2019年12月05日

LOVE!未来のハート(⋈◍>◡<◍)✧ ~時間と空間 予知のタイプと〝奇跡の出逢い〟~

これまで、〝予知能力〟についての インテグラルな 体系化が 成されていなかったと思います。

アインシュタインは ユングに、共時性について 研究することを 奨励していた と 言います。
〝予知能力〟には、実は、今まで知られていなかった〝普遍的〟な 秘密があったのです。


私の経験を交えて、今夜、これを解き明かしましょう♪


私は、パラレルワールドやワープに関する〝移動〟を、2つのタイムに差異化しました

1光年(ワープ単位)の移動が、1年前後のパラレルワールドに飛ぶ移動成分と、1光年の距離の移動成分に区別できるのです。

同様に、予知もまた、今まで知られていなかった〝2つの差異化〟によって、飛躍的に理解が深まるでしょう。



AQALで考えるにあたり、知られがちな〝予知〟は、必ずしも高度なレベル(第3層)によって 発現するとは限りません。

おそらく、〝状態-段階〟に 関係が深いのです。

にもかかわらず、〝構造-段階〟として〝洗練できる〟奥深い要素があるに 違いありません。


今回言いたい最大のことは2点です。

〝愛の交流がとても重要〟〝空間的ではなく 時間的な予知がある〟

――――――――


予知の力に気付いた人は、未来のシーンを把握するようになります。

そして、より良き未来に向かって 前進する選択肢が生まれ広がり、有名になる道が開かれるくらい、ハードな人生が、あるいは自分の望む形で 開示され、使命となる のです。

その道の中で、必ず、印象の強い 似た目的を紡いでいる仲間に出会う ことになります。

彼らが、予知によって結ばれた連合であり、コミュニティです。

そこで予知(ビジョン)は、全象限を帯びて、構造的に未来へと成長していきます。

決定的なシンクロニシティに対するみらいのことば〟は、ここで共創造される のです。


しかし、予知の連合は、より良い未来を紡ぐ仲間ではありますが、それを〝世間に伝える〟技法を極めるに対して、決定的に 弱い立場にあります。

有名側に立ちやすい性質のために、その守秘義務とも言える壁が、真実に対して 立ちはだかるのです。

予知が第3層に向かって紡がれるとき、ILP(統合的な実践)を含みながら、新たな仲間が開示されるように、運命は新たなステージへと 時を進めます。

それが、〝時間を予知する人々〟の参加です。


空間の予知は よく想像されていますが、時間の予知 の方は、おそらく誰も知らないでしょう。


理由は、それが〝予知だと認識できないから〟です。

時間的な予知は、予知というよりは〝予感〟です。

予感ならば 知られていますが、ワープのタイムの2つの差異化と同じく、第3層の高度で AQAL的に 予知と予感を 分類・捕捉している例は 無いか 稀有でしょう。


時間的な予知は、未来のビジョンではなく、シンクロニシティを伴う 直観として現れます

これは、感覚的に 比較的 外在化して現れることもあり、いつ出かけるのか、その理由とはなぜか、予定の無いカテゴリーはどこか、といった点にまで及ぶものです。

上記は、誰でも ある程度までは 行っていることから、人それぞれという〝相対主義〟に からめとられて 気にも留めなくなる ことが 多いようですが、〝夢-自己実現〟的な直観を体験・研究していくと分かるように、〝その先があります〟!


その先こそが、シンクロニシティ(共時性)を〝構造-段階〟的に捉える技法と経験、洗練するに値する根拠の獲得 (ティール組織・第2層のビュー) です。

さらにその先、第3層(インディゴ)に達する中で、直観は、共時性を伴いながら、新たな出会いを引き寄せます

それが、共時性の〝みらいのことば〟によって開示された〝予知の存在です。


第3層の共時的言語(超-把握)は、いつ それと関わるかを含んで、〝予知が実際に存在する〟ことを証明します

核心に変わったならば、なぜ、共時性が自分たちに向かって生起し続けているのか、という疑問が起き、〝ふしぎな偶然は 私たちが起こしていた!?〟という過程と統合して、この〝直観〟が 紛れもない ひとつのカテゴリーの予知であることが、導かれるのです。

ここで、空間的な予知の仲間と、時間的な予知の仲間が出会います


予知の責任は、色々とディープなこともあり、その権利を自由にできるまでに という目的では、第3層への成長は必須なのです。

それは、空間的な予知の存在に、時間的な予知と共に気付いた後者の仲間という〝創発(ゴール)〟により、達成されます。

このコーナーとして、或いはこのページのように、〝証拠を持って〟報告する 決定的なフェーズを越えるから です。


さて。

では、予知の差異化を進めましょう。


通常の、空間的な予知を(s)、時間的な予知を(t) とします。

(s)(t)は、主体とその周辺のビューです。


(s)は、列車のダイヤの 外側の(静止系的な)景色、(t)は、列車自体の印象に対する(動系的な)眺め です。

(s)は、いつその出来事が起こるのか、(t)は、出来事と その決定的な条件、を〝予測できません〟!

(s)は、権力的な悪用に弱く、(t)は、交流に対して壁を作りすぎる、という 知られざる盲点が あるようです。

(s)は有名側に、(t)は無名側に、役割分担していることが多く、一方に概ね無意識的です。

(s)は、比較的 早熟の時期に 困難な重圧を避けられず、(t)は、晩成の時期まで 夢を信じられず絶望することが多いでしょう。


次に、(s)と(t)の〝連携-関係性〟を見てみましょう。


(t)の洞察を(s)が信頼し、(s)のメッセージとしての行為を(t)は信頼します

(s)と(t)の交流によって、時間空間それぞれが AQAL的に充実していく のです。

(t)は〝1人称的〟で始まりますが、多くの(s)の紡ぎあげた情報によって、2人称と3人称の視点に応用・拡張 されます。

これは、(t)同士も同様です。

(s)も3人称から始まり、(t)そして(s)との出会いで、2人称と1人称の視点に応用・拡張 されます。

(s)は〝未来の情報・シーン〟に、(t)は〝共時性・一瞥〟に それぞれ優れています

両者とも、構造的成長と経験を積み、愛の交流を重ねることで、正しい解釈が得られ、より良き道へと 進めます。

その営みに決定的に必要なのが、インテグラルな方向性を持った〝良心(コミュニケーションによるモラル)〟です。

一歩踏み出すことが、何度も、必要なのです。


このページの洞察は、芸術作品による 統合的な対話によって 成り立っている経験が主です

つまり、著作権の分野は、(s)と(t)による 多様なニーズを伴った〝統合的なリンキング〟を考慮する必要 があり、特に、前後の混同(PPF)を避けながら、世界基準で、未来に合った決まりを 修正・洗練させる必要 があります。

こういった 超次元的なリンキングは、単なる〝儲けたいという衝動〟が〝良い意味で皆無〟で、文化的なトレンドを創る 形で、種々悪用への対策として 君臨します。

キャラクターひとつでも、すてきな存在で以って、ストロングです


また、〝みらいのことば〟を 牛耳ろう・乱用しよう、とする者たちに対しては、これまでに開示されていなかった、予知の重さの反作用を受けることにより、想定外の理解に 行かざるを得ません。

短絡的な視点では、先取りで〝売れる〟かもしれませんが、高値変動の〝ハイパースペース〟券のようなもので、正統に長い時空間の中での インテグリティな〝現存〟が成されなければ、〝著作・内面をはじめとする 高度や象限の視点〟として、〝生兵法は大怪我の基〟となるのです。


作品とアーティストの 統合的なコミュニケーションとしては、(s)が、(t)が自分の責任と判断と直観で触れることになる(s)自身の作品を、ビジョンを見て (t)に向けて〝創作する〟のです。

(t)は、上記を、長期的に、慎重に、統合的に紡いでリンキングして、無名サイドの発達ラインから 洗練させた現状報告能力と立場を生かして、それらを開示します。


(s)と(t)は、どのような組み合わせでも 相性が良さそうで、(s)同士が最も出会いやすく ある範囲で ほぼ必然であり、(t)同士が最も出会い難いと言えますし 出会っても 単純には 気づかないのではないでしょうか。

(s)は、ラマナの言う 真我探究と同等のグルヨーガとして、空の下で、(t)を導くこととなりつつ、(t)もまた、独特な形で(s)を助けていきます。

その絆は、作品などにて、本人たちが語ってくれています


(s)が、見たビジョンを持って (t)の列車(ハートと ビュー)と 心を通わせると、空間に時間が付く形で 新しい時空間としてマッピングでき、第3層的な出力形態として 洗練させることで、起こるタイミングと意味が〝深く分かるように〟なります。

チームワークが大切 なのです。

ただし、かなり超次元的に行われるので、普通のそれとは 全く想像の範疇外ですが。


そして、すべては、〝リアルアップデートワールド〟(予知と直観の無数に続く 瞬間創発に その延長 [多様な運命と歴史と方向]の理解) として コミュニケーションを含んだ解釈・理解が必要 です。

強い予知と予感は、曖昧なそれと比べて、〝より創発して 変えられた未来を 直覚〟します

〝未来は変えられなくとも 過去は変えられる〟とは、習慣の例のように、統合的な実践によっても 理解できる〝意識と選択からのレール[今この瞬間からの より良いラインへ]の変更〟ということです。

この意識的な強さと、より先の創発的な未来を 判断・認識・捕捉するための 秘訣は、一致・相関するのです。


(s)は、未来に どうすれば素敵であるかを アップデートの連続で実践し、(t)は、どの瞬間にインスピレーションを受けて紡げばいいかを リアルに直覚・実践します。

(t)の場合、なぜそれをする必要がないのか、これは 決定的にやる必要があるのだ、という事象に対して明確な理解が存在するために、タイミングとテンションを印象によって把握することで、その多次元的な地図化を無意識に保て、(s)も、それらを 理解と根拠により 信頼します。

(t)は、印象が、夢が、近い時間にあるのか、遠い時間にあるのか、気持ちや知性で分かる のです。

そして、そんな(t)の繊細さ、デリケートさを包むように、〝未来のことば による コミュニケーション〟を、(s)は 言葉と文脈を選んで リンキングして紡いで届ける のです。

多次元をテーマにした アートを営む人々の中で、深いコミュニケーションの経験などの差から、この手のリンキングが うまい人と 下手な人が います。

どのようなバージョンでも、言いたい根っこは伝わりますが、タイミングと強さと感じが異なり、結束に差が出ます。 ――― どの分野でも その手の一流同士が 口に出して話していることの(s)(t)交流バージョンです。

このリンキングを、〝取って儲けるためだ〟と 勘違いしている人々も いるのが 事実で、なぜそれでは〝まずい〟のかは 説明した通りです。

引用参考として提示する場合でも、本人が世に出した分の〝責任として〟の権利を持つ ことになります。


いずれも、非二元(空)からの〝形〟として、自由な個性・いろどり(才)としての〝関わり方・表現〟で、進化する悟りの通り、〝成長〟します。

元因的な 多次元的コミュニケーションが〝創発・洗練〟していくのです。

それでも、(t)のライブラリーは、本人の吸収・到達可能なエリアまで であり、キャパシティや相性やタイミングをはじめ、複雑なファクターによって、制約を受けます。

この点は、(t)のタイプを より多く育てる さらに良き文化が成り立つことで、解決できます。

(s)から(t)へのリンキングにおいて、(t)のキャパシティの性質を知って 無理強いしないのは 大前提の鉄則(未来のマナー)です。

上記は、(t)から(t)へも同様で、さらに進んで、(t)から(s)へも同様です。

信頼があれば、どんな未来でも〝今に浸透存在する〟という直覚により、扉を開けます

どちらにせよ、すべてが巨視的・微視的に繋がって、必ず すべては伝わっている のです。


生きた証を残して。

それも また 含めて、奇跡は、今、ある のです。


(s)と(t)は、単体の立場では バランスが取れないことが多いので、有名的立場の責任を(t)が(s)の分を引き受ける形で、大衆側の立場の機転を(s)が(t)の分を取り入れることで、コストが分散 されて、すてきが無限大です(≧▽≦)!!!!!!


さて。 私も ずっと ひっかかっていたことを、こうして ライトアップして〝提示〟できたので、ホッとしましょう。


このブログ〝とどのインテグラル〟の メインな読者の方々は、圧倒的に(t)のタイプが強い と思いますので、その点を意識していただければ、と思います。

(s)と(t)は、グラデーションの持った成分で さらに、発達ラインとして定義も可能 かもしれない点など、いろいろ言えます。

(s)も(t)も、第3層にて洗練していく中で、多数の基本的な発達ラインと いくつかの分野での実践と経験が、大きく利いて きます。

私の場合は、AQALや音楽の視点 を前に出して、今回のご報告に至ったわけですが、もっといろいろな分野が世界にはあるので、すべてが繋がっていく中で、このコーナーの発見・差異化は、ピンとくる人々にとって 必ず役に立ちます。

私の場合、自動書記ではありませんが、夢からメロディや歌詞を引っ張ってくるとき、決定的に そうした方がいい瞬間に対しての 時間的感受性はあるようで、長期的に紡いでいくことで、この場所に たどり着きました。

そして、有名無名問わず、〝偏見は良くない〟ことが証明 されたわけです♪


(t)は〝いつ出会うか〟 (s)は〝誰と出会うか〟 ―― 楽しい愛の出会いは、未来の ドキドキ♡ ワクワク☀ です。


ILPの実践を含む意味で、(s)と(t)の創発・開花・完成の〝輪〟は、〝愛(=LOVE)〟によって 加速、成されるのです。

この〝LOVE〟を 忘れないでください。 とても大切です。



この発見を、次世代に紡ぎます

もしあなたの大切な人が、ふしぎな予知の彩を 発揮していたとしても、焦らずに、その核を見極めてください。


誰もが、大切な人に、愛を持って、その願いを叶えようとする、ひとすじの魂なのです。

それこそが、スピリット(空)の中の、〝魂(ソウル)の人間関係(フレンド)〟です!!



☆彡

posted by インテグラルとど at 22:06| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2019年11月14日

未来の〝ことば〟 ~状態・構造と アートに〝ともだち〟~


空しかない。 そこから、無形の眠り、何もない意識が芽生え、夢の世界へと下降する。

時間が現れる。 過去や未来、多次元が くるまって、光の道のしるしに。

夢から覚めると、いつもの日常、物質とシステムのある世界、そして身体に気付く。

なんらかの、空からの印象を 覚えていることもあるよ



という風に、〝状態-段階〟としての〝非二元神秘主義(S/nd)〟が色濃くなると、〝構造-段階〟としての第3層に 永続適応しやすくなります。

空から夢が、光から形が、それが、状態と構造の秘密のひとつで、インスピレーションや直観と呼ばれ、昔から、報告されてきたジャンルですね。


仏教では、微細神秘主義(S/s) つまり、夢の世界の現象は、魔境と呼ばれて、その中に、一種のESP、つまり、過去や未来が 時間的な順序を越えて把握される現象・視点があることに、合意しています。


私が音楽を作る時、どうしても作りたいと思う音楽ほど、メロディの印象が色濃いもので、夢の世界から 引っ張ってくる気がある、つまり、空から未来を見ている、ような説明が可能です。

合理的に体験(9)は できませんが、合理的に説明(8)は できます。

そのメロディにさらに、いつ詩を付けるのか、その印象も、直観です。


好きな人だと感じた時の、言えないときの絶望感が、ダイモンがデーモンに変わる時が、つまりは、空からの形、時間の順序を飛び越えるという未来を感じ取っている、解釈している、と見れます。

私の場合は、実際に未来の映像は見えませんが、後で 答え合わせ(9)をする時に、確かに、知らない事実や名詞があるにもかかわらず〝知っている〟印象があることに気付くのです。


別の見方では・・・

例えば、働かざるもの食うべからず!という理念で動いている意識は、それ以外の価値観をシャドーとして締め出します

中には、〝ものを見れば 先の印象が分かる〟人がいますが、せいぜい、物質的な粗大領域(S/g)に 関心と対象が限られていて、深いメロディやアートの夢 そういった美とは、無縁で、低俗だという価値判断 (自分本位の歪んだヒエラルキー) を行うと思います。

上記は、この家がいいとか、そういうことです。 (それも重要なジャンルですけど。)


私が、自転車で信号を守らないとすれば、裏道重視でロングライドをするという発想も持てません。

正しい手順、方法をクリアして初めて、その領域に、想い、直観が適用できるのです。

(楽しいお話を入れるならば、〝KinKiのやる気まんまんソング〟は その流れで 聴きましょう♪)


王様が象に賢者を踏み潰させよう、という昔話がありますが、賢者は避けるわけです。

それもまた、自然な無選択の意識で、シャドーワークとも、信号順守の発達ラインとも関係してきます。


ということは、非常に深い願いであるからこそ、そこに〝構造-段階〟として定立できる根拠があるからこそ、直観は出でて、そのジャンルを広げるのは、良いことを4象限をクリアして〝行おう〟という、明確な実践によってです。

(つまり、現代の自動車社会は、直観の範囲を 乏しく、即ち〝限定〟するようです。)


アインシュタインのような天才は、多数派とは異なる脳構造であったことが知られていますが、つまり、マイノリティな脳構造、器質的な障害として分類されている場合でも、インスピレーションの直覚方法が ユニークないし実践的で、要は、それにエネルギーを使っている、自分の世界に入っている、というだけだったりします。

アーティストは、だいたい そうです。


上記にも、もちろん、構造-段階 があります。


では、共時性(シンクロニシティ)や既視感(デジャヴ)は、どうなのでしょうか?

これらは、インスピレーションの一種、時間的順序を越える ひとつの状態だと説明できますが、それらを解釈する〝構造-段階〟つまり、その 総合的なネットワークに依拠します。

形態形成(8)として合理的に説明できますが、実際は、外側のシステムに共時性が起こることが多く、デジャヴも ごく日常の領域(S/g)にて起こることから、五感で把握しているシステムと関連して認識される点で、同種でしょう。

夢の世界(S/s)では、デジャヴやシンクロニシティ(グロス・S/g・的な時間)は、包含・超越されている、と言えます。


共時性として、自動車が好きな技師が 道路交通のシステムについて日々考えていた場合、ふしぎな偶然が 道を含んで現れることが有り得ます。

数字に強い人が、数字に関する日常的な共時性を解釈することを含めて、起こり得ることもあります。

動物好きな人が、目撃した動物に付与する、出会いの運命の解釈を含めて、未来から自分自身へのメッセージ的な共時性としての シチュエーションもアリです。

つまり、システムと社会もまた、内面と相関する象限であり、意図と直観の反映の範囲となります。

今日これを見るから出かけよう、という 行動力が、無意識下で意識されている、そういう流れで 外側に共時性が見出せることが多いのでしょう。

いかにたくさんの、自分にとって意味の持てる情報を把握できるか、この資質を育むことで、共時性の法則をある程度 経験できると思います。


今回言いたかった最大のことは、〝コミュニケーション〟です。


アーティスト同士が、芸術で対話する時、この資質は極限になるようです。

統合的対話によって、美の発達ラインなどから、作画、メロディ、あらゆる〝交流-解釈〟ができます。

会って話すよりも、インテグリティが増す実践となります。

そこに、共時性が伴うことが多いと気付いていく中で、誰かが意図したように感じれば、第3層の構造的根拠で、そういった長時間的把握・言語がある、と 気付けます。

私は昨年、そういったことの具体例を、根拠を持って 挙げました。

(提示したのは、深さを中心とした、ほんの一角です。)


私は、未来を見れないと思っていましたが、色々な経験をしていくと、印象では 何となく、どうなっていくのかが分かります。

どこから自動車が来るかは分からなくても、来そうなところで自分はどうしたいのか、どうしているのか、そういった 流れの把握は、〝無選択の意識〟に近いところで やっていると思います。


好きな人が やがて現れるという直観を持つ人でも、その強い印象を映像化できないとしても、たしかに 未来を見ていると 捉えられます。


どのようなバージョンだとしても、最初に起こっている流れは、同じでしょう。


もう一度、要点を繰り返しますが、未来を見ることに こだわりすぎると、自分が閉じているルール・領域を 忘れます。

無意識に追いやられたシャドー領域に特に言えますが、リベラルの闇 (自動車社会をはじめ... いわゆる エゴVSエコ) にも言えますが、その部分は、未来の印象を把握するには不十分であるだけではなく不適切でもあるので、未来が見えない、ということになります。

だから、統合的実践(ILP)が効いてくるのです。


TVゲームなどにて、何かを引き当てるのを予想する、というのは、通常 無理です。

スポーツ選手がレースで、というならば、本気で勝負しているなら、どうしたいかという点で 在りえるでしょう。

ゲームの場合は、本当に、このタイトルをブログに乗せて交流したい、とか、何か意味につながる達成を予期する見込みの共時性は、アリです。

予想全般に言えますが、内面の深さを無視した粗大中心志向(S/g 絶対化)では、共時性は理解できませんし、意味を持ちません。

この点を別方向で心配している人は、気にしすぎないように。


つまり、お金のモジュールを実践する時は、自分がなぜ これ(節約など)をやりたくて、そうすればどうなるのか、を真剣に考える時に 多次元的な 意味を持つ、ということです。


今回、これを書いた動機は、やっぱり、気付くタイミング含めて、色々と 昔は 有り得ないと思っていた〝すごいこと〟が 起こっていたからです。


私の作った歌、メロディの印象と作詞だと思いますが、そこ(視点の視点の視点...)からインスピレーションを閃光を得て、世界に意味があることを、人間の優しさの本来を、伝え広めたい、と 繋いでくれた人々がいることに気付けたことが、今回のご報告の基礎にもなっています。

具体的には、去年に掲載(別ブログ中心に掲載)しましたが、まだ 続き があるようです!!

(⋈◍>◡<◍)。✧♡



P.S. ――― (2019.11 15)


〝this way〟… 〝way〟は「方法」!



―――――――――――――――――――――――――――――――


P.S. ――― (2019.12 02)


〝 by 〟が〝 キー 〟なの!? (笑)


ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 22:28| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

自動車の逆走は絶望です! ~対向・突然・自転車視点・片側1車線等・説明有~

私が実践している自転車走行を まとめていたりする筆者(とどさん♢)ですが、自転車は自動車に配慮される立場であり、自動車は 自転車がどれだけ気を付けていても 生命の危機的状況の意味で 回避できない、運転?が可能です。

逆に、自動車は、同様の意味で、ほぼ100%できます。 つまり、安全運転義務は、自転車の場合、ルールを守ることであり、自動車に対してのそれ以上の安全運転義務はありません。

ここを勘違いして、自転車は端に寄らなければいけない、が、すり抜けをしてはならない(筆者の主張でもある)という、矛盾だらけの強制に成り下がるのです。

自転車は、特に歩行者に対して強力な安全運転義務があり、端を走りすぎると、歩行者に配慮できないので、そういった癖をつけてはいけません。

また、自転車は、自動車の追い越しマージンを1.5m以上制限速度以内で安全なシチュエーションで取ってもらう権利があり、そのために、端に回避できるマージンを1mくらい取る安全策を取らなければ、とてつもなく危ない状況におかれると言えます。

自動車は、こういった点を殆ど意識しておらず、片側1車線より狭い道では、対向車は、自転車から見て右側(対向自動車から見て左側)を空け過ぎながら、自転車をすれすれマージンで減速せずに平気で離合する、自動車ならば一旦停止するのに、といった、安全運転義務の本質を欠片も分かっていないのではないか?という運転をしている場合が はたから見て多すぎます。

自転車と極限まで縮小したマージンに共通分母化して それだけを覚えてスルーするドライバーが大量におり、もっと端に寄れる場合でも 平気でまん中を通過します。

その最縮小マージンを 自動車の所要時間短縮のために とんでもない あるとあらゆる 状況に強引に適用させるのです。

自転車は車道、といっても、これらを考慮に入れない場合、うまくいかないに決まっています。

私がこういったコーナーをまとめておくのは、自動車の危険運転を勝手に呑み込んで、仕方なかったんだで済ますと、必ず歩行者に〝同じ〟暴力を与えるからです。

そうならないために、筆者は、自動車の病理的な愚行!? を、うのみにせず、まとめていきます。


私が数年走っている中で、一番回避と予測不可能である自動車の運転?は、主に片側1車線の破線の道の直線区間で ちょうど後続車がいないときに、対向車の真後ろにぴたりと異常に車間距離を詰めている自動車が、前方の対向車がわずかに制限速度以下になったなどの理由で、突然 何の前触れもなく飛び出してくる運転?です。

――運転?、です。――

この、運転?は、恐らく、前方の自動車は、自転車が来ていることで速度を下げるのでしょうが、制限速度が50キロの時にせいぜい40キロとかでしょうから、それを突如追い越す問題の後続自動車の速度は+20キロとして、時速60キロ位でしょう。

何の前触れもなく、自転車の前方に、いきなり時速60キロで突っ込んでくる自動車が現れます。


その時の状況ですが、まず、死んだと思いました。

同時に、体がぴくつき、一瞬言うことをきかず、頭が真っ白になり、なぜ当たらなかったかふしぎで、どういった状況だったかふり返ることができないくらいのタイミングだったわけです。

左にガードレールもあったので、左に寄りすぎる方法も 一瞬で使うことはできません。


自転車のみが片側を、自動車2台がもう片側を走っているとします。

その後方自動車は、そもそも、対向車の有無に気付いていたのでしょうか?

もし不明ならば、対向車と正面衝突する危険が高く、わざわざ反対車線をいきなり走行しないでしょう。

ということは、自転車は、車両とも対向車とも見られていないことになります。

では、対向車・・・もとい、対向自転車の存在には気づいていたのでしょうか?

自動車は見えるのに、自転車は見えない、もしこのシチュエーションが対向で起こり得るのならば、とても危険です。

自動車は要するに、反対車線からやってくる〝車両〟の存在に気付かずに、反対車線に突如飛び出すことになるからです。

このときの自転車の速度が時速15キロ程度だとすれば、原付やオートバイの速度には及ばないので同じ話にはならないのでしょうが、2輪各種でも 自転車側のシチュエーションで 同じ突然の自動車出現はあり得るわけです。

おそらく、真後ろに張り付いている自動車は、前方自動車の死角で、前方のいくらかの部分が見えず、ある速度以上でやってくる車両を時間で読んで、何もいないと判断したのでしょう。

これは、郊外つまり田舎に多く、自転車が車道を走っていることを想定できていないことが原因です。

自転車は車道、というメッセージは、都会中心の発想であり、郊外の状況には さらに対応しきれていない、と考えるのが妥当でしょう。


しかし疑問が残ります。

もし、自動車が、時速15キロ程度で走ってきていたらどうしていたのでしょうか?

自転車だから見えなかったのだとすれば、原付やオートバイが時速15キロで景色を見ている場合でも有り得ます。

その後、オートバイが突如加速する場合もあるわけです。

いずれにしても、時速15キロで走行してくる自転車や自動二輪との正面衝突は、避けられないような運転をしていたことになります。

これは、どう考えても、安全運転義務違反でしょう。


さらに別の視点もあります。

本当にわざとではなかったのか?


自転車に特に言えますが、運転には盲点があります。

それをなるべく克服していくために、安全に数走るのです。

しかし、自動車が一般道を安全に走るのは、上記の出来事含め、基本無理です。

今回の場合、前方の車両にも責任が発生しかねない状況でした。 (実際はそうでもないはずですけどね。)

これは、前方がサンデードライバー(暫定)、後方が安全運転義務違反者、というわけですが、自動車が制限速度オーバーで流れる状況と、自動車社会が自転車走行に及ぼし続けている破滅的な現状を理解するには十分です。

つまり、前方の自動車は、後方の自動車に、自転車が死ぬぞ!とあおり、自転車が死ぬわけです。

何も対向車線から来ていないことを確信していないのに反対車線をいきなり走行した場合、安全運転義務違反ですが、何か来ていた場合は、4輪自動車でないから弾いても構わない、と考えていたのなら、もはや、殺人未遂です。

しかし、それが誰にでも自動車ドライバーにできてしまうのが、自動車社会の狂った現在です。

つまり、自転車ならば、当たっても自分は無傷で済むから、自転車が来ていることが分かっていてあえて最悪のタイミングで飛び出した、可能性が浮上します。

自転車が来ているかわからない場合、自動二輪各種も 稀ではあるが そうなので、少なくとも100キログラム程度の物体が人と共にやってきているか わからないのに 強気で飛び出せるものでしょうか?

自転車がやってきていることが分かっていれば、自転車しか来ていないことが分かっているわけで、つまりはそれを無視、恐怖を与えるためだけに、突っ込んだのです。


世には、運命というものが存在します。

パラレルワールドをマッピングし、この世界の過去の真実を、歴史を改変することなく 記憶として取り出すことができるライブラリーが出来たならば、もう嘘は付けません。

先の出来事を既に分かっている人から、実際に起こったことを感じ取れる人だっています。



種々未遂的行為を、わざとやっている人に言います。

あなたの行ったことは、絶対にバレます。

というより、すでに把握されています。

そして、それは、あなたに必ずしも報告されるとは限りません。

そんなばかな・・・うそやろ、と思うかもしれませんが、権力者の中枢のヒミツ的な内容の深い部分を 全てあなた一人で網羅していますか?

つまりあなたが〝これからどうするか〟です。

近いうちに、まとめて過去の行為の〝代償〟がやってきます。

免停どころでは済まされません。

きっと、家族にも迷惑が掛かるでしょう。

あなたは、見える人をすでに苦しめている、ということです。


自転車は、明らかに、自動車との走行で安全上不利です。

それでも、現状のまま続いているのは、自転車が唯一 自動車から自分を守ることのできる〝天下の宝刀〟である〝法律〟を盾にすることができるからです。

それしかできません。

そのために、自転車はルールをちゃんと守りましょう。

自転車がルールを破っていれば、自動車との事故で、自動車側の思う壺です。

自動車側は、ありとあらゆる手を使い、自転車にルールを無視するように画策します。

私は、先頭の時に停止線で止まりますが、直後の自動車ドライバーが何を考えているか知りたいです。

もし、邪魔だと言ったとしたら、もう何も言いません


自転車がしっかりルール、つまり安全運転義務を全うしていれば、それ以上落ち度が無いので、自動車の制限速度以上で流れる現状、1.5m以上開けない追い越し、(片側2車線以上にて)同一車線上での追い越し、信号の無い横断歩道での歩行者無視&横道からの停止線で止まらない、赤になった直後の信号無視の自動車まで見られる、ありとあらゆる事実を いくらでも突きつけることができます。

これらはすべて、自動車の自転車への安全運転義務違反にあたり、歩行者へも同様です。

自転車がルールを守ることで歩行者に配慮しているのだから、比較も容易です。

もし自動車が全て守っているというのならば、いくらでもドライブレコーダーを開示し、どのような運転でこれらをクリアしているか情熱的に話してくれるでしょう。

というより、そういう自動車とは事故にはなりません。


もちろん、これまで述べたことは、合理的に理解するための簡略に過ぎず、やや誇張表現もあるとして、それでも、安全運転義務違反のドライバーが考えているほど オーバーで的外れではありません。


自転車の最大のメリットは、歩行者にのみ、最大限の安全運転をすればよいということです。

道路を走る上で、最もリスクが低い乗り物なのです。

つまりは、より気軽に、自由に走れる癒しを秘めています。

ただし、自動車に対しては、命を懸けることで、このリスクの軽量化を行う点は、要注目です。

この、命をかけるとは、安全運転義務違反の自動車ドライバーが勘違いしているような、命を落とすことを覚悟して それでも車道に出ている、というわけではありません。

冒険に、自分の命を落とすことを想定する馬鹿はいません(笑)

弾かれる気は毛頭ありません。

そうではなくて、安全運転義務違反の自動車が少なからずというか大量にいる現状を見て、或いはそうでなかったとしても、先ほどのことを繰り返しますが、自動車より自動車に対して安全上不利なだけです。

自転車のせいにして、自動車自らの安全運転義務違反を正当化するのは、誰がどう見ても 堂々明白に〝犯罪〟です。


リベラル社会では、証拠として 膨大な裏付けがない限り、強い償いを科すのは不可能で、それが寛容で良いわけですが、自らの手を汚せば汚すほど、証拠が膨大になっていきます。

つまりは、本当にわざとやっている自動車は、いつでも検挙できるということです。

ただ、今日までそうでなかったとしても、明日は。

なので、明日に不平を言うのはやめましょう。


ここで思うのは、ケン・ウィルバー「ワン・テイスト」などで読み解かれている〝奴隷〟の社会・文化的真実です。

アメリカとアフリカの場合で、〝保守派など〟は〝残酷な白人が親切な黒人に対して〟行ったと読み解く傾向が強いらしいのですが、ウィルバーによると、実際は、〝ふつうの人々がふつうの人々に対して行った〟という、言いたいことが分かれば かなりぞっとする結論です。

自動車社会は、フラットランドという、病理的なリベラリズムから来ているのが定説ですが、そういった、金銭至上主義的傾向は、人種至上主義的なナチズムのような病的上昇志向とも関係していき、つまり、病理的なリベラル社会によって媒介された、歪んだ保守的ナルシシズム人間たちが、上記の奴隷制度を展開し続けている、と読むのが妥当です。

残酷な自動車社会の安全運転義務違反と種々未遂と思われる行為は、頭のおかしい残酷な自動車ドライバーによって侵されているのではなく、ごくごく普通の人間が、ごくごく普通に自動車に乗っている結果、異常な事態が起きている、と捉えた方が、あらゆる点で核心をつきます。

つまりは、かつての奴隷制度と同じく、全くの無自覚であるわけです。


これは、奴隷制の廃止はあくまで、産業[外面]に対しての平等だったのであり、モラル[内面]の深さに対しての平等はまだ未発達のまま、これが病理的なリベラル、即ち、自動車ドライバーのモラルは未発達・未分化の奴隷制度に埋め込まれたまま、であることを意味します。

以前の私の自転車走行も、その影響を受けていたふつうのドライバーにすぎなかった、というだけです。

これは、インテグラル理論を勉強するだけでは全く分からず、構造主義を使って、外側から内面のデータを取って初めて分かるものでしょう。

少なくとも、モラル、自転車の運動スキル、車道のルールと危険予測の理解、の3つの発達ラインが伸びていないと、私のここで書いていることを まともに理解するのは無理でしょう。

そうでない人 (要解釈!) は、いずれにしても、内面の次元で、奴隷制度を展開している、異常な現代の、ふつうの人々( ;∀;)です。

なんか、変わった普通ですね。


後ろの対向車に突然飛び出される例に戻れば、いきなり 一般道の限界速度以上で突っ込んでこられる身になれ、と思いますが、ふつうの人なので、無理なのでしょう。

こういったシチュエーションは何回か体験しました。

このコーナーではその中で一番ひどかった経験を書いています。

その日のライド中、気がずっと変になりそうになりながら、経験と勘で何とか安全運転していくことになり、飛び出した自動車ドライバーは、正直 何の意図があって、こんなことができるのかと思いました。

ロボットで言うなら、私の中の頭の導線が過半数焼き切れてしまった感じです。

自動車の車間距離の詰め方は異常ですが、それに気づかないふつうの人々こそ、さらにそうだと私は強く言います。

自動運転に私の経験はきっと役に立つでしょうが、まず、こんな在りえない現状が事実であることを 道徳の尺度で判断しない限り、実体を変えるのは無理でしょう。 自転車を車道に上げるのも。

もし自動車ドライバーがわたしを歩道に上げるためにわざと危険行為をやったのなら、全くの見当違いです。

まず、私がこういった記事をブログにして載せているなどと考えもしないでしょう?

次に、そもそも、自転車は、高級なロードバイク以外、誰も車道に出たがっていません。 つまり目論見は成功どころか、まだ スタート地点にすら立っていないのです。 この程度の自転車の量で、音をあげてどうするんだ!!

そして、自動車のメーカーが、内面のモラルでリベラルの尺度を持っているのなら、こんな運転の現状を知ってショックでしょう。 自分たちの開発した自動車が殺人の道具に使われているなんて許しがたいことでしょう。 きっと、全力で自動運転を開発し、メーカー側が責任を引き受けます。

具体的に、どこがどういう特許を取得して、どう引っ張っていくのでしょうね?

生存戦略では生き残れないのは、まず間違いありません。

例の危険運転は、私がびくつき、右に寄れていたら、死んでましたよ。

特に、ダンシングは 走行に便利な能力なので、急ブレーキと突発的な進路変更が シッティングと比較にならないくらい不安定となる点も理解していない自動車ドライバーに対して、後続車はもちろん、対向車が来た場合に 使用を 少し中断する、といった さらなる防衛策を講じるのが妥当です。

ただし、ここまでくると、対向車が来るだけで、まともに走れなくなるので、自動車がやらなければならない当たり前のことをやってくれないことにまで こちらが神経をすり減らす コストを自ら負う必要はありません。


今回の議論の目的は、〝自動車社会と道路交通の、社会文化的背景を攻撃する〟ことで、どうにもならずに変えることもできないような停滞した現状を、変えられるかもしれないという希望を持ってもらうために 書き下ろした次第であり、単に特定の個人なる ふつうのドライバーに罰則を追わせても、集団倫理やシステムには影響が乏しく、全く新しい捉え方が必要、そのために、自動車に乗り慣れた者は 自転車で安全運転をする根源的な意味と意義を忘れて もはや再獲得不可能な状況に引き裂かれている故に、代わりに筆者の視点を提供しています。

自動車に乗り慣れている場合、基本、高速道路も走ることになるので、自転車の速度域で高速進行しているという実感も壊れ、速度と自分の運動能力の関係感覚も機能しなくなり、人に適したペースで見る景色の素晴らしさもドライバーとして忘れ、その現実に慣れ、結果、なぜ自動車が今までと同じ扱いで悪いのかが分からなくなっている事実を、社会文化的な条件により説明することで、説得力を持たせるに至る、という知恵を持っていただきたかったからです。


才能のある人々の多くは、自転車に乗って危険な現状に身を置くことが望ましくないため、こういった事実を発信することができません。

私は現在、不幸、或いは幸福にも、この手の経験が豊富にあるため、書けるうちに書いておきます。

自動車社会、そして、道路交通の未来が、きっと良い方向に変わりますように!


――――――――――願いを込めて❀

ラベル:AQAL
posted by インテグラルとど at 23:44| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする

2019年09月06日

ワープとタイムトラベルのアップデート! ~ 静止系・動系 / 時間経過・エネルギー ~

以前展開した多次元系の技術的側面を、仮説寄りに進めましょう。

ここでは、筆者の表現したかった用語を継続して使います。 (パラレルワールドを第3層で包摂した教科書的用語集がないため。)


そもそも、ハイパースペースに入るとは、どういうことなのでしょうか。

この疑問を、私が知りたがりそうな あの領域での〝答え〟として打つ出すには、静止系と動系を 更にバランスよく組み合わせればよいようです。


タイムマシン型 宇宙船 (ハイパースペースに入ることができる超慣性力を生み出すことができる空間) が、静止系(私たちの地球から見たような視点)にて、慣性系としての相対上の観測での一点の座標(マス)に静止している (ここまでは難しく考えないで 静止している感じだということ) の場合は、ハイパースペースに入っても、一定の空間的ポイントに静止しているはずなので、ハイパースペース内で動くと、静止系内では一定ポイントに居ると同時観測されるはずなので、縦の時間(タイム・時代)を移行するタイムマシンとなる、と言えるわけです。

一方で、動きながらハイパースペースに入る場合は、ハイパースペースに入っている時に 動かないことができるはずで、その時 同時に 静止系では 宇宙船は この世界(次元・同一の世界線)一定方向を実質等速に動いているはずなので、その状態 (ある種・静止しながらの動系のマッピング) によって、先の空間を捕捉すれば、横の時間(タイム・空間・同一静止系宇宙内の時空間)を越えることができる ワープとなる、と、ついに 差異化ができました。

つまり、何らかの差異化によって、第3層の技術では確かに、ワープもタイムトラベルも できるだろうわけです。


では、空間をジャンプするワープがなぜ、〝時間(タイム)移動〟の一種だと 捉えることができるのでしょうか?


ひとつは、どちらもハイパースペースに入るからで、ハイパースペースへの入り方(多連続的な慣性系からの動系のリアルアップ的変化を加える)も共通すると言えるからです。

質量がエネルギーなら、広義のタイムトラベル(ワープ)は、エネルギーによって成されるわけなので 質量の移動がエネルギーなわけです。 動系のハイパースペース内では別に、静止系にて質量として観測される宇宙船が タイムという形でのエネルギーとなるので、細部はどうであれ、横のジャンプも タイム=エネルギー を使った・経過した、と捉えることができます。

光は、質量を持たないゆえに、タイム・スペースに関しての〝基準〟にすることができるのは、こういった理由でしょう。 (タイム移動=広義のエネルギー)


もうすこし、核心を突きましょう。 (時を溜めるようなエネルギー的視点で。)


X(s) [X秒] 後 の移動は、光を基準にするとして、ハイパースペース内で X(s) 間の基準移動なわけです。 (どういう基準かは後に見ます。)

このとき、光がX(s)かかるタイムを 移動(ジャンプ)することになります。

縦のタイムをトラベルすれば、X(s)先の光が存在する未来(別のパラレルワールド・世界線・多次元)に行くことができ、横のタイムを跳躍すれば、X(s)先の光が存在するハイパーマルチ空間 (同一静止系宇宙・同一世界線の巨視的トンネル効果・空間を隔てたワープ・つまりX(s)先の空間のことです) を捕捉・到達することができるというわけです。

7年のタイムを飛躍(トラベル)するとして、光で7年かかるタイム、つまり、横のワープなら7光年先、縦のタイムトラベルなら7年先の時代、ということです。

物理学を習うと、当時分からなかった物質の加速度なども、意外とシンプルな法則であることが分かり、第3層の物理学も、感覚的に しっくりくる法則によって、コアの部分はシンプルであるに違いありません。

詳細はどうであれ。


ハイパースペース内での基準とは、光基準 X(y) [X年] 等のタイム移動 であることを 意味するのみで、技術の進歩によって、より短い時間(エネルギー・コスト)で この X(y) を 行き来することができる、ということです。


考え方として、これまでに見た、ハイパースペース内で X(s) を溜める〝タイムシフト (=パラレルワールドに関係する時空間的な移動・用語はタイムトラベルでもタイムスリップでも どれでもいい)〟シフトアップをすれば、このハイパースペースの動系より、さらなる静止系時空間が導かれると仮定ができて、実際に存在するかはさておき、その静止系スペース(亜空間・異空間)は〝静止系(地球・惑星 等 視点)にて瞬く間にX(s)のタイム(エネルギー)を持つ(余裕ができる)〟と見ることも可能です。

シフトアップにて、ウラシマ効果を、その対・亜空間とみなす シフトダウンにて、逆ウラシマ効果を、観測・体感できるスペースが存在するのかもしれません。

(ブラックホールは、逆ウラシマ効果の代表ですが、現実世界に既に存在しています。 今回の視点との共通点は、ある地点にエネルギーをある種の連続で かけ続けることで 生じているということです。 ホワイトホールがあるなら、なくてもですが、その中継に、動系であるハイパースペースがあるのでしょう。 ブラックホールは静止系基準の観測、光はブラックホールからハイパースペースを通って縦や横のタイムシフトをしている、ブラックホールを慣性系を作って移動させればワープと同原理か それに近くなる、などと視点化[イメージ]でき、手の届かなさそうな現象ではないことが分かります。―― なお、ウラシマ効果は〝対象にタイム余裕ができる状態〟・逆ウラシマ効果は〝対象の慣性外にタイム余裕のある状態〟を 対象の世界系[基本的に静止系(間)]を基準に指しています。)


ここまで網羅できると、第3層の時空間観とは、シンプルな〝タイム〟に、膨大に複雑なネットワークロジックを根拠にして 共通の視点(超‐単位)を見ているということが分かります。

ポイントは、水平に似ている現象を混同せず、差異化してさらに先へと洗練できるか、ということです。

X(s) などの 光や時間を、基準にする点が、どこまで安易と成り得るか自体が、主張‐定立 (視点) です。


タイムの第3層の基準としては、ハイパースペース内で方向を持っている という視点を含有しています。

簡単な法則により、超空間内の動系(ハイパー・タイム/スペース)で 3D[以上]の数直線上に マッピングとして、動くことができる方向的な基準があるわけで、タイム数量的にも、逆方向がマイナスとなる・さらに逆方向が同方向(逆方向の逆方向)となる、というわけです。 つまり、X(y) のタイムを溜めることができれば、−X(y) [縦に X年前の過去の時代・横に X光年後 逆方向 先へのワープ効果] が観測・体験されるということです。 (正の進行方向と同様に!)

[2(y)のタイムをポテンシャルにすれば 3Dマップ上を ±2年平行移動か 絶対値2光年のワープか そのグラデーションが 含有されるということです。 還元不可で 運命を越える形で 内面にも生起・対応します。]


科学分野ならば、先端でハイパースペースに関する多彩な議論も可能でしょう。

ただし、一般的な現代科学は、第3層の内面と 広義の科学によるパラレルワールドの正しい見解を 十分に補う興味が追いつかない場合、物質精神論程度になるので、私は、AQALと組み合わせて提示します。

よって、科学分野が大得意とする狭義の物質分野と 大々的なつながりを持ってはいず、先の時代にて、必ず何らかの統合的見解が成されるだろう、という提示です。

ただ一つ言えることは、相対性理論以降、普通の見解では、科学的な発見で さらに 世の中の伝統的一般常識 (宇宙はひとつで 空間は絶対的に はっきりしているという主張) を 説明できなくて 頭を抱える人が多い中、第3層のタイムビューは、その多く(近未来科学的理論と発見)を有益な形で包括することができると見ます。


長くなりましたね。

というわけで、時間の進み具合も、タイムトラベルと関係する という風な視点が導かれたように思います。

いかがだったでしょうか?
posted by インテグラルとど at 16:48| 実用的生活実践 | 更新情報をチェックする