2019年05月31日

〝好き〟が 世界の正体 〜すてきな無限が生まれる ミニコラム〜

ポスト形而上学(ないし 非視点的-統合的 有効なポストモダンの大発見)では、〝文脈は相対的な順序で構成されている〟ということでした。

つまり、私たちの認識は〝絶対的に動かない決まったものではなく〟〝文脈である社会や文化 皆さんと時代に影響されていて (ひとりじゃない)〟〝より意味のある納得できるものが より創発的で より真実〟である と言えます。

健全な主張〟の場合に 上記は納得できますが、理性は自分をわざと騙すことができて〝歪んでいる主張〟の場合は 上記を無理やり納得しても〝深いところで遂行矛盾し どんな視点も相対的でさえあれば確実に存在しているという神話(決めつけ)に退行〟します。

実は、すべての視点が、相対的に順序を持って〝存在している〟は〝肯定的な言葉で述べた健全な意味での主張〟で、上記のような ある遂行矛盾的条件下では〝限りなく相対的に存在の意味を成さない〟と 〝あれでもない的な言葉で述べた健全な意味での主張〟ができます。


本題です。


『好きが存在しない』世界というのは、実は〝存在しません〟

(理性が、好きの文脈上より その文脈を無視して 所与の世界を想定しているのに その〝好き〟は相変わらず本人の主張の前提になっているため。 所与の神話 ・ 好きを文字でのみ捉えているとも言える)


文脈上確かな意味での 『嫌い』な対象(変化・侵略)とは、『好き=存在・関係・深さ・文脈』を〝壊しにかかる〟ゆえに、『好き』の意味(文脈)が 崩壊するので、『好き』を根拠に存在している〝病理的な主張・支配〟です。

健全に相対的な〝多元相対的、非視点的-統合的〟な 根拠で見ると、『好き』のみが、相対的に順序を伴って『存在する』ことが分かり、その無意味化は 病理的には存在すると主張できるが 実際は 相対的に存在していないか 限りなく存在していない関係にある、ということです。 なんせ、無意味ですからね。

しかし、人はそういった〝無かったことの支配〟を恐れる傾向があるため、〝構造-意味の伴わない〟イミテーションに 支配される(と認識される)状態に スパイラルすることもあると。


この、『好き』というのは、本来 スピリットモジュール(黙想の眼の領域)による〝空〟〝悟り〟〝一者〟〝神〟〝ワン・テイスト〟という意味(コスモスのアドレス)です。

よって、『好き=基底・空・スピリット』の無い世界など、存在しません

するなら、文脈上〝根拠〟にできるものが無く、〝世界〟は 存在することを やめてしまうのです。
ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 14:21| Comment(0) | 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする
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