2019年03月16日

なぜビジネススーツは魅力が無いのか? ~リベラルの真の目的~

唐突ですが、なぜこの題名(表現)になったかは 割愛します(爆)


ここで言うスーツは、就職活動の時に必要な?ものを指します。

粗いですか(・∀・)??


[ 【魅力≒芸術的なファッション性】 : 成り行きでこのニュアンスになりましたが、日本の制服文化的視点を重心にして〝なぜビジネススーツは魅力的なのか!〟という記事を 真剣に書いても良いのです♡ ]


社会が内面に何とかして開こうと手探りを始めているということで、次世代向けの社会システムに興味のある方向けですが、現状として アプローチの方法と領域が バラバラだと感じます。

つまり、スーツから見る なんとやら―――――(・∀・)


はっきり言って、〝強制されている〟と思うでしょう。

私はそう 強く思います。

これを〝仕方がない 言いなりになろう〟と言うと、〝すでに感受性が潰されており 内的に非常に貧困〟です。

〝着たいものを着ていきたい〟

これが正常でしょう。

ただし、何を着ていくのか、そもそも服があるのかという 面倒事もあります。


なぜ、こんなにも〝かたくな〟に スーツが指定されているかは さておいて、一般論では〝スーツは ファッションという名の私事(わたくしごと)ではない!〟と 誰かが〝言い切ります〟!

一方で、アパレル?――ファッション業界に関係する制服には〝販売用のファッション性が追求されている〟という視点もあるので、そもそも〝ファッション=私事=仕事には御法度 が成り立つ強い根拠はない(いくらでも反例や要点を挙げられる)〟と むっさω言えます。


結局は〝リベラルな合意〟が〝機能適合のみの狭い視野に拘束されている〟ということです。

内面のリベラルな合意を把握できずに ずるずる 来ているわけで、〝内面≒芸術〟が〝リベラルな合意の外側に投げ出されている=(前)慣習的なコミットに留まる〟という〝芸術の周辺化≒内面を物に縮小すること〟が 起きました。

本来、子どもでも内面を持っていますので、上記は〝子どもの意識とは関係が無い 不均衡な運動〟です。


〝働きたくない〟と言うと〝来るな〟が〝合理的〟と思われますが、これは〝リベラルな内面の視点が決定的に欠けています〟!

この視点は、リベラルな内面から見ると〝暗黙の不合理なルールの外側(土壌)から突いている〟と 理解(発話)できます。 そうとも取れないのは〝内面など ビジネスルールに存在していないから〟です。

一方で、マーケティングで、顧客の内面を理解しようとするアプローチは とうに一般的でしょう。 〝顧客(の好み)はビジネスでは無いから 上記ルールは適用しない〟とでも 言うのでしょうか。


志望動機は〝決定的な理由〟が求められますが、〝内面が無いなら 特性と学歴しか根拠にしようが無い〟としか言えません(驚)

リベラルな内面の合意から見ると、そんなもの 全く〝決定的な理由〟に なっていません

よって、厳選に選んだつもりで〝くじ引きで選んでいる(爆)〟わけです( ゚Д゚) ←その場合。

はい?――と思うかもしれませんが 一定数の〝社会に合わない〟と思わざるを得ない人が つぶやいているはずです。

道路交通を見て見ましょう。 歩行者が横断歩道上で分かりやすく待っていても 誰も停止線で止まれないのではないですか?――流れなどという〝いいわけ〟は そんな程度です。 社会は回っています。(混乱のドヤ顔で)


芸術家がなぜ〝周辺化されている〟のか ひを見るより明らかな理由です。

そもそも〝リベラルな合意の内面(≒独り立ちしているアーティストの熱意)は 存在さえ認識されていない〟のです。

本当の動機(熱意)は〝普遍的に 相手の本当に言いたいことを理解する〟ことで 成り立ちます。


リベラルな内面の合意が成されないまま 上記〝相手を理解〟しようとすると、通常〝本人の身体的な感覚や感情と快不快に特性〟のみが 議題として挙がり 内面(ハート)が そこにありません。

最初の方に言ったように、〝リベラルな内面が合意されなければ (前)慣習的なもの 他者の意味(熱意)に普遍的に立てないもの〟に ただ深そうな言葉を並べるだけのアプローチに 成り下がります。


教育は〝慈善事業ではない〟とか言うことを(不合理に)好む人がいますが、〝リベラルな内面の合意(リベラル教育の根源性)とは そのレベルにまで成長することを奨励する責任を持つこと〟なので、ないがしろにすることを以って〝私は自分勝手な独断で 社内の人間関係(普遍的意味による熱意)など どうなってもいい〟と言います。

私は、〝面接のスーツも 仕事に関わるすべてのコストは リベラル教育的責任を根拠に以って ビジネスに拠るものなのだから 会社が全て負担すべきだ〟と主張します。

リベラルな内面の合意が必要な意味です。

ん?――分からないって??

くじ引きで選ばなければ、魂(普遍的な熱意の関係)で選べれば、互いに相性が良く〝自然に責任と関係にコミットする〟ので〝長く続けられて コストも下がるし 提供に値することをも十二分に納得できる〟からですよ。

無慈悲な競争に勝手に流れ慣らされてきたことで 誰も分かっていないのかもしれませんが〝他の企業より一歩先の地平でやりたいという協力〟なのです。一歩先への手探りの閉ざされた競争だと 普遍的な内面が根付かないので 結局 宣言だけです。


どういうことかは、〝なぜ はっきりとした笑顔と態度で営んでいるのですか?〟――― 会社人間は〝答えられない(はっきり聞かれない)と思います〟

実は、会社から離れているのに〝だからこそ 笑顔と言葉遣いと細やかな作業〟を楽しんでいる強者がいます。

これはもはや、会社の外の〝営みに育てられた〟のです。

会社の外側の〝より普遍的に人々の目線の中で公開する〟営みが、真の前進です。

普遍的な内面を忘れることで 適当に業務を継ぎ立てていった成れの果てが〝過半数をも超える!?自社の隠蔽〟です。 結局、私の言っていることの基本が ばかげたようにしか見えなくても 根拠は示せているでしょ?


久々に、こういった内容の主張を書いてみました。

昔に おかしいおかしい と思ってきたことなので、現在の眺めから書いておいても 意味はあるだろうと感じ、書きました。

文字では 感情的近況(アーティスト的な何とやら)が伝わらないのは知っていますが、〝解釈する〟という運動は アート鑑賞と同じですので、大した目的の役割の違いはありません❉
posted by インテグラルとど at 09:00| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする