2022年11月02日

予知(t)の翻訳! ~キュー(Y)と ミュー(ω)の〝未生的〟命題~

幾つかのアニメを見て思ったのですが、〝予感〟〝深い眠り〟などの言葉を、安易に並べて、時間予知(t)を、理解した気になっている作品が、大急ぎで、成り立たせた背景も伴って、ちらほらあると 感じます。


便乗は、分かりますが、もう少し、慎重になりましょう。

(子どもたちに、嘘を教えることになるのです。―― なお、上記の注意喚起は、キューとミューの元ネタに対して行っていません。)


キュー(4象限)は、グローイングアップの実践によって、とても大切なものですが、垂直(Y)な〝構造を対象として見る=マインドフルネス〟が、見落とし厳禁です。


余談ですが、タイムマシン・タイムトラベルは、〝下側(集合)ないし右側(外面)〟の象限(Q)を強調します

子どもを大切に描く、アニメのエピソードのラインは、〝上側(個)ないし左側(内面)〟の象限(Q)を強調します


つまり、タイムトラベル(SF)は、右下の社会の象限(Q/4)、子どもを愛するアニメは、左上のハートの象限(Q/1)を、それぞれ、強調し、この2つは、互いに、非強調点=盲点 としても関係します。

(SFの理屈は、感情[Q/1]に無知であり、ハートのお話は、観測[Q/4]を確認せずに飛ばしている、という風なことです。)


・ アニメにおける〝時間予知(t)の翻訳〟


私は、このコーナーのアーカイブで、時間予知が、空間予知の男性タイプに対して、女性タイプ、空間予知が、対象を見るシーンの予知で、グロス・サトルを重心に コーザルで まとまって 展開する、第1層ないし 第2層がピークの予知であり、時間予知は、コーザル・ウィットネス・ノンデュアルを 時間の流れの中に入らないように見る 第3層が重心でピークの予知 だと、言いましたね。


鋭い人なら、思ったでしょうが、子どもに対して、どうやって、時間予知を翻訳するのか? 不可能なら、ある種の嘘を、言うしかないのか? と、気づかれましたか。


実際は、作者が、主体として、第3層の時間予知を、体験していない限り、そうなるでしょう。


しかし、クリシュナムルティが、言っているように、洞察とは、即座に、思考としての心理的時間を持たずに、一瞬で、重さなく、閃光のように無空間的に展開し、すべてを変えるもので、それは、年齢や性別、つまり、意識構造にとらわれない光 (あかり) なのです。


と、いうことは、そもそも、上記を体験できる主体・作者は、時間予知そのものに共通する言語、潜在性、未生の赤ん坊、時間のない現在、基底、を、身体方向とは異なる 直観として、瞬間的にとらえることにおいて、適切な翻訳が、可能 と言えるはずです。


人類は、ヒドゥンマップによって、あるいは、道を間違えた というのならば、ウェイキングアップと グローイングアップ両方の道を 極めることで、非時間的に、その外に、瞬時に立つ ことが、出来なければならず、赤ん坊へのリンキングも、例外ではありません。

あらゆる、子殺しが行われないような 健全性は、即座に、理解されて、達成されねばなりません。 交通戦争の終焉も、です。


この理解によって、〝予感〟というものを、スポーツマンガなどに代表される〝フィジカルな〟側面に、適用する場合、最初に起きる誤解は、〝予感は、少し先の未来を見る〟〝具体的なシーン・対象を認識する〟というもので、 空間予知の下位互換のような 解釈として、やらかします。

フィジカルは、基本的に、グロス(粗大)なので、感情(Q/1)も、身体自我(2)に還元する方向になります。


うまく言えないけれど、〝場面〟を目撃している者は、シーアー(I-I) つまり、非時間であり、何秒か先の未来のシーン(対象)のことではありません。

ここを伝え損ねると、後、すべてが、食い違ってくる気がします。


確かに、構造―段階 (グローイングアップ)の 発達ラインとして、時間と空間のモード のラインは、第1層から、第3層にまで、成長を続ける、構造です

子どもは、時空間のモード(4)が重心なので、これを鵜呑みにすると、予感(10)を翻訳することは、絶望的でしょう。


しかし、なんとか、予感(10)に便乗したいという意図(5)から、状態―段階 (ウェイキングアップ) の実践を無視して、時間予知を理解しようとするのは、言いすぎるとすれば、いかがなものか、と思います。

まぁ、これ自体が、現象的に、仮説なわけですけど。


で。


時間予知(予感)は、非時間(ウイットネス・非二元)を、直接とらえる 時空間のモードであり、超意識に関連する、第3層で意識にのぼってくる 発達領域(スキル)です

これを、フィジカルに適応する場合、第3層の、ポスト・ケンタウロスから、洞察によって ワンテイストとして、あるいは、自転車に乗っているときのようにして、現在的に、体験している必要が、あります


空間予知は、対象(ハートなる恋人など)に執着するので、時間予知を理解するのは、難しいらしいのですが、少なくとも、身体のみ(粗大領域)を 対象として 拘束されているような状態では、時間予知の解釈は、不可能です

これを、いかにして言うか、ですが、予感、深い眠り状態、という言葉や概念を、ストーリー展開の中で、安易に持ち出してくるようでは、子どもに誤解を与える元でしょう。


時間予知は、まずもって、非身体自我、身体に退行する感情の 対極にあるものであり、クリシュナムルティが 思考の終焉を言う中で、感情や感覚も 思考に他ならないことを、強調している通りです

飽食主義から交通戦争まで、この、感覚や感情が、心理的時間に絡み合って、巨大な不幸と 拝金主義を 生み出しているからですよね。

一般的に、ゾーンに入る、という場合でも、この点を 理解してください。


また、時間予知を、いくつものパターン(対象)に 分類しようとする動きも、無駄で、悪手だと思います。

非時間に 区別はない からです。


該当のスポーツをすることを、ただ愛している、という場合、それは、確かに、ワンテイストです。

そこで、終わりであり、OKです。

問題は、空間予知のごとく、それを、分解して、対象化しようとするときでしょう。

ワンテイストを、浅い理解で、フィジカルに適応させよう とする意図は、売れ線だけとは言いませんが、何かが、見え見えですね。


ここまで言うのは、時間予知が、商業主義の 対極にある場合 があり、現代に、あまりにも理解されず、それが、不幸の直接の継続に なっているかもしれない と思うから です。

理屈では、時間予知は、ほぼ、ワンテイストのことなので、誰にでも 現前しています

つまり、これが、正しく伝わらないというのは、実は、致命的なのです!


空間予知は、第1層が重心なので、グロス、そして、対象として翻訳でき、商業主義に、即座に悪用されるでしょう。

時間予知は、第3層にならないと、共時性として見ることもできないので、まず、お金にならないし、翻訳も、コーザルないし、ワンテイスト的に、なる はずです。


現代世界では、この、2つの予知は、あまりにも、バランスを欠いた評価をされ、商業主義こそが真理だとするフラットランドでは、100%、空間予知の肩を持ちます

すると、時間予知は、あくまで〝空間予知を リンキングする能力である〟ことになり、売れ線の空間的な予知同士に、争い・競合を防止する、無料奉仕のような、利用価値のある 非営利的なツール だ、と、見られます。

少なくとも、時間予知の意図は、そんなおかしなところには、無いでしょう。

なぜなら、ケンタウロスに、ウェイキングアップも、マスターする必要があって、とてつもない労力を伴い続けているから です。


しかも、地味です!


あるとき、突然、第3層の芸術的土壌が揃うなどで、共時性から、その証拠が挙がっていき、空間予知としての巨大な興行収入の 元締めのような存在として、時間予知の能力が 筆頭になっているように 見えるのは、〝誤解〟です


はっきり言って、フラットランドは、歪み切っているので、時間予知を 理解するのは、無理です。

そして、子どもへ伝えるべきアニメとは、歪みの無いこと なので、時間予知の目的と、合致します。


ゆえに、問題が、見えてくるでしょう。

時間予知を 正しく社会に組み込むことに 失敗しているから、子どもを 混乱させるのです。

例えば、誰も、自転車での交通ルールを守らないとするならば、それが正しいと証明できない限り、それはカオスであり、クルマも同様で、今の世代まで、ずっと そうなっていますよね。


分かろうとすれば、簡単に わかります。

時間予知を 理解したければ、交通戦争を見て、自転車に乗って ルールを守ってみれば、いいのです

時間予知において、こんな主張をしているのは、私だけですが、覚悟が足らないというのではなく、発想すら 閃光のように浸透してはいない、というか・・・。


というわけで、詳しくは、突っ込まないので、提唱という意味では、このくらいでよいでしょう。

やはり、状態と構造、両方のマインドフルネスの中で、構造が第2層に達すると、時間予知もサポート範囲になります

時間予知について 知りたければ、まず、第2層に成長することが必要で、そのとき、ウェイキングアップにも熟達していく必要があります

オレンジの波を強調する陣営の多くが、興行収入のような フラット属性を 強調しているのは、単に、ウェイキングアップに無知で、グロス領域しか 知らないからです。

しかし、目に見える、交通戦争の終焉すら、解決できていません。

それも、グロスだけでは、クリアできません。


時間予知は、非時間にて展開する予知であり、その部分集合として、空間予知として展開する場合に、危機回避能力としての 直観がありますが、それ自体は、第1層の時点で、観測できるかもしれません。

しかし、自分を中心に展開する時間予知は、第1層では、自己中心的に 自分を対象として見るがゆえに、ほとんど、無意味です。

第3層になって、自分というものはなく、自分を、非時間的な基底として体験すれば、それは普遍的な自己なので、やはり、自分という中心はなく、その自己感覚から展開すれば、危機回避能力(10)は、みんなが健全にあるような 共時性を伴う リンキングの伝播(10)と、同義で、時間予知の、本当の真骨頂が、分かりませんか?


時間予知は、世界線のリアルアップデートも含めて、正しい不思議な偶然を! 時間を飛ばして、外に出ることで、皆に恩恵を 通すような、メリットがあるのですが、それ自体は、ワンテイストとして、自分という核が無いように、誰にでも普遍的に、そして、構造的に、行われていかなければならないスキル なのです。


単純かつ、複雑です。 時間予知は。


時間予知を 正しく扱う人が 増えれば増えるほど、なぜか、間違った営み、誰かに対する、該当の自転車の盗難などすら、少なくなるような、おもしろいことが、起きると思いますが、それは、すぐには、統計に出ません。

構造なので、科学的な観測が、そのうち、できます。


つまり、時間予知は、世界線のリアルアップデート、イミテーションを解体する、クリシュナムルティ流の、即座の基底への非時間的介入、グロス、サトル、コーザル、ウィットネスを含む、動かざる、何らかの無行為としての行為、という風な形で、理解可能かもしれません。

上手く言えませんが、たしかに、それは、ジュエルです。

posted by インテグラルとど at 11:14| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2022年06月26日

クルマが 信号のない横断歩道の停止線で 止まる気がない理由 ~ 選挙とハザードのハナシ ~


最近、選挙が始まりました。

いわゆる 政界、政治家は、ただの一度も、納得できる形で交通戦争を終わらせた ためし がありません。

なぜなのでしょうか?


道路交通の話になりますが、信号のない横断歩道のある停止線は、カーブの直後にあるものも、少なくないのです。

私は思ったのですが、本来、クルマのハザードは、こういった横断歩道手前のカーブより前に、〝ハザード点灯〟の標識を付けて、そこに差し掛かった時に、クルマが、ハザードをオンにして、制限速度より10キロほど減速、横断者がいたら、さらにブレーキランプも点灯して、減速、停車

ハザードには、車間距離をたっぷり保て、の意味も。

なぜ、この形式を、組み込まなかったのでしょうか?


なお、ここでの〝ハザード〟とは、減速信号の意味 であり、緊急停車は、別のランプにするべきだったという意味です。

現在のハザードは、減速信号のために使えず、後続車の危険な追い越しと 勘違いを誘発する、歩行者に意地悪な仕様です。





自転車の手信号には、減速する意味の信号がありますね。

基本的には、手のひらを閉じたり開いたり、グーとパーを繰り返す、ハザード形式の合図です。

本来、ハザードは、減速信号に適した意味に 落ち着くべきものだと、手信号を見ても、感じませんか?


自転車には、緊急停車の信号は、ありません。

車両の中でも、自動車 (クルマ) にしか存在していない、特異な信号(合図・ランプ動作)です。


現在の、クルマのハザードは、あの悪質な〝路上駐停車〟時に、多用されることから、ドライバーは、ハザードを見慣れています

このことから、ハザードを〝緊急信号〟と解することは、不可能になります。

むしろ、駐停車予告信号となり、追い越してください、という意味に とれてしまうのです


これは・・・


・ハザードは 緊急信号の意味合いを失っている

・ハザードは 減速信号として機能しない



非常に致命的な、2つの〝交通整理的な欠落〟が、見られるでしょ?


実際には、緊急信号、減速信号(ハザード)、駐停車用信号、の3つを、用意すべきです。 (混乱する)

もしくは、横断歩道の停止線前に、前もって ハザードを点灯する標識を設置するような道路にして、ハザードの意味を、減速信号優先として、定着させるように、ドライバーに、念入りに納得させる、行政の情熱が必要 でしょう。


これによって、ハザードが減速信号としての役割を果たせれば、信号のない横断歩道の停止線で、クルマが止まるようになります

クルマは、子どもでも分かる、赤きいろ青、は、理解しますが、クルマ同士のハザードランプの関係(の信号)は、守りません。

ブレーキをかけたときの赤(ブレーキランプ)は、減速予告にならないために、減速信号としてのハザードの代わりになりません。


赤信号の手前に、信号のない横断歩道と停止線があっても、クルマは 赤信号直前まで、猛スピードで走り続け、急停車する傾向があります。

これは、歩行者にとって、非常に迷惑であり、もっと手前で減速するのが自然です。

自転車ならば、慣性走行をするので、信号に引っかかりそうだったら、漕がずに進みます。


しかし、クルマは、これをしません。

ハザードを点けることで、減速を理解してもらえるなら別ですが、実際は、追い越しを誘発すらするので、結果、信号手前まで、スピードを落とさない、という、なんとも、非効率かつ非道な運転が流行っています。


ハザードを点けて 前もって減速しながら 横断歩道や赤信号まで 慣性走行? → → → → 路上駐停車だと思われて無理な追い越しをされるから ハザードを点けたくなく 減速したくなくなる → → → 減速できないなら 信号のない横断歩道の停止線は〝無視〟―― クルマの赤信号時の 横道からの青 横断歩行者も 気持ち的に 無意識・・・・・・・・


という、つまりは、〝いやがらせ〟が、完成して、はびこります。


問題は、誰が、この仕組みを作ったのか?

政治が大混乱しているから、ならば、政治家が作った、政府が作った、とも言えます。

その自覚がない、理解がないので、私は、そう思います



――――――――――――

選挙 = 交通戦争の この話

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というくらい、真剣になれない理由は、名声・権勢を追い求めているからです





交差点の角の歩道が ガードレールでカーブしている形式 は、よく見られます。

交差点前左側の歩道を、同じ進行方向に赤信号で停車中のクルマに並ぶ形で歩行すると、歩行者用信号が青になったとき、一旦、歩行者は、向きを左に変えます。

そして、直進扱いで、横断歩道を渡るのです。


ここで、クルマが 左折してきたら…。


・クルマは 歩行者が横断するか分からないため 大して注意を払わず 優先せず無視することが多い

・歩行者は 横断歩道を渡る直前まで 左折直後のクルマが後ろにいるので 気づかない



という、非常に危険な状況になります。


たぶん、交通戦争で、悪名高い、シチュエーションです。


歩行者用信号が短いために、さらに、左右を確認しがたくなる点もあります。

信号を守ることで、歩行者が不利になる例です。


確かに、左右を確認して 車両がいなければ 赤信号でも横断するというのは、交通戦争を終わらせられなかった政府に対して、抗議する意味では、事実を示す意味では、合理的とすら言えます

ただし、子どもと、自転車が、赤信号で横断するのをまねるので、信号無視は、よくないです。

クルマが、歩行者の信号無視を根拠に、信号を守らなくなったら、世も末です。





特に都会で、クルマに乗っているドライバーは、機械のように決まった運命をたどって、全員一致で 感受性を失っていきます

しかも、それを意識していません。


混沌としたルールに、危険運転と交通戦争を金の力で成り立たせる自動車保険、種々維持費と税金、中心部の駐車場料金とスペース、都会でクルマを使う おそらくは 能率的で不合理な理由・・・

によって



つまり、クルマのドライバーは、クリシュナムルティを意識できない、ということです。

例外はいるでしょうが、その場合、あなたは、このことを探求しましたか?


都会の汚点は、自動車 でしょう。

これは、徒歩と電車しか使わない人、あるいは、ルールを守って自転車に乗っている人から見て、明らかすぎます。

いまさら? です。

クルマのドライバーたちは、喫煙と同じで、明確な理由と根拠で嫌われているにもかかわらず、それを見ようとしませんね

そこは、明らかに〝カオス〟です。

事実を認識・理解しながら、クルマに乗る、のなら分かりますが、それを無視して、なかったことにして、自分が何をしているのか忘れてしまう。

これでは、交通戦争、交通事故が増えるのは、当然です。


今回の選挙で、このことを、このレベルで議論・演説・洞察する者は、いるのでしょうか?







信号無視をするクルマ ~ 2022 06 27 追記 ~


こうして書いている矢先。


翌日(平日)早朝に、横の交差点を、クルマが信号無視していました。

その交差点は、横道から歩行者・自転車・クルマ等が通らないとは限らない道です。

世も末です。


そのクルマは、徒歩で信号のない横断歩道を 横断中の私に向かってきて、停止せずに、スピードを落とさずに 避けていきました。

つまり、しかるべきシチュエーションならば、そのクルマは 止まらずに私を避けたことから〝故意に〟さらに手前の信号を無視した、と判断でき、免停どころか、軽くない刑事責任が課されて あたりまえです。

しかし、そのクルマは、そうなることを、夢にも思っていないでしょう。


交通戦争は、あなたに、クルマを運転する、ひとりひとりに、全責任があるのです

〝流れ〟に依存せず、クルマを動かすことは、不可能だからです。


クルマが、信号無視をすることで起きる混沌・悲劇は・・・


・何らかの予測できない大事故を引き起こすことになる

・命を粗末にする者 当たり屋等に 利用される



このことがわからない、あなたって、誰ですか?





もう少し、話を広げましょう


選挙に出ているあなたは、クルマを持っていますか?

あなたは、ちゃんと 歩行者に配慮して 運転していますか?

もし〝そう〟でなかったら、選挙に出ないでください

戦争を引き起こす、直接の原因になるので。





言い方次第ではありますが、事実として・・・。


神戸の、そして、日本の〝クルマ〟は、〝最低のクズ〟です。

未来の〝仲間〟を守ることが、出来ないのだから


posted by インテグラルとど at 07:58| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2022年06月23日

☆ ワンピース ☆ 〝エピソード オブ ナミ〟と〝おでん〟


エピソード・オブ・ナミ』 (2012・魚人島編の夏にフルハイビジョンで制作されたアーロン編) を見ていて、思ったこと。 書きたくなったので、書きます。


ベルメールさんって、おでんに似てますよね


(ここでしめても、ちょっと半端なので、どういうことかと一応付記すると、クリシュナムルティが〝言葉と感情 [シニフィアンとレフェラン] を分離して 自己認識 [発見] しなさい〟って言っていますよね? そうやって、ワンピースを見ていくと、おでんも、ベルメールさんも、ルフィをしのぐ〝感情[の叡智]で生きてる人〟なので、そこをとらえると、また、ハマるんじゃないか、と。 ちなみに、ルフィは、感覚と直感で生きてるでしょ? 2人は、ハートに火をつけそう。 ―― あるいは、ルフィとナミは、似てますね。)
posted by インテグラルとど at 07:53| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2022年06月20日

予知の権力は混乱で 愛は憎しみと関係しない!



愛用の、LGのBDプレーヤーのリモコンが、電池残量の関係か、テレビ操作を受け付けなくなったので (たまにある)、TV電源ボタンを押しながら、〝ナンバー〟を押して、再設定しました。

プレーヤーから音量調整ができるのは、便利ですよね。





クリシュナムルティは、その代表著作、〝生と覚醒(めざめ)のコメンタリー〟で、〝どんな権勢(上に立つこと)も悪いことである〟と言っています。

つまり、今日の主題ですが、予知能力(空間的な予知・シーンの予知・いわゆる未来予知) を持っている人は、有名になる(有名サイドに属する)ので、有名サイドが権力者に〝興行収入○○億円〟と担がれて、いいように利用し 利用される、その 権勢は、すべて、〝悪=イミテーション〟です。


わたしは、長い間、これに気づかなかったので、無駄な生活をしていた と思います。





最近、アニメで、わざと、卑猥なシーンを描写しながら、それを こそっと否定する、という、救いようのない〝いたちごっこ?〟も、見慣れた気がします。


これの欺瞞は、卑猥なシーンを描写する時点で、その手の混乱した視聴者をターゲットにしているので、作品が崩壊するのは 目に見えております。 (もしくは、陣営ごと 最初から ぐちゃぐちゃです。)

アニメ制作陣に強要できるのは、あるいは、両者ともに喜んで共生できるのは、その出所が、金と権力を持った者 ということです。


テニスプレーヤーは、金で買収されるわけですね。





卑猥なシーンを〝Ā〟とすると、〝Ā(ノットA)を否定してAを指す〟わけです。

Āの否定で〝A〟を示せると、信じているのです。


というより、Ā(卑猥な描写)を定立するために、それを こそっと否定する〝ふり〟をすれば、何もかも許されて黙認される、と信じているわけです。





さて。


愛は、憎しみの反対ではありません。

愛は、憎しみとは無関係です。



混乱(Ā)は、決して、Aを知りえません。

予知での権勢(有名)は、愛を知りません。





昔、ポケモンが、二次創作を訴えましたよね。

それが、卑猥な描写だったからでしょう。


アニメがOVA化すると、ひとつの可能性として、〝二次創作の要望を過激に取り入れる〟ことで〝卑猥な描写を積極的に容認する〟かもしれませんよね。

すると、間違いなく、作品は〝崩壊〟します。

そうまでして、間違いを侵すのは、有名サイドが大混乱しているからに他なりません。


OVAは、いわゆる放送コードがないので、日中の放送に責任を負わないので、世紀末ごろ以降に流行ったTVゲームと同じように、極端な依存を誘発するように 混沌としていくことも、少なくないわけです。

(こち亀のアニメを見ていると、子どもへのメッセージとして、その手の批判要素が見られましょう。)





テレビ大阪で、以前、テニスの王子様が、再放送されていて、幸運にも、日中放映の、リョーマがアメリカへ羽ばたく、きれいなところで、感動の終わり方をしています。 (ポンタ 好き♡)

最近、OVAの全国大会編 (弱虫ペダルの原作の連載開始時期と 近い時代でしょうね。――) が、ベストセレクション形式で放送されたので、つないで見ておりますと…。


本日、#7『ビーチバレーの王子様!?』 (ケーブル局で、テレビ大阪系と 並行して 1ダース放送されていたものの一部。 テレビ大阪系のベストセレクションで省いたのは、運良くも、当然! ―― ) を、初めて見て、例の気持ちになったので 書いてます。 (ストーリーが好きなら、本当に、見る〝意味〟が ない。 ―― ちなみに 日中放映の、砂浜の回のことではありません!)

これ、今までの、180話以上を、たった1話で、すべて台無しにしてしまった、何を考えているのか わからない回です。

平たく言うと、〝非視点的な狂気〟ですが、文脈上、意味を取るなら、〝ボールもラケットも人を傷つけるためにあるのではない〟〝越前南次郎は ビッグマネー・名声に執着しない〟ということです。


つまり?





この、#7 (#は、ナンバー、ナンバーサイン) は、重要なキャラクターの やさしさ を崩壊させている点で、普遍的な合意が取れるでしょう。


原作はアニメで、日中アニメはOVAで、改変・崩壊 することがあるのは、周知のとおりです。

そこには、複雑な、社会の事情があります。


日中放映のテニスの王子様の作品中で、〝マネーや経済事情によって テニスが歪む〟というテーマが、〝アニメ・テニスの王子様〟もしくは〝アニメ全体〟あるいは〝アート全体〟で 混沌化し、刻一刻と、深刻な世界大戦状態にある!―――――、と、言いたいのでしょうか?


もしそうなら、この主張が、ここ10年の深夜アニメに悪用されていますね。





少し補足しておくと、日中放映のテニスの王子様内での番外編は、中学生たちが、適当な脚本を書いて、お話を展開していく、という風な世界空間です。

みんなでやる、創作的な、劇ですね。


そこで いらんことするやつがいれば、一手で、地球は、魔人ブウ(!?)に〝どかん!〟です。

(そこで、話は、ほぼ終わってます。――2回くらい・・・)


中学生だから、しょうがない。

しかし、SD絵でなければ、その設定を定立できるかは、非常に怪しいですよね。





もう一つの特徴は、テニスの王子様は、本編で、少しだけ、ルパン三世と 結び付けられているところです。

これは、私の事情としては、わかる気もします。





隠すことではないので、共時性と未来のことばを 追っていくにあたって、このコーナーを書けた、と言っておきます。

というより、明示しておいた方がいいだろうから、書きました





テニスの王子様の中に描かれている〝テニス〟と、現在の〝アニメ事情〟が、関係的に〝同じ〟とするならば、いかにして〝越前南次郎=アニメーターの生き方〟を定立するのか? ということです。

権力を持って、誰かの言いなりになる、では、ダメですね。


予知による権勢にも とらわれず、憎しみを生まない、愛によって、やさしさによって、生きる道

それは、時間の流れに入らぬ場所で、見つけることができるのです。


そして私は、いつも、いつでも、それを見つめ探しているのでした。

posted by インテグラルとど at 16:40| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする