2019年04月09日

道のルールとリベラル・スペース♪ ~著作と社会交流と〝今〟~ ③

リベラリズム(現代のリベラル教育など)には〝具体的な規範を押し付けてはならない〟という〝素晴らしいモラル〟が 体現されています。

これを、道路交通と内面に開いて、著作の交流と見ます。


グレーゾーンと言う言葉がよく飛び交っていますが、〝噂話・デマ〟と同じ性質のものだと感じます。

私は道路にて〝すり抜けを全般的に勧めない〟のですが、理由は〝認識されていないかもしれないけれどルール違反だから〟〝全てのシチュエーションを分かろうとしていないのだろうけれど とても危ないから〟です。

すり抜けることで自転車は〝車道デビューしやすくなる半面 自動車が自転車に安全な縦と横の車間距離を保たない自動車中心社会の現状〟に気付くので、そうやって走ることに行きつくかもしれないけれど すり抜けを覚えないでほしい、と言っています。

確かに、すり抜けることでしかわからない〝道路のルールの混乱の学び〟はあり、それはグレーゾーンと言うよりは〝ありえない・おかしな現状〟なのです。

自分がその現実に巻き込まれていることすら気付かずに〝無意識に認めてしまう=(文脈で言える)デマを真実だと取り違えてしまう〟点が、深刻です。


つまり、虎穴に入らずんば・・・的な要素はありますが、〝社会のルールが混乱している=深い内面により より正しいルールの深層的意図を把握して 公共の福祉に反する主張を拒絶する という営みが成功していない〟―― 危うさに気付いて〝皆で別の道を探索する〟べき 緊急の課題があるのです。

確かなことは、ルールを破ってでも〝気付かなければならない社会の歪みと危機的な混沌〟があり得て、さらに〝次世代を巻き込んではならない〟というビジョンで行動しなければなりません。

そうしなければ、さらに混乱(歪んだ慣習)は蓄積されてゆくからです。


話を進めましょう。


著作のコミュニケーションの芸術家同士の引用の〝より高パフォーマンスに自由な公共の福祉にのっとったルール〟は、そういった〝次世代に開かれた健全で深い〟ナチュラルな奮闘の中でしか 継いでいけないのです。

インターネットという公の場と〝記録の継続的な報告〟の〝兼ね合い〟は〝さらに真剣な情熱〟によって ルール(道)になるように〝自ら試して〟いかなければならないのです。

それが これからの公の交流の〝常識と勇気〟です。

良い意味で、さけられないもの なのです。


ヒルクライム、という言葉が、自転車視点でありますが、坂道を好んで上る〝クライマー〟の生きざまと似ている部分が〝芸術家〟にあります。

自分の出来る部分で〝深く洗練させながら他者と交流したい!〟そんな〝強い渇望(情熱)〟です。

〝ルールの混乱した自動車社会の中の道路の中の坂道の中のクライマーの交流のための熱意〟は なるべく交通量の少ない道が良いという近況の他〝インターネットで報告して気持ちを共有したい〟というところに行くでしょう。

車道に〝目的地に行くだけの用途〟しか付加できないわけではない点でお分かりのように、 著作が〝売るためだけの用途にしか開いてはいけないわけがない〟のです。

道具的歪んだバージョンの合理性のみの単一目的的絶対化は、深い意図と羅針盤を無視し、混乱したルールの蓄積に無力です。

芸術・著作は〝交流するため〟に〝混乱したルールを吟味して越えていく必要がある〟のです。


道の安全性が日本では〝ローカル〟です。 著作に関するルールは今や日本でも〝世界基準〟です。

前者が未だ 非国際的で混乱しているのに、どうやって 同じ〝ルールを決める感性〟で〝より内面的に普遍的に開ける〟のでしょうか?


自転車を追い越す自動車は〝1.5メートルほどの距離を空ける努力をしても良い〟ではありません。

〝1.5メートル近く 必ず空けなければならない〟のです。

つまり、カーブの手前では 自転車位まで早めに速度を落とす〝自動運転式の運転〟ができていないとおかしいのです。

それ(自動車の本来のルール)を知らない自転車も、ルール上確かにおかしいのです。

リベラルの 具体性を押し付けないという寛容性(大好き!)にて、〝ルールを守らずに乱用する者にだけ得をする〟混沌たる結果になっていることが、私は気に入らないのです。

保守派は〝著作も道も もっと厳格にルールを作って拘束するべきだ〟と言うかもしれませんが、そんなもの〝覚えきれないし、奴らは 縛られないところでいくらでもやらかしていき〟むしろ酷くなるくらいです。

リベラルの良いところをもし捨てれば、現在の国際情勢の〝退行特急的揺れ戻り〟と同じく 二度と〝誰もが得をする よりすてきで自由で とても危ない歪んだ者だけライセンス拒絶することができるような社会〟に 軽やかに変容する機会(一期一会)は〝与えられないかもしれません〟!


日本発祥の芸術は特にそうですが、国民的な〝文化的ルール〟によって〝成り立って〟きました。

世界基準にする場合、基本的な〝子どもも安心の 文化的な著作的 もっとより自由な交流を最大限生かす〟社会のルールを しっかりと成り立たせていかないと、国際的なグラウンドで〝日本の文化を納得してもらえる〟ことは無いのです。


もったいない(・∀・)ωωω


みんなのアイデアを検討して、一緒に芸術・著作を 作りましょうよ!

それを、著作同士のインターネット上の交流でも、深くならばできるのです!



✧今回の補足結論 : 「インターネット=公の場(安心感・メリット)自らが主張・定立しなければならない!!」 ✧
posted by インテグラルとど at 09:00| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

インスピレーションの神聖と〝消費者サイド〟 ~著作と社会交流と〝今〟~ ②

芸術家は インスピレーション(イン・スピリット)という〝決して売ることのできないもの〟を形にします。

それは、多次元的な〝未来の出会い〟を含む〝意図〟かもしれないし、〝本人のみに閉じられておらず、深くは運命につながっている程のもの〟です。

統合的実践の各バージョンでは〝強烈な実践〟となるものです。

一期一会です(・∀・)


一期一会は、僅かな期間の出会いにすぎないのではなく〝そのやや長めの一瞬を信じてコミュニケーションに移すことで 一生ものの運命の関係を築けるほどのイベント〟です。

芸術家は、活動と著作によって、この〝一期一会を引き寄せる〟のです。


政治と行政も ここを理解して、誰しも

じゃましてはなりません(・∀・)

もちろん、まがいのダメな方の芸術擬態(のナチスのような運動)は〝リベラルな芸術家同士の合意によって完全に拒絶〟されますから、大丈夫です。

(それ ―とても歪んだ主張― は、公共の福祉により じゃまされます♡ ―― それが真正の芸術家に対してウイルスなんだよと反転主張しても、絶対通りません! マジですよ☆彡 やめときなさい(^^♪ ―本当の広義ポストモダン・アートは すごいからね。)


話は進みます。


神聖なインスピレーションは、芸術家の〝権利/責任〟です。 後の世代にも継承されます。

その責任(芸術家と言う魂の普遍的ネタばれ)を〝あまり知らない人々=別の責任を引き受ける人々〟に対して開いていく活動が〝芸術作品という形にして売り物にする〟ということです。

別分野への対話とも言えます。

これは、芸術家同士の〝作品の広義の引用を含むコミュニケーション〟とも違います。

より一般の広域の人々に対して〝売り物にすることで市場のシステムをサポートし 作者を通した売れない神聖なインスピレーションに対する責任と分けることのできる 自由な鑑賞の領域・方法を提供するよ〟ということです。

鑑賞者(ファン・購入者)は、〝売れないインスピレーションを神聖に洗練させ守ること〟ではなく〝自分たちの公共の福祉に貢献する営みによって大切なものを守る〟という〝拡張した交流〟によって、よりバラエティに富んだエンターテイメントとしての恩恵を受けることができるのです。

過激な描写や売れればいいだけのものは芸術ではなく、〝神聖なインスピレーションからの拡張した交流〟にもなりません!

上記に含まず、良いものの場合では、戦争を批判して風刺した(要素ばかりで構成された)著作は、芸術と言うよりは社会運動です。 特殊な形態なので、インスピレーションの根源性は薄い気がします。 良いとは言えないもの・子どもに開けないものも つくりやすいです。

また、〝購入の形態をとらずに配布する芸術作品(パフォーマンス含む)の形態〟も〝範囲の規定によって 拡張した交流〟となり〝売り物と同じ形式〟で 扱えます。 (著作全般で言えば、このブログもそうです。)

〝芸術≒著作〟の文脈で、このコーナー(主張)が進行していることは 既にお分かりいただけたと思います。 (補足)


基本的には売り物の 有名サイドに対して、ある条件にて上記を〝無名サイド〟と表現したりもしています。

定義はぴったり重なりませんが、それぞれを 発達段階の領域【2つの並走するライン】で扱うこともできます。 芸術家同士の広義の交流において〝異なったルールと責任〟として見られます。


現時点でのこのブログは〝無名サイド〟としての責任とルールです。 そこも 社会のルールは考慮すべきです。

有名サイドとの交流の方法などは特殊に成り得ます。


〝多〟分野で、内面と意図(と深さ)を認め合おう ということです。

そう記述して、次回につなぎます。
posted by インテグラルとど at 09:00| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2019年04月01日

アーティストとインターネット ~著作と社会交流と〝今〟~ ①

このコーナーらしく、ナンバーシリーズ形式で始めます。


著作とインターネットの関連で、まとめておくには いい時期だと思いました。

左の題名を副題にして 別コーナーで論じてみたいですよね。 (今は ~〝右〟~ が主題です。)

各コーナー、ちょっと長めですよん(・∀・)ω


✧全5回✧



アーティストは、コミュニケーションを〝アートでします〟!!

この常識は、アーティストにしか わからないのかもしれません。

政治や行政などのグループにて〝社会のルールを決める〟とき、〝芸術家(アートでコミュニケーションする者)の代表者〟が 居ないか極稀なようです。

いつもそうですが、ポストモダンは本来、こういった〝内面のプロフェッショナルからの交流のメリットを周辺化しない〟という運動で花開くはずなのです。

現時点での政治や行政(社会の規範を形式的に決める我々の民主的代表組織)は まだ〝本当の健全なポストモダンに開いていない〟と言えるのかもしれません。

これは、重大な〝障壁〟です。 (もったいない。(。-∀-))ccc


勘違いされているのかもしれませんが、病理的なポストモダニズム(すべて均等に正しい主張にすぎないというバージョン)で擁護してしまった場合に限り 芸術と称する〝大人の意味を成さないアダルト〟な〝し好物化〟が 蔓延するというだけで、そういったものは〝芸術(の本来の深い意図)とは関係がありません

正しいポストモダン運動のベクトル(功績)を明らかにしておかないと 芸術が政界や行政などに誤解されたまま 悲惨なことになるのでは―――、と気にしている 芸術界に関係ある人々は、数知れず居ます。

ルールの決め方が、ある種の暴力(言葉わるくも――)になることもあり得るわけですね。


インターネットに掲載される〝著作(記事・論文・アートなど)は 出版物と同じ(データではなく紙の本のようなもの)〟という捉え方が、子どもに分かりやすく説く意味でも 健全的に これからの時代の〝基本〟です。

そして、紙の著作の形式よりも〝コミュニケーションにて絶大なメリットがある〟のです。 (資金/自由度・加筆/アップデート・速度/リアルタイム)

人に見せたくない〝秘密裏に偏った〟画像の収集・蓄積などが〝人とのコミュニケーションの貴重な時間と精力を無くしている〟と気づいたら こう捉えているでしょう。

インターネットは普通の公共の場所と一緒〟です。


本当の芸術家は、コミュニケーション(人間関係)の中で、〝情報の取捨選択〟をしています。

今回のテーマは、インターネットという公共の場を〝普遍的に〟見ることによって、正しい芸術とアーティストが〝周辺化されず 芸術家とその著作同士で交流する自由なルールに最大に花開く〟根源的な〝人間性(としての芸術家と著作の交流のメリット)〟を〝強く主張する〟ヴィジョンを (さわりでも) 提示するコーナーです。

偏った隠蔽は一般企業にも見られ、一般的なインターネットに話を戻すと――(メリットの無い故意のパクリ騒動・行為と半端に主張するも嫉妬からの嫌がらせにしかなっていない主張全般 etc.―) は〝正しい芸術家のインターネット上の交流などより 反証・拒絶される〟ことで ルールがより明快となり〝信頼のできる人々同士でのアート著作の広義での引用のやりとり(無断転載とは見なされない最大限自由で高パフォーマンスな〝今〟ルール)が どんどんアップデート(差異化/包含)される〟ことを、強く主張(予見)します。

(この方向に開かないと、人類の羅針盤は 情報化をナチスに渡すようなことになるでしょう。)

(芸術家まがいの歪んだ主張含む) 真正の(健全で深い)芸術家に対しての偏った嫌がらせは、なぜか〝芸術家を周辺化したい〟という 〝公共の福祉に反する悪しき目論見〟によって 構成されています。 こういった、拝金主義的な裏を想像させるテーマも含みます。

(著作者の権利を守るリベラルな法律とは、――歪みが行き過ぎている場合の――彼らを まず縛るということです。)


ここまでのデリケートなテーマを、次世代の子どもたちに開くにあたって、〝過激すぎる描写のエンターテイメント的擁護は 真の芸術家と それを表す 未来の子どもたちに対して 嫌がらせ(邪魔)になる〟方向で見れるという 筆者の発見したヒントを 添えて、次回へ繋ぎます。
posted by インテグラルとど at 09:00| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2019年03月28日

春にぽたぽた♡桜を見よう☀ ~ゆるゆるのススメ☆~

いよいよ、春です。

本格的な、春です ☀


晴れの日に、桜がいっぱい咲いている公園とか、行くことができたなら、そこで、ぽたぽたしましょう

ぬぼー(・∀・)っと、しずかに、ゆるゆるで


きっと、小鳥さんの鳴き声が、聞こえてきます♡

私は、すでに、早咲きの桜とか、うぐいすの鳴き声に、いっぱい出会っています。


インターネットばかりしていると、交感神経が強烈にはたらき、色々と意識を取られていると思います。

たまには、五感をフリーにして、しかも 騒がず〝なにもしない〟をしてみましょう。


花火大会の場合は、テンション上がりますが、桜は テンションが維持されます。

徒歩で、うっとりしましょう。

快適に、休憩して うとうと しましょう。


実は、この機会を持つのは〝貴重〟です。

想像でも良いですが、出来る機会があるならば、チャンスを生かしてください❀


きぃらぁぁん(・∀・)☆彡
posted by インテグラルとど at 09:00| Comment(0) | 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする