2019年01月05日

優しく強いアニメの未来 ~表現の意図は変化する~

インテグラルな資本主義漫画・アニメ視点で書きました。

こういった主張は、〝おもしろければ何でもエンターテイメントになる〟という 根強いブーメリティスを擁護するためには使えません。(既に矛盾をきたしていますね。)

ワンピース「ゴールド」で描かれたように、次世代 特に子どもたちに開かれなければ アニメの未来は無いということです。

なぜ、次世代はテレビを見ないのでしょうか?

それは、優しいからです。

―― 過激な描写ばかりを見て、正しく強くなれるわけが無いということです。

昔の世代は、自由の表現として、社会に出るための根性論の強化・暴力にとらわれないためのヒロイックな暴力的描写 (がまだ強い傾向) から エンターテイメントを定立していき 結果として 真善美がバラバラであったままと言えます。

私たち以降の世代(概ねミレニアム世代)は、暴力描写を容認しません。人を殴りたくなってなぐったらどうでしょうか? 犯罪者の家族ってどうなりますか?

(参考になる作品:東野圭吾「手紙」―テレビ東京制作のドラマ)

ミレニアム世代の漫画家の主張は〝過激なエンターテイメント化のレッド的容認が漫画の意図を狂わせる〟です。

(アニメ化にて特に。)

(実は、気になる漫画家[漫画の意図を込める人]を2人調べてみると、私と同じ年の生まれでした。――漫画とアニメの根元に似た見解を持っているなと思っていたら、ここまで生まれた時期が似るものなのですね。)


・テレビ東京と日本テレビ[それぞれの系列]のアニメ


若者の政治離れを無くす方法=メディア等の批判を含む理解・発話」 が私たちの世代の概ね合意できる主張です。

つまり、前ミレニアム世代 (ここではミニマムライフまでの次世代に理解が乏しい大人サイドで 概ね世代を問わない人々) が、放映やアニメ化のほとんどのモードをコントロールし、売れればよいとするフラットランドの神話(独白的なレッド要素)にとらわれていた時代の仕事を 次世代と十分に対話しない形で展開してしまうことが原因です。

(私と同世代は 過激な描写を根絶するための過激な描写[武器を持つ戦闘的要素と心圏的意図] さらに次世代は 性差別されないための性差別的発話[制服を着るアイドルと前言語的バイタリティの実践]に帰結する傾向があり、それも混乱しているので これまでの世代から曲解されがちです。)


お正月に色々と映像作品番組を見る機会がありましたので、当時の日本テレビ(系)制作アニメ 「シティーハンター 95年のスペシャル」 (最初の発話が道徳的な意図によってつくられていると私が解釈できるアニメ) を挙げます。

(「ザ・シークレット・サービス」の題で1996年初頭の初放送。)

ルパンにも言えますが 命に関する過激な描写(を演出し続けること)は 基本的に 悪いカルマ(バッデスト)を増長します。 ミレニアム世代は それに慣れさせられるか否かに関わらず 根元で拒絶しています。 (虐待の連鎖の理解と似ています。 ちなみに 銃規制の反対[保持]を擁護する傾向があるのは 二大政党制のアメリカでは「民主党」に対して「共和党」です。) ――(2019 01 06 追記 ;書き方を間違えていましたので訂正しました。太字部分。傾向であり 単純な構図ではないでしょう。)

シティーハンターの原作は「週刊少年ジャンプ」なのです。 (ここでは原作の意図は直接考慮できませんが) 上記主張を通すとすれば、雑誌ではなく「世代」で漫画とアニメを定立していかなければならないということです。

ここが私世代のイタイところで、「ONE PIECE」を見るかどうかの選択と大きくかかわってきます。 (ワンピース作者の尾田さんは 子どもに見てほしい として発話していますね。)

週刊少年ジャンプは世代間にて万能ではなく、前世代的(この場合はより前慣習のレッド的)要素を〝次世代が主張している〟とされると、私たちは困ったことになるのです。

週刊少年ジャンプの思想は キン肉マン・ドラゴンボールやワンピースにおいて「深くピュア」に洗練されていきましたが、描写のタイプが「暴力を容認してしまう」発話に成り得ます。

ジャンプコミックスやそのアニメをいくつか見ていくと 文化になる意味で そういったことは分かるでしょう。

(さらに、次世代の女の子タイプ となると、戦闘要素はほぼ要らないので さらにデリケートな発話を要します。 ここにおいても 今回の議論は重要です。――深い女性タイプを主体として通していない発話のアートが多すぎるということです。)

シティハンター(95年)は、宝石(ダイアモンド)に目がくらんだバカモノが 娘とその家族の人生を狂わせる 政治的要素満載のお話です。(ざっくりですが。独裁国家からの独立運動で良いですよね。)

1990年中ごろと言えば、ZARD・栗林誠一郎が第一線です。インターネット(※)も歌詞に出てきますが まだ携帯電話が(普及してい)ない時代です。――(※)「ボトス」なので1997年ですね。

このストーリーの次世代的な問題点は そもそも 設定です。

よって、無理に次世代に開かないようにするしかないと私は思います。それで「週刊少年ジャンプ」が恥じることもないですが 理解はしてください。

(例えば、自転車に乗りがちな次世代が、自動車がぶつかるシーンばかり見せられる点。 当時の自動車社会[車同士が車間距離を取らないから ぶつかっても ドライバーは無事だから]の批判 だとしても 自動車中心的な所与の神話が仕方なくも残っているわけです。――そしてこういった〝合意の抜け穴〟が アニメ制作会社などを どういった道へ誘ったかは 一向に値します。)

破壊的な描写を 何とかしていかない限り、ミレニアム世代の一般読者視聴者を(根源的に)獲得するのは難しいのです。


一方で、テレビ東京は、〝視点〟を より正しい方向に開きました

アニメをたくさん作るのが 〝ドラゴンボールZ以後〟であったことも幸いしたでしょう。

そして、私世代がワンピース(フジテレビ系)と共に数多くのメッセージ(文化的アイデンティティ)を受けることになるものが テレビ東京系の良作アニメです。

特に、将棋的な要素で見れば、相手の「歩」を取って「歩」を打つ という対局中(A)に 「兵士が殺されて生き返ってまた戦場に赴く」などという境界症例的発想(B)をいちいちする人はいないのです。

(A) そういった把握が多数走っているので 理解が高速化できるわけです。子育て・絵本の基礎でもあります。―― おもしろいこと?に、私が知っている頃の ネタの尽きたいくらかの量産型の深夜枠アニメの発話は、これら(B)を無駄に助長している(レッド的な脱構築もどきに滑走している)ように感じました。――意味が分からないのですがω)

このように、スポーツにも言えますが リベラルなルールから発話(合意)することで 暴力的な描写は設定から無くせる ということです。

(そこがテレビ東京系アニメの努力と成果です。努力を盗用[Q/2]して そこに余計なものを付けてはいけません。)

それで内容が落ちるものは、対応せずに作ったということです。

(フェアで言うならば、〝NARUTO〟の主張に対して〝BORUTO〟の行きたい方向を考えてみる余地はあります。)

深い意図は、一昔前までは(主にそれを解体して再構成するために) 種々暴力的描写もやむなしとされていましたが、最近は 意図が深くないか〝情報の在りかを示す石〟の役割主体のアニメが多くなって バトル漫画もデリケートになっています。

(この段階で既に ニヒリズム[=ペイン]を根絶できるような〝意図〟が反映されているのです。その目的に限って そういった描写もされていたということなので、ベクトル自体がおかしいものは 最初から在りえないわけです。)

(アニメは もしもの空間に構成されるものであっても〝ポスト形而上学で言う視点〟なので、めっちゃ精神と時の部屋空間[かつ 夢にできる出来事]であろうが 描写に内容が伴います。 ある種難解な「時をかける少女」(アニメ映画)は 確か 〝[モノワールド的な微視的]時間旅行は在りえない〟というグリーンの主張をした上で 行為の責任を戒めるために意図されていたはずで、そのように定立[解釈]できないと ドラえもん系のSFは大混乱するでしょう。)



日本テレビ系とテレビ東京系、いずれもブーメリティス(レッド的要素)が残存していますので インテグラルな方向に次世代へ開こうとするときに 誤ってか 時折退行します。 (そのように私は感じて来ました。)

神話を救うのと似ていますが、当時の深い意図を 現在に再構成すること その根元が想像以上にデリケートであること 放棄しなければならない形而上学的な設定(シナリオ)要素があること、を ポスト形而上学(ギガグロッサリー)にて行っていかねば 長い目では うまくいきようが無いということですね。

さらにおもしろいことに、最近では あらゆる一般企業が〝イメージアップ〟のためにプロモーションします。

CM制作は、他のアニメ作品などとのリンキング(深さの解釈と合意)が概ね必須となり、結局は 今回のような議論と切っても切り離せない戦略を要します。

(ハッピーをただ連呼すれば救われるわけじゃないよと言いたいんだろうと(笑)――イエス イエスω) ――言ってほしいけれどね。

そういった感性を企業に評価してもらえる道が これからのミレニアム世代のアーティストのとても強いチャームポイントです。

深い解釈のノウハウというのは、もはや とてもストロングでプロフェッショナルと成り得るキャリアです。

(これまで周辺化されていた芸術領域が創発的に生き残っていくためのインテグラル的アプローチを応援するために書いています。)

政治と選挙に関わる国民主権とは、ミレニアム世代の言葉で言えば〝こうやって発話しなさい〟ということです。 (ただし、なるだけ深く実践継続的に根拠を伴って対話的に。)


最後に、「名探偵コナン」について考えましょう。

コナンは 長く続けば続くほど〝事件が起こる設定〟で見られてしまいますが この場合の視聴者(読者)の対策は〝一定期間見ない〟ことに尽きます。

されど、問題解決能力に大きな変化を促す実践と成り得ることや 銃や醜いシーンなどが基本的に(無理に)出てこないところから 意外に見れることに 次世代は気付くでしょう。

私たちの世代の漫画なので、まだ ミレニアムなエンターテイメントへの過渡期に発話されたシナリオ(視点)です。

作者の青山剛昌さんが (何らかの形で)大のホームズファンであり 主人公のコナン君(新一)もそうであり 道徳的意図から問題を解決していく という点には 多面的な将棋的に〝合意〟できるはずです。

後は 「名探偵コナン」の内部で、優しい人が見れる深い実践になるか ということです。

旧式の破壊的描写がコナンを何らかの根拠にして 次世代向けに逆定立されてしまうと 全てはコンテキスト(文脈・関係)ですから コナンも見れたもんじゃなくなります。

ミスチル(ひびき)の例えならば〝僕らの花火も紛争地域では銃声〟に解釈されるということです。(聴覚的に。)

内面からの発話なので 五感がすべてではありませんが、五感のモードも 主流の文化的言説が統制します。 その座に 誰が座ろうとしているのでしょうか?


このように、政治や選挙や国民主権とアニメを対話させると、具体的な作品名を出してくることになり得て 非常に書きにくくなります。

会社に所属している殆どのアーティストは それが理由で〝情報の在りかを示すコンテキスト〟のリンキングを行う主張の選択肢が主流になるわけです。

また、アイデアに困った者が 勘違いしてか 対象元の芸術(家)サイドを 深刻に困らせるレベルで行うこともあり得ますし、抗争などより 書かせることもできます。 (大多数の人にとって 長い目で見て とても迷惑です。)

深い意図で 共-創造する(どちらも 情報を持つ強力なコンテキスト=芸術 になる)のが自然なコミュニオンですが、少なくとも リベラルな流れを見抜く能力は必要でしょう。


今回の議論は、私が「アニメから離れたい」という近況的意図と関係して 私から発話されています。

書いているということは、やはり アニメが大好き!ということです(笑)
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2019年01月03日

世界の転機! ~アジアのみんなが仲良くできる時代の始まり~

この世界の歴史では、2度の世界大戦が起こっています。

それが、正しい歴史の流れに まずいものを残し続ける結果となったことは皆さんご存知だと思います。

例えば、ハリーポッターの続編「ファンタスティックビースト」を見ると、この世界では2度の世界大戦が起こったのだろうか?と一度は疑問に思うでしょう。そういう風に考えます。(別の世界を見るこういった視点を 私は 5次元ないし7次元的認識と言ったりしました。)

本来、アジア人(北朝鮮・日本・中国・韓国・そして様々なアジア諸国)は、同じ民族であり同じ文化です。子供でも明白なのですが、上記の歴史のために、当時のドイツのように分断されてしまいました。

日本との歴史の問題も、こういった戦争によって 訳も分からぬまま 混乱が混乱を呼び続けていった結果であることは、上層部の政府の方をはじめ、各国にて あなたも君も、いろいろ分かっていることでしょう。

アニメにしても、世界が手を繋がないなら、それをネタにして儲けようとすらするでしょう。それは 〝闇が無くならないなら それ を利用してやろうという目論見〟であり さらに混乱と闇を増やします。 世界が手を繋げば、そういうアニメもなくなります。 また、よいアニメを見れば世界が平和になる糸口はいくらでも勉強できます(既に分かっています) よね。


・池上さんの解説と若者の選挙の論点の続き


前回の記事より、少しだけ補足したいことがあったので書きます。

北朝鮮は、核を放棄すると確かに言っていて、日本ですら結局は核をつくろうと思えば造れます。

(結局は核融合発電を開発して豊かになりましょ!に帰結できなければなりません。退行特急はやめましょう。)

つまり、核爆弾を燃やせば暴発するかもしれないし、今は無理にすぐに根絶する必要もないのです。日本と協力して 確かな技術をもって ほのぼの 処理したらよいのではないですか?

しかし、日本にもまだ〝過激なポストモダニズム〟の癖 (裏ばかり脱構築して読む あまのじゃくの懐疑主義) は抜けきっていなくて、池上さんは 知識人(ポストモダニスト)の系譜(人文学中心ではなかったしれませんが――)ですから、そういった意見を言わされる空気になることもあるのです。

政治とメディアの深さを見るテーマの続きなので そのまま書きます。

テレビ朝日系の年末の番組(馴染みのある学校のようなリベラル番組)では、池上さんが〝北朝鮮は核を放棄する気が無い?〟と言い切っているように見えましたが、私たちの懐疑主義によって言わされている感がありました。核がまだ残っているだけの段階で、さすがにこれは言い過ぎでしょう。

トランプ氏と比べていましたが、彼の方(アメリカの共和党・保守ないし原理主義サイドの大統領)は 確かにそういった懐疑主義の衝動バージョンと結びついていて、敵も多く作っています。 北朝鮮のトップ(?)と比べるのは 国際的な(それぞれの立場を尊重するポストモダンの健全な)見方をするならば〝失礼〟です。 また、人種差別を擁護するのは〝健全なポストモダニズムではありません〟ね。(これもとっくに知っていますよね?)

共通するのは、トップのプレッシャーが人(本人)をつぶしてしまうこともあるということで、過激にまで裏を読み過ぎるのは 私たち全員に混乱となって返ってくるわけです。

テレビ東京系(もの申したが実は心配なさそう)の番組では、彼(池上さん)の高度で自由に発言・行動できるので、重要なことを〝言わされる〟ことは無いと感じます。 (万年番組不足らしいので 健全にやれているなら 非常に良いことですね。)

社会の接着剤から離れすぎると お偉い権力と 個人が衝突してしまうことになりかねないので、それも踏まえて、行きすぎた解釈をこちら側がしないようにする必要があります。

しかも、世界中がインターネットを持って他の国々の情報を調べることができますから、そして 池上さんの海外訪問とその報道も私たちが同じことをやっているということですから、これは国際的なコミュニケーションです。

つまり、日本国内だから、誰も世界は見ていないだろう、ということは無いです。

これが所与の神話ですよね。(国内の文化にて構成され埋め込まれている・日本の常識は世界の非常識)

日本が下手なのは そこです(苦笑)

疑いあうこと(Q/2)≒核の保有量(Q/4) です。

両方の社会文化的コミュニケーション(とその闇)には重なりもあるので、還元不可能で相関します。

裏切られた時のことは考えるべきですが、そんなやり取りがいつまでも続くようでは明日は無いでしょう。裏切られても例外だと考えねばなりません。2度の世界大戦がそうです。もう同じ過ち(世界大戦と種々抗争)を犯すのはやめましょう。

グリーン(ポストモダン)の話し合いではいつも論点が滑走していき リベラル国家にて いつかは保守派の実権が主流になります。 絶対踏み外してはいけない点くらいは合意しておきましょう。

日本とロシア、イギリスとEU も、かなり それです。

グリーンの〝良い部分=健全性〟だけを テンションMAXで すぽ~ん(・∀・)と発揮すれば、当時の奴隷制が根絶されたように、良い方向に行きます。 (無条件で平和条約的なやつですね。)

女性タイプの健全で深いアニメなどを例えば研究して〝女性が女性らしく生きられる社会〟を内包できるような革命ができれば、その方向が〝差別をなくす運動〟で〝ナチュラルに良い方向〟です。

犯罪者の家族が差別される問題も、虐待の(種々傷跡により生じる人間関係的)問題も同じです。 〝人間の本能だから〟では、所与の神話を認めているわけで〝ウソッパチ〟ですよね。 これが許されたのは (上層部は品質管理にて責任重大で偉い・フラットランドな資本主義絶対化だけれども そのためには差別も隠蔽もやむを得ない―という機能的驕りが黙認されたのは) 昔の世代までです。私たちが口と行動に出してはいけません

感情で理不尽だと感じている時点で、亀裂はとっくに生じていました。

政治や外交でも同じで、負の感情的本能論(ニヒリズムやペシミズムかな?)に陥る可能性があるのなら、その前に1000通りくらい、打てる手を用意しておかねばなりません。


以上、論点は〝大切なところだけは 即座に合意する (見失わないで離さないようにする)〟です。

高い金利でお金を貸すようなやりとりは〝植民地化〟と言えて、長い目では〝大切なところではない〟とわかります。

(そもそもグリーンのテストを通過していない国の成長段階[グリーンを押し付けての解体は不可]のためです。 ――以下 大切なところに回帰 )

ぐずぐずしていると、保守派(アメリカの共和党など)が 合意を拡大解釈し、さらに 人種差別主義者(ヒトラーなど)の手に堕ちて、どえらいことになりかねません。 (いいたくね(。-`ω-))cc...

私がこれを書いた意図は、〝載せておかないと まずいことになりそうだと 個人的に思ったから (インスピレーションの力学)〟です。
ラベル:AQAL
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2018年12月20日

自分の主張を大切にする意味 ~メディア・選挙投票・距離空間~

私は、こういった記事も書きましたが、池上彰が テレビ東京(日曜ゴールデンかな?の出演・仕事)に関して〝働き方改革〟って言っていました。 (出過ぎていたということらしいです。)

さりげに責任を感じた気がしますので、思ったことを(一般向けの哲学的随筆?形式で・笑)言っておきます。


テレビ東京(系)は、感情の発達ラインが主機能で、そのラインから深いところ(感情のラインの深いレベル)を判断するのが最も適切であるのは、この局の 深いものが定立されていると思われる番組を見ていれば 誰の目にも明らかだと思われます。

問題は、深いレベルの感情のラインの領域ではなく、感情のラインそのものを定立しようとする風潮が未だにあるということです。(これが ケン・ウィルバーが再三言っている〝LLF〟-ラインとレベルの混同-ですね。)

そうすると、ブーメリティスのような 前後のレベルの混同(PPF)が起きて、スピリチュアリティのライン・モラルのライン などの 子どもの頃に健全であるレベルが 大人じみたものであると主張するに至ります。


感情のラインの深いレベルから、モラルやスピリチュアリティや論理的知性(丹念に根拠を示すような論理的思考の発達ライン) の領域の深いレベルと どのようにコミュニケーションを取ればよいのか と言いますと、やはり マインドモジュールの基本的な意図である〝感情のラインも認知のラインを先行させている〟点に注目します。

認知のラインの深いレベルではなく、認知のライン+感情のラインの深いレベル にて、他の主張に呼応共鳴していくということで、そのノウハウを発展させるためにILPがあり、レディ ジュエルペットで示された通りですが、その後の経緯より 番組間において 完璧とは言い難いようです。 (ルビーチョコレート、流行るかなぁ。)


池上さんの論理的知性(外側の象限重視)に テレビ東京が頼るということは、感情のラインという主機能(タイプ)にとっての補助機能(タイプ)として 捉えているということですが、頼りすぎている感があると 彰くん本人が述べているわけです。

つまり、論理的知性の深いレベルに 主機能である深い感情のラインから 深いモラルなどのアイノコをするのではなく、中程度の感情のラインより 論理的知性と名の付きそうなものを何でも頼っていくという、投げやり感が出演者含め、見られたのではないかと思います。

私は、こういった番組のファンですが、肝心の主陣営に合意が揺らいでいるというのならば、この位は書いても良いでしょう。 (他にも ちょっとした近況的意図がありますが、それは最後の方に。)


テレビ東京の強みが ILPで言う〝感情のモジュール〟と言うなら、マネーに関する領域は 付属モジュールである〝お金のモジュール〟です。 私が節約生活として このブログで採算挙げている内容と深くリンクしますが コアモジュールである〝マインドモジュール〟ではありません。 ここを混同するのも さりげに注意でしょう。

そして、感情のモジュールは シャドーワーク(感情のセラピー)に強いのですが、〝深く優しい描写をする (怖い内容にはしない)〟ことが 最も強い武器(説得力のある主張)となります。

女性タイプの感情のラインの深いレベルの浸透性が 強い意図と行為を生み あらゆる波を活性化していきますが、浸透性の具体的な領域を平等に扱うことで マジェンタ・レッド・アンバー・オレンジ・グリーン など(の大人都合版とそのシャドー)を しつこく活性化してしまうことになり、感情のラインの深いレベルが 感情のラインの稚拙なレベル へと分解してゆき、子どもの健全性を損ねることにもつながります。

そこに 深いと思われる論理的知性を入れようとしても、うまくいかないのです。


この、深く優しい描写のディテール(実質)と それがなぜ必要なのかの理解が 決定的に必要であり、そこが曖昧だと 指示言語(コスモスのアドレス・高度と象限)に置き換えることも不可能です。

優しいのではなく、深く、です。 深くて だからこそ優しいということです。

これは、他のテレビ局では でき難く、唯一 テレビ東京系列でのみ 今のところは 実現していく可能性がある と期待できるということです。


これを書いたもう一つの意図ですが、選挙の投票率に関する 地味に複雑な問題を指摘できるからです。

池上さんが (テレビ朝日系の番組かな?―で) 〝若者の投票率の少なさについて〟〝選挙や投票に興味を持つことから (その意味での)社会や世界は変わっていく〟と主張していましたね。

しかし、私が思うに、それを厳密にやっていくと、思想などの〝深さ〟を判断するのは避けては通れぬことであり、皆 騙されたくは無いので、スルーしがちだということです。

具体的には、このページにて書かれているそのまんま、〝テレビ局同士の主張の違いや新聞社・選挙の党との思想的関係性、そして深い健全度〟を判断(つまり深く批判まで)する必要がある、ということで、ここでは テレビ東京系のことではなく 該当領域のすべてのメイン・コミュニティ(営み)を指します。

私もまた、こういった営みの部分を垣間見て、一人では手におえませんでしたので、若者の政治離れは 社会や世界の権力者(とそのコミュニティ)への〝恐れ〟から来るものであり、無関心を装ってはいても 非常に 真っ正直であるのが難しいと、強く感じます。

よって、私は、政治選挙よりは こうして書いています。

若者が投票に興味を持つための ポスト形而上学的 簡単なアイデアもありますので、機会があれば紹介したいと思います。


池上さんに 私の立場より 今言えることは、テレビ東京は 微妙に曖昧な部分もありますが ここでしかできていない感情的知性の深い部分をメインにコミットする営みがあって 論理的知性(インテグラルな知識人...かな?) 陣営にとっては 距離の詰め方に苦労する以上のリターンがあると思いますので、緩やかにでも関係を築いて(交流を続けて)おくことをオススメします♪

安売り(メタ主張が崩壊すると感じる内容の反復)はしなくてよいし(再放送でもいいじゃない♡)、年1回でもよいし、自由に日々を生きてくれても良いし、少なくとも私は テレビ局それぞれに対して自己主張して距離を置いてよいと思います。


以上、最近 地味に疑問に思っていることの意味をまとめてみました。

日本と海外それぞれの国の事情を 統合的に見ると 特にこういった課題が見えてくるということですね。



(2019 01 28) ここに書いてよいのか分かりませんが 個人的に〝仮名〟が気になりましたので、一応付記します。 (テレビ東京系さんの昨日のある番組内より・つぶやき程度にて 読み飛ばし希望)
ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 14:15| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2018年12月13日

インテグラルな資本主義への道 ~健全性とメタILP~

ぶっとんだ題名ですが、統合的(ポスト形而上学的)な資本主義ということですので、その構造は保存しつつ排他性はなくなっており、社会主義などのいいとこどりも成された深さという意味で、もはや イメージで言う資本主義ではないと思います(笑)

ケン・ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」を読み解きながら、「ジュエルペット てぃんくる☆」の すてきすぎる仕事に Mr.Childrenのメッセージ(主題・意図)も交えて、一夜限り (閲覧期間無制限(⋈◍>◡<◍)。✧♡)にて、お送りしようと思います。


・信頼の資本主義は 経済ではなく〝合意〟


〝インテグラル・スピリチュアリティ〟でおなじみの〝社会(Q/4)・文化(Q/2)は、コミュニケーションによって成り立っている〟という主張は、資本主義もまた〝システムと内面のコミュニケーションである〟つまり〝信頼の原則によって合意しなければならない〟ということです。

リベラルがスピリチュアリティの発達ラインを抑圧した結果 セクシュアルな乖離がひどくなり 健全な成長ができなくなって、原理主義者を語るカルト集団(~L/2の病理バーション)に〝(嗜好的な)萌えアニメは 性犯罪を抑制(リベラルの苦し紛れで所与の独白的主張)するのだから、感情や思想(この場合は非常に有害なものだが なぜそうなのかリベラルが気付けない)を 抑制なく どこまでもエスカレートして表現して 情報媒体で 自爆テロを起こしても構わない!〟と勘違いさせることで、次の世界大戦が懸念されて資本主義も崩壊するのでは?という状況が、今です。


この現状の解決の糸口は、「ジュエルペット てぃんくる☆ を 適切に解釈(9)する」ことだと 私は主張しますが、後期のミスターチルドレンでも ONE PIECE でも良いです。

子どもと女性が差別され続ける資本主義の中で 第3層の発話によって制作(定立)された〝てぃんくる〟は 既に 現代に置き換えてのキリスト(ミレニアム)並みに稀有ですが、故に 上記の主題を貫通するほどに 本当にまともに解釈できる者は、普通に(おかしな)資本主義に適応している男女では〝いない〟と言えます。

女性の波は浸透的ですので、どの波(発達段階)の男女でも てぃんくる☆は見れるようになっていますが、そこが 女性のスピリチュアリティの わかりにくいところにもなっています。

本当はシンプルなんですがω


また、根源的なアート(芸術家の旅)は 内にスピリチュアリティのラインを含み、行きつくところに行きつきます。(漫画やアニメでは絵本・音楽では洋楽の系譜など スピリチュアリティのラインのプレモダンまでの部分を 実はサポートしつつ それを超えてゆくからです。)

その点で、芸術は有利です。

さらに、上記の作品は、普通に資本主義を〝扱って〟います。 なにかの〝資本主義による商品化は絶対に認めない〟風な〝反経済的な側面はありません〟し、売るためのものでもない〝意図〟で作っています。 (物質主義を軽く超えていますね。)


さて。続きを語るとしましょう。


資本主義は、お金を回すのではなく、〝合意を回す〟のです。

不健全なナルシシズムや先ほどのカルト集団のような主張は、お金を回しながらでも 信頼の原則を無視する(壊す)ので、お判りでしょう。

そして、信頼の原則の健全な定立には〝スピリチュアリティのラインのリベラルな成長〟が絶対的に不可欠です。

これが成されなかったので、真善美は 目も当てられないほどに ばらっばらになりました( ;∀;)

シャレになりませんねω


・健全な労働♪ というより〝天職〟☆彡


結局は、資本主義の行きつく先は〝ナンバーワンより 深いオンリーワンの自己実現的社会〟です。

機械に仕事を任せれば、そもそもの〝働かねばならない強迫観〟は消え失せます。

ただし、途上国は資本主義のような〝経済システムを簡単にリベラルに発展できない〟意味で、一度何らかのリベラル国家に持続成長する必要はあります。

そこを間違えると、誰も働かなくなるでしょう。 (ちょうど一昔前の ロシアの辺り?で起こったことのような 途上国・新興国版。信頼の原則が意味を成さず 理解普及しないのです。)

実際に働いて社会に適応してみて、信頼の原則が発揮できないくらい窮屈だと感じたら、社会を変えます。

ギャングに負けないように学校を作った新興国の子どもの ロックンロール(たましい)です(⋈◍>◡<◍)。✧♡


1年(所与の期間) 使われるに使われて働いて、奴隷根性と闇闇しい禁断症状が抑えるに抑えきれなくなったりしたら、過去の環境も含めて〝この社会に表面的に向いていない〟ので、離れないと〝死にます!〟(何らかの意味で。)

吟味は必要だということです。

例えば、後期に 女性的なスタイルの仕事に制服とともに憧れたとしても、経験上分かってくると思いますが、〝リベラル社会はスピリチュアリティのラインのを抑圧しているので、その自分たち(~原理主義的なスピリチュアリティ)を周りの顧客や世間に投影して、ビジネスパーソンなんだから マナーの一環で統一された清楚な服装位すべき、という風に いつわりの欲求のムード(圧力)に囚われているにすぎない〟と感じます。

てぃんくる☆を見れば、その健全性より、上記の社会が まだまだひどいものだと分かります。

資本主義とスピリチュアリティとしての信頼の原則の関係が、まだまだ見えていないということです。


例えば、1年で100年分働いた、と思うような社会では 歪んで浅すぎるので、コストが膨大にかかっていて おかしいほどに非効率的なのです。

信頼を回すということは、このコストをスピリチュアリティのラインを強調して〝理性的にスムーズにする(解消する)〟ことを意味します。

芸術家やモラル領域のスペシャリストが当然必要で、彼らにも生計を立てられる余裕を与えることが〝それ=上記コストの最適化〟で、物質主義なる独白的科学主義としての 環境汚染の代わりに 機械による労働の最低限化かつソフトなるシフト(移行)による 精神的価値の向上=余った資金の彼らへの交流 へと 流動していくべきです。


一人のビジネスパーソンがいます。彼ないし彼女は スーツを着て 難しい企画書類を持っているわけです。入社にもお金と人件費(コスト)がかかったでしょう。

彼女も含め以下 彼 は、当然 お昼を食べるので飲食店へ行きます。(例です。)

給料面から考えて、余裕がないわけです。

ここですが、一人のビジネスパーソンを支えるのに 下層労働者と呼ばれ得る人々が必要です。 (実は 健全ではないバージョンです。)

この部分が、1年で100年分の仕事をしたと思えるほどのむなしさを与える箇所で、健全ではなく スピリチュアリティのラインの抑圧にも原因があって、仕事の効率という名の士気が 社会全体で下がり、ミスチルが〝LOVEが消えている〟と言ったそのまんま、イライラしたムードと共に 超ロー・テンションの社会文化(ぶっちゃけ浅すぎるコミュニケーション)になります。

でも、誰もなぜそれがおかしいのか分かっていなかったのです。

今日では、〝てぃんくる〟さえ見れば、たぶん 誰でも 理解できます。 (このコーナーの道徳的意義が分かるリベラリストの場合。)


つまり、働きやすい職場ではなく、無駄な競争を省くための〝スピリチュアリティのラインによる信頼の原則の確立〟が早急の課題です。

てぃんくる☆発、今流行りの言葉で言えば、〝Happy!〟です。それを生みます。(創発させます。)


途上国の食糧問題、先進国の難民問題、いずれも、こういったバランスの欠如が どんどん悪化している結果です。 天職を直感したら、一度 強迫的に働くのを やめましょう。 それが 信頼の原則の権利という名の義務で責任です。ロック!で 新の闘いです。

何かが終わって始まりもしますが、〝差異化と分離を混同〟するのだけは、いい加減にやめましょう。 (さりげに説明。)


・大人の世界は 子どもを染める


健全なバージョンだと、子どものポテンシャルは〝空=形〟にまで 多次元的に広がるのですが、そうでなければ 歪んだサイコグラフがそのまんま伝搬します。

大人が子どもを育てる・子どもは未熟 というのは驕りで、ポテンシャルという名の健全性を 大人サイドは なめきっているのです。


〝インテグラル・スピリチュアリティ〟に出てくる人生の駅は ケン・ウィルバーの譲歩で、本当は〝好きな駅に止まる自由を持っている〟わけではなく、リベラル社会であるにもかかわらず レッドやアンバー(非合理段階)にて成長が止まるのは、止まらざるを得なかった〝ありえない・不当な〟理由があったからだと ほぼ言えて、そのほとんどは、ブーメリティスのように 〝文化ごと同じサイコグラフで感染する〟わけです。

スピリチュアリティのラインは、リベラルどころか 古代人にも負けているのではないでしょうか?

(これは、現代人が想像する 不均衡で野蛮な民族[あるいは無理にオカルトじみた妄想の産物]ではなく、当時の健全なバージョンは 今ほど内面的には醜い争い[乖離的な抗争]をしていなかった、という風に言える視点で言っています。)


人生の駅の例は、大人と子供の文化は不可分であり、大人が健全からほど遠いのならば、最初から〝社会は問題の対象〟となるはずで、それが リベラルなスピリチュアリティのライン(のレベル)です。

そうしないならば、問題が子どもに感染したまま、問題とも認識されずに永遠に解かれないままでしょう。

しかし、その場合、地球は滅びます。


大人が、次世代の子どもに〝新しい社会の期待〟をするのも 虫が良すぎる話で、ブーメリティスの例のように 問題を大人が解いて 子どもたちに原因をばらまかないようにしないと、むしろ酷くなります。

問題は、蓄積されていくからです。


これが、所与の神話ですね。


大人から、大人の世界から 変えなければならないことは、明白です。

素晴らしい大人が 健全にすごいアニメを作ったら、子どもの前に大人に大きな影響を与えるわけです。

子ども向けの絵本を子どもが作る 合理的な理由は、考えると どこにもないわけです。

健全な大人は、深度によって健全な子どもを含み、健全な子どもは、ポテンシャル(健全性)によって大人を含みます。

しかし、歴史展開によって、時間的順序はあります。


どの世代も、若いころ、イカれたヤツに憧れたりして、確かに反抗するものですが、時代を繰り返してもまだ地球上の私たちの問題が全然解決されていない通り、〝スピリチュアリティのライン≒健全性〟のリベラルな定立は ことごとく失敗してきた、ということです。


・悩むのも面倒だから 今から実践しよう!


今から、できます。

私は、小学5年生の終わりごろまで 散々な子ども時代を過ごしてきましたが、にもかかわらずか故にか、てぃんくる☆ともつながる〝ものさし〟を提供できました。(このように。)

もちろん、ケン・ウィルバーの書いたものは、本来 倫理のラインで読むべきです。(インテグラルに。)

社会の問題を常に〝みる〟ということは、健全性を対象として見る、ポスト形而上学としての〝指示に置き換えて見る〟ということです。

私たちは、てぃんくる☆[メタILP(9)]を この形で応用します


以上、ざっと提案の形で まとめとします。

このコーナーを読んでおられる方は、既に 基本のILP(統合的な生活実践)の方法を確立していると思いますので、そのアップデート(確認・見解)としてお読みください。

ILPを知らない方でも、このページ(ブログ)の内容を 読み解いていくと、実践方法が明らかになっていくと思いますので、よかったら どうぞ。
posted by インテグラルとど at 22:35| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする