2019年02月27日

ポスト形而上学で見る〝私たちの意図〟

久しぶりに、軽いミニコラムを書いてみました。

意図は、私たちの中にあるわけですが、〝視点〟です。

所与の視点というものは無く、すべては コミュニケーションによって〝意味に成る〟わけです。

そこに、1人称的な〝内面=深さ〟が当然考慮されます。

意図ないし想いに対して 第三者が〝話す〟とき、それは〝誰の中にも均等に並べられているだけのものではない〟という〝責任〟が合意されています。

統合的リンキングで言うと、有名サイドの芸術家が無名サイドの芸術家に〝遠回しに話す理由〟は〝それぞれの立場に やや特異な共有されざる義務が発生しているから〟とも言えますが、〝互いに、共通の普遍的な深い責任に立って 一緒に芸術をやりたい〟という意図です。

これは、誰の中にも転がっているだけのものではないのです。

よって、想いや意図を語る場合は、たとえ 芸術的ないし商業的なプロモーション活動(CM広告など)であっても、〝包括的な責任が強く伴う〟と、私は主張します。

漠然と語っている場合は 特に、コスモスのアドレス(指示言語!)を開示しなさい、と ポスト形而上学は言います(爆)

このコラムは、基本的には〝芸術家が芸術家に対して発話する〟という おしゃべりです。

究極的には、皆 芸術家です。
posted by インテグラルとど at 12:13| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする