インテグラルとど at 23:28| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2015年02月10日

観想的知恵は古典的? ~ニヒリズムを統合にシフトする生活感~

昔の修道院のような生活は

性差別(的無知)に目をつぶれば

良いものだったと思います。

全部自分でやる的生活は

現代の風潮として、先端的理性で脱構築・再解釈する限りにおいて

いいとこどりすると

飲食店が抱えるような飽き飽きする煩わしきミスを根源的に消せます。

髪の毛が入っていたとか、自分でやれば、生活感の部分です。

私が言いたいのは、日々の行為に追われる

を、むしろなくそう、それが統合方向に行くことで

なお、その基礎は、修道院の本来の核心のような〝観想的知恵〟にあり

すべて〝現代の情報時代的知恵〟でカスタマイズできる

です。

要は、ニート(状態)というのは

修道士を現代の言葉に置き換えたものです。

当時の構造になかったものだから

相当違いますけど(笑)


会社員は〝営み〟 ニートは〝日常〟 と解釈されるでしょう。 進んだ観想的伝統を持つ人にとっては。

日常とは営みであり、営み(例えば息をする)とは日常ですね(・∀・)

posted by インテグラルとど at 23:10| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする